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イクメンの時代/『うさぎドロップ』に泣かされてしまったよ……

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アニメ『うさぎドロップ』のデキが非常によろしい。


あらすじ:
30歳独身のサラリーマン・ダイキチは、祖父の葬式で六歳の少女・りんと出会う。彼女は死んだ祖父の隠し子だった! りんを邪魔者あつかいする親族にしびれを切らせたダイキチは、彼女を引き取ってしまうのだが……



こういうセクシャルな要素を廃した男女関係が、今の20〜30の男にはグッとくるのかもしれない。よく似た作品としてはマンガ『よつばと!』の大ヒットが印象的だ。「イクメンもの」という一つの巨大なジャンルを形成している。

よつばと! (1) (電撃コミックス)

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マイガール 1 (BUNCH COMICS)

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リューシカ・リューシカ 1 (ガンガンコミックスONLINE)

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セクシャルなものが絡むと、どうしても「大人同士の関係」になってしまう。いい歳こいた大人に対して保護欲をかき立てられないのは当然だ。が、男性消費者はいまだに「保護欲」を持っていて、フィクションはそれを満たしてやらないといけない。だから「子供」なのだ。よつばにせよ、りんにせよ、リューシカにせよ、性的な対象にはなり得ないほど幼い。彼女たちの可愛さは「子供である」からであって、「女である」からではない。(ただし世の中には、りんに対して良からぬ情動を覚える男もいるらしい……。まあ、その、なんだ……アグネスさんこっちです!)
よつばや、りんは確かに萌える。だけど性的な対象にはなりえない。むしろそういう眼で彼女たちを見る男に「指一本触れさすまい!」というお父さん的感情になるのが普通だ。





では、なぜこういった作品がウケるのだろう。
例えば20年ほど前なら、まず流行らなかっただろう。子育ては長きにわたって「女の仕事」とされてきた。フィクションの世界でも同様で、『ママは小学四年生』のヒットに見るように、赤ん坊や幼児を可愛がるのが「良い女の子」の条件となっていた。(知らない人のために補足しておくと、『十四歳の母』や『コドモのコドモ』みたいなお話ではありません。どちらかといえば『Steins; Gate』に近い)

ママは小学4年生 DVD-BOX(1)

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当時、フィクションのなかで「男が子育てに関わる描写」があったとしても、「不慣れなことをして大失敗」のようなコメディとして処理するのが精一杯だった。いまの「イクメンもの」のような作品は寡聞にして知らない。


14才の母 愛するために 生まれてきた DVD-BOX

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コドモのコドモ (1) (ACTION COMICS)

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ところが『よつばと!』『うさぎドロップ』などのイクメンものでは、「男が子育てをしている」こと自体がネタにされることは滅多にない。とーちゃんもダイキチも、ごく自然に子育てをしている。いうまでもなく、この違いの背景には時代による価値観の変化がある。今の時代、「子育ては女の仕事」なんて言葉はジョークにしかならない。


このブログでは以前から書いているとおり、古典的な男女関係には「守る―守られる」という不文律が存在する。女はチカラを持たず、可憐で美しいことがよしとされた。そして男には、そういう女を「守る」ための強さが求められた。
男の持つ「女を守りたい願望」――それを鼓舞するような作品が、太古の昔から作られ続けてきた。最近なら『涼宮ハルヒの憂鬱』におけるハルヒや、『電波女と青春男』におけるエリオのように、フィクションのヒロインたちは多くの場合で「手がかかる」。ピーチ姫などは端的な例だが、「男に助けられること」が作中での彼女たちの存在意義である。
こうしてみると、「女を守りたい願望」は単なる保護欲というよりも、「ヒーローになりたい願望」といったほうが良さそうだ。ほら、男の子なら中学生までに一度は妄想するでしょう? 教室がテロリストに占拠されるけど機転を利かせてクラスメイトを救う自分――ちなみに俺はいまでもそういう妄想します。「ヒーローになりたい願望」は誰もが持っている。
ところが現代では(まだ充分とは言い難いが)女性の社会進出が進んだ。反面、若年層の低所得化は止まらず、若い男たちは「誰かのヒーローになる」ことが出来なくなった。少なくとも「大人の女を守る俺」にリアリティを持てない時代となった。だから、子供を守るのだ。


じつを言うと、この価値観の変化について長々と文章を準備していた。が、読み返してみたらイマイチだったので、今回のエントリーではアニメ『うさぎドロッブ』の演出のすばらしさについて書きます。



   ◆ ◆ ◆



『うさぎドロッブ』の演出のすばらしさは、セリフのみに頼らず、キャラクターの演技・表情などの非言語的なもので物語を展開しているところだ。『うさぎドロッブ』に限らず、今夏はそういう作品が多い。例えば『異国迷路クロワーゼ』では、言葉がうまく通じないことを逆手に取った演出で見る者を感動に導いている。





※第一話のワンシーン。りんの行き先はまだ決まっていない。明るく賑やかな側にいるダイキチと独りぼっちのりんの対比が印象的なシーン。二人の間は柱で仕切られている=別の世界で生きている。


一緒に暮らしているうちに、二人の距離はどんどん近づいていく。少しずつ信頼関係を作り上げていく。その総仕上げとなるのが第三話だ。第三話を通じて、二人はついに親子のような親密な関係にたどり着く。


     ◇


第二話のラストで「りんがおねしょをした」ことから第三話は始まる。


ダイキチは同僚の後藤さんに相談する。後藤さんには二歳になる子供がいて、いわば先輩ママだ。もとは営業ウーマンとしてバリバリ働いていたのだが、妊娠をきっかけに自ら降格を希望、定時で退社するようになった。仕事と子育てを両立させた先人として、ダイキチは後藤さんにアドバイスを求める。




「いつまで預かるつもりなの?」という彼女のセリフがなかなか示唆的だ。世間の常識から考えれば、ダイキチにはりんを預かる義理なんてない。その気になれば他の親族や施設にりんを任せたって、誰からも責められない。退社時間が不安定な職場にいるのだから「子育てなんて無理だ!」とネを上げたって構わないのだ。
しかしダイキチは「とくにいつまでとは決めてないですけど……」と飄々と答える。大らかな性格のダイキチらしい返答だ。
「それより、最近りんのやつ、おねしょするんですよ……」





ダイキチ「本人はすげー気にしてるみたいで……」
後藤さん「そっかー。精神的なものかも知れないけど……」
※大人二人の会話にかぶせて、保育園でのりんが映される。りんの視線の先には……?




(クルッポー)



(こどもで悪かったな的な表情)





週末になって、ダイキチはりんと二人で実家に向かう。




※あやとり、お手玉をきっかけにダイキチの両親たちとも打ち解けていく。




※この幸せそうな表情ったら!


実家を訪ねたのは、祖父の遺品を調べて、りんの実の母親の手がかりを探すためだ。母子手帳だけを残し、りんの母親は姿を消していた.手がかりは母子手帳に記された「正子」という名前だけだ。




※誰もいなくなり、時間の止まった祖父の家




※止まった時計





※ダイキチの手で再び動き出す。



結局、ダイキチは祖父の家でめぼしい手がかりを見つけられなかった。
その間に、りんはすっかりダイキチの家族と馴染んでいた。




※大切に保管してあった子供服を引っ張り出し、りんをアイドルのごとく可愛がる大人たちの図。





帰り際には、なにか言いたげな表情でダイキチの袖をひっぱる。


りん「また来ていい?」




ダイキチ「また来ていいか、ってさ」





ダイキチの母「おばちゃん待っているから、いつでも来てちょうだいね」




こうしてりんは、ダイキチの家族とも距離を縮める。




帰りの電車のなかで、ダイキチは衝撃的な事実を知らされる。
どうやら、りんの母親は実の娘を嫌っていたようなのだ。



あまりの衝撃にかたむくカメラ。古典的だけど効果的な演出。



そして週明け。ダイキチは再び後藤さんと昼メシを食べにいく。




ダイキチ「今さらですけど、働きながら子育てって大変ですよね」
ダイキチ「後藤さんはお子さんのことで、自分が犠牲になっているって思ったこと、あります?」
後藤さん「配置変えのこと?」
ダイキチ「すみません、失礼は承知なんですけど……」
後藤さん「うーん、あの時はそれが一番いいと思ったし、まぁ、結果オーライでいいんじゃない?」
後藤さん「でも、仮にそういうことがあったとしても、言葉にしてしまうのはイヤだな。言葉のチカラは強烈だから」


後藤さんとの会話で勇気づけられるダイキチ。また子供のことで相談しあおうと、二人は約束する。



そして、その夜――。



ここからが第三話のいちばんの見せ場。りんとダイキチの距離がどんどん近づいていく。
深夜は、見えないものが姿を現す時間だ。幽霊だけじゃない。例えば神話の勇者が神託を受けるのはだいたいいつも夜だし、恋愛映画で愛を告白するシーンは、夜のほうが様になる。映画『タイタニック』でジャックとローズが出会うのも真夜中だった。
夜は、あちらの世界とこちらの世界がつながって、昼間は越えられなかった「なにか」を越えられる時間帯なのだ。




※眠りこけるダイキチが、ふと目を覚ますと……




※隣で寝ているはずのりんがいない。




※なぜか着替えているりん




※そしてこの顔である。





ダイキチ「りん、俺のこと起こしていいんだぞ」




りん「でも……汗だから!」




ダイキチ「汗だろうと何だろうと、いいって」




ダイキチ「怖い夢、見たのか?」




りん「死ぬって、どういうふう?」
りん「だいきち、あたしより先に死んじゃうの?」


ダイキチ「……ッ!?」






ダイキチの独白(じいさんが死んだ悲しさ、俺が死んだらどうしようという不安、自分の死への恐れ……)


ダイキチの独白(いろんなものが整理できないまま、ぐちゃぐちゃになってんだな……)
※この独白は丁寧だなぁと感じた。無くてもりんの心情は想像できる。が、あったほうが感動が増す。







ダイキチ「りんがおねえさんになるまでは大丈夫」
りん「おねえさんっていつから?」




ダイキチ「いや、りんがおばさんになるまで大丈夫!」




ダイキチ「それまでは絶対に死なん!」




ダイキチ「任せとけ」
りん「……うん」




ダイキチ「おねしょのことも気にするな。寝る前にトイレに行っておけば大丈夫」
りん「怖いもんトイレ」
ダイキチ「夜はついて行ってやるから」




ダイキチ「それでもやっちゃったときは……着替えるだけだ」
りん「……怒られる?」
ダイキチ「怒られることじゃないし、笑われることでもない」
りん「……うん」



このシーンで、りんとダイキチの物理的な距離はどんどん近づいている。深夜は「見えないモノが姿を現す」時間なので、ここでは二人の物理的な距離が、そのまま二人の心の距離を示している。
「絶対に死なん!」で、二人の距離はゼロになるのだ。





次のシーンでは、ダイキチが「残業のない課に異動させてくれ」と上司にかけあう。
彼が仕事よりも子育てを優先させた結果であり、りんの父親代わりとなって彼女を育て上げるというダイキチの覚悟がわかる。




ダイキチの独白(いま俺が「これは犠牲じゃない」って言い切るのはウソくせえから、何年かあとにそう思えたらいいなって思う)
この独白で第三話は締めくくられる。


     ◇




そしてCパート


ダイキチ「りん、おしっこ行ったか?」
りん「もう行ったもーん」
ダイキチ「あっそ」
※りんはトイレが怖いからウソをついており、ダイキチもそれを見抜いている――ように俺には見えた。ウソがお見通しなのは心の距離が近いからこそ。つまりこのCパートは、二人が親子になったことを確認する部分になっている。
※あるいは「心理的な問題が解決したので、もうおねしょの心配はなくなった」とも解釈できるね。



 ◆ ◆ ◆



以上のように『うさぎドロップ』では各キャラの表情やしぐさを丁寧に描写することで、彼らの心情を活きいきと描き出しています。
冬アニメや春アニメではセリフを重視した作品が多く(たとえば『まどか☆マギカ』もストーリー展開を支えているのはセリフだった)、比べて今夏は演技でお話を転がす作品が多くて楽しいです。どっちが面白い・優れているとは言えませんが、演技重視のほうが映像作品らしさが際だつように感じるかな、俺の場合。実写映画っぽくてなんだか嬉しい。


うさぎドロップ (1) (FC (380))

うさぎドロップ (1) (FC (380))

ちなみに『うさぎドロッブ』の原作マンガは大人買いしました。勢いあまって。






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※『ロウきゅーぶ』もイクメンものの亜種だよね、とコメントしそうになってやめた。






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