「行きたくねえな、インド」
テキサス出身の友人と夕食を食べていた。ステーキを切りながら彼はぼやく。
「マジで行きたくねえわ」
半月後、彼はインドに出張する予定だそうだ。私は首をかしげる。
「どうして? 私は行ってみたいよ、インド。英語も通じるらしいし」
「まさか」彼は鼻にしわを寄せる。「インド人の英語(Inglish)は何を言っているのか分からない、訛りが強すぎるんだよ。大学生のころ、数学の講師がインド人だった。けれど理解できるのは板書された数式だけで、喋っていることは何一つ聞き取れなかった」
「そんな英語力でもアメリカの大学講師が務まるの?」
「講師と言っても、ただのTAだからね。半分、留学生みたいなものだ。さすがに大学当局に文句を言ったよ、あの授業はひどすぎますって」
「そしたら?」
「翌週からは中国人のTAが教えにきた。やたらとテンションの高い先生だった」
「英語は?」
「完璧すぎて逆に信用おけないレベル」
◆
ところで私は、しばしば彼に英語を教わっている。仕事で使う文書などの添削を手伝ってもらっているのだ。社外秘の情報は自力でなんとかするしかないけれど、そうでないものについては彼の英語力に助けられている。
「この部分の“have a serious trouble”という言い回しはおかしい。“have serious trouble”か、もしくは“have a serious problem”のほうが自然だ」
ああー、たしかに習ったわー。それ高校受験のころに習ったわー。
「“a couple of days”は、おおよそ2日間。“a few days”で3日間ぐらい、“several days”で4日間以上……って覚えておくといいかも」
ああー、それ知ってるわー。大学入試のころに知ったわー。
覚えているつもりでも、いざ長文を書くとおぼつかないものだ。細かいミスをビシバシと指摘される。私はとくに前置詞や冠詞が苦手なようだ。たしかにTOEICでいつも失点するのはこのあたりだよな……と反省させられる。
「日本人だから仕方ないんじゃん?」と彼は言う。「前置詞の使い方は、俺にも完璧な説明はできない。なんとなく“正しい”“間違っている”と分かるだけだ。あくまでもなんとなく、だ」
さすがはネイティブだ。
「こういう“書く文章”をマスターするには、たくさんの本を読むしかないんじゃないかな」
「あ、それ、分かる。日本語でも同じだよ。ぜんぜん読書しない人ってまともな文章が書けない」
「だから英作文の力を伸ばしたいなら、英語の本をたくさん読みなさい」
「……ハイ」
「俺の場合は、小学生のころに結構たくさん本を読んでいた。それが今の英語力の源になっている。読書のせい視力が落ちて、9歳からメガネになった」
「なんだ、メガネはポケモンのせいかと思った」
「そんなんちゃうわ」
というわけで、彼が小学生のころに読んでいた本のうちオススメを教えてもらった。
- 作者: Arthur Conan, Sir Doyle
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「好きだろ、ミステリー」
「うん、好きだ」
「長編小説だと挫折するだろ」
「うん、たぶん心が折れる」
「それなら『シャーロック・ホームズ』シリーズだ」
いわく、コナン・ドイルの英語は「ちょっとお洒落で紳士的」だそうだ。もちろん本家本元のイギリス英語だが、それに抵抗を感じない人には全力でオススメだという。
Rainbow Six (A Jack Ryan Novel)
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「好きだろ、テレビゲーム」
「うん、好きだ」
「好きだろ、陰謀論」
「うん、大好物だ」
「それならトム・クランシーだ」
いわく、彼は小学生のころに『レインボー・シックス』シリーズにハマって、何周も読んだという。あの長大なシリーズをだ。たしかにトム・クランシー原作のゲームはどれも面白いので、彼がハマったのもうなずける。
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- 作者: Stephen King
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「に、苦手なわけないだろ!」
「好きか嫌いかを訊いている」
「だ、だから、す、好きに決まってんじゃん!」
「それならスティーブン・キングだ」
ちなみに私の敬愛する宮部みゆき先生はキングの大ファンだ。また、短編集『第四解剖室』は私のお気に入り。いつかキングの作品を原文で読んでみたいな……と思っていた。思わぬところで背中を押してもらえた。
- 作者: Stephen King
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「ところで日本では、高校生ぐらいになるとサリンジャーを読めって言われるんだけど、あれってどうなの?」
「サリンジャー? ああ、あれね」
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「英語は普通、でも、それこそ高校生っぽい感じ。つーか、日本の高校生はあんなの読んで面白いと感じるの?」
「さあ? 私はさっぱり分からなかった。邦訳のタイトルが『ムギバタ球場の正捕手くん』だったら、ちょっとは楽しめたかも」
「……は?」
「……ごめん、こっちの話。いまのは忘れて」
「あ、そうだ! アメリカの文学者ってゆったらヘミングウェイでしょう! あれはどうなんですかアメリカ人的には」
- 作者: Ernest Hemingway
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「英語はさすがにしっかりしているよ。つーか、ノーベル賞取った小説家の文章にケチつけられないよ。でもさ……」
「でも?」
「英語の勉強で読むつもりなんだよな?」
「う、うん……」
「眠くならない自信があるなら、どうぞ」
「う、うーん……」
◆
「というわけで色々な本を紹介してもらったわけだが……」
「おう」
「肝心のあなたの英語力はいかほどでしょうか?」
「お前は失礼なやつだな」
「だってさぁ、なんとなくで正誤の判断をしていて、文法の説明はできないわけじゃん?」
「お前は失礼なやつだ」
彼はナイフを置いた。
「一応、国語(=英語)のテストの世界ランキングではハーバード大学レベルだった」
「でも、ハーバード卒じゃないでしょう」
私は意地悪く追い打ちをかける。
彼は顔をしかめた。
「数学ができなかったんだよ」
そしてため息をつく。
「行きたくねえな、インド……」
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※誤脱修正しました。ご指摘ありがとうございます。