デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

戦争について書くということ。

f:id:Rootport:20220304194003j:plain

 

 戦争についてブログを書くことに、ためらっていました。それでも我慢できず、前回は記事を更新してしまいました。私は専門家ではないし、信頼できる分析などできません。それでも〝今の気持ち〟を書かずにはいられませんでした。

 10年後に読み返すために。

 どんなことを考えていたのか、記録しておくために。

 そして、これが私なりの戦い方だから。

 

 私は三木谷社長のように巨額の義援金を送ることはできません。外交官のように交渉の座につくことはできないし、義勇兵として外国人部隊に志願することもできません。

 反面、それなりのフォロワー数を持つTwitterアカウントを持ち、それなりのPVのあるブログを持っています。今の私にできる〝戦い方〟は、プーチンプロパガンダを解毒するような記事を書くことかもしれません。それはウクライナ側のプロパガンダ戦略に協力することに繋がります。それでも「プーチンに正義は無い」という話を書きたい。「ウクライナが勝つべきだ」と書きたい。

 ウクライナの人々が勇猛に戦えば戦うほど、戦争は泥沼化します。双方の被害は拡大する。たくさんの人命が失われる。この世に〝人道的な戦争〟などあり得ません。どんな形であれ、戦争に協力することは非人道的なことです。間違ったことです。

 ウクライナの人々に「武器を置いてくれ」と言いたくなる日本人の気持ちが、私には分かります。日本は戦争に降伏したことでむしろ豊かになった、歴史的にも稀有な国です。第一次世界大戦後のドイツほどの経済的混乱を経験していないし、ウクライナ人のようにホロドモールを経験していません。民族浄化同化政策も受けていません。日本人が、これ以上の流血の惨事を見たくないという気持ちはよく分かります。

 私も、そういう日本人の1人だからです。

 

 それでも、今の世界ではたくさんの人がウクライナ側に肩入れし、徹底抗戦しようとする彼らを応援しています。

 これは、なぜか?

 ウクライナの作り上げた「ゴリアテに立ち向かうダビデ」という物語に心を動かされた人は少なくないでしょう。現代の戦争では〝PR合戦〟も重要であり、その結果が戦争の勝敗さえも左右すると言われています。元コメディアンで俳優のゼレンスキー大統領を頂くウクライナは、この点では強い。プロパガンダ合戦では勝利して、世界中の世論をウクライナ側に傾けることに成功しました。

 けれど、誰もが感情で動いているわけではありません。

 感情では今すぐ降伏して流血を止めてくれと願いながら、理性では戦い続けてもらわないと困ると判断を下している――。そういう冷酷な人間も多いのです。

 

f:id:Rootport:20210813143738j:plain

 この戦争は、巨大な「トロッコ問題」です。

 プーチンは武力で他国を征服しょうとしています。もしもプーチンが勝利すれば、それが許されるということになってしまう。世界の秩序は19世紀以前に後戻りしてしまいます。

 世界中の野心的な支配者たちが、侵攻をためらわなくなるでしょう。日本の近くでいえば(すでに多くのメディアが指摘している通り)台湾有事の生じる危険性が高まるでしょう。今はまだ生まれていない〝未来の独裁者たち〟も、プーチンを教科書にするでしょう。世界中で、今後の数世紀で、何億人という人が戦死するでしょう。

 それを防ぐためには、今、プーチンに勝たせてはならないのです。

 たとえウクライナが降伏したとしても、プーチンに無傷で勝たせてはなりません。彼の政治基盤に、深い傷を負わせなければなりません。「領土的野心を持つことは現代ではもはや割に合わないのだ」という事実を、歴史に刻まなければなりません。

 これは、ウクライナの人々に戦い続けてもらわなければならないことを意味しています。ウクライナとロシアの罪なき兵士たちに、命を賭してもらわなければならないことを意味しています。この戦争は巨大なトロッコ問題なのです。この戦争に対する態度を決める時、私たちはトロッコ問題を解かなければならないのです。

 

 

QT「(※トロッコ問題の)シナリオが示していることは、本源的に、善い選択肢がない状況、つまり『悪い/もっと悪い』しかない状況である。つまり、正義や善を追求する実践理性が立ち往生するほかない状況だ」

――『太った男を殺しますか?』解説/大澤真幸(p294)

 

 トロッコ問題を前にすると、私たちは立ちすくみます。

 なぜならヒトの脳は(おそらくは本能的に)できるだけ〝良い〟選択肢を見つけようとする傾向があるからです。〝悪い〟選択肢と、〝もっと悪い〟選択肢しか目の前にない場合、私たちは息苦しい気持ちになります。目を逸らしたり、茶化したりして、真面目に考えることをやめたくなります。

 私たちはしばしば「論理的・数学的な正しさ」と「善」とを混同してします。しかし、この2つは違う。トロッコ問題で死者の合計を最小化するのは、たしかに「正しい」選択なのかもしれません。けれど、それが「善」とは限りません。私の目には、「悪」と「もっとひどい悪」とを天秤にかけているように見えます。

 悪さで言えば、こんなブログ記事を書いていること自体が、倫理的とはいえないでしょう。現地ではたくさんの人々が砲火に晒されて、実際に命を落としています。そんな状況のときに、日本の空調の効いた部屋で「俺は世界のことが分かっている」みたいな顔をしてキーボードを叩いていること自体が、非倫理的です。邪悪とすら言えます。何がトロッコ問題だよ、クソが。私は正義でも善でもありません。

 それでも、私はキーボードを叩こうと思います。

 今の私にできることを振り返ったときに、これが、私の能力を使ったいちばんの戦い方だと思うからです。

 たとえばウクライナへの義援金は、間違いなく武器弾薬へと姿を変えます。お金に名前は書かれていないからです。たとえ医療目的に使われるという名目の寄付金であったとしても、それで浮いたぶんの他のお金が武器弾薬になる。ロシア兵を殺すことになる。それを理解した上で、たくさんの人がウクライナ義援金を送っています。

 プーチンの無法が許せないからです。

 彼を止めるためには、ウクライナの人々に戦ってもらうしかないからです。

 たとえばロシアへの経済制裁で真っ先に苦しむのは、プーチンではなく、ロシアの一般市民です。貧困層や病人、子供のような弱者から順番に、経済制裁の被害を受けます。経済制裁は〝倫理的な行為〟とはいえません。それでもクレムリンに暗殺者を送り込めない以上、あるいはモスクワに核弾頭を落とせない以上、プーチンを止めるためには他のあらゆる手を使わざるをえません。

 もちろん経済制裁が最善の手だとは、私にも思えません。第一次世界大戦後のドイツへの懲罰的な賠償金請求がナチスを生みました。そうならないための工夫は求められるでしょう。それでも、今できることをするしかない。

 トロッコ問題を解くしかない。

 

 

QT「ときには正しい理由から、まちがったことをしなければならないこともある。大事なのは、その理由が正しいものであると確信し、自分はまちがったことをしていると認めることだ。」
――G.D.ロバーツ『シャンタラム』

 

 戦争は非人道的な行為です。

 世界中の誰もが、少しずつこの戦争の責任を負っているのかもしれません。

 政治への無関心。

 独裁者をネタ化して楽しむ危険性。

 そして、戦争を止めるための非倫理的な行為の数々――。

 

 それでも、考えて欲しい。

 一番重大な責任を負っているのは誰でしょうか? 今の私たちが非倫理的な行為に手を染めなければならないのは、誰のせいでしょうか?

 言うまでもなく、クレムリンの老いた独裁者とその取り巻きたちのせいです。

 もとから世界は大して美しくない。

 それでも彼らが暴走しなければ、世界はここまで醜くならなかった。