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自分の小ささを知る小説/『縮みゆく男』リチャード・マシスン著

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 リチャード・マシスン『縮みゆく男』を読んだ。スゴ本2014年ベストにも名を連ねていた作品だ。まったく、とんでもない小説を読んでしまった……。

 『縮みゆく男』の主人公は、ある日を境に1週間できっちり1インチずつ身長が縮んでいくようになる。職場で大人として扱われなくなり、妻から夫として見られなくなり、娘から父親と思われなくなり、最後は蜘蛛と同じくらいのサイズになって地下室に閉じ込められてしまう。

 圧倒的な絶望のなかで生きようとあがき続ける主人公の姿には、心を揺さぶられること間違いなしだ。

「なぜ生きるのか?」

「どうして自殺を選ばないのか?」

 主人公は自問自答を続ける。毎日1/7インチずつ縮み、やがてゼロになって消えてしまうのに。誰も見ていない地下室で、それでも彼は戦い続けるのだ。

『縮みゆく男』で描かれるのは、絶望を味わい尽くした後の自己肯定だ。

 徹底的に自分の存在を否定されて、自分は消えゆくさだめだと知っていて、だけど主人公は最後に「自分はよく戦った」と自分を肯定する。ラストシーンでは涙をこらえきれなかった。

 

 誰だって、子供のころは自分を特別な存在だと信じている。

 成長するにつれて自分の凡庸さに気づき、就職してからは自分の弱さ、ちっぽけさを思い知らされる。現代は雇用が流動化して、人間を機械部品のように交換できるようになった時代だ。属人的な仕事は忌み嫌われて、簡単に採用でき、簡単にクビを切れる人材ばかりが求められる。この時代を生きる私たちは『縮みゆく男』の主人公に自分を重ねずにはいられない。

 主人公は「どうせ7日後に自分は消えてしまうのになぜ生きようとするのか?」と自問自答する。これは、信仰を持たないすべての現代人に共通する問いだ。ただ、消えるのが7日後よりもちょっとだけ未来なだけだ。

 だからこそ、『縮みゆく男』の最後で主人公が自己肯定に至ったとき、思わず胸が熱くなるのだ。自分がどれほどちっぽけな存在だろうと、自分が自分を認められれば、自分は自分でいられる。ハッピーと言い切れないハッピーエンドに、涙を禁じえないのだ。

 

 信じられないことに、『縮みゆく男』は1956年の小説だ。

 1956年は日本が国連に加盟した年で、カストロキューバに上陸してゲリラ作戦を開始した年だ。朝鮮戦争が終わり、日本でテレビ放送が始まってから3年後に書かれた作品だ。

 にもかかわらず、『縮みゆく男』はおそろしく現代的な小説だった。

 同時期のSF小説では、たとえばクラーク『都市と星』やハインライン夏への扉』が有名だ。が、どうしてもレトロな印象を拭い切れない。一方、『縮みゆく男』は「去年のベストセラーだよ」と言われても信じてしまうだろう。

(※もちろん『都市と星』はきわめて先進的なのだが、とはいえレトロ・フューチャーっぽさは否めない。ハインラインは『夏への扉』よりも『月は無慈悲な夜の女王』のほうが断然おすすめ)

 

『縮ゆく男』が現代的なのは、作品のテーマや作者の感性だけではない。使われている技法もきわめて先鋭的で、現代のエンタメ作品にも通用するストーリーテリングの手法を取っている。

 とくに目を引くのは、効果的に使われたカットバックだ。

 プロローグで、主人公は「肌がぴりぴりする霧」を浴びる。「それが発端だった」と書いた次のページで、いきなり巨大グモとの死闘シーンが始まる。当然、読者は面食らう。なぜこんなに小さな体になってしまったのか、回想として少しずつ語られていく。

「結果を先に見せて過程を回想で語る」という技法は、現代のエンタメ作品なら珍しくない。が、1956年には相当前衛的だったに違いない。クリストファー・ノーラン監督『メメント』にも匹敵するほど、カットバックを巧みに使いこなしている。

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  カットバックは、ただ時系列を入れ替えればいいわけではない。

 それがきちんとミステリーとサスペンスを生み、読者を興奮させるものでなければならない。『縮みゆく男』は完璧にそれをやってのけているのだ。

 

 では、サスペンスとは何か。ミステリーとは何か。

 ヒッチコックによれば、登場人物の知らない情報を観客が知っているとサスペンスが生まれるという。

 たとえばテーブルの下の時限爆弾が爆発するシーンを撮るとしよう。

 何の前触れもなく爆発が起きれば、観客は数秒間しか興奮できない。しかし、あらかじめテーブルの下を画面に映したらどうだろう? 時限爆弾がそこにあることを映し、あと15分で爆発することを観客に伝えたらどうなるだろう? そこに何も知らない登場人物たちが現れて、テーブルを囲んで会話を始めたとする。観客はタイムリミットまでの15分間、ひりひりしたサスペンスを味わうことになる。

 サスペンスは、観客が登場人物よりも情報を持っている場合に生じるのだ。

『縮みゆく男』の場合は、「蜘蛛と同じサイズになって地下室に閉じ込められる」という結末を読者は知っている。だからこそ、縮小を止めるための主人公の努力がいかに悲劇的かも分かっている。努力が水の泡になったときの主人公の落胆を想像して、心臓を締め付けられるようなサスペンスを味わうのだ。

 このようなサスペンスは、娯楽小説では古くから使われてきた。

 たとえばディケンズ二都物語』は1859年に書かれた、フランス革命を題材にした小説だ。バスティーユ監獄の襲撃は1789年7月14日。『二都物語』は70年前のできごとを扱った「歴史小説」だった。当然、読者はフランス革命がいつ起きたかを知っているし、無政府状態になったパリの血みどろの惨状を知っている。しかし登場人物たちは、それを知らない。だからこそ強烈なサスペンスが生じる。

二都物語』でいえば、終盤のドファルジュ夫人が近づいてくるシーンも印象的だ。このシーンで、ディケンズ(最近のエンタメ小説では禁じ手になりつつある)「神の視点」を用いている。複数の登場人物の行動や心情を併記しているのだ。「殺意を胸に近づいてくるドファルジュ夫人」と「それを知らないミス・プロス」を同時に書くことで、物語のサスペンス性を煽っている。

 

 一方、登場人物の知っていることを読者が知らないと、そこにミステリーが生まれる。

 たとえばシャーロック・ホームズは、たとえ事件解決の糸口に気付いても、それを読者には教えてくれない。解決編が始まるまで、自分の推理を口にしない。登場人物が読者よりも情報を持っている状態なのだ。こうなると、読者は「何かヒントを見落としたのではないか?」と不安になって、真剣にページをめくる。そして謎が解けたときには爽快なカタルシスを味わうことになる。

『縮ゆく男』の場合は、カットバックによってミステリーを生み出している。

「なぜ地下室に閉じ込められることになったのか?」「主人公の妻や娘はどうしたのか?」等々、主人公の知っていることを読者は知らない。ここにミステリーが生まれるのだ。

 

『縮みゆく男』はカットバックを使ってミステリーとサスペンスを生み出し、最後まで読者の興味を引き付け続ける。一度ページを開いたらラストまでノンストップの、とんでもない傑作だった。

 

 

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