読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

レベル5じゃ足りない(2)/『超電磁砲』二次創作

このエントリーをはてなブックマークに追加
Share on Tumblr


『レベル5じゃ足りない(後編)』
Rootport著


※前編はこちら↓↓
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20100217/1266420246





     【5】


 啖呵を切って飛び出してしまったが、行くあては無かった。
 冷たい空気。美琴の吐き出した息が、白い塊になって立ち昇る。あたりを見渡して、バス停を探した。とりあえず、先ほど初春の言った中学校を目指すことにした。画面と睨めっこをするのは、美琴の仕事ではない。しらみ潰しに走り回るほうが、ずっと自分に似合っている。
 身体の火照りを感じながら、美琴は近くのバス停に駆け寄った。数人の客がバスを待っている。幸い、あと数分でバスは来るらしい。
 犯人グループの目標は、自分たちのリーダーを取り戻すことだった。周到に準備を重ねて、生放送に踏み切った。「誰を人質に取るか」についても、きっと吟味を重ねたはずだ。無能力の子供を捕まえたとしても、ひきょう者のそしりを受けるだけだ。人質の役回りに、白井黒子ほど適した人間はいなかった。彼女は小学生のころから、ジャッジメントの一員として大暴れしていた。名前も顔も、すっかりウワサになっていた。今まで危険な目に遭わなかったのは、黒子の戦闘能力がずば抜けたものだったからだ。そんな彼女を人質にするインパクトは大きい。
 そして、ネットの世界は悲しくなるほど正直だ。「焼きを入れる」という脅しがきちんと機能するためには、人質の美醜が重要になる。見た目だけなら、黒子は小柄で可憐な美少女。黙っていれば、良家のお嬢様にしか見えない。
 だから黒子が選ばれた。
 固法センパイの推理が正しいとしたら、犯人グループは黒子の行動予定から性格にいたるまで、詳細に調べていたはずだ。その歪んだ熱意を思うと、美琴はへどが出そうになる。それだけの行動力と情熱を、なぜもっとまともなことに使わないのだろう。バスを待ちながら、美琴は一人、怒りに打ち震える。
 ――――ふと、車道に目を向けた。
 すべては偶然だった。その瞬間、美琴が視線を向けたことも、ちょうどその時、美琴の前を一台のタクシーが通ったことも、何一つ必然的な要素はなかった。だから、そのタクシーの後部座席に佐天涙子の姿を見つけることが出来たのは、奇跡と呼んでも差し支えない出来事だった。
 美琴は動きを止めた。かなりの速度だが、見まちがいではない。あの長い黒髪は、佐天涙子だ。黒子、そして初春を通じて知り合った、レベル0の無能力者。美琴にとって、愛すべき友人の一人――。けれど、何かがおかしい。いつもとは違う。ダリの騙し絵を見ているような感触。まどろみの中で見た夢を、必死で思い出すような不安感。自動車が目の前を横切るわずかな時間で、美琴の脳みそは猛然と考える。
(……タクシーだ!)
 美琴の通う学校は、いわゆるお嬢様校だ。金持ちばかりが集まっているし、タクシーはごく一般的な移動手段だ。「バスには汚くて乗れない」なんて不届きなことを言う人間もいる。でも、佐天涙子は違う。お嬢様校に通っているわけではないし、タクシーチケットを持ち歩くような家の生まれではない。あの自動車は、かなり飛ばしていた。この街は、バスもモノレールも発展している。なのに、わざわざタクシーを使うということは……。
(なにか、よほどのことがあったのね!)
 その発想はすぐに、黒子の姿とつながった。美琴は地面を蹴る。バス乗り場から離れ、タクシーを追いかける。美琴の勘が「佐天涙子を逃がすな」と言っていた。目標の自動車はぐんぐん離れていく。すばやくあたりを見回す。タクシー乗り場はない。舌打ちを堪えて、必死で走る。目の前には十字路。歩行者用の青信号が点滅している。赤になる前に、渡らなくては――。そう考えて、美琴の足が速さを増す。
 十字路を渡ろうとした時、横からエンジンの音が聞こえた。
 近づいてくる自動車が美琴には見えなかった。
 ボンネットが迫ってくる。
(…………っ!!)
 とっさに美琴は能力を放った。ボンネットに飛び乗り、電磁力で身体を固定する。運転手が目を丸くして、自動車が大きく揺れる。フロントウィンドウのわきには「空車」の文字。この自動車もタクシーだ。ブレーキの金切り声を聞きながら、美琴は幸運の味を噛みしめた。
 乱暴にドアを開け、助手席に滑り込む。
「ごめんなさい、あたし、急いでいるんです――」
 テレビや映画で、何度も耳にしたセリフ。まさか現実で、自分が言うことになるとは思わなかった。
「――運転手さん、あの車を追いかけてください!」
 運転手は目を白黒させながらも「わ、わかりました」とアクセルを蹴った。加速。シートに背中を押しつけられる。タクシーは街の中心部から離れて行く。丘陵地帯へと進路を取っている。風力発電のプロペラが、ゆったりと回っている。
 携帯電話にかけてみたが、彼女は出なかった。
 佐天涙子は明るい少女だ。不思議なちからで周囲の人間をいつも笑顔にする。だけど美琴は、彼女と一緒にいると不安に駆られる。楽しい場面のはずなのに、なぜか、心の底から笑うことが出来なくなる。そして、小学生のころに見た一本の洋画を思い出してしまう。
 総合学習の時間に見せられた映画だ。第二次世界大戦中のヨーロッパが舞台だった。雪山で遭難した二人の男が、山小屋で偶然に一緒になる。彼らは意気投合し、吹雪が去るのを待つ。二人はお互いの地位や立場を明かさない。が、じつは片方の男はスイスへ亡命途中のユダヤ人で、もう一方は、それを取り締まるドイツ人の秘密警察なのだ。物語の序盤で、彼らは互いに、相手の正体に気付いてしまう。けれど「気付かないふり」を最後まで続ける。あの映画のラストシーンは、どんな場面だったろう――。
 タクシーは丘陵地帯へと近づいていく。
 無人の発電装置の群れが、静かに空気をかき回している。


     【6】


 初春飾利は一人、画面を睨んでいた。部屋には他に誰もいない。第177支部の部屋が、こういう時だけは妙に広く感じる。事件を追いかけている時は、いつも同じだ。ジャッジメントの人間は出払ってしまい、初春はいつもお留守番だ。
 先ほどから、進展はない。
 あの焼き入れを最後に、男は人質に指一本触れていない。カメラアングルも、相変わらず白井黒子のアップだ。彼女の呼吸に合わせて、胸郭がゆっくり上下している。その弱々しい動きがなければ、静止画像にしか見えないだろう。アカウントは停止されなかった。犯人グループの脅迫は、みごとに急所へ突き刺さった。なにが情報セキュリティの時代だ。世間の風評は、どんなコンピューターウィルスよりも強烈な毒素を持っている。動画共有サイトはさじを投げた。判断を学園都市の行政にゆだね、責任から逃れるつもりなのだ。
 この街の上層部は、今ごろ大慌てだろう。SNSを介して緊急の会議を行っているはずだ。ハッキングして、話し合いの内容を盗み見ることもできた。が、初春はその必要を感じない。見なくたって、どんな話をしているのか想像はつく。
 タイムリミットが近づいている。
 おそらく、彼らは何もしない。犯人の要求は何一つ飲まないだろう。逮捕した男を逃がさないし、学園都市の総合ホームページも更新しない。ネットワークそのものを緊急停止すれば、動画の配信を止められる。が、そんな大それた対策もしない。一度でも屈服した態度を取れば、模倣犯が続出する。似たような人質事件が頻発するようになる。そして何より、ミソがつく。大人たちはそれをいちばん嫌がる。少女を人身御供(ひとみごくう)にして、自分たちの聖域を守ろうとする。
 初春は生放送の送信元を探して、ハッキングを続けていた。最初は高校だった。次は中学校、その次は、また別の高校……。ハッキングをするたびに、違う結果が返ってくる。第七学区の公共施設ばかりだ。もちろん、初春だけがハッキングを行っているわけではない。いまや街中の人間が、白井黒子の居場所を探している。
 先ほどから、アンチスキルの動きを伝えるメッセージを受信していた。彼らも独自に動画の送信元を探して、初春と似たような結果になっているようだ。学校施設をしらみ潰しに回っているらしい。そして、結果は芳しくない。
 まだ誰も、犯人グループのアジトを突き止めていない。
 ただ一人、初春飾利だけが、白井黒子の居場所に気付いている。
 アンチスキルの動向を伝えるメッセージが流れていく。初春は無言のまま、その文字列を眺めている。指先は休むことなく動き続けている。ジャッジメントの仲間に、犯人たちの居場所を教えることはできない。少なくとも、今はまだ――。
 タイムリミットまで、十分を切った。
 生放送に動きがあった。安楽椅子の背後には、黒い布が垂らされている。その布がふわりと揺れた。初春の指が、一瞬、止まる。
『……さて、そろそろ時間だぜ』男はため息を落とす。『期待した俺たちがバカだった、ということか――。この子には、もう一枚脱いでもらう。まあ、すぐさま全裸になるわけじゃない。次のタイムリミットは、一時間後だ。それまでに返事をしろ。俺たちの先輩を、どのように解放するのか、トップページに書くんだ』
 白井黒子は表情を変えない。眉をひそめることもせず、男の言葉を聞いている。
『なあ、充分に考える時間はあっただろう。二時間……俺たちは、二時間の猶予を与えたんだ。にもかかわらず、あんたらは、何もしなかった。「微妙な判断を要する」とでも言いワケして、判断を先送りにした。なあ、おい、白井黒子さんよぉ、俺たちを恨むんじゃねえぞ。憎むなら、大人どもの薄情さを憎め。次のタイムリミットは一時間後だ。果たしてあいつらは、あんたのために動いてくれるかな。あんたを見捨てはしねよなぁ』
 男の太い指が、少女の襟元に伸びる。白いブラウスを手繰り寄せ、ゆっくりと引っ張った。プツンという軽い音と共に、最初のボタンが宙に舞う。黒子は泣きも怒りもせず、ただ身をゆだねている。感情を表に出さないことが、唯一の反撃方法だと言わんばかりに。殴られたからだろう、彼女の顔はわずかに腫れている。男の指が、二つ目のボタンへと降りていく。
 黒子は顔をあげた。驚愕に目を見開き、画面の外、男の背後を見つめる。何か叫ぼうと口元を動かした。ガムテープがうごめく。
『――んだ、てめえ!!』
 手下と思われる誰かの声。男は黒子のブラウスから手を放し、振り返った。その拍子に、男の肘がカメラとぶつかった。画面が大きく乱れる。天井と床とが交互に、何度も映った。そして斜め下からのローアングルに落ち着いた。画面の端には、茶色いローファーが映っている。黒子のつま先だ。その向こうには、室内の様子が映し出されていた。コンクリート打ちっぱなしの壁。カビのせいで変色し、もとの色はわからない。画面中央には、錆びた金属製の扉。今は開け放たれ、暗い廊下が見える。そして、その扉の前に――。
『黙ってんじゃねえ、クソアマ。ボコすぞ、こら!』
 手下たちが、次々に襲いかかる。暗い廊下から現れた人物を取り囲み、あっという間に羽交い締めにした。細長い手足を乱暴に掴んで、身動きを封じる。
『いいかげんにしなよ、あんたたち』
 彼女は、黒髪を長く伸ばしていた。カメラにちらりと目を向けて、カメラの前に立った男を睨みつけた。
『いったい、どういうつもりなの――』
 手足の自由を奪われても、佐天涙子はひるまなかった。


     【7】


 ―――あたしのせいだ、あたしのせいだ、あたしのせいだ!
 心の中で何度も繰り返しながら、御坂美琴は闇の向こうを見つめた。廊下の突き当たりには、佐天涙子の後ろ姿がある。男たちの手が、涙子の自由を奪っていた。コンクリートで固められた地下室。窓はどこにもない。天井の蛍光灯は、ちかちかと明滅を繰り返している。激しい頭痛をこらえながら、美琴はしゃがみ込む。息をひそめて物陰に隠れる。そんな自分が許せない。
 丘陵地帯の真ん中で、佐天涙子はタクシーを降りた。人家の少ない地域だ。美琴に尾行されているとは気付かず、道路わきに伸びる砂利道を登りはじめた。車間距離を充分に取っていた美琴は、遠くからそれを眺めていた。
 涙子のあとを追って、美琴も砂利道を登った。冬枯れの木立を抜けると、風力発電施設の足元に着いた。フェンスで囲まれた灰色の建物。半分地下に埋まっており、屋根の上には風車がそびえ立っている。美琴が斜面を登り切った時、涙子はまだ地上にいた。地下へと続く扉の前に立っていた。わずかな逡巡のあと、彼女は地下へと消えた。
 あの時、声をかけるべきだった。
 ついタイミングを逃してしまった。その結果、彼女は男たちに捕まり、黒子の二の舞になろうとしている。美琴は自分が許せない。何が最強の電撃使いだ、友達ひとり守れないなんて。頭痛がひどい。
「いいかげんにしなよ、あんたたち」
 涙子の声は、ぞっとするほど冷たかった。
「いったい、どういうつもりなの、オルヤ君」
 リーダーらしき男が、小さく息を飲む。薄暗さに目を細くして、涙子の顔を見つめる。
「るい……ちゃん?」
「そう、小学生のころ同じクラスだった、佐天涙子。覚えていてくれてよかった」
 涙子の声は、ちっとも嬉しそうじゃない。
「ひさしぶりだねぇ、るいちゃん。何しに来たの?」
 友達を部屋に招くような口調。
「その人を放しなさい。こんなことをしても、オルヤ君たちの思うようにはいかない。誰もオルヤ君のわがままを聞いたりしない」
「正義の味方? かっこいいね、るいちゃん、そんな趣味があったんだぁ。――だけど、能力のほうは相変わらずレベルゼロみたいじゃねえか。てめえが昔と同じ無能力者で、俺はちょっと安心した」
 ニタニタと笑いながら、後ずさりしていく。安楽椅子の背後、垂らされた布を手に取った。
「もしも能力者だったら、そんな威勢のいい台詞は出てこねえはずだ。不快な頭痛に襲われるはずだからなぁ」
 オルヤと呼ばれた男は、布をめくった。その裏側には大型のスピーカーがいくつも並んでいた。まるで音響設備のような外観。以前のキャパシティーダウンと同じだ。けれど、スピーカーの数も大きさも、あの時とは比べ物にならない。部屋の天井まで、びっしりと装置で埋め尽くされている。
 頭痛の原因は、あれだ。美琴は顔をしかめる。先ほどから何度も試しているが、小さなスパークすら生み出せない。雷撃を放とうとしても、脳みそが上手く反応しない。水の出ない蛇口を、必死でひねっているような感触。白井黒子も、この頭痛にさいなまれているはずだ。なのに、黒子はずっと無表情を守っていた。
「オルヤ君、あなたはこんなことをするヒトじゃなかった……」
 男は肩をすくめる。
「るいちゃん、人は変わるんだよ。――――おい、お前ら、その子を離してやれ。俺の大切なお友達だからな」
 解放されて、涙子は一歩、男に詰め寄った。
「あなたは変わってない」彼女は声を低くする。「肝心な部分は、子供のまま。『リーダーを返せ』って? バカじゃないの、その人がいなかったら何もできないわけ?」
「判ったような口をきくんじゃねえぞ。あの人は……俺たちに“生き方”を教えてくれたんだ」
「それにしちゃ、ずいぶん惨めな生き方だね」
「…………何も、分かってねえくせに」
「解ってる、何もかも。オルヤ君がどうして学生寮を飛び出したのかも、なんでこんな非道いことをしているのかも、私にはぜんぶ解る。……オルヤ君、もうやめなよ。誰かにすがって、その人の言葉通りに生きるのはやめなよ」
 また一歩、涙子が男に詰め寄る。美琴は何も出来ずに、ただ物陰から事態を眺めている。
「小学生のころのオルヤ君はとても勉強熱心な人だった。だって、周りから『勉強しなさい』と言われていたから。そして能力に恵まれなかっただけで、あなたは学校生活から逃げ出した。だって、周りから『能力を伸ばしなさい』と言われていたから。――――いつも周りからの評価にもてあそばれてばかり。今度はなに? その先輩って人がいなかったら、自分の生き方も決められないの?」
 男の顔が歪む。涙子がさらに近づく。
「かっこ悪いよ、そんなの。だって、まるで鳥のヒナみたいだよ。口をおっきく開けて、エサをねだってばかりの子供だよ。自分の空腹ぐらい、自分でなんとかしようよ。なのに、あなたは誰かを求めてばかり。エサをもらって、ただ喜んでいるだけ。口に何を突っ込まれているのか知りもせずに。そんなの――――」
 乾いた音がした。男が拳を振るい、涙子の両足が床から離れた。
「黙れ、女のくせに」
 倒れた涙子に、男が一歩、近づく。涙子は両手を胎児のように縮めている。
「静かにしてろ。俺は…………幼なじみのるいちゃんに、怪我させたくねえんだよ」
 いつまでも隠れているわけにはいかない。美琴は壁に手をついて、何とか立ち上がる。能力が使えない以上、助けを呼ばなくては。建物の外に向かおうとした、そのとき。
 激しい衝撃を顔の側面に感じ、視界がちかついた。一瞬、重力から解放される。殴り飛ばされ、美琴は壁に背中をぶつけた。頭痛のせいで気がつかなかった。美琴の背後に、もう一人、男が立っていた。振り向きざまに殴られたのだ。痛みがじわりと広がる。
「ねえ、オルヤさん。もう一人いたんですけど」
 男が美琴の頭を掴む。無理やり立たされ、室内へと引きずられる。涙子が、そして黒子が目を見開いている。
「み、御坂さん!?」
「…………っは、離しなさいよ!」
 叫んだ直後、みぞおちに男の膝が食い込んだ。胃の中身が逆流しそうになり、口の中に酸っぱい味が広がる。少しだけ呼吸が止まった。
「ねえ、この女もオルヤさんの知り合いッスか?」
「いいや、知らねえな」
「あ! こいつ! 御坂美琴ですよ。あのレベル5の」
「ああ、高慢ちきなお嬢さんか。どっかで見たことある顔だと思った」
「へえ、能力が使えなければ、フツーの女じゃねえか」
 頭痛がひどい。男たちの会話が、脳みそのなかをぐるぐると渦巻く。彼らが何を望んでいるのか、美琴は気づいた。気づきたくなかった。
「この女、オルヤさんの知り合いじゃないんでしょ。そんで、人質ってわけでもない」
「そんなら、何をしてもいいんですよね?」
 卑しい笑い声。舌なめずりをするような視線が、美琴の全身をなめ回す。寒い。コートを着ているはずなのに、冬の地下室は空気が凍りついている。美琴は右手を握りしめた。一矢報いようと、腕を振りかざし――――。
 男の手のひらが目の前に迫る。掌底を顔面に受けて、美琴は床に倒れた。思わず、うめき声を漏らした。言葉にならない痛みに、鼻の下を抑える。ぬるりとした感触。手のひらが鼻血で汚れる。
「こいつ、スカートの下に短パン履いてるぜ」
「へえ、下着を見られたら恥ずかしいってか。変なところで女らしいじゃねえか」
「おい、さっさと脱がしちまえよ」
 手足を押さえつけられる。恐怖は感じなかった。ただ、悔しさで心臓が止まりそうになる。
(こんなやつらに。こんな無能力者の連中に!)
 オルヤが近づいてくる。立場が高いものから順番に、味見をするということか。能力さえ使うことができれば、こんな奴ら、一瞬で吹き飛ばせるのに。口の中が塩辛いのは、鼻血が逆流したせいだろうか。
「やめなさいよ!」
 涙子の声は、ほとんど悲鳴だった。男たちがわずかに動きを止める。
「その人にちょっとでもヘンな真似をしてごらん。私、ぜったいに許さない。オルヤ君、本当に見下げ果てた根性だね。残念だよ。あなたがそんな臆病者だとは思わなかった」
 真剣なまなざし。涙子のその表情は、美琴を不安にさせてきた、今までは。
「犯すなら、まずは私からやりなさい!」
 涙子の声は、恐怖で震えている。
 オルヤが口を開く。
「誰か、そのカメラを止めろ」


     【8】


 月詠小萌は、コンピューターの画面と向き合っていた。ここはシェルターの情報端末室だ。佐天涙子にサイトを教えられ、小萌は事件の成り行きを知った。先ほどまで、この部屋で事態を見守っていた。
 カメラが止められる直前、佐天涙子が映った。
 それを見て、小萌は息が止まりそうになった。ひとつは、涙子の身を案じたから。そしてもうひとつ、涙子が彼らの居場所を知っていたから。――――アンチスキルには、すでに連絡を入れてある。佐天涙子が、このシェルターでボランティアをしていたこと。そして、彼女がどんな性格をしているのか。なぜ涙子が犯人たちのアジトを知っていたのかは分からない。が、あの現場に踏み込んだ以上、涙子が犯人グループの一員だと疑われてもしかたない。小萌が釘を刺しておけば、乱暴な扱いを受けることはないだろう。アンチスキルには、小萌の同僚が何人も所属している。小萌は涙子を信じている。
 そして涙子は、オルヤを信じていた。
 小萌は立ち上がる。いまの自分には、彼女たちの無事を祈ることしかできない。このシェルターで、子供たちを見守ることしかできない。子供たちが一線を越えてしまう前に、そっと、押しとどめることしか。彼らの心が錆びつく前に、潤滑油を与えることしか。
 窓に目を向けて、小萌はあるものに気づいた。
 部屋の窓ぎわには、鉢植えがいくつか並べてある。その鉢植えの影に、お弁当箱のようなモノが置かれていた。白の無地で、樹脂製のようだ。小萌は鉢植えに近づく。絶妙な角度で放置されていたので、今まで気がつかなかった。鉢植えのすき間に、まるで隠すみたいに。
 小萌はそれを手に取る。
 ずしりと重かった。


     【9】


「…………もしもし、初春です。………………――――はい、そうです。準備は整いました。………………はい…………はい。………………了解です。…………そちらはどうですか。………………ええ、大丈夫だと思います。………………――――きちんと対応していただけるはずです。………………遅くなり申し訳ありませんでした。………………はい。…………………ええ、わかっています。…………大丈夫ですよ、白井さんなら。…………はい…………はい。わかりました、こちらはいつでもいけます。……………………それでは、カウントします! いち! にの! さ――――」


     【10】


「犯すなら、まずは私からやりなさい!」
 涙子の声は、恐怖で震えている。
 オルヤが口を開く。
「誰か、そのカメラを止めろ」
 手下の一人が、慌ててカメラに駆け寄る。縛られたままの黒子が、その様子を睨み付ける。ガムテープが無ければ、きっとつばを吐きかけているだろう。美琴は、驚愕と屈辱と自己嫌悪にさいなまれていた。涙子を助けたい。だけど、彼女のおかげで、自分への危機は少しだけ遠のいた。そのことにホッとしているもう一人の自分。涙子が身代わりになってくれたことに、喜んでいるもう一人の美琴。そんな自分を認めたくない。気が狂いそう。
「…………そんなら、お言葉に甘えちゃいましょうかねえ」
 その台詞を聞いて、美琴は理解した。オルヤの口調は落ち着いていた。ごく当たり前の仕事をこなすかのような表情。この男は、これが初めてではないのだ。同じようなことを、何度も繰り返してきたのだ。女を犯すのは、彼にとっては呼吸をするようなもの。涙子の表情から色が消える。きっと彼女も、美琴と同じ結論にいたった。幼なじみの本性に気づいた。
 掴まれたままの手首が痛い。鼻血が止まらない。美琴は何もできない。
 オルヤはゆっくりと涙子に近づいていく。涙子は逃げなかった。相手を軽蔑のまなざしで見つめながら、仁王立ちしていた。彼女の華奢な肩を、男の分厚い手のひらが掴む。
「んだよ、その顔は。てめえが抱いて欲しいと言ったんじゃねえか。もう少し喜べよ」
 オルヤは腕を振り上げた。美琴は思わず目をそらし――――。
 ガコン、という何かの外れるような音。
 視界が暗転する。
 照明の落ちる音だと、すぐには気がつかなかった。
 地下室に窓はない。暗闇に包まれる。
 男たちの罵声。頭痛がふわりと消えた。
 両手はまだ掴まれたままだ。
「えい!」
 誰かのかけ声。
 男の悲鳴。
 激しい衝突音。
「このナイフは没収ね」
 人間を投げ飛ばす音。
 暗闇の向こうで、誰かが戦っている。
 美琴は力を放った。手足を掴んでいた男たちが、悲鳴を上げて闇の中に吹き飛ぶ。本当は全力で放電したい。けれど同じ部屋に、黒子と涙子がいる。下手に電撃を使えば、彼女たちを巻き込んでしまう。殴られた時のショックで、方向感覚を失った。光が無くては、友人たちの位置も、出口の場所も判らない。殴られた頬骨が痛い。
「――――遅くなってごめんなさいね、白井さん」
 聞き覚えのある声。
「立てる? ていうか、飛べる?」
 男の雄叫び。なにか細長いものが空気を切る音。鉄パイプを振りかざした誰かが、黒子たちを襲おうとしている。美琴の目は、まだ暗さに慣れない。
「いいかげんにしなさい!」
 悲鳴を上げたのは、男のほうだった。鉄パイプが床を転がる。
「わたくしの身は、心配ご無用、飛べますの。…………とはいえ、まだ全力は出せませんわ。わたくしと、あともう一人ぐらいしか。――――ご心配をおかけし…………申し訳ございません、固法センパイ」
「とにかく、あなたたちが無事で良かった」
 固法センパイは透視能力者で、光に頼らずモノを見ることができる。闇の中、男たちを放り投げている。体中が痛くて、美琴は立ち上がれない。
「白井さんは、御坂さんをお願いするわ。佐天さんは私と」
「はい」
 闇の中、人の近づいてくる気配。
「お姉さま? お姉さまですのね」
 華奢な手のひらが、御坂の身体に巻き付く。お互いに姿は見えない。美琴も手探りで、相手の身体を抱きしめる。
「ごめんね、すぐに助けられなくて」
「心配には及びませんわ」
 黒子の声は掠れていた。こんな弱々しい声を聞くのは初めてだった。周囲では、まだ男たちの慌てふためく音が聞こえる。固法が時間を稼いでいる。
「前にも申し上げましたでしょう…………お姉さまはあくまで一般人、むやみやたら、いたずらに事件に首をつっこんではなりませんの。…………お怪我を召されるところなんて、見とうございません…………。ですが――――お姉様が来てくださって、黒子は嬉しゅうございました。さあ、行きますわよ」
「黒子…………あんた、平気なの」
「この程度の怪我、わたくしは痛くもかゆくもございません…………。これぐらいのことは覚悟しておかなければ、わたくしの仕事は勤まりませんわ。……なぜなら……、わたくしは――――」
 黒子の吐息を首筋に感じた。いつもの威勢の良さは、男たちに踏みにじられた。弱りきった声は、か細い乙女そのものだ。けれど、芯の通った口調。想いをつらぬき通す声。
「――――わたくしは、ジャッジメントですの」
 闇の奥底で、誰もが走っている。遠くのほうから「白井さん、早く!」という声が聞こえる。「佐天さん、こっちよ!」という叫び声。男たちは相変わらず、混乱の渦中にいるらしい。「逃がすか!」という怒声が迫ってくる。
 黒子が能力を発動する瞬間、美琴はまったく別のことを考えていた。涙子の言葉が、妙に心に刺さっていた。口を開けたままのヒナ鳥。何を食べさせられているのかも考えず、ただ無尽蔵に腹を空かせた生き物。それは誰のことなのか。
 瞬間移動。
 建物の外には、アンチスキルの部隊が到着していた。


     【11】


「う・い・は・る!」
「きゃあっ!」
「ほほー、今日は緑色の縞パンかぁ。まるでどこぞの歌姫みたいだね」
「……………………」
「ん? どうした?」
「………………………………」
「もしもーし、ういはるさーん」
「………………………………えっく」
「!?」
「………………うう………………えっく…………」
「わわわ、悪かったって。泣くことないだろー。わかったよ、今度からスカートめくるのは自重するから」
「…………ぞうじゃばりばぜん」
「鼻声で何言ってるかわかんねーって」
「そうじゃないです! スカートぐらいで泣いたりしません!!」
「おーよしよし。そうかそうか。ならスカートはオッケー、ってことね」
「それもやめてください! もういい歳なんですから!」
「はは、悪かったってー」
「もう。すっごく心配したんですからね。あんなお願い、二度と聞きませんから!」
「あー、怒らせちゃったか。でも、ありがとなー。私のわがまま聞いてくれて」
「ちょっとは反省してください。佐天さんが『オルヤ君を説得してみせる』って言ったから、わたし、協力したんですよ、ジャッジメントの規則を破ってまで。…………おかげで、史上最長の始末書を書くはめになりました」
「そりゃー、初春が怒るのも無理ないなぁ」
「だから、そうじゃなくて、わたしは――――!」
「あー、はいはい。解ってるって。私が無茶なことしたから、怒ってるんだろぉ。ご心配をおかけしました、本当にごめん。このとーり」
「しっかり反省してください」
「だけど、さすがだよなー。誰よりも早く、犯人たちの居場所に気づくなんて」
「それは…………私だけの力じゃありません。アンチスキルや他の支部から、情報を集めていたからです。自分一人でハッキングをしていたら、すぐには気がつかなかったと思います。ツールの誤動作だと思って、無駄足を踏んでいたはずです」
「だけど初春は気づいたんだね、他のみんなが同じ結果になっていると」
「そうです。誰がやっても結果は同じ、第七学区の公共施設になりました。しかも、数分おきに検索結果が変わっていました。それを知って、すぐにピンと来たんです。犯人グループは、公共施設の無線LANにタダ乗りしているんじゃないかって」
「それで作ったのが、いま画面に表示されているこの地図ね」
「電波をどこから送信しているのか探したんです。ハッキングで分かった公共施設の、それぞれの位置を地図上にプロットしました。犯人がいるであろう場所をXとして、点Xとそれぞれの公共施設とを線で結びます。そして簡単なプログラムを書いて、線の長さの合計がもっとも小さくなる点Xの位置を、計算させました」
「で、ヒットしたのがあの風力発電所だったわけだ」
「じつは、計算結果とはかなりの誤差があったんですけどね。でも、付近に人が隠れられるような建物はあそこだけでした」
「私がボランティアをしている施設でも、見つかったらしいよ、犯人グループの使っていた中継装置」
「無線LANは短距離でしか使えません。離れた場所から無線LANへのタダ乗りをするために、電波を中継する装置が必要だったんですね」
「ありとあらゆる施設に、あの中継装置を置いてあったみたいだね。連中、ずいぶん手の込んだことをしていた」
「ええ。手作りの指向性アンテナなんて、わたし、初めて見ました」
「そんで、固法さんに連絡したのはいつなの?」
「生放送に佐天さんが映った、直後です。センパイだけじゃなくて、ジャッジメントとアンチスキルの全員に情報を提供しました。運良く、センパイはあの丘陵地帯のすぐそばにいました。だからアンチスキルよりも先に到着したんです。情報を提供するのと同時に、わたしは電力管理システムにハッキングをしかけました」
「そして固法さんと作戦を練って、タイミング良くあの地域一帯の電力供給を止めた」
「それも始末書の理由です…………。風車を一つ止めるだけではダメでした。発電所同士がネットワークを作っていて、お互いの電力を補うようになっていたんです。だから地域まるごと、電気を止めてやる必要があったんです」
「いやー、ナイスタイミングだったよぉ」
「………………佐天さん」
「なんだい?」
「教えてください。佐天さんが一人で、あそこに行った理由」
「もう話しただろー。オルヤ君を説得するためだって」
「本当ですか? あんな非道いことをする人です。本当に説得できると思っていたんですか」
「あのね、ういはる。私は信じたかったんだよ。画面に映った男は昔からの知り合いで、しかも彼が優しかった頃のことを、私は知っている。だから、説得できると思っていた。『説得できる』と信じたかった」
「御坂さんが捕まった時は、どうなるかと思いました」
「うん、御坂さんには悪いことをしたな。巻き込むことになっちゃって。――――今になって思えば、ずいぶん無謀なことをした。白井さんの動画を見て、私、頭に血が昇っちゃってさ。冷静じゃなかったんだよ」
「でも…………」
「幻想御手(レベルアッパー)の事件を、初春も覚えているだろ。あの後の特別講習で、私、めちゃくちゃ走らされたんだよ。校庭を何十周も、限界を超えるまで持久走させられたんだ。…………そのときは、あの持久走の意味があまりよく分からなかった。担当をしていた先生は『限界を超えることに意味がある。もうダメだと思っても、あきらめてはダメ。自分でも気づかなかった能力が残っているかも知れない』と言っていた。だけど、もしも、能力が残っていなかったら? どんなに限界を超えようとしても、その先になにも無かったら? あの時、先生は『自分で自分の限界を決めてしまったらダメだ』と言った。だけど、自分以外のいったい誰が、自分の限界を決めてあげられるんだろう。もう無理しなくていいよ、少しぐらい休んでもいいんだよ、って、自分のほかに誰が言ってくれるだろう。誰にだって、才能にも努力にも限界はあるんだ。結果を出せなかった人に『努力不足だ』って言うのは、すごく残酷だよ」
「たぶん、佐天さんが学生だから、先生はそんなことをおっしゃったんだと思いますよ。教師の方は誰でも、教え子に希望を持って欲しいと願うものですから」
「そうだね。それに、今ならあの持久走の意味が分かる。たぶん、『走ることに本当に意味があるのか』って、考えさせたかったんだと思う。日常生活で走ることなんて滅多にない。たまに走ることがあっても、そこは校庭のトラックじゃない。決められたコースをぐるぐる走り続けることに、どんな意味があるのか。たぶん先生は、それを考えさせたかったんじゃないかな」
「…………決められたコース、ですか」
「そう、能力開発はそのひとつ。シェルターでボランティアをするようになって分かったよ。たとえば小学生くらい子供たちは、本当に小さなことでも、真剣に悩んでしまうんだ。能力が伸びるかどうか、テストの点がいいかどうか。そんなこと、あまり大事じゃないのにね。本当に大切なのは、テストの点が良いとどんな意味があるのか。何のために、能力をのばすのか――――。オルヤ君にも気づいて欲しかった」
「わたしは能力とかよりも、まずはトロくて鈍くさい自分を変えたくて、ジャッジメントに入りました。もし、そうでなかったら、わたしも同じように悩んでいたかも知れません。小学生の頃から、能力はずっとレベル1のままでしたし」
「うん、初春は私なんかよりずっと大人だよ。小学生の頃から、覚悟を決めていたんだ。ジャッジメントでがんばるって、心に決めていた。自分がどういう人間なのか、それを自分で理解できたら、もう怖いモノはなくなる」
「そんなものでしょうか…………」
「ていうか、初春のほうこそ、どうして協力してくれたの? 始末書ものの騒ぎになるって分かっていただろうに」
「それは…………佐天さんの言葉を信じたからです。…………佐天さんが信念に従って行動していると分かったから」
「信念、ねえ…………」
「おのれの信念に従い、正しいと感じた行動を取るべし――――これは、白井さんの教えてくれた言葉です。そして、わたしのモットーです。だから、わたし、佐天さんに協力したんです」
「やっぱり肝がすわっているよなぁ、白井さん」
「佐天さんだって負けてませんよ。でも、無鉄砲なのはダメですよ。『犯すなら私から』なんて言葉、もう二度と言わないでください」
「いやー、あれは自分でもびっくりした、自分の言葉に」
「でも、カッコよかったです」


     【12】


「あ、もしもし。お久しぶりです。御坂です。……はい、ご心配をおかけしました。大丈夫です、大きな怪我もしていません。……はい……申し訳ありませんでした…………。それで今日は、少しご相談があります。――――そちらで働かせていただけませんか。あたし、知りたいんです、自分にできることを。自分が誰かの役に立てるのかどうかを…………。お願いします、小萌先生!」





『レベル5じゃ足りない』 



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



お読みいただきありがとうございました。
なお、まだアニメしか見てなくて原作はこれからです。なので色々と矛盾とかあると思います。コメントにてご指摘いただければ幸いです。少しずつ反映していきます。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆


あわせて読みたい


とある科学の超電磁砲<レールガン> -公式サイト
http://www.project-railgun.net/