デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

プーチンなんか怖くない。

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 勇気とは何か。本当の勇敢さとは何か。

 他人の行動を変えるとはどういうことか。

 昨日からそんなことばかり考えています。

(※まだ早いような気もするけれど)

 

 先にお断りしますが、私は軍事の専門家ではありません。国際政治にも明るくありません。この記事は何かを分析したコラムではなく、今の私の〝お気持ち〟を記したエッセイにすぎません。今の感情を、文章として残しておきたくなりました。10年後に読み返すために。「あの時どんなことを考えていたのか」を振り返るために。

 

 年明けから、世界中の人々がプーチンの行動に驚かされてきました。「まさかこんなことをするわけないだろう」と思っていたことを、ことごとくやってのけたからです。けれど、歴史を振り返ってみると、プーチンの行動に独創的なところはありません。歴史上の独裁者たちが何度も、何度も、何度も繰り返してきたことを、同じようになぞっているだけです。

 国内の不満をそらすために外国の敵を攻撃することも、恐怖で他人を支配しようとすることも、いずれも独裁者たちのモウダス・オペランディです。常套手段です。あまりにも没個性な行動です。

 たしかにロシアは、中東やアフリカの小国ではありません。

 ゼロ年代の経済成長の頃から、私たちはロシアに一目置いてきました。強権的なところを危惧しつつも、プーチンを老獪で抜け目ない国家元首だと見做してきました。今回の戦争で私たちが驚いたのは、彼が〝見たこともない行動〟をしたからではありません。もちろん規模の面では破格です。歴史上、彼ほど強力な武力を握った独裁者はいないでしょう。しかし行動の内容に目を向ければ、新しい点は何もありません。

 私たちは、彼がテンプレ的な独裁者の1人にすぎなかったことに驚いたのです。

 既視感の強さに驚いたのです。

 

 進化心理学者マーゴ・ウィルソンとマーティン・デイリーは『人が人を殺すとき』という著作の中で、男性の殺人衝動について詳しく調査・分析しています。

 女性が人を殺すのは、自分の身や子供を守るためというケースが多いそうです。これに対して、男性はもっとつまらない理由で殺人を犯す傾向があるらしい。いわゆる「酒場のケンカ」タイプの、衝動的な殺人です。「ぶつかってきたのに謝らなかったから」とか「ガンつけられたから」とか……。要するに「舐めた態度を取った相手」に対して、男性は激昂しがちなのです。名誉を汚されたと感じて、それを雪(そそ)ぐためにケンカをしがちなのです。相手の「舐めた態度」を改めるためには、ときには殺人すらも厭いません。

 なぜか?

 進化心理学的に考えれば「私たちの進化してきたアフリカのサバンナには警察も裁判所も無かったから」が答えになります。

 国家も司法もない世界で、暴力から身を守るためには、「もしも暴力をふるったら大変な目に遭うぞ?」と態度で示すしかありませんでした。確実な報復を約束することでしか、私たちは身を守れなかったのです。少しでも舐められたら、それだけで襲われる危険がありました。だからこそ命に代えても私たちは汚名を返上しようとするのだと、進化心理学者たちは指摘しています。私たち――とくに男たち――は、命懸けで舐められないようにするのです。イキるのです。

 私たちヒトの脳は、舐められたら不快感を覚えるし、相手をひざまずかせると快感を覚えるように設計されています。

 私たちの心は、そういうふうに進化してきました。

 たとえば『半沢直樹』の「倍返しだ!」というセリフは、多くの視聴者にとって理解不能なものではありません。誰にでも分かる心理です。「報復したい」「舐められたくない」という心理は、私たちヒトの本能的なものなのでしょう。

 

   ◆ ◆ ◆

 

 二次世界大戦でイギリスを勝利に導いた首相ウィンストン・チャーチルは、こんな格言を残しています。

楽しいから軍備をする者はいない。怖いからするのだ。

 チャーチルは正しい。

 力を振りかざす男たちは、なぜそうするのでしょうか? 

 言うまでもなく、怖いからです。

「舐められたら終わりだ」と信じているからです。

 臆病だからこそ暴力を振るって、相手を威圧して、「自分には価値がある」と認めさせようとするのです。

 

 彼らが使える心理的道具は「恐怖」だけです。怖がらせる以外の方法で、彼らは他人の行動を変えることができません。もしも相手が恐怖に屈しなかったら、あの手この手で、より強い恐怖を与えようとします。他人の心の中にある他の感情――喜びや笑いや幸福――を、彼らは動かすことができないのです。

 プーチンは「舐められたくない」という一心で、19世紀のような侵略戦争を仕掛けて、核兵器までちらつかせて威圧しています。

 これほどの臆病者が、今の地球上にいるでしょうか?

 なぜプーチン政権は武装警官を使って、反戦デモの参加者を逮捕するのでしょう?

 なぜSNSの使用を禁止し、インターネットを規制しようとするのでしょう?

 怖いからです。

 恐怖に負けてしまったからです。

 

 プーチンは今回のウクライナ侵攻を数日で終わらせるつもりだった……という分析を見掛けました。元コメディアンにすぎないゼレンスキー大統領は、ちょっと脅すだけで尻尾を巻いて逃げ出すだろうと、彼は考えていたのかもしれません。大統領を失ってウクライナ軍の指揮系統が乱れたところに、一気に進軍。電撃的に勝利を収めようとしていた……のかもしれません。

 この分析が正しいとしたら、プーチンはとんでもない思い違いをしていたことになります。ゼレンスキー大統領はおちんちんでピアノを弾く芸で笑いを取っていた人物です。「人から笑われること」を恐れるどころか、喜んで笑い者になろうとする人種です。

 そんな男が、臆病者であるはずがない。

 

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コメディの本質は、怒りに満ちた反社会的な芸術である。

――ロバート・マッキー『ストーリー』p436

 ほかのジャンルの脚本家は人間性を高く評価し、作品を通じてこう訴える――どんなに悲惨な状況にあっても、人間の精神は気高い。一方、コメディの脚本家は、どんなに恵まれた状況にあっても人間は道を踏み外すものだ、と指摘する。

(中略)

 ほかのジャンルの脚本家は、人間の内面――心に秘めた情熱や罪や狂気や夢――に興味を持っている。だがコメディの脚本家は違う。注目するのは社会生活――社会で見られる愚かさ、傲慢さ、残忍さ――である。偽善と愚行に満ちていると感じる組織や体制を採り上げて、激しく非難する」

――『ストーリー』p434-435

 バカバカしい芸を演じているからといって、本当のバカとは限りません。

 当たり前の話でしょう。

 

 どれほど体を鍛えて、武器を見せびらかして、マッチョさを誇示しても、それはその人の勇敢さを意味しません。むしろ虚飾が際立つだけです。内面の臆病さの裏返しでしかないのです。

 本当の勇敢さとは、人前でおちんちんでピアノを弾けることです。全裸でギターを弾けることです。危機的な状況の中で、ゼレンスキー大統領は「高潔」と表現したくなるほどの勇敢さを見せました。

 私は少し、ゼレンスキー大統領をヒロイックに書きすぎたかもしれません。

 とはいえ、現代では〝PR戦争〟も重要であり、戦争の結果さえも広報活動に左右されます。元々エンターテイナーであるゼレンスキー大統領が、この戦いに勝利したことは異論がないでしょう。彼は〝理想の大統領〟を演じ切ることによって、世界中の世論をウクライナ側に傾けることに成功しました。

 何より重要なことですが、たとえ演技だったとしても、戦地の真ん中に残るという勇気ある決断に私は畏敬の念を覚えます。

 

 恐怖で他人を支配しようとする者は、恐れを知らない者に対処できません

 多くのロシア人が恐れることをやめて、反戦デモに立ち上がりました。ロシアのアーティストやアスリートたち、著名人たちが、恐れることをやめて戦争反対を訴えました。プーチンと関係の深かった財界人までもが、プーチンから離反しつつあるそうです。彼らもまた、恐怖に負けなかった勇敢な人々です。

 プーチンにとっては、もっとも恐れていた事態でしょう。

 恐怖で他人を支配しようとする者への反撃の第一歩は、「お前なんか怖くないぞ」と言うことかもしれません。あなたが日本人であれば、いつも通りの日常を送り、経済を回し続けることかもしれません。経済が回ってさえいれば、そこで生み出された富が誰かを助けること繋がるからです。

 

 プーチンなんかに心を乱されて、たまるか。

 お前なんか怖くないぞ。

 

  ◆ ◆ ◆

 

 最後に。

 この戦争がどんな結末を迎えるかは分かりません。けれど〝戦後〟には、ゼレンスキー大統領への批判も増えると思います。今でこそ英雄視されていますが、いつの日か、「戦争を避ける道があったのではないか」という議論がなされる時が来るでしょう。

 また、彼の〝身の引き方〟にも注目すべきでしょう。

 ゼレンスキー大統領は「自分が他者からどう見えているか」を完璧に理解している人物です。その彼が、理想的な〝身の引き方〟を演じることができるかどうか。90%を超えるという高い支持率の前で、絶対的な権力への誘惑に勝てるかどうか。

 クロムウェル、ナポレオン、カストロ――。

 歴史を振り返れば、かつては「解放者」と呼ばれたカリスマが独裁者に堕するケースが山ほどあります。(仮にこの戦争を生き残ったとして)ゼレンスキー大統領が同じ轍を踏まないだろうかと議論される時が来るでしょう。

 だけど、今はまだ、その時ではない。

 私はそう思います。