デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

みんながウォール街を占拠したかった本当の理由

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いま、人類がおかしい。
9月17日に始まった「ウォール街を占拠せよ」運動は、一斉行動日の10月15日を経て世界中に広がった。時間を遡れば8月、ロンドンでは不良たちが暴動を起こし、お台場ではフジテレビへの抗議デモが行われた。



低所得層の犯罪行為は以前からイギリスの頭痛のタネだったし、2ちゃんねるの大規模なオフ会はたびたび行われてきた。が、今回の暴動やデモは過去のそれらとは質を異にしている。2ちゃんねるの大規模オフといえば、「マトリックス・オフ」のようなジョークの側面が強いものばかりだった。今回のように特定の目的――テレビ局という“権威的なモノ”に対する抗議のために人々が団結するなんて、かつては考えられなかった。「抗議活動しようぜ」なんて書きこんでも、「過激派乙」の一言で無視されるだけだったはずだ。また、先進国の現代史において、ロンドン暴動のような連鎖的犯罪はきわめて稀だ。
ロンドン・お台場・ウォール街。これらは土台とする思想も行動の目的も違う。理性的に考えれば、まったくの別物として扱うべきだ。
しかし、である。
これらの出来事を「社会現象」としてではなく、ヒトという生物の「生命現象」として捉えたらどうだろうか。例えば、もしもあなたが宇宙人だったとしたら、最近の地球人のことをどう思うだろう。既存の思想や価値観をまったく持たない異星人の目に、いまの私たちはどう映るだろう。
「ヒトという生物の行動様式が変わった」――そう考えるのではないか。
生物には“相変異”という現象が知られている。有名なのはトノサマバッタだ。私たちがよく知るトノサマバッタは、緑色の可愛らしい姿をしている。あれは個体密度が低いときの姿であり、「孤独相」と呼ばれている。ところが個体密度が高くなると、生まれてくる子供の姿が変わる。体色は禍々しい黒に変化し、翅は長く伸びる。いわゆる「移動相」だ。
移動相になったトノサマバッタは集団で田畑を飛びまわり、そこに生える草木を根こそぎ食らい尽くす。文字通りの意味で草の根一本残さず、深刻な飢饉をもたらす。日本では北海道の開拓時代に、こういうバッタの食害が頻発していたらしい。それまでの森林を切り開いて広大な草原が現われた結果、バッタたちが集団で数世代にわたり生活するという環境が生まれ、移動相を出現させた。
トノサマバッタに思想があるだろうか。
意識的な目標を持って行動しているだろうか。
彼らは、ただ遺伝子のプログラムに従っているだけだ。個体集団にストレスがかかると、生物はしばしば外見や行動様式が変わる。これが「相変異」だ。そして――ここから先はSF的な発想になってしまうけれど、私たち人類の「心」にも、同様の変化があるのではないだろうか。集団がなんらかの刺激をきっかけに、一斉に似たような「心のありよう」を持つとしたら。哲学や思想などを飛び越えて、本能的に「似通った行動」を取るとしたら。そして「本能的な行動である」ことを私たちが自覚できないとしたら。
繰り返しになるが、ウォール街・ロンドン・お台場に共通点はない。「人々が集まって何かを成し遂げようとした」という点が似ているだけで、背景となる思想の種類も深さも、まるで別物だ。似たようなことがたまたま連続しただけだね、と結論づけるのが、節度ある大人の態度だ。
だけど私は大人げないし節度なんて持ち合わせていない。この三つの出来事の背後に何か共通の原因があるのではないか……と妄想を膨らませてしまう。人々が「何らかの刺激」を受けて、一斉に同じ行動を取ったのではないか、と。
では、「何らかの刺激」とは一体なんだろう。



       ◆



例えばハリウッド映画なら、ひとりの悪役が世界に深刻な危機をもたらす。悪役は強ければ強いほどいい。こんなヤツには絶対かないっこない! と観客に思い込ませることができたら、その映画は半分成功したようなものだ。そいつを主人公がたった一人で(あるいはごく少数の仲間と)倒したときに、大きなカタルシスが生じる。



ごく少ない人々が世界の命運を左右する:この点においてハリウッド映画と日本のセカイ系作品とに違いはない。
むしろハリウッド映画的なヒロイズムを純化させるために、「社会」の要素を不純物として取り除いたものが、『エヴァ』や『最終兵器彼女』だったのではないだろうか。セカイ系では「敵が正体不明」な場合が多い。敵の目的が分からないから対話の余地がないし、居所が分からないから根絶することもできない。正体不明の敵とは、最強の敵だ。悪役は強ければ強いほどいいのである。



90年代の後半からゼロ年代の前半にかけて、私たちはそんな世界を生きていた。
ゼロ年代は9.11同時多発テロから語られることが多い。が、実際にはイスラム過激派によるテロはそれ以前から断続的に行われていた。そんな時代の空気をうけて、テロ直前の98年には『マーシャル・ロー』という映画が作成されている。「もしもNYで大規模なテロが起こったら?」というそのものズバリなあらすじ。デンゼル=ワシントンがめちゃくちゃカッコいいのでみんな見ること!



イスラム過激派という正体不明の敵にアメリカというヒーローが立ち向かう――そんな単純な物語を、私たちは信じていた。そして9.11同時多発テロを受けて、私たちは敵の名前を知る。オサマ=ビンラディン
かくして「分かりやすい悪役」と「分かりやすい味方」の構図が完成した。世界はハリウッド映画のようなシンプルな物語として語られるようになった。





ところが、アフガンに出兵した米軍はビンラディンの足どりを掴めず、隣国のフセイン大量破壊兵器を持っていなかった。「たった一人の敵」を追い回すことに、私たちは次第に疑問を抱くようになる。さらにリーマンショックが「ゼロ年代の物語」にとどめを刺した。私たち個人が世界に対していかに無力であるかを証明してしまった。
この世界は、ハリウッド映画ほどシンプルではない。
そんな当たり前のことに私たちはようやく気付いた。「ごく少数の敵」に「ごく少数の仲間」と立ち向かい、世界の行く末を決める――それが夢物語にすぎないことを私たちは思い知らされた。映画『ダークナイト』は、私たちの「正義」が、狂気の一側面でしかないことを容赦なく描いた。世界は「数え切れないほど多数のヒト」が動かしていて、「正義」はどこにもない。この世にヒーローはいない。私たちは何を信じればいいのか分からなくなった。



       ◆



きっかけは、いろいろな場所にあったのだと思う。



記憶に新しいものをあげれば、チリ鉱山の生き埋め事故。
ちょうど一年ほど前の2010年8月、落盤により33名の労働者が地底に取り残された。あのニュースを聞いて、世界中の人たちが想像したはずだ。(もしもあの33人のうちの一人が自分だったら……?)2ヶ月以上も地面の下に取り残されて、果たして正気を保てるだろうか? 生き延びることができるだろうか? 世界中のヒトが自問自答したはずだ。
ところがニュースに映ったのは、地底で仲間たちと笑いあう生存者の姿だった。彼らの結束力の強さに、私たちは感動させられた。
こういう「きっかけ」が、他にも数え切れないほどあったのだろう。



そして2010年12月、アフリカの片隅で名も無き青年が焼身自殺する。
広場で許可を取らずに果物を売ろうとした――たったそれだけの罪で、彼は警官から暴行を受けた。一説によれば、この時、彼は警官から賄賂を要求されていたという。その国では若年者の失業率が30%近く、なのに大人たちは既得権を守ることしか考えていない。彼の絶望を思うと私は言葉を失う。そして青年は、イスラム国では戒律により厳しく禁じられているはずの「自殺」に走った。
彼の死は人々の心に火をつけ、大きな抗議活動へと繋がっていく。警官の銃弾に命を落とした人も少なくない。が、民衆の暴動は収まらず、二十年以上続いた独裁政権を失脚させた。チュニジアの“ジャスミン革命”だ。
民主主義革命の機運は近隣国に飛び火し、エジプトを始め、相次いで独裁政権が打倒された。
2月、ニュージーランドクライストチャーチで大地震が発生。さらに3月には東日本大震災が起こる。こうした未曾有の災害を通じて、政府や大企業といった巨大組織の無能ぶりが白日の下にさらされた。一方で、「隣近所のちから」を私たちは再評価することになった。緊急時に頼りにできるのは、ルールに縛られた「組織」でも、ヒーローでもない。顔見知り同士の結束なのだ。
そして5月、米軍特殊部隊によりオサマ=ビンラディンが殺害される。「分かりやすい悪役」と「ヒーロー」の物語に終止符が打たれた。



       ◆



ここ一年ほどで私たちが学んだのは、名も無き人々の強さだ。
たとえば政治的なデモ活動に的を絞って考えてみよう。「なせデモが成功しないのか」という話題は以前からあった。とくに日本人の場合、学生運動のトラウマをいまだに引きずっており、政治活動なんて一部のウヨク・サヨクの突飛な趣味――という扱いだった。ところが現在では同じ話題を語るときに「なぜ“日本では”デモが成功しないのか」という注釈をつけるようになった。日本以外の国では思想的にフラットな一般人がデモに参加し、成功している。そういう具体例を無視することはできない。
人は集まると、それだけで力を持つ。これが名も無き人々の強さだ。冒頭の問いかけに戻れば、この「強さ」に世界中の人々が気付いたからこそ、似たような活動が頻発するようになった。ここ一年ほどの出来事が、私たちの心のありようを変え、行動様式を変えた。
私たちのほとんどは核兵器のスイッチを握る立場には就けない。歌声で世界を魅了することも、テロで世界を震え上がらせることもできない。ほんの一握りの人間しか勝ち組の経営者にはなれないし、世界を股にかけるノマドにも、たぶん、なれない。私たちはきっと何者にものなれず、凡人のまま人生を終える。
凡人で、なにが悪い。
この世界には、ヒーローも分かりやすい悪役もいない。揺るぎのない正義なんてものも存在しない。この世界にいるのは70億の無名な人々だ。この世界にあるのは、70億の多様な自我だ。
世界を動かすのは誰か一人の意思ではなく、無名な人々の結束だ。



私たちは強い、無名であるがゆえに。








【参考】


地球を一周 親より貧しい世代の反乱
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111016/amr11101619500004-n1.htm


ウォール街デモ:主唱者「運動、予想以上の規模に」
http://mainichi.jp/select/world/news/20111004k0000e030070000c.html


ロンドン各地で暴動発生、商店の放火、略奪相次ぐ 200人超逮捕
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110809/erp11080908320001-n1.htm


フジテレビ抗議デモまとめWiki
http://fijidemo87.wiki.fc2.com/









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