小説は敷居の高いメディアだ。
映画やアニメ、マンガの手軽さには敵わない。エンターテインメントに限れば、そういう手軽なメディアのほうが面白いに決まっている。
ならば小説は、どうすれば他のメディアと戦えるようになるのだろうか。
重要なのは、小説とは紙の上のインクの染みだということだ。お話を創作しようとすると、どうしても抽象的な概念として「小説」を思い浮べてしまう。ストーリー、ドラマ、キャラクター……小説を構成するすべてのものは、抽象的だ。
しかし小説を書きあげるためには、抽象的な世界だけでなく、物理に支配された現実世界に視線を移さなければいけない
◆
「魅力的な登場人物を思いついた。
作品全体の雰囲気を決めた。
読者の眼を引くようなシーンもある。
オリジナリティの高いアイディアも持っている。
短編小説ならばすでに何本も書いているし、友達にも面白いと言ってもらえる。
だけど長編が書けない――」
こういう状態が続くワナビは少なくない。長編小説を書きあげるのは、それはそれは体力と集中力のいる作業だ。短編小説ならば一点集中のアイディアで切り抜けられる。短さのおかげで最後まで読んでもらえる。けれど長編小説となれば話は別だ。原稿用紙換算で300枚程度(42字×17行の文庫本ならば260ページ程度)を読み解くのは、読者にも負担となる。
「長編が書けない」
ずいぶん長いこと、この状況から成長できなかった。
しかし最近になって、ようやくこの状況から脱出することができた。ので、そのきっかけとなった技巧論を書き残しておく。
前提として:
◆短編小説ばかりを書いていた頃から、プロットは必ず準備していた。
お話の全体像を決めてから筆を進めていた。
◆いつも、お話は「オチ」から考えている。
オチを決めたあとに、必要な登場人物や、周辺環境などを設定している。
◆最低限の文章力はある、と思う(勘違いかも知れないけど)
長編・短編を問わない賞で、上位0.9%まで残ったことがある。その時よりもクオリティの高い文章を書くように心がけている。
こんな感じのワナビが、3つのアイテムを手に入れることで、へたくそなりに長編小説も書けるようになった。そのアイテムとは次のとおりだ。
1.三幕構成
2.シーン数の算出
3.何ページごとに「引き」を作るか
これら3つのことを知るだけで、とりあえず300枚の原稿用紙が怖くなくなった。
では順番に、これらの内容を説明していこう。
1.三幕構成
物語の構成(プロット)は、「起承転結」とか「序破急」とか、昔から色々な分析がなされてきた。けれど、その多くは「ページをどうやって埋めればいいか解らない!」という問題を解決するには役に立たなかった。何本もプロットを書いてみたが、どうしても300枚を超えるプロットにはならないのだ。
そんな中、ふと思い出したのがこの「三幕構成」だ。
『ハリウッド・リライティング・バイブル』という本と出会ったのは高校生のころだ。その頃から「三幕構成」という概念自体は知っていた。けれど当時は幼稚な自尊心から眼を覚ますことができず、「お話は自由であるべきだ!」なんて偉そうなことを言っていた。この素晴らしい創作技術を、唾棄すべきものと見なしていた。
だけどいざ使ってみたら、そのあまりの便利さに笑いが止まらなかった。
詳しいことは各人でググってもらったほうが早い。ざっくりとまとめれば、どんなストーリーも第一幕・第二幕・第三幕の三つに分解できるという考え方だ。
第一幕:登場人物の設定や世界観の提示を行う。
そして第二幕へと続く「事件その1」を起こす。
第二幕:いちばん重要なのはミッドポイントの存在。
ミッドポイントとはストーリーの折り返し地点に置くかれるピソードのことで、このエピソードを通じて、そのお話が何を目指すものなのかはっきりと提示される。ミッドポイントよりも手前の前半では、必要な伏線を全て出し切る。
そして後半では、第三幕(クライマックス)に向けた「事件その2」を起こす。
第三幕:いよいよクライマックス。
グッドニュースとバッドニュースを交互に提示しながらお話を前に進めるのがハリウッド映画の定石だが、クライマックスでは「グッド/バッド」の振れ幅が最大に達する。
そしてクライマックスのあとに、物語全体をまとめる後日譚的なものを付けて、おしまい。
以上が三幕構成のすごく大雑把な説明だ。
三幕構成の最も優れた点は「何ページ目に、何を書く」というのが明確なところ。
第一幕、第二幕、第三幕の比率は、1:2:1にするのが良いという。このテンポでお話を提示していくと、観客/読者を飽きさせることなく、お話に引き込むことができるのだそうだ。
具体例を出そう。みんな大好き『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の脚本は、全部で96pある。原文の脚本はネット上に落ちているので、各人で探すように。この映画のストーリーを一言で表すと、「過去に戻った主人公が、両親をくっつける話」だ。
お話の方向性が決まるのはミッド・ポイントだった。そこで全体の半分、48p目を読んでみると、そこには「主人公が、ジョージを、ロレインに紹介する」のシーンが描かれている。ロレインとは若き日の母、ジョージは若き日の父だ。すなわち両親の出会いのシーンがミッドポイントになっている。
では「事件その1」はどうだろうか。全体の1/4に相当する24p目には、テロリストに襲われるシーンが書かれている。ここでテロリストから逃げるときに、主人公はタイムマシンを起動し、過去へとタイムスリップする。まさに「事件その1」にふさわしいエピソードだ。
そして「事件その2」はクライマックスへと主人公たちを動かすエピソードで、全体の3/4のところに書かれる。で、脚本の72p目はちょうど駐車場の場面で、「主人公とロレインの自動車を、悪役が襲う」シーンとなっている。この後、ドタバタのクライマックスを迎えるのはご存じの通りだ。
他の映画でも同じだ。
ストップウォッチで測ってみると、映画『タイタニック』ではちょうど全体の半分のところで船が沈む。ミッドポイントだからだ。アニメ『時をかける少女』にも三幕構成は応用されているし(http://tec.jpn.ph/tokikake/tokikakefaq1_1.html)、『おくりびと』にも、日本昔話の『桃太郎』にも三幕構成がハッキリと見受けられる。むしろ三幕構成ではないお話を探すほうが難しいぐらいだ。(ただし三国志やドラゴンボールのような大河作品には、三幕構成はあまり当てはまらない)
つまり文庫本で230pの小説ならば、
だいたい57p目に「事件その1」が起こる。
そして115p目あたりに「ミッドポイント」が描かれる。
さらに172p目あたりに「事件その2」が描かれてクライマックスが始まる。
こうして「具体的なページ数」に変換して考えることができるので、三幕構成は使いやすい。このかたちを崩すのは、創作に慣れてきて新しいものを模索するようになってからでいいと感じている。
2.シーン数の算出
三幕構成を応用することによって、「重要なエピソードを何ページ目に書くか」という指標が出来た。今度はそのエピソードとエピソードとをつなぐ必要がある。
過去に書いた短編小説から、自分が1つのシーンを書くのに何ページ程度使っているかを求めてみた。42字×17行の文庫本形式に換算すると、およそ7〜9pを使っていることが解った。
230pの作品を書くならば、ミッドポイントは115pあたりになる。
1シーン8pずつ書きすすめれば、およそ14〜15シーンの計算になる。したがってプロットを書くとき、そのシーン数でミッドポイントに到達するように場面を並べれば良い。
じつをいうと、ミッドポイントの存在には短編小説を書いていた頃からうすうす感づいていた。私の短編小説にはお決まりの形式があり、それは「前半半分で伏線をすべて登場させ、後半半分でそれらを回収する」というものだ。「展開」から「回収」へと流れの変化する地点が、ちょうどプロットの真ん中に来きていた。無自覚にミッドポイントを作っていたのだ。
そこに「事件その1」「事件その2」、そして「クライマックス」の概念を持ち込んだことで、一気に長いストーリーを作れるようになった。
そして、短編小説しか書けなかった理由が解った。
単純にシーン数が足りなかっただけだった。
むしろエピソードとエピソードのあいだに挿入する(しなければならない)シーン数が増えたことで、表現できることの量が飛躍的に増えた。だから今、書くことが超・たのしい。
3.何ページごとに「引き」を作るか
小説は他のメディアに比べて、受け手の負担が大きい。読者が自発的にページをめくらなければ、お話は進まない。ではどうすれば、読者の手を止めさせずに書きすすめることができるだろうか。
重要なのは「引き」だ。
目標の設定と言い換えてもいい。
例えばミステリー小説ならば、犯人を見つけ出すという強烈な目標が設定される。その目標がどうやって解決されるのか興味をひかれるため、読者はページを読み進める。たとえば「あらすじの設定だけで面白そう」な小説がある。そういう小説は、設定のなかにすでに「目標」が隠れている場合が多い。『十五少年漂流記』を思い出してほしい。「わずか8歳〜14歳の男の子たちが、無人島に流された」という設定だけでワクワクしてくる。子供たちだけでどうやって生き延びるのか――ご飯はどうするの? 寝場所はどうするの? 人間関係がこじれたりしないの? などなど、解決すべき目標を次々に思い浮べることができる、あらすじの設定を読んだだけで。
「目標 → 解決」の流れが読者をひきつける。
この考え方は、ストーリー全体だけでなく、各シーンごとにも応用できる。例えば登場人物が危機に陥れば、「ピンチを脱出する」という目標が成立する。ハリウッド映画のシナリオが持つ「バッドニュースとグッドニュースを繰り返す」という構成は、この「目標→解決」の流れの一形態だと見なせる。
この考え方は「シーン」だけでなく、「段落」だとか、「文章」といったもっと小さな単位にも適応できるだろう。
全国一億六千万のワナビのためのアドバイス
http://anond.hatelabo.jp/20091101133004
上記のエントリーに書かれているとおり、『生徒会の一存』のいちばん最初のシーンは、「誰だか解らない登場人物たちの会話」から始まる。読者は「誰だこいつら?」という疑問を持ちながら読み進める。「彼らが何者かを解き明かす」という目標を、自然に読者へと与える演出になっている。
これは「文体」による目標設定の例だ。小説ならではの表現だろう。
まったく同様の例として、福井晴敏『終戦のローレライ』で、主人公が初登場するシーンがパッと思い浮かんだ。
読者に先を読ませるには「目標の設定」が欠かせない。
かつてNHK教育で『ジーンダイバー』というアニメが放送されていた。このアニメ、何と言っても「引き」がすごい。毎回、ラストシーンは必ず主人公がピンチに陥ったところで終わる。次回の最初のシーンで必ずピンチから脱出するのだけど、子供だった私はやきもきさせられたものだ。
ピンチでぶつ切りにするという方法は、読者を飽きさせない手法として有効だろう。宮部みゆき『スナーク狩り』は「読み始めたらやめられない」という徹夜注意の小説だが、この「ピンチでぶつ切り」が多用されている。
では、どれぐらいの密度で「引き」を書くべきなのだろうか。
ここでは小説のライバルを、映画やアニメだと仮定してみよう。映画は120分、アニメならばわずか25分で起承転結を描いている。私たちの生きる宇宙に「時間」が存在する以上、小説もこれを無視することはできないだろう。
230pの文庫本ならば、個人差や文体の差はあれど、およそ2時間〜3時間で読了される。ならば読者は、1ページあたり30秒から45秒で読んでいる。
たとえば映画の脚本ならば「開始から何分以内に事件を起こせ」という常識・定石が存在している。それらを参考にすれば、何ページごとに「引き」を書くべきなのか判断できるはずだ。
私の場合、開始から5ページ以内に「これは面白そうだ」と感じさせる何かがなければ、その本を買うには至らない。なぜなら一冊当たり2〜3分しか立ち読みしないからだ。
あるいは電車通学・通勤をする読者を想定している場合、おそらく13p〜20pごとに「引き」を作るべきだ。平均的な通学時間がどれぐらいなのか知らないけれど、ここでは仮に10分だとしよう。すると上記のページ数がはじき出せる。朝の電車で読んだ部分でお話に動きがなければ、「帰りの電車でも読もう」とは思ってもらえない。そしてあなたの作品は、「積んどく」の仲間入りを果たす。
このように「時間」の概念を用いることで、どれぐらいの密度で「引き」を書くべきなのかを算出することができる。
◆
1.三幕構成
2.シーン数の算出
3.引きの密度
これらを念頭にいれたうえで、私はプロットを作っている。プロットが完成すれば、あとは文章を書き起こしていくだけだ。
小説を書くには、一度にたくさんの問題を解決せねばならない。
三幕構成を綺麗にしようとしたらシーン数が足りなくなったり、ドラマティックなシーンを盛り込んだら「引き」の密度が濃くなりすぎたり、次々に問題が生じる。一つの問題を解決しようとすると、別のところに問題が生まれて……というのも日常茶飯事だ。何より枚数には制限がある。頭がパンクしそうになるので、私はいつも少し大きめのらくがき帳に図形を並べながらアイディアをまとめている。
「アイデアというのは複数の問題を一気に解決するものである」
これは任天堂の宮本さんの言葉。
http://www.1101.com/iwata/index.html
アイディアが問われるのは、斬新な世界観設定や登場人物だけではない。プロットそのものにも、作者のアイディアが問われる。文章ひとつ、単語ひとつの選び方。そういった細部にまで作者のアイディアが宿る。創作とはそういうものではなかろうか。
そしてアイディアが出ないのは、才能が足りないのだ――と思う。