表現する者の目になってみると、いろんな細かいものが自然に見えてくるはずなんです。そういう目を持った人が、表現者なんです。〈書く〉ということが表現ではなく、〈見る〉ということが表現なんです。
──北村薫『ミステリーの書き方』日本推理作家協会編
- 作者: 日本推理作家協会
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2010/12
- メディア: 単行本
- 購入: 15人 クリック: 67回
- この商品を含むブログ (29件) を見る
◆
私たちは、目に映っているモノが見えず、口に突っ込まれたモノの味が判らない。そういう生き物なのだと思います。感覚を鋭敏に研ぎ澄まさなければ、わかるはずのこともわからなくなってしまう。私は、それが怖い。
1を聞いて10を知るのは、かんたんではありません。
けれど、ほとんどの人が10を見ても5くらいしか理解できないとしたら、10を見て6しか分からない愚鈍な人でも、感性のするどい人だと見なされます。
だから、人とは違う見方をしてみる。自分以外の人の視点に立って考えてみる。想像力を、発揮するべきなのだと思います。
ちょっとした心がけで、世界の見え方は変わるのですから。
自分の悩みや苦しみを、他人に理解させることはできません。想像させることはできません。けれど、他人の視点を想像することならできます。自分ではない誰かに想いをめぐらせることなら、できます。「するどい感性を持つ」とは、そういうことだと思います。
社会に馴染み、それぞれの暮らしを確立しつつある同窓生たちに:
若いころの多感さを忘れないでください。目先の忙しさに捕らわれて、なまくらにならないでください。想像力は使い続けなければ錆びつきます。頭が固くなるのは老成ではなく、ただの老化です。
年配の方の中には、感覚を麻痺させることこそが成熟だとおっしゃる方がいます。私はそうは思いません。成長と経年劣化を混同してはいけません。使い込むほどに色が良くなる革財布やジーンズのように、私はやわらかく歳を取りたい。
Therefore speak I to them in parables; because seeing they see not, and hearing they hear not, neither do they understand.
――Gospel of Matthew, 13:13
.