選挙結果について、とくに記事を書くつもりはなかった。作家・藤原祐先生が次のようなツイートをなさっており、深く共感した。だから沈黙を守るつもりだったし、そのほうがよかったと今でも思っている。
政治、特に選挙の時って「この人(この政党)がいいと思う」ではなくて「この人(この政党)はダメだ」ひいては「こんな奴(こんな政党)を指示する奴はバカだ」って感じで誰もが刺々しくなってて、見てて本当に恐い。
@fujiwarayu(12月16日)
自分たちの未来がかかっているから必死になっているんだといえば聞こえはいいけど、普段は温厚で理知的な人がまるで箍が外れたように他者の思想や信条をこけにしてるのを見ると、もう少しどうにかならんもんかと思う。
@fujiwarayu(12月16日)
特に売名商売をしている身だと、筆者がべらべら政治思想を語ったことが原因でお客が減るほどバカバカしいことはないし、少なくとも僕はそういう政治的なバイアスをかけた状態で自分の本を読んでもらいたくはないので、これからもこの手の話題からはびくびくしながらそっぽを向いていたいです。
@fujiwarayu(12月16日)
しかし開票の直後、このブログのPV数がにわかに跳ね上がった。記事を更新したわけでも、著名人からRTされたわけでもない。Twitterを見れば、私のアカウントが含まれているリストには、「Social」とか「政治経済」とか、そんな名前のものが多い。選挙結果について私がどんなことを書き散らすのか:気になる人がいるからPV数が伸びたのだろう。
だから、選挙結果に対する所感を(小さな声で)つぶやいておく。
あまり気乗りはしないけど。
◆
といっても、いまの私が政治に期待するのは「余計なことをしてくれるな」という一言につきる。以前にも書いたとおりだ。
世の中を「よい方向」に導けるほど優秀な人は、現代の日本では政治家にならない。そもそも世の中を「よく」するのは、社会の構成員である私たち一人ひとりの責任だ。政治家に丸投げするほうが間違いだ。だから私が政治家に求めるのは、「余計なことをするな」という一点のみになる。
選挙結果については、ネット上で読めるものではたとえば次の記事が興味深かった。
選挙結果について‐内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/2012/12/17_1053.php
2012年末衆議院選挙雑感‐極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/12/2012-a3ca.html
この二つの記事を要約すると:
「現在の小選挙区制は、民意のわずかな変化を議席数の劇的な変化へと増幅する仕組み」
「どの勢力が与党になろうと、ちょっとした失敗・不人気でかんたんに政権を失ってしまう」
「だから政策を実行するにあたり、慎重にならざるをえない」
――もしもこの説が正しいとすれば、ちょっぴり安心だ。「余計なことをしてくれるな」という私の期待は、あまり裏切られずに済みそうだ。
今回の選挙結果も、新しい与党への熱狂的な支持というより、以前の与党への失望感によるものだといえる。世論や民意の“ゆらぎ”が増幅されて、議席数の圧倒的に差になった。――新聞やニュースを読み漁った限りでは、そういう分析をよく見かける。
投票率59・32%で戦後最低‐47NEWS
http://www.47news.jp/CN/201212/CN2012121601001826.html
この投票率の低さも、それを示している。どこかの政党が熱狂的な支持を受けているとすれば、もう少し高めの数値が出てもいいはずだ。悪天候や、突然の選挙だったこと――。投票率の低さには、さまざまな原因が考えられる。しかし“政治”そのものへの失望感があったことは否定できない。
日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動する、らしい。有権者の大部分が参加していない選挙でえらばれた“代表者”は、いったい誰の・何を代表しているのだろう。
“熱狂的な支持ではない”という点は、自民党の安倍総裁も認識なさっているようだ。
池上彰さんがテレビ東京の選挙特番でやりたい放題だと話題に‐市況かぶ全力2階建
http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65724271.html
リンク先の動画で、池上さんからインタビューを受けた安倍総裁は「有権者の民主党に対する失望感が今回の勝利につながった」という意味のセリフを明言している。自民党圧勝が明らかになった直後の一言目が、そういう冷静な分析だった。「余計なことをしてくれるな」という私の願いからすれば、これはいい兆候だ。無茶なことをすればすぐに民意が離れ、議席と政権を失ってしまう。それを理解なさっているのだ。慎重な政権運営に期待したい。
反面、二言目には「憲法改正」の話題を出している。
これが安倍総裁の個人的な悲願なのは間違いない。しかし保守層の支持を取り入れるためのリップサービスの延長線上なのか、それとも党を挙げた最優先事項なのか。注意深く、動向を追いかけたい。
最近では「日本の右傾化」を訴える記事をよく目にする。領土問題や国際情勢もキナくさい。だが、それでも「憲法改正」という言葉にたじろぐ人は少なくない。わずかな民意のゆらぎが選挙結果に大きく影響する以上、憲法改正にはそれなりのリスクがある。
そのリスクをどの程度だと見積もっているのか:憲法よりもまず生活をなんとかしてよ、失業を、親の医療費を、子供の養育費をなんとかしてよ――という声にどう応えていくのか。このあたりが政権維持の分水嶺になりそうだ。
◆
先日、寺町通りの喫茶店で「もしも日本で徴兵制なんてことになったらどうする?」という冗談を友人と交わしていた。
「逃げる逃げる!」
「だよね!海外生活に向けてもっとスキルを磨こう!」
「人脈を作っておこう!」
そんなジョークを愉しんでいたら、隣席の60代ぐらいのおっさんが苦々しい顔をしていた。
苦々しい表情をするあんたたちが、私たちの代わりに銃をもって前線に出てくれるなら文句はないよ。
“Older men declare war. But it is youth that must fight and die.”
(戦争は老人たちが始めるが、戦って死ぬのは若者たちだ)
――Herbert Clark Hoover (第31代アメリカ合衆国大統領)
投票者の平均年齢は57歳(AERAより) ‐ihayato.news
http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/18271
自分で人生を変える力のない人ほど、政治に頼ろうとする。だから、政治は老人的な趣味になってしまう。多くの若者にとって、「豊か」になるには政治を変えるよりも自分の生き方を変えるほうが簡単だ。しかし老人たちは、もはや自分の人生を変えられない。だから政治に夢を見る。
あなたの「生活」が苦しいのは、政治と政策のせいだ。しかし、あなたの「人生」がうまくいかないのは、あなた自身の責任だ。50年分、60年分の後悔と嫉妬を、若い世代にぶつけないでほしい。
「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ」――なんて言葉もある。しかし自分を変えることができるのは、若い世代だけだ。ほんとうは何歳になっても自分を変えることはできる。けれど、老境の頑固さがそれを拒む。自分で自分を縛ってしまう。
もちろん、若い世代だからといって政治に無関心でいいというわけではない。
むしろ老いた世代から「取り戻す!」ことを考えるべきだろう。
総選挙で感じたこと‐主観に歪んだ世界
http://d.hatena.ne.jp/uglyhyde/20121216
たとえば、このブロガーさんのように「選挙を通じて無力感を覚えるだけだった」という人は多いはずだ。「今回が初めての選挙だった」という若い人ならなおさらだ。
そのとおり、私たち一人ひとりは無力だ。大人になるまで気づかないけれど、人間って哀しくなるほど無力なのだ。
20歳までに感じる「無力感」は、せいぜいクラスでの無力感だったり、学校の中、職場の中という小さな世界での無力感だ。1億何千万人の中での無力感を知らないまま、私たちは大人になる。
人間って、ほんとうは無力なんだよ。
影響力なんて、ほとんどないんだよ。
そんな自分と生きていくしかないんだよ。
ただし、限りなく矮小な力でしかなくても、それはゼロではない。
一人の力は、ゼロではない。
このことだけは忘れないでほしい。
もしも日本に徴兵制が導入されたら、私は東南アジア某国の友人と組んでその国でペーパーカンパニー作って、日本から脱出してきた若者を社員登録してビザを取得させるビジネスを始めると思う。
そんな冗談を考えながら、今夜はカツカレーを食べよう。
※参考
選挙特番 池上彰の凄すぎる切れ味‐R25
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/jikenbo_detail/?id=20121218-00027236-r25
批判的民主政と選挙‐おおやにき
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000905.html