読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

冷蔵庫に入るのは、どれほど重たい罪なのか。

冗語
このエントリーをはてなブックマークに追加
Share on Tumblr

愚かな若者の炎上事件が続いている。
冷蔵庫に入った若者を、たくさんの人が叩いている。そういう人々は自分を正義だと信じて疑わない。「そこまで目くじらを立てなくても……」と口を挟もうものなら、「お前はあいつを擁護するのか!」と息巻く。「お前もあの若者と同じように不道徳なヤツなんだな!」とレッテルを貼る。そして、自由であるべきはずのインターネットを、どんどん息苦しい世界にしていく。



佐々木俊尚さんのコンビニ冷蔵庫議論まとめ
http://togetter.com/li/558574



上記のまとめで、佐々木さんは「冷蔵庫に入ること」を「良い」とは言っていない。不道徳な行為であることを認めたうえで、制裁が行き過ぎていると指摘している。この点をハッキリさせないと議論にならない。
ロシアのことわざに、「すずめを撃つのに大砲を使うべきではない」という言葉がある。法学の「比例原則」の説明によく使われることわざだ。罪に対する制裁は、罪の大きさに適したものでなければならない。
それこそハンムラビ法典にも、似たようなことが書かれている。
「目には目を、歯には歯を」
現代人の感覚からすると残酷に聞こえるかもしれないが、この法典は「やられた以上の復讐はすんなよ」と言っている。目をつぶされた仕返しに相手の家族を皆殺しにするようなことはやめろよ、と言っているのだ。
おそらく人間は、制裁や報復の限度をわきまえるのが苦手なのだろう。たとえば古代には、目をつぶされた腹いせに相手を殺すのは当たり前だったのだろう。現代でも、マフィアの抗争で何年にも渡って殺し合いを続けるなんて話は珍しくない。安定した社会を築くためには、「いきすぎた報復」「やりすぎの制裁」を抑止する仕組みが必要だった。そして、法典が作られた。人類は4000年近くに渡って、「いかにして制裁をコントロールするか」の知恵を磨いてきた。



いまのSNSは一種の私刑装置だ。
かんたんに誰かを裁くことができる。制裁を加えられる。
冷蔵庫に入った未成熟な人間を、社会的に抹殺することができる。
すずめを撃つのに大砲を使うべきではない。罰は、犯した罪の大きさに見合ったものでなければならない。しかしネット上で行われる私刑には、裁く側を抑制するものがない。だから罪人を徹底的に追いつめてしまう。
しかし裁く側の人間は、はたして「裁く権利」を持っているのだろうか。いったいどんな理由で「俺にはあいつをさばく権利がある」と言えるのだろう。
「この中で罪のない者だけが石を投げなさい」という聖書の一説は、個人の生きる指針にはなりうるが、正義のあり方としては適切ではない。なぜなら、罪のない者は石を投げてもいいことになってしまうからだ。では死刑執行人には無垢な子供を使うべきなのか。当然そんなのおかしい。
民主主義の社会において「罰を下す権利」は、社会を構成する人々から「あの人には罰を下す権利がある」と認められた人だけに与えられる。ある裁判官が刑を宣告できるのは、宣告する権利を私たちが認めているからだ。制度化された司法試験のしくみを、私たちが認めているからだ。罷免選挙などを通じて彼の存在を認めているからだ。試験や選挙を介して、裁判官に「刑を宣告する権利」を承認し、信託しているのだ。



権利は、他の誰かの権利を侵害しない範囲で最大限認められるべきだ。
しかしSNS私刑においては「冷蔵庫に入ったやつが普通の生活を営む権利」と、SNSユーザーの「コメントを書き込む権利」が対立する。どちらかを優先すれば、どちらかの権利が侵害される。
だから「裁く権利」が問題になる。
「あいつには普通の生活を営む権利がない」と主張するのは、明白な権利侵害だ。しかし裁判官には、「あなたには普通の生活を営む権利が無い」「だから禁固○○年の刑に処す」と宣告する権利がある。それが裁く権利だ。裁判官は社会から「裁く権利」を承認されている。だから、人を裁ける。
一方で、SNS私刑を下している個人は、果たして社会からの承認や信託を得ているのだろうか。この社会を構成する私たち全員から「あなたには罰を下す権利がある」と認められているのだろうか。選挙されたわけでも試験に合格したわけでもないのに、なぜ「俺にはあいつに罰を下す権利がある」と主張できるのだろう。「あいつは悪いことをしたのだから普通に生きる権利はない」と裁けるのだろう。
裁く権利の不明確な人間が他人に重たい罰を下すのは、正義だとは思えない。犯罪的ですらあると思う。
いつか、炎上を苦に自殺する若者があらわれるだろう。もしかしたら私が知らないだけで、すでに亡くなった方がいるのかもしれない。炎上の参加者たちは正義の名のもとに、1人の若者を死に追いやったのだ。裁く権利のない人間が誰かを殺すことを、この世界では「殺人」と呼ぶ。



私はインターネットを愛している。ネットは自由闊達な発言をできる空間であってほしい。炎上を防ぐために発言が規制すべきだとは思わないし、もしもそんな規制を訴えるやつがいれば全力で反発する。
しかし私刑が横行する現状では、いつ規制がかかってもおかしくないと危惧している。たとえば、もしも炎上を苦に自殺する小学生がいたら? 炎上が原因となって血みどろの事件が起きたら? 世間は一気にネット言論の規制へと傾くだろう。
そうならないためにも、私たちは正義のあり方について繊細であるべきだし、もしも私たちが私刑をやめられないほど愚かならば、やはり(すでにたくさんの人が指摘しているとおり)炎上リスクとネットリテラシーの教育を強化するほかないだろう。
誰かの愚かさを笑うとき、人は自分の愚かさを忘れている。
人は誰しも生まれながらに愚かだ。恥ずかしさのあまり枕に顔を埋めて足をバタバタしたくなるような愚かな経験を、誰だって持っている。私は、人間のそういう愚かさを赦したい。愛したい。そして何より、すずめを撃つのに大砲を使うような愚か者ばかりではないと、信じたい。








罪と罰〈上〉 (岩波文庫)

罪と罰〈上〉 (岩波文庫)

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

妹がゾンビなんですけど! (スマッシュ文庫)

妹がゾンビなんですけど! (スマッシュ文庫)

.