デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

ボードゲーマーの視点から読み解くソーシャルゲーム

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Civilizationシリーズを生み出したシド・マイヤーズいわく、「良いゲームは面白い選択の連続である」らしい。この格言に照らして、ソーシャルゲームがなぜ流行るのか――より厳密には「なぜ人々はガチャを回すのか」を考えてみたい。




ハウス プリンミクス 77g×10個

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1.ガチャは「面白い選択」だろうか?
ガチャは「面白い選択」だろうか?
一見すると、ガチャには選択の余地がないように思える。結果は「運まかせ」であり、戦略も戦術もない。「ガチャを回す」というアクションが面白い選択だとは思えない。
ところが、人間は「運まかせ」の遊びをしばしば喜ぶ。たとえば小学生のころを思い出してほしい。給食であまったプリンをめぐり、白熱のじゃんけんバトルを経験したはずだ。じゃんけんの最適戦略は、グー・チョキ・パーを等しく1/3の確率で出すことだ。つまりプリン争奪戦は「運まかせ」のゲームだ。
たとえば麻雀やトランプの大貧民は、初手に配布されたカードでおおむね勝敗が決まる。だからこそ、自分の手札を確認する瞬間がいちばん興奮する。個人的経験から言えば、MtGでも麻雀でもトランプでも、最初の手札を確認する瞬間がいちばん「楽しい」と感じてしまう。これはなぜか?
さらにMtG等のTCGでは「シールド戦」という遊び方がある。パックをその場で開封して、引いたカードだけでデッキを組んで遊ぶ形式だ。この場合も、パックを開封しているときがいちばん楽しかったりする。このデッキ構築の楽しみをボードゲーム化したのがドミニオンだった。
それどころか、「パック戦」で遊ぶプレイヤーすらいる。パックを開封して、出てきたカードの市場価格が高かったほうが勝ち……という遊びだ。もはやただのくじ引きで、「ゲーム性」は皆無だ。では、パック戦で遊ぶプレイヤーに冷ややかな視線を向けているかといえば、じつは中学生のころは私もやっていた。彼らを笑うことはできない。
どうやら人間は、ランダムで結果が決まるものをよろこぶらしい。
いまさら確認するまでもなく、「賭博」を持たない文化は珍しい。世界のほとんどすべての文化圏に、「運まかせ」のゲームが存在している。
ここで「良いゲームとは面白い選択の連続である」という格言に戻ろう。しかし、ガチャは「運まかせ」であって、そもそも「選択」ですらない。ヒトは運次第のものをよろこぶらしい。今日もソシャゲのガチャには目もくらむような金額が流れ込んでいる。
シドの格言は間違っているのだろうか?




2.シドの格言は間違っているのだろうか?
違うのだ。
シドの格言は間違っていないし、彼の直感は正しい。
ガチャを回す瞬間、プレイヤーは「ガチャを回すか否か」という選択に迫られている。ランダムなのはあくまでも選択の結果だ。ヒトは「運まかせ」のものを面白く感じる。つまり「ガチャを回す」のは、面白い選択の連続なのだ。
逆にいえば、プレイヤーが「自分の選択でガチャを回している」と感じられなければ、そのゲームはつまらないものになってしまう。実質的にはガチャを回す以外に勝ち筋がないとしても、あくまでも「自分の判断でガチャを回した」と感じられなければ、そのゲームはつまらないものになる。
他人の組んだデッキで遊ぶMtGは、自分でデッキを組んだときよりも面白くない。なぜなら「運」の要素を自分で制御できないからだ。どんなにカードの引きが良くても/悪くても、それが自分の選択の結果だとは思えないからだ。
家族や友人とピクニック気分で行く競馬は、とても楽しい。しかし上司や取引先とのつきあいで行く競馬は、つまらない。なぜなら「競馬をするか否か」という選択権がないからだ。
たしかにヒトは「運まかせ」のモノをおもしろがる。が、強制されない場合に限る。
したがってソーシャルゲームの運営側は、プレイヤーにガチャを回すことを「強制」してはならない。ガチャを回す以外の戦略がないとしても、それを大々的にアピールするようなことをしてはならない。ガチャを強制した瞬間、尊敬すべき創造主だった運営は、がめつく醜い拝金主義者になってしまう。
ガチャを回すことを強制するようなキャンペーンは、短期的には収益をもたらすかもしれない。しかしゲームの面白さを損ない、ファンの心を遠ざけてしまう。ゲームの寿命を短くしてしまう。
「ガチャ強制」による収益と、
「ゲームの寿命の短期化」による損失。
前者にくらべて、後者は数値化しづらい。現在のソシャゲに「良いゲーム」が生まれづらい背景には、数値化のしやすさ・しにくさが関係しているのかもしれない。
誰だって「良いゲーム」を作りたいはずだ。
「……でも、それって儲かるの?」
この問いに答えるのは、かんたんではない。




       ◆




人生はゲームだ。「課題・アクション・リアクション」を備えた、正真正銘のゲームだ。人生がクソゲーなのは、選択の余地がないからだ。つまらない選択を強制されているからだ。
よいゲームとは、面白い選択の連続であるらしい。
ならば、よい人生とは








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http://spa-game.com/?p=1774


面白いゲームとは何だー!を真面目に考えてみる。島国大和のド畜生出張所
http://www.4gamer.net/games/000/G000000/20090909001/


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http://www.hiromutaori.com/2013/03/04/130304/



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