『下町ロケット』で直木賞を受賞した池井戸潤さんが、日経新聞に短編小説を連載している。
池井戸潤 「七つの会議」
http://s.nikkei.com/pmnqYv
これがすこぶる面白くて、いつも楽しみにしている。のだが、『経理屋稼業』という作品を読んで、私は目から鱗が落ちた。
作中にこんな一節がある。
(前略)新田は、この日の会議に出席したセクションから提出された書類を広げ、そこに記載された数字を拾い始めた。
一旦作業に没頭しはじめると、時間はあっという間に過ぎていく。
ええー! そうなの!?
数字を拾う作業って、時間を忘れて没頭できるようなものなの??
私も職業上、書類の数字を淡々と拾っていくような作業はする。が、こんなふうに没頭したことは一度もない。単純な作業をするとき、私の脳みそは全力で他のことを考えてしまう。散歩をしているときと同じだ。自分でも満足できるような「いいアイディア」は、しばしば単純作業の最中に浮かんでくる。
で、そんな時は作業を中断してメモを取ってしまうのだな。
はたから見れば集中力散漫なだけだ。実際、ミスも多い。しかし同じ職場には、どんなに退屈な作業でもキチッとこなす人たちが揃っている。彼らがどうしてミスをしないのか、私は甚だ疑問だった。根性の問題だと思っていたよ。
実際には、「脳みその使い方の問題」なのだろう。単純作業をしている時、彼らは余計なことを考えていない。まるでコンピューターのように、数値処理だけに脳みそを使っているのだ。だからミスをしない。
一方、私の場合は思考があっちこっちに飛んでしまう。たとえば帳簿の数字の下三けたが911になっていたら、それだけで同時多発テロのことを思い出して、そういえばあの時、アメリカのアナウンサーが「Oh my goodness」と叫んでいたことに違和感を覚えたんだよなー何もよくねーじゃんこの疑問が解けたのは大学に入ってからで米国の放送局では宗教的な配慮からGodという単語を避ける傾向にあるんだよなー禁句は世界のどこにでもあるけど日本の場合は「めくら」とか「びっこ」とか差別語が多いよなーやっぱり差別的な文化が昔から……。と、とめどなく拡散していく。もちろん手は動かしたままだ。そりゃあミスもするってorz
脳みそを単純作業に特化して使えるのは、一種の才能だ。
もちろん生まれつきの適性もあるだろうけれど、トレーニングによって引き延ばされた超能力だ。――と言い切ってしまうと、首をかしげる人も多いだろう。単純作業なんて誰でもできるでしょ? それが苦手なのは努力が足りないんじゃないの? って。
では、その「誰でも」ってどんな人たちだろう。偏りのないサンプルと比較できているだろうか。
じつは日本のエリート層は、こういう脳みその使い方が得意な人ばかりなのだ。
「単純作業」をより一般的に表現すれば「与えられた課題に対して適切な回答を返す」ことの繰り返しだと言える。これって、いわゆる学校のテスト勉強・受験勉強そのものだ。高学歴な――受験勉強が得意だった人は、単純作業が極端に得意な人たちなのだ。受験戦争を通じて、この特殊能力を極限まで研ぎ澄ましている。そしてホモソーシャルな仲間たちのせいで「単純作業はできて当たり前」という誤った認識を持っている。さらにいえば「機械的作業が得意であればあるほどえらい」という価値観を持った御仁さえいるかもしれない。
東京新聞長谷川幸洋氏による「なぜ、日銀はマネーをださないのか」の解説とその反響 -Togatter
http://togetter.com/li/184816
いい歳こいた官僚のオッサンたちが、お互いの出身大学でけん制し合っているという。出身大学とは「受験勉強で合格できた大学」のことだ。つまり彼らにとって、大学在学中に学んだ内容よりも、どれだけ受験勉強ができたか――機械的作業が得意だったかのほうが重要なのだ。これは官僚に限らず、「学閥」のあるような巨大企業でも同じだ。単純作業万歳という価値観が、日本の社会を暗雲のように覆い尽くしている。
日本でiPadが生まれないわけだわ。
独創性や新規性よりも、単純作業の精度で評価されることに日本人は慣れている。しかも、それを疑わない。思春期のいちばん感受性豊かなときに「機械的作業がいちばん大事!」と刷り込まれているからだ。日本人(の特にエリート層)は、創造力を軽視する価値観に染まっている。本当に優秀な人たち――新しいものを生み出せる人たちが海外に流出するのも無理ない。
私はあまねく「テスト」と名のつくものが苦手で、ろくに試験勉強をしたことがない。大学受験のときも“入れるところに入った”クチだ(全入時代万歳!)。なので機械的な作業はいまだに苦手だし、私にとって単純作業は散歩と同じ、脳みその休憩時間みたいなものだ。数字をあつかう仕事は向かないんだろうな。さっさと電子貨幣化して、すべて自動で処理できるようになればいいのに。
こういう数値処理の苦手な人って私だけじゃないよね? と共感を求めながら、今回のエントリーを終わろう。だってさー人間の脳みそって創造的活動のためにあるわけじゃん。計算の正確さなんて……もにょもにょ……
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