デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

Facebookは共感装置の夢を見るか?/いま読みかえすフィリップ.K.ディック

このエントリーをはてなブックマークに追加
Share on Tumblr


アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))


フィクションは、嘘を通じて世の中の真実を浮き彫りにする。そして嘘が大きければ大きいほど――荒唐無稽な物語であるほど、そこに描かれる真実も重大で本質的なものになる。
その点、フィリップ・K・ディックは天才的だ。彼以前のあらゆるSF的なガジェットを利用しながら、自身の思想や価値観を物語へと昇華している。これは私見だが、ディックはSFをあくまでも表現技法のひとつとして――いわば「道具」として位置付けているような印象を受ける。作家的な感性や科学的な見地から「世界」を分析し、そこから得られた「解析結果」をSF小説という技法で表現している。後代の作家には、SFを通じて「世界」を見て、それをまたSFという形で表現する人も多い。SFにとらわれない幅広い認識眼と、SFを道具として使いこなす才能が、ディックを巨匠たらしめている。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか』は、かなりストレートに「人間とは何か」に踏み込んだ作品だ。作中に登場するアンドロイドは人間にそっくりで、見た目だけでは区別がつかない。唯一の違いは「共感」ができるかどうか。人間ならば誰もが持っている「共感」を、アンドロイドたちは持たないのだ。



舞台は第三次世界大戦後の地球。世界は放射能灰に覆われ、ヒト以外の生物のほとんどが絶滅の危機に瀕している。多くの人が植民惑星へと旅立つ中、地球に残った人々は「動物を飼う」ことをステータス・シンボルとして生活していた。
主人公のリック・デッカードはプロの賞金稼ぎ(バウンティハンター)。植民惑星から逃亡してきたアンドロイドたちを「廃棄処分」するのが彼の仕事だ。妻のイーランは「電気羊ではなく本物の羊が飼いたい」と口うるさい。そんな彼女にうんざりしつつ、リックは淡々と仕事をこなしている。
そんな彼に、大きな仕事が舞い込む。「ネクサス6型」という最新のアンドロイド8体が地球に潜伏したというのだ。どこまでも人間そっくりな彼らを相手に、リックの孤独な追跡劇が始まる――。



この作品でいちばん興味深い点は、主人公リックの人物造形だ。物語の舞台はSFど真ん中だけど、ストーリー構造は古式ゆかしいハードボイルド。「一見すると非情に思えるほど冷静沈着」という典型的な人物像が、リックには与えられている。しかしそんなリックが唯一、冷静ではいられなくなるモノがある。
それは、おっぱいだ。
たとえば、作中の人気テレビ番組「バスターフレンドリー」にゲストとして出演した女優アマンダ・ウェルナーについて、リックはこんな台詞を言っている。

「ホテルの部屋でおとなしくしてるよ。バスター・フレンドリーのテレビを見ながら。この三日間のゲストはアマンダ・ウェルナーなんだ。あれはいいよ。あの女なら、一生でも見あきないね。あのおっぱいと笑顔は」


なに言ってんだオッサンって感じだ。誤解のないように繰り返しておくけれど、リックは別にお調子者キャラでも助平キャラでもない。どんなに追い詰められても理性を失わず、落ち着いて問題解決をはかれるオトナの男だ。にもかかわらず、おっぱいのことになるとこんなに熱っぽい口調になってしまう。
そして物語の後半では、女性型アンドロイドに性的に誘惑されるシーンがある。裸になった彼女を前にして、リックは理性を保とうと葛藤する。その時の内面描写が秀逸だ。

あらためて気が付いたのは、(※彼女の体の)異様なプロポーションだった。ゆたかな黒い髪のせいで頭が大きく見えるのと、小さな乳房のおかげで、彼女の肢体は子供のようにほっそりして見える。だが、長いまつげに縁どられた大きな瞳は、どう見ても成熟した女のそれだ。思春期との類似はそこで打ち切られている。爪先に軽く重心をかけた姿勢、わずかに肱を曲げて下に垂らした腕。油断のない、さしずめクロマニョン人の狩人のポーズだな、と彼は思った。長身の狩猟民族。贅肉のまったくないひきしまった腹部、小さな腰、小さな胸――(※彼女は)時代錯誤だが魅力的なケルト人的体格をモデルに作られたらしい。短いショーツから伸びたしなやかな脚は色気のない、中性的な感じで、女らしい曲線も見られない。だが、全体的な印象は、わるいものではなかった。もっとも、あくまでも少女の体で、おとなの体ではない。隙のない、利口そうな目を除いては。


女性型アンドロイドの外見を描写しながら、彼女に魅せられそうになるリックの心の揺らぎが描かれている。それを日本語で表現した浅倉久志の名訳だ。「魅力的な部分」の描写と、「そんなのものには魅力を感じないぞ!」というリックの意思とが交互に書かれることで、彼の葛藤がよく分かる。
ポイントは「彼女の誘惑を断ち切る理由」に、「アンドロイドであること」や「人ならざる者であること」が挙げられていないこと。リックはあくまでも、彼女の体が「子供」っぽくて「女らしい曲線」がなくて「中性的」だから――おっぱいが小さいから魅力を感じないと言い切っている。日本のロリコンどもに聞かせてやりたい。 リックにとっては相手が「人間であるかどうか」よりも、「おっぱいが大きいかどうが」のほうが重要なのだ。主人公リック・デッカードは、おっぱい星人の鏡だ。まさにザ・キング・オブ・おっぱい星人だと言えよう。(※ファンのみなさん本当にごめんなさい)



       ◆ ◆ ◆



えっと、その……。真面目な感想を書くつもりがなんだかおかしなことになってしまったので、ちょっと仕切り直します。



       ◆ ◆ ◆



すぐれた作品には、時代を超えた新鮮さがある。端的な例として、私はしばしば森鴎外高瀬舟』をあげる。鴎外はこの作品を通じて、現在でも倫理的な議論のつきない「安楽死」と真正面から向き合った。殺害シーンの生々しさには、再読するたびにハッとさせられる。鴎外は安楽死を必要以上に美化しようとしていない。むしろ容赦のないグロ描写で、それがはっきりと「殺人」であることを訴えている。だからこそ妙にさわやかな結末を読んだとき、時代を越えた問題意識が浮き彫りにされ、読者の胸に長く残る。――誰かを苦しみから解放するためには殺人を犯してもいいのか? 安楽死の「善悪では割り切れない部分」を見せつけているからこそ、『高瀬舟』は現在でも色褪せない面白さを持っているのだ。作品の舞台が古めかしい、江戸時代の京都であるにも関わらず。
そして『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』にも、古くさい部分と、時代を超えた部分とが共存している。
古くさい部分は、「国家の時代」の小説だということだ。この作品が発表されたのは1968年だ。キューバ危機は60年代前半。米ソ冷戦のピークを過ぎていたとはいえ、まだ解決の糸口は見えていなかった。共産主義国はもちろんのこと、それに対抗するため資本主義国でも「国家」が強い力を持っていた。宇宙開発などの科学的進歩は国家が牽引していたし、経済政策においても共産主義ケインズ主義のどちらが優れているか競い合うような状況だった。「大きな政府」が当たり前のものとして存在していた時代だ。
そういう時代を反映してか、ディックの作品では「国家」が強い力を持っている。『電気羊』の場合、主人公のリックは公務員(!)だ。基本給が極めて低く、アンドロイドを倒すごとに高額の懸賞金が支払われるという給与体系になっている。懸賞金を支払うのは市役所――つまり行政だ。第三次世界大戦で世界を放射能灰まみれにしたのも行政だし、植民惑星を開拓したのも行政、移民をうながすためにアンドロイドの支給を決めたのも行政だ。火星へと移住する住民にはお手伝いとしてアンドロイドが一体支給されることになっており、この政策によって人造人間作製の技術が進んだ――という設定になっている。地球連邦政府という「ひとつの国家」で、移民という「ひとつの政策」を推し進める:なんとまあ「国家の時代」らしい小説ではないか。
その後、現実の世界は「小さな政府」志向の時代を迎え、「企業の時代」へと突入していく。日本企業が――まるで小国家か新興宗教団体よろしく一致団結したザイバツが――世界を席巻した時代だ。しかし企業の時代はあっという間に崩れ去り、さらに「小さな政府」志向にも疑いの目が向けられるようになった。情報技術の発達により、世界は「個人の時代」へと向かおうとしている。そんな現在から振り返ってみると、『電気羊』には古めかしさを感じずにいられない。「大きな国家」の物語は、かつてのスチームパンクと同じように、私たちの郷愁を誘う。



その一方で、『電気羊』は時代を超えた部分を持っている。
それは、「共感」を人間の本質としたところだ。


作中に登場するネクサス6型のアンドロイドは、外見からは人間かどうかを判断できない。生きた細胞が素材として使われており、姿かたちは人間そのものだ。リックは相手がアンドロイドかどうかを判断するために、「共感できるかどうか」を試験している。瞳孔の開き具合や頬の血流をセンサーで測りながら、残酷な話を語り聞かせるのだ。たとえば動物を殺した話や、赤ん坊が死ぬ話だ。もしも人間ならば「共感」して、無意識のうちに興奮状態になる。すると瞳孔が開いたり血流が増したりして判別できるという寸法だ。しかしアンドロイドには「共感」の機能がないため、どんな残虐な話を聞かせてもそういう反応が検出されない。
この作品は徹頭徹尾、「共感」をテーマとしている。たとえばリックは捜査を続けるうちに、徐々にアンドロイドへと感情移入してしまう。すると「廃棄処分」だと思っていた自分の行為が、「殺人」に思えてくる。しかし仕事をこなすときはプロの顔に戻り、自分の「共感」を黙殺することができる。物語を通じて、リックは「共感」と冷血との間をなんども行き来する。「共感」はヒトを人たらしめているが、常在しているわけではない。時には「共感」を失い、まるでアンドロイドのようにふるまってしまうのも、また人間の本性である。
人類の発展に「共感」が果たした役割は大きい。このブログではおなじみの一冊、ジャレド・ダイヤモンド『銃・病原菌・鉄』には、こんな一節がある。

さまざまな大陸の人びとが動物の家畜化にさまたげになるような文化的特性を共有していないことを示す二つめの証拠は、人間のペット好きにある。野生の動物をペットとして飼い慣らすことは、動物の家畜化の初期段階だといえる。いずれの大陸においても、人びとが昔からペットを飼っていたことがわかっている。


銃・病原菌・鉄 上下巻セット

銃・病原菌・鉄 上下巻セット


リックを悩ませた「人ならざるものへの共感」こそ、私たちが動物を飼育する理由だ。作中の人々が「生き物を飼うこと」をステータス・シンボルとし、リックの妻が電気羊ではなく本物の羊を欲しがるのは、ディックが「人ならざるものへの共感」を描こうとしたからにほかならない。「共感」を持っていたからこそ、私たちは動物を飼い慣らし、家畜化し、文明を発展させることができた。「共感」は間違いなく人類の本質であり、ディックは作家的な感性でそれを見抜いていた。そして電気羊というSFガジェットによって、それを表現したのだ。
そして現在は「共感」の時代だ。
なぜFacebookがこんなにたくさんのアカウントを抱えているのか。それは私たちが友人の動向に共感したいからだ。なぜ自分のツイートがふぁぼられるとあんなにも嬉しいのか。それは誰かに共感してもらえた(と思える)からだ。私たち人類が「共感」を持っているからこそ、現在のSNSの興隆がある。
驚くべきことに、ディックはこの時代の到来を予言していた。
『電気羊』には「マーサー教」という新興宗教が登場する。「共感(エンパシー)ボックス」という装置のハンドルに指を触れると、「荒れ地を登る老人の映像」がイメージとして頭に飛び込んでくる。この老人がマーサーだ。信者たちはマーサーに感情移入して、彼の苦しみを分かち合う。エンパシーボックスのハンドルを握っているだけで、ほかの信者たちの「共感」までもがネットワークを通じて心に流れ込んでくる。
「マーサー教」はツイッターSNSのメタファーだと見なせるし、エンパシーボックスはさながらスマートフォンだ。人の本質が「共感」であるならば、それをネットワークを介して分かち合うシステムが生まれるはず――と、ディックは予想したのだ。彼の先見性にはひれふしたくなる。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか』は荒唐無稽な舞台設定をうまく利用して、人間の本性にするどく踏み込んだ。100年後にも読まれ続けるべき大傑作だ。ちなみに映画『ブレードランナー』の原作とされているが、映画とはまったくの別物。映画版のような猥雑さはなく、滅亡を待つ人々の倦怠感に満ちている。映画と原作のどちらも私は大好きだ。
真にすぐれた作品は、時代によらない深い洞察を与えてくれる。60年代末の古めかしい小説でありながら、『電気羊』は現在の「共感の時代」にぴったりな作品だ。この時代だからこそ、多くの人に読まれるべきだろう。



       ◆



世界はいま大きな物語を失った。大きな国家がなくなり、GMJAL、サンヨーなどの大きな企業が力をなくした。その一方で、情報技術の発達により「個人(と、そのつながり)」の力は増すばかりだ。世界はいま多様化の時代に突入している。
かつて多様化は紛争の火種だった。私たちはわずかな違いを許すことができず、互いに傷つけあってきた。多様化の進むこの時代、もしかしたら私たちは、終わりない混乱と混沌に向かっているのかもしれない。
多様な人々が、多様なまま安定する。そんな世界を私たちは作れるだろうか?



私は、できると思う。
だって私たち人間には、「共感」があるのだから。






アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

ブレードランナー ファイナル・カット 製作25周年記念エディション [Blu-ray]

ブレードランナー ファイナル・カット 製作25周年記念エディション [Blu-ray]

流れよわが涙、と警官は言った (ハヤカワ文庫SF)

流れよわが涙、と警官は言った (ハヤカワ文庫SF)

高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)

高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)

スキャナー・ダークリー (ハヤカワ文庫SF)

スキャナー・ダークリー (ハヤカワ文庫SF)

マイノリティ・リポート―ディック作品集 (ハヤカワ文庫SF)

マイノリティ・リポート―ディック作品集 (ハヤカワ文庫SF)

まだ人間じゃない (ハヤカワ文庫 SF テ 1-19 ディック傑作集)

まだ人間じゃない (ハヤカワ文庫 SF テ 1-19 ディック傑作集)

.