デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

なぜ黒人は足が速いのか/あるいは、なぜ男はレイプをするのか

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子は親に似る。足の速い親からは、たぶん足の速い子が生まれるだろう。美人の娘は、おおむね美人だ。高学歴の親を持つ子供は、それなりの学歴を手にするはずた。教育への投資額や、読書・学習の習慣など、家庭環境が多大な影響を与えている。しかし、記憶力や数理計算能力などの生まれつきの形質を――遺伝的な影響を否定する客観的な理由は見当たらない。
生まれつきの性質で人を差別してはいけない:私たちはそういう倫理観を持っている。
しかし倫理観で、客観的な事実をねじ曲げてはいけない。遺伝の法則を見つけた牧師メンデルは、教会から痛烈な批難を受けた。生き物の形質は神の与えたもうたモノで、遺伝子などあってはならないとされたのだ。倫理観が、科学をねじ曲げようとした。
私たちはヒトである以前に哺乳類であり、有性生殖をする真核細胞生物だ。
私たちは生まれつき多様な個性を持っているし、遺伝子の法則に支配されている。自然のものであれ人為的なものであれ、「選択」によって遺伝的形質が左右されることはあるだろう。「人は生まれつき平等!」という倫理観を持っているからといって、ヒトが一様で没個性なクローンとして生まれてくると考えるのは誤りだ。
今回の記事は、下記のリンクに刺激されて書いた。



「モテと遺伝と国民性」…NHK番組、さりげなく「タブー中のタブー」に触れてるんだが!
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120807/p2



――ヒトを“品種改良”することはできるだろうか?
20世紀初頭に生まれた恐ろしいアイディアは、「優生学」へと発展していく。優生学はエリートたちの心を奪い、ナチスドイツの蛮行を許した。
特定の形質を持つヒトだけに生殖を許すことで、ヒトの形質そのものを変える――ヒトの“品種改良”は、おそらく可能だ。しかも、あまり時間はかからないだろう。(※選択・選別の厳しさにもよるが)



野生動物の家畜化を実験・研究するロシア、ノボシビルスクの施設を訪ねて
http://karapaia.livedoor.biz/archives/52028484.html



ヒトの“品種改良”とは、いうなればヒトの家畜化である。
キツネや野生山羊の家畜化がほんの数世代で可能ならば、同じ哺乳類のヒトだけが特別だとは考えづらい。16世紀以降、黒人奴隷は“商品”として世界中に流通していった。奴隷労働に適したヒトだけを選んで、選択的に繁殖させる。そういう非人道的な行為がまかり通っていた。ヒトを品種改良するというアイディアは20世紀になって突然登場したものではないし、他の哺乳類の例を見れば、充分に可能だと考えられる。
ところで家畜化された動植物は、自然界では絶滅する可能性が高い。たとえば野生種のアーモンドは種子を守るために青酸系の猛毒を持っているが、栽培種にはそれがない。野生のイノシシはちょっとした物音にも身を隠すが、家畜化されたブタは繊細な警戒心を失っている。外敵から身を守ったり、餌を探したり――。野生の生物ならば当たり前にできる行動を、彼らは遺伝的に失っているのだ。清潔な環境で育成されるため、病気にも弱いだろう。彼らは遺伝的な多様性に乏しく、環境への適応度が著しく低い。
遺伝的な多様性は、環境への適応度を高くする。
多様性が低くなれば、種の存続が危うくなる。
ヒトを品種改良するということは、ヒトの遺伝的多様性を積極的に低くしようとする行為だ。ヒトの適応力を下げようとする行為だ。種としてのヒトの存続を危ぶませる、愚かな考え方だ。



それからもう一点、優生学は極めて重大な問題を抱えている。「優秀なヒトの遺伝子を残す」というが、「優秀」の定義があまりにもあいまいなのだ。
上述のリンクで、ライターさんは次のように述べている。

「(遺伝子レベルの)民族性・国民性は存在する」
「XX人は(遺伝子レベルで)○○の傾向がある、と言っていい」
ってことになるじゃん!!

結論から言うと、「ならない」
足の速さであるとか、記憶力、数理処理能力など、個別具体的な形質については比較検証が可能だろう。しかし「国民性」は条件があいまいすぎて、科学的な検証に耐えない。(※正確な「国民」の定義を私はいまだに見たことがない)
たとえば「知的能力が高い」と一言でいっても、「知的能力」を定義するのは難しい。遺伝的な検証ができるレベルまで落とし込むのは、ハッキリ言って不可能だ。記憶力だけがよくても頭がいいことにはならないし、数理処理能力が高いだけでも賢いとは言えない。
そもそも、この宇宙に客観的な「善/悪」は存在しない。それを判断するのはヒトの主観だ。遺伝子も同じだ。遺伝子には客観的な「優秀/低劣」の区別はない。ただ多様性があるだけだ。ある遺伝子を「優秀」だと見なすかどうかは、見るヒトの主観に左右される。
もしも、あなたが自分を優秀な人間だと考えているとしよう。遺伝的に優秀な形質を持っていると、信じているとしよう。
しかしあなたが優秀なのは、周囲の社会環境があなたに有利に働いただけだ。過去20年を見れば分かるとおり、社会環境はごく短期間で劇的な変化をとげる。「美人な顔」の定義が時代によって変わるように、あなたの持つ遺伝的な形質が、たまたま現在の社会環境で「優秀」な働きをしただけだ。あなたが優秀なのは、あなたが遺伝的に優れているからではない。周囲の環境に恵まれたにすぎない。



また遺伝子の分布に地域的な偏りがあるとしても、その原因を解明するのは困難だ。
たとえば日本人の約2割は血液型がB型だが、イギリス人では1割に満たない。地域による遺伝的な偏りは、たしかに存在している。(※1)
鎌形赤血球貧血症はアフリカ大陸に多く、マラリアが原因だと言われている。ところが過去には日本やイタリア、ロシア、韓国など、世界中でマラリアは発生していた。遺伝的な偏りには気候、経済、習慣、そして血縁などの複雑な要因が絡んでおり、マラリアだけで説明することはできない。
したがってケニアのナンディ族から俊足の選手が多数輩出されており、「足を速くする遺伝子」の偏在が予想されるとしても、その原因を「牛泥棒の習慣」だけに求めるのはあまりにも軽率だ。



       ◆



優生学が目指すように、ヒトの“品種改良”は可能だろうか:答えは「可能」だ。遺伝的な形質を選別することで、子孫の形質を変化させることはできる。しかし結果として、子孫の遺伝的多様性を損なってしまう。
国や地域によって、遺伝的な偏りはあるだろうか:答えは「ある」――世界には70億人のヒトがいて、70億通りの遺伝的多様性を持っている。ただし、個別具体的な偏りを調査することはできても、遺伝的な「国民性」を定義することはできない。条件があいまいで、主観的にならざるをえないからだ。また、遺伝的な偏りの原因を一つに絞ることはできない。生物はそんなに単純ではない。



「である」ことと、「であるべき」ことは違う。
これは男女の性差にもいえることだが、生まれつきの差異があるからといって、それを社会的な規範にしてはならない。男は平均的に、女よりも見栄っ張りかもしれない。女は平均的に、男よりもお喋りが好きかもしれない。しかし「男/女は○○である」からと言って、「○○であるべき」と考えるのは誤りだ。謙虚な男がいてもいいし、無口な女がいてもいいのだ。
フェミニズムの初学者は、男女に性差はないと考えがちだ。極端な反差別主義者は、ヒトに遺伝的な差異があることを認めたがらない。しかし、それらは個性の否定であり、多様性の否定である。現実世界では70億通りの“異なる他者”が、ともに生きる道を探している。
レイプの衝動を持つ男は、それを持つ女よりも多いだろう。だからといってレイプを正当化することはできない。ともに生きる道を閉ざすからだ。
何度でも言おう。「である」ことと、「であるべき」ことは違う。
客観的な観測結果と、主観的な倫理観は違う。倫理が科学を歪めてはならないように、科学もまた倫理を歪めてはならない。私たちの倫理観は――「正義」は、私たちの主観をすり合わせるところから生まれる。この宇宙に「正義」はない。それを決めるのは人類だ。



優生学は愚かな考え方だ。ヒトの遺伝的多様性を積極的に失わせることで、人類の存続を危うくしてしまう。そういう実害がある一方、「優秀な形質」を定義できず、何一つメリットがない。さらにヒトを“品種改良”するという発想は、ヒトを家畜同然とみなす考え方であり、倫理的にも正当化できない。
にもかかわらず、優生学に魅せられる人は多い。
笑ってしまう。「優秀な人の遺伝子を残したい」と発言する人は、自分が優秀な遺伝子の持ち主だと信じているのだ。もしも優生学が許されるのなら、そういう見識の浅い人間の遺伝子を残すべきではないだろう。




結婚帝国 (河出文庫)

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眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く

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ヒトは食べられて進化した

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東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ (ちくま文庫)

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※参考


国別・人種別血液型シェア
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9450.html


鎌状赤血球貧血症とマラリアの分布
http://fnorio.com/0080evolution_theory1/sickle_cell_anemia1/sickle_cell_anemia1.htm



(※1)なお、「血液型は性格に影響する」という迷信はそろそろやめましょう。「あなたはAB型だから個性的な人だ」と言われ続けることで、本当に個性的な人として育ってしまうことはあるかもしれません。しかし血液型の遺伝子が性格に影響するとは考えにくいです。