デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

オタクのいと高う降りたるを/すべての文学はコメディである、かも。

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まずは落ち着いてこれを見て欲しい。こいつをどう思う?
農業高校を舞台にしたライトノベルだ。









白鳥士郎『のうりん』の試読版をキャプチャしたものだ。GA文庫のHPから確認できる。
http://ga.sbcr.jp/mgabunko/017740/





すごく……頭おかしいです……(褒めてる)





娯楽に特化した、ライトノベルらしい快作だ。イラストレーターの切符さんとは同人誌JAS-SKY-MOKKORでご一緒した。そのよしみもあって、普段はあまり手に取らないラブコメライトノベルに挑戦することができた。焼き栗を拾うつもりで恐るおそる手を出したらTNT爆薬を掴んでしまったような感じだ。いい意味で地雷。何度こらえきれずに爆笑したかわからない。とてもじゃないが電車のなかで読めない危険文書だった。




のうりん (GA文庫)

のうりん (GA文庫)

※表紙が可愛すぎてレジに持っていくのに勇気がいった。イイイイラストレーターさんが知り合いだから買ったのであって本当はこういう萌えるラブコメなんかに、き、興味なんてないんだからねッ!




ななめ上にぶっ飛んだギャグセンスもさることながら、特筆すべきはパロディの多さだ。
マンガやアニメはもとより、ネットのスラングや他の出版社の小説からさえもネタを引用している。仕込まれたパロディの数は膨大で、私はいくつか見落としていると思う。ていうか、すべてのパロディをくまなく理解できる人なんているんだろうか。「生存戦略しましょうか」の一言にはのけぞった。どう考えてもネタを仕込むのが早すぎでしょう。
2chラノベ板では当然、元ネタリストが作成されているようだ:


『のうりん』元ネタリスト‐主にライトノベルを読むよ^0^/
http://d.hatena.ne.jp/nunnnunn/20110817/1313542015
ラノベ板住人たちの困惑ぶりを見よ。


この長大なリストから分かるとおり、本作をあますところなく味わうためには、かなりのオタク的素養が必要になる。ガンダムエヴァだけ見て「俺はオタクだからwww」と勘違いしている一般人には決してオススメできない。まあ、かくいう俺もオタクじゃないけどな! 観ているアニメがここ数年で増えただけの一般人だ。それでも『のうりん』をゲラゲラ笑いながら読めたのは、えっと、きっと、偶然に違いない。




で、思った。
「100年後の人が『のうりん』を読んだら、いったいどう思うだろう」って。




現在のオタク的コンテンツのほとんどが衰退・消失しているはずだし、この「元ネタのリスト」を調査するなんて、アカデミックな研究になっているはず。いいや、そもそもラノベが大学の研究対象の立場に収まっているかどうかも怪しい。コンテンツの新陳代謝は年を追うごとに速くなっており、5年後の人たちでさえ理解できないネタがあるだろう。まして100年後だ。現在の私たちと同じように楽しむなんて、できっこない。
逆に考えれば、私たちだって100年前の作品をきちんと理解することはできないのだ。現代でこそ高尚なブンガクとして扱われている作品が、当時の人にとってはラノベと同じような超・娯楽作品だった可能性は大いにある。




勝手に生きろ! (河出文庫)

勝手に生きろ! (河出文庫)

チャールズ=ブコウスキーは70年代を代表するアメリカ人作家だ。『勝手に生きろ!』は友人から「すごくいいぞ!」と熱烈にオススメされたものの、最初の数ページを読んだきり長らく“積ん読”していた。行き当たりばったりで着地点の見えない物語を、どう楽しめばいいのか分からなかったからだ。
ところが最近その面白さがちょっとだけ分かり、少しずつ読み進めている。
文庫版『勝手に生きろ!』には翻訳者の手による解説がついている。それがヒントになった。「ブコウスキーの魅力は“身も蓋もなさ”にある。この作品を楽しめるかどうかは、そのくだらなさをユーモアとして笑えるかどうかによる(超訳)」というようなことが解説に書かれていた。つまり『勝手に生きろ!』は究極の自虐ネタ・コメディ小説だったのだ!
そういう視点で読むと、確かに面白い。

「なあ」おれは言った。「おれは天才だけど、そのことはおれしか知らないんだ」
p84


この台詞のバカっぽさときたら!
「俺はまだ本気出してないだけ」のコピペと全く同じで笑える。この主人公は全編を通じて、だいたいいつも仕事もせずに酒ばかり飲んでいる。
そんな彼が職安を訪れるシーンには、こんなやりとりがある。

「君に向いた仕事はこれだ」
「はい?」
「公衆衛生労働者」
「なにそれ?」
「ゴミの収集人だよ」
「やだよ、そんなの」
(中略)
「なにが不満なんだ? そんな仕事はイヤだっていうのか? 週四十時間。保障もある。生涯にわたる保障だよ」
「じゃあ、あんたがやればいい。今の仕事はおれがかわるから」
 p160〜p161


この皮肉っぽい切り返し。一休さんもびっくりのトンチが利いている。
こうやって「笑えるポイント」を見つけながら読むのが、この小説の“正しい読み方”である――かどうかは分からないけれど、正しい“楽しみ方”だってことは胸を張って言える。自虐系コメディだと捉えれば、物語が行き当たりばったりなのもうなずける。現在のラノベでも、コメディ色の強いものでは最大瞬間風速的な笑いが重視され、物語の全体構造はそんなに重要ではない。そう、ブコウスキーはコメディ作家だったのだ、ハーレム展開もあるよ!
いまの私たちが高尚なブンガクとしてありがたがっている作品が、刊行当時の人たちにとってはくだらない娯楽だった可能性はある。ここでの「くだらない」は褒め言葉だ。現代の『のうりん』がそうであるように、当時の人にしか分からなパロディが大量に仕込まれているかもしれない。ほんの三十年前の作品ですらそうなのだ。もっと昔の作品なら、その面白さを理解するのは不可能に近い。





枕草子 (岩波文庫)

枕草子 (岩波文庫)

だから平安文学を学校教育で扱うなんてのは、正気を疑うレベルの酔狂な所業だといえる。当時の人たちはゲラゲラと笑いながら回し読みしていたかも知れないのに、現代人は眉間にしわをよせて「平安貴族の風俗が〜」とかクソ真面目な分析をしているのだ。はっきり言ってコントだ。
古典文学は、世の高校生たちの頭を悩ませ、「受験が終わったらもう二度と読まない!」と決意させる。これは日本人を国語嫌いにするための某国の陰謀に違いない(キリッ




『のうりん』を読み解くにはオタク的素養が必要だった。では、平安文学を読み解くのに必要な素養とは何だろう。答えを教えてくれるエピソードが『枕草子』にある。

枕草子』第二百九十九段
雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子(みこうし)まいりて、炭櫃(すびつ)に火おこして、物語などして集まりさぶらふに、「少納言よ、香炉峰(こうろほう)の雪いかならむ。」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾(みす)を高く上げたれば、笑はせたまふ。
人々も、「さることは知り、歌などにさへうたへど、思ひこそよらざりつれ。なほ、この宮の人には、さべきなめり。」と言ふ。


あまりにも有名な一節だ。もしかしたら必修科目なのかも。/古典が苦手だった私は、この雅やかな文体を見るだけで頭痛がする。なので詳しい説明は受験参考書に任せるけれど、忘れちゃった人のために簡単に解説しておこう。

雪の降る冬のある日、中宮定子(えらい女の人)を囲んで女たちがペチャクチャお喋りをしていた。定子がおもむろに「ねえねえ、少納言! 香炉峰の雪ってどんな感じかなー?」と訊いた。(※中国の詩人・白楽天の詩に「香炉峰の雪は簾を撥(かか)げて看(み)る」という一節がある。定子はそれを元ネタに、清少納言にネタが通じるかどうか試したのだね)
すると清少納言が期待通りに御格子を上げさせて雪景色を見せたので、定子は大満足。にっこりと微笑んだ。
この様子を見ていた他の女房は口ぐちに、「少納言さんまじパネェっすわー」「白楽天の詩ぐらいみんな知ってますけど、実際に格子をあげさせるだなんて…… そ の 発 想 は な か っ た !」「やっぱり定子様につかえている人はレベルが違いますわー」「さすが少納言さん! あたしたちにできない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる! あこがれるゥ!」と褒めそやした。

ここでは白楽天漢詩をネタに、清少納言の教養深さが描かれている。そう、当時の人々の基礎教養は漢詩漢籍だ。現代のオタクでいう『ジョジョ』や『エヴァンゲリオン』みたいなものである。白楽天は当時の荒木飛呂彦だった。


余談だけど、「清少納言の教養深さ」を描いたこのエピソードを、清少納言ご本人が書いているんだよね。「ごっめーん! あたしってば教養がありすぎちゃってさ〜 てへぺろ☆(・ω<)(CV.戸松遥)」と自慢話をしているのだ。えっと、なんつーか、萌えるではないか。自意識過剰ぎみの秀才キャラ、しかも高貴な血筋だ。いったいどこのギャルゲだよ。もしも私がキモオタだったら、清少納言たんペロペロ(^ω^)いとをかしハァハァ! と萌え狂うだろう。勢いあまって抱き枕とか作ってしまうかもしれない。くどいようだけど俺はオタクじゃないのでそんなことしないけど。


間違っても地獄のミサワっぽいキャラを想像してはいけない。「つれーわー! あたし教養ありすぎてつれーわー!」「白楽天? ああ、知ってる。二年くらい前に流行ったよね。読んだことあるわー、二年くらい前に」



地獄のミサワ女に惚れさす名言集
http://jigokuno.com/
※いつもの習慣でリンクを張ってしまったけど、いまどき知らない人なんているのか?





ともかく、枕草子には当時流行っていた漢籍のネタが大量に含まれているであろうことは間違いない。
そして、そういう元ネタのなかには、忘れ去られ、現在では存在を知ることすらできないものもあったはずだ。もしもそういう“消えた元ネタ”が大量にあるとすれば、現代人が枕草子をほとんど楽しめないのも当然である。ドラゴンボールを知らずに『のうりん』を読むようなものだ。
枕草子がパロディだらけの爆笑エッセイであった可能性は否定できない。




日本の文壇では、なぜか笑いは低く評価されがちだ。井上ひさし北野武のような喜劇出身の文化人も少なくないのに、どういうわけか評価されるのは真面目くさった堅苦しい作品ばかりだ。そういう風潮が、底抜けに明るいアメリカンホームドラマを指して「米国中産階級の家庭の悲哀を描いた……」と言うような誤評を招くのだ。なんでもかんでも“悲哀”を描いたものが偉いだなんて、間違っている。
なにより、人を笑わせるのは怒らせるよりも難しい。
このことは肝に銘じておきたい。























あと、もしも清少納言たんの抱き枕を作った人がいたら連絡ください。



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