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デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

ハリウッドのアクション映画と脚本革命

冗語 感想
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 私は映画の感想を書き溜める習慣がある。

 その中から、今回は5本の映画の感想をブログに転載したい。

北北西に進路を取れ

リーサル・ウェポン

ビバリーヒルズ・コップ

『クリムゾンタイド』

ボーン・スプレマシー

 以上の5本だ。

 

 

 

北北西に進路を取れ』を観た。ヒッチコックの撮ったスパイ・サスペンス映画だ。最近読んでいる脚本の教科書に頻出するので「そういえば見ていなかった……」と慌ててDVDを借りた。フルカラーなので60年代以降の作品という印象を受けるが、じつは『お熱いのがお好き』と同じ1959年の映画だ。

 脚本はさすがに古さを感じる。今見ても色あせずに楽しめた『お熱いのがお好き』とは対照的だ。コメディは、それこそラマンチャの変人物語の時代から脈々と受け継がれてきた歴史がある。そのため20世紀の100年間でそれほど大きな変化はしなかったのかもしれない。
 一方、サスペンスやアクションというジャンルは、映画の発明や技術の進歩にともなって、かなりの発展を遂げたようだ。CGの技術が無い時代には「マトリックス」のような映像体験は不可能だったし、そもそも映画産業が生まれる以前の時代には、アクションを演劇に取り入れることも難しかったはずだ(※おそらくそれはサーカスの役割だった) 

チャイナタウン (字幕版)
 

 『北北西に進路を取れ』と並んで、脚本術の教科書では『チャイナタウン』も分析対象としてよく取り上げられる。こちらは1974年の映画。どちらも、現在のサスペンス映画やミステリー映画に比べると間延びした印象を受ける。最近の映画に比べて、すさまじくテンポが遅いのだ。

 にもかかわらず教科書に取り上げられるのは、登場人物のconflict(葛藤)が見えやすいからだ。ドラマとはconflictである。あらゆるドラマは、conflictの存在によって、初めて生じる[1]

 たとえば『北北西に進路を取れ』のミッドポイントは、主人公が謎の人物カプランとの待ち合わせ場所に到着するところだ。地平線まで見渡すかぎり何もないような田舎の道端で、主人公はカプランが現れるのを待つ。遠くから自動車が近づいてくるが、そこに待ち合わせ相手は乗っておらず、そのまま走り去ってしまう。がっかりする主人公──。

 ここでは、主人公は「早くカプランに会いたい」「しかしカプランはなかなか現れない」という葛藤を抱いている。画面に映る葛藤が極めてシンプルなので、初心者でも理解しやすい。しかし、この葛藤のシンプルさゆえに、最近の映画に比べると間延びした印象を受けてしまう。

 たとえば『ボーンスプレマシー』と比べてみよう。こちらもスパイ映画で、主人公が無実の罪を着せられて逃走するという設定も似ている。しかし1つひとつのシーンに描かれる葛藤は、多層的で複雑だ。

『ボーンスプレマシー』のミットポイントは、主人公のジェイソン・ボーンが屋根の上から狙撃銃をかまえて、自分を追うパメラ・ランディに狙いを定めるシーンだ(ったと思う)。銃をかまえたまま、ボーンは自分を探す捜査チームに連絡を入れる。敵と味方が接触する瞬間だ。『北北西に進路を取れ』と比較すると、極めて緊迫感に満ちたシーンだ。

『ボーンスプレマシー』のミッドポイントでは、少なくとも3つのconflictがある。

 まず主人公のボーンは、自分を追う捜査チームに危険なほど接近している。居場所がバレて捕まってしまうのではないかと観客はハラハラさせる。次に、ボーンは真犯人にたどり着くための情報を引き出せるかどうか、あわよくば自分の無実を証明できるだろうか、という葛藤がある。極めつけはパメラに狙いをつけていることだ。パメラ・ランディはこの映画の第二の主人公ともいえる存在で、このシーンまでに観客は充分に感情移入をしている。もしも何かの間違いでボーンがパメラを撃ち殺してしまったら、それこそ最悪の事態だ。「どうかボーンがパメラを撃ちませんように」と観客は祈らずにいられなくなる。

 このように、『ボーンスプレマシー』のミッドポイントでは複数のconflictが重なり合っている。これが観客の感情を多方面から刺激して、スクリーンに目をくぎ付けにさせるのだ。これはミッドポイントに限らないし、『ボーン』シリーズにも限らない。最近のアクション映画では、ほとんどのシーンが多層的で複雑なconflictを持っている。

北北西に進路を取れ』や『チャイナタウン』は、今の観客が見るとどうしても退屈な印象を持ってしまうと思う。それでも、最近の映画脚本を分析するうえで、なくてはならない比較対象だ。この機会に観ることができてよかった。

 古きを訪ねて新しきを知る。

 

 

リーサル・ウェポン [DVD]

リーサル・ウェポン [DVD]

 

リーサル・ウェポン』を観た。1987年の映画。いわゆる「おバカなハリウッド映画」の典型みたいな作品だけど、CGをまったく使わずにあの映像を作っていることを思うと結構すごい。時代を代表する映画の一つだと思う。

 銃声がバンバン鳴って悪いやつらがバタバタ倒れるところが見たい!って時には最適。開始1分でうら若い女性のおっぱいが映るあたりも笑える。ちょっと昔のハリウッド映画によくある「ムダおっぱい」だ。おっさんの観客へのサービスである。シリーズのなかでも1は比較的ダークな雰囲気で、続編ではさらにエンタメ色が強くなるらしい。

 

 『ビバリーヒルズ・コップ』を観た。1984年の映画。これも脚本の教科書によく出てくる作品。典型的な「陸に上がった河童」のお話だ。

 若きエディ・マーフィーの演じるアクセルは、デトロイトの刑事。凶悪犯罪の頻発する街で、いつも違法ギリギリの型破りな捜査を行っていた。犯罪者を捕まえる腕は認められていたものの、上司たちの頭痛の種になる問題児だった。

 そんな彼が、ひょんなことから高級住宅街ビバリーヒルズで捜査を行うことに。現地の刑事たちは、ルールにうるさい四角四面な者ばかり。スーツをきっちり着込んだ彼らと、Tシャツにジーンズの主人公。この組み合わせで一緒に捜査をして、問題が起こらないわけがない!

 こういう「主人公が今までとはまったく価値観・文化の違う世界に飛び込む」タイプのお話を、「陸に上がった河童」型のお話という。主人公と周囲の価値観との摩擦によってストーリーを転がしていくジャンルだ。『ビバリーヒルズ・コップ』のようなコメディ作品もあれば、『ラストサムライ』のようにシリアスな作品もある。『プリティ・ウーマン』にもそういう要素はある。

ビバリーヒルズ・コップ』を今見ると、既視感がすごい。『あぶない刑事』や『刑事貴族』のような刑事ドラマに、ノリやテンションがそっくりなのだ。もちろん、これらのドラマの源流には『西部警察』があるのだと思うけれど、『ビバリーヒルズ・コップ』もかなりお手本になったのではないか。

 21世紀の現在では、『ビバリーヒルズ・コップ』の脚本では観客は満足しないだろうなあと思う。テレビでタダで観るならともかく、映画館で観るにはちょっと物足りない。

 教科書に載っている脚本術を駆使すれば、おそらく誰でも『ビバリーヒルズ・コップ』くらいの品質のストーリーは作れる。この作品の脚本がチープだと言いたいのではない。(※なにしろ、第57回アカデミー賞脚本賞にノミネートされた作品だ)優れた脚本であるがゆえに、徹底的に研究されて、誰でも模倣できるほど定式化された。テクニックを真似できるようになったのだ。

 現在では、「ビバリーヒルズ・コップのようなお話を組み立てられること」は、お話作りで商売をする人が最低限身に着けておくべき技術になっているのかもしれない。

 また、そういう技術を充分に持っていても、商業デビューできるとは限らない。デビューしても、売れるとは限らない。技術だけでは、「何か」が足りないのだ。その「何か」とは、現在の私たちが『ビバリーヒルズ・コップ』を観たときに感じる「物足りなさ」と同じなのではないか。独創性、新奇性、飽きっぽい消費者の目を覚ますような驚きと感動……。技術だけでは、手垢のついた陳腐なお話しか作れない。そこに創造力を発揮する余地がある。

ビバリーヒルズ・コップ』の別の部分に注目すれば、組織のなかの上下関係を強調しているところが興味深かった。「口うるさい上司と、それをおちょくる平刑事」という構図が何度も登場する。80年代は冷戦が終結して、中産階級が繁栄を謳歌した時代だ。科学技術も成熟し、テレビゲーム機が出回り、若者たちはMTVで音楽を聴き、ラジカセでテープを編集していた。そういう時代に人々が日常で抱く関心事といえば、職場の上下関係くらいのものだったのかも。

 なお、この時代は日米貿易摩擦の真っただ中だ。日本車が売れまくった結果、アメリカの自動車産業が甚大なダメージを受けた。映画の冒頭、デトロイトの街をふらつく失業者が映し出される。こういう細かいシーンにも世相を感じることができて楽しい。

 ていうか、そもそも80年代って楽しそうだ。

 80~90年代のファッションがリバイバルするのも分かる。

 

 

 

 ひさしぶりに『クリムゾンタイド』(1995年)を見た。小学生以来かな? やはり、架空戦記モノの傑作だ。いろいろな作品のお手本になったのだと思う。エースコンバットシリーズとか、メタルギアソリッドシリーズとか。

 いつの時代も、男の子ってこういうのが好きなのだ。平和の象徴たるダライラマ14世だって、「兵器を見るのが好き。とくに空母が好き」と言っている[2]。狩猟採集民族の少年は手斧に興味を持ち、中世ヨーロッパの少年は騎士道物語に胸を躍らせた。たぶん男の脳は「戦争の道具」に興味を持つようにできている。戦争が好きなやつは異常だけど、戦争映画が好きなやつは男として正常だ。

 だから男児を持つお母さんたちは、息子が鉄砲のおもちゃで大喜びすることにうんざりしないであげてほしい。

 

 ところで、脚本の話をすると、『クリムゾン・タイド』はヒッチコック型のサスペンスの煽り方をあまり使っていない点が目を引く。

 サスペンス性を高める方法にはいくつかあるのだけど、ヒッチコック型は「観客が知っていることを登場人物が知らない」という情報の非対称性を用いる方法だ。

 たとえば、机の下の爆弾がいきなり爆発したら、その数秒間だけは観客は興奮する。だけど、まず机の下の時限爆弾を映して、15分後にタイマーがセットされていることを示したらどうだろう? そのあと、部屋に登場人物が入ってきて、何も知らずに談笑を始めたら? 観客は爆発までの15分間ずっと手に汗を握ることになる。これがヒッチコック型の「サスペンス」だ。観客の知っていることを登場人物が知らないと、そこにサスペンスが生じるのだ。

 ところが『クリムゾンタイド』では、この方法はあまり使われていない。

 観客が知っている情報は、大抵、登場人物たちも知っている。観客と登場人物の間に、情報の非対称性が存在しない。にもかかわらず、『クリムゾンタイド』は冷や汗をかくようなサスペンスに満ちている。

 この映画で多用されているのは、「時間制限の設定」だ。とくに核ミサイル発射の命令が下ってからは、登場人物たちはずっとタイムリミットに追いかけ続けられる。定番のやり方だけど、やはりサスペンスを煽るのには効果的。複数のタイムリミットが同時に迫ってくるお話になっている。

 また、メタなレベルまで視野を広げれば、じつはヒッチコック型のサスペンスも生じている。ハリウッド映画を見慣れた観客は、「どうせ主人公は正しい」「核兵器を発射するのは間違い」だと、知っている。しかし登場人物たちは知らない。メタレベルでは情報の非対称性が存在しており、サスペンスを感じられるようになっている。

 

 

 

 

  シド・フィールドは、『ボーン・スプレマシー(2004年)』をベタ褒めにしている。革新的な「新しいスタイル」の脚本だという[3]ゼロ年代半ばあたりのハリウッド映画は、観客を置き去りにするギリギリ一歩手前くらいまで情報を詰め込んだ作品が流行っていた。情報量の多さと、それを手際よく展開していくテンポの速さ。それが現代的な脚本の特徴だ。ゼロ年代にハリウッド映画は「脚本革命」を経験したのだ。

 たとえば『逃亡者(1993年)』と『スプレマシー』とを見比べると、違いをはっきりと確認できる。この2作の基本的なプロットは同じだ。第1幕で主人公は濡れ衣を着せられて、第1プロットポイントからはライバルの追跡劇が始まる。ミッドポイントで、主人公は自ら事件の謎を解く決意をし、第2プロットポイントで真相に気付く。そして第3幕のクライマックスになだれ込んでいく。フラッシュバックを利用して過去を描く等、手法にも似た部分が多い。

 90年代の作品だったら、『ボーン・スプレマシー』は130~140分くらいの映画になっていただろう。ところが、実際にはわずか108分だ。省略できるところはとことん省略して、スクリーンから一瞬たりとも目を離せない。そういう映画だ。作中で、ボーンもパメラも世界中を飛び回る。だが、飛行機に搭乗するシーンはほとんど描かれない。『インディ・ジョーンズ』シリーズだったら、「世界地図の上を飛行機が横切るアニメ」で移動が表現されるはずなのに!

 続編『ボーン・アルティメイタム(2007年)』もおすすめ。『スプレマシー』が革新的な手法を試す実験作だとしたら、『アルティメイタム』は成熟した技術で作られた応用作という印象。とくに『アルティメイタム』の見どころは第2幕後半、モロッコのタンジェで繰り広げられるアクションシーンだ。屋上をフリーランで逃げたり、狭い室内で肉弾戦をしたり……。アクション映画の魅力がぎっしり詰まっている。

  映画脚本の進化を見るなら、『ミッション・インポッシブル』シリーズが勉強になる。第1作(1996年)を見ると、その「古さ」に驚くはずだ。脚本革命以前のメソッドで作られており、展開は緩やかで、ストーリーは分かりやすい。どちらかといえば、『北北西に進路を取れ』や『チャイナタウン』に近いテンポの遅さなのだ。だから、上映中にトイレに立っても大丈夫。席に戻ってから、隣の友人に聞けばいい。「で、今何が起きたの?」情報量が少ないので、あらすじを簡単に説明できる。革命以降の作品──たとえば『ソーシャル・ネットワーク(2010年)』では、そんなことは不可能だ。

 第2作(2000年)になると、急に現代的な映画になる。映像革命と呼ばれた『マトリックス(1999年)』以後の作品なので、そもそも撮影やアクションシーンの見せ方がグッと現代的になっているのだ。脚本の面でも、伏線の張り方、回収の仕方が鮮やかで、じつによくできている。とはいえ、まだ観客を置き去りにするほどテンポは速くない。

 第3作(2006年)は、まさに脚本革命のさなかに作られた映画だ。情報量の多さ、テンポの速さ等、現代的な脚本の要素がそろっている。マクガフィンの扱い方も見事。あまり語るとネタバレになってしまうのだけど、「えーっ!そのシーンを省略しちゃう!?」と驚くような部分が省略されていたりする。レンブラントの絵画のように影が強調された色彩や、ダッチアングルを効果的に使ったカメラワーク等、映像面も渋くてカッコいい。シリーズではいちばん好きだ。

 第4作(2011年)では、プロのスパイとして活躍した前作からは一転、主人公チームがドジを踏みまくる。イーサン・ハントの活躍を見たかった私としてはコレジャナイ感を覚えてしまったのだが、友人のなかには第4作がいちばん好きだという人も多い。ややコメディックな脚本のほうが、観客の感情移入を誘えるのかもしれない。もう少し研究したい。

(※そして第5作は、じつはまだ見ていない)

 

  ゼロ年代における「脚本革命」のさなかの作品で、『マイアミ・バイス(2006年)』はとても興味深い事例だ。まるで80年代からタイムスリップしてきたような、まったりした脚本なのだ。

 脚本の小ワザの1つに「遅く入って早く出ろ」というものがある。たとえばセールスマンが探偵のオフィスを訪れるシーンを想像してほしい。ビルに入り、エレベーターを呼び、ドアをノックする。あたりさわりのない会話を探偵と交わす。そしてセールスマンは椅子を立ち、オフィスから出ようとする。そのときドアの前でふり返って「そういえば、妙な話を聞いたんですけどね……」と語り始める。

 このシーン、どこから書くのが正解だろう?

 もちろん、ドアの前でふり返るところからだ。いちばん重要で、観客の興味を引き付けるような情報が提示されるところから書き始めたほうが、映画としてはいいシーンになる。観客を飽きさせない、引き締まったシーンになるからだ。重要な情報が提示されるギリギリ手前からシーンを初めて、情報を伝えたらさっさとシーンを切り上げる。これが「遅く入って早く出ろ」である。

 このテクニックそのものは、かなり古い時代から使われていたようだ。『ザ・シークレット・サービス(1993年)』を観ると、大半のシーンでこのテクニックが使われている。「何か大変なことが起きてみんなが大慌てする」というカットから始まるシーンが多い。

 そこで、『マイアミ・バイス』だ。この映画では「遅く入って早く出ろ」はほとんど使われていない。むしろ、重要な情報の前後まできちんとスクリーンに映される。いわば「早く入って遅く出ろ」という感じの映画だ。

 じつを言うと、「遅く入って早く出ろ」はテレビドラマではあまり使われない。リビングで「ながら視聴」をしている観客に対して不親切だからだ。ほとんどのテレビドラマは、トイレに立つくらいの余裕を与えるような脚本になっている。つまり『マイアミ・バイス』は、とてもテレビドラマ的な映画なのだ。

 それもそのはず、『マイアミ・バイス』は80年代に大ヒットしたテレビドラマの映画版だ。監督・脚本のマイケル・マンは、テレビドラマ版のころから脚本や製作総指揮としてかかわっていた。

 

 90年代に比べると、現在のハリウッド映画の脚本は大幅に情報量が増え、展開が速くなった。観客を置き去りにしそうな脚本でも、きちんとヒットして、傑作として認識されるようになった。それがゼロ年代の脚本革命だった。

 では、2010年代の映画はどうなのだろう?

 たとえば『アベンジャーズ(2012年)』などは、脚本革命以降の特徴を受け継いでいると感じる。その一方で、『ゼロ・グラビティ(2013年)』のようにシンプルなシナリオでヒットした作品もある。『インターステラー(2014年)』は情報量こそ多いものの、テンポはそれほど速くない(※そのぶん上映時間が長い)。キャスリン・ビグロー監督の『ハートロッカー(2008年)』や『ゼロ・ダーク・サーティ(2012年)』は、派手な伏線回収よりも、1つひとつのシーンのドラマを描くことに主眼が置かれている。ゼロ年代の「革命」の揺り戻しが始まっているのかなぁ……と、しばしば感じる。

 

 

 

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◆参考文献等◆

[1]シド・フィールド『素晴らしい映画を書くためにあなたに必要なワークブック』フィルムアート社(2012年)p112以降
[2]The Dalai Lama - NYTimes.com
[3]シド・フィールド(2012年)p129