デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

テレビを捨てよ町へ出よう!/日本の中高年がすべきこと

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私の自宅にはテレビがない。ハッキリ言って退屈だからだ。
どのチャンネルを回しても、まるで金太郎あめのように同じような番組ばかりが流れている。ニュースも娯楽もパソコンが一台あれば充分で、世間の動向を知りたければ新聞を何紙か比較したほうが効率的。しかし、そんな私でも震災の直後はテレビを見ていた。速報性のある映像は、やはりテレビがいちばんだ。近所の定食屋に通いつめて、ほかの客たちと一緒に食い入るように画面を見ていた。昭和かよ。
インターネットユーザーの間では、テレビの凋落が喧伝されている。けれど現実には、テレビはまだまだ力を失っていない。それどころか、高齢化により影響力を増しているようだ。第一線をしりぞいたリタイア世代は、基本的にヒマである。すると何をするのか:
一日中部屋に閉じこもってテレビを見るのだ。


現代日本の「テレビ政治」 ‐dongfang99の日記
http://d.hatena.ne.jp/dongfang99/20120304

1990年代初めくらいまでは、テレビで政治動向が理解できるということは基本的になかった。「利権政治家」と呼ばれてテレビで連日叩かれている人物が、いざ選挙になると圧勝で当選というのは、田中角栄に限ったことではなく、どの地域でも極めてありふれた光景であった。1989年の消費税導入を巡っては、テレビでは賛成派はほとんど「非国民」の扱いであった


かつて、テレビの報道と政局とは必ずしも一致しなかった。しかし現在ではテレビの論調がそのまま政治に反映されるようになった。郵政民営化しかり、政権交代しかり――。背景にはリタイア世代の増加がある。一般に、高齢者は若年層よりも政治参加に意欲的だ。御年90歳の私の祖母も、さきの都知事選では律儀に投票所へと行った。早い人なら50代の半ばには引退してしまうが、それから死ぬまでの数十年間、日本人はテレビを見続け、政治に参加する。そういうリタイア層が増えれば当然、政治はテレビの色に染まっていく。
※もしも、このブログを読んでくださっている方のなかにリタイア世代の方がいるならば、同世代の人にくらべてかなり情報摂取に意欲的な人なのだとお見受けします。ネットの片隅のブログにまで目を通すのですから、若い世代と同じかそれ以上の好奇心をお持ちなのだと推察いたします。そういう方がもっと増えてくださればいいのですが……。


テレビすごいらしい ‐G.A.W.
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20110308/1299528408


こちらはコンビニ店長をなさっているid:nakamurabashiさんの記事。私たちのようなヘビーなネットユーザーにはテレビの魅力がイマイチわからない。けれど、その影響力は失われておらず、たとえばテレビで特集が組まれた商品は売上げが劇的に伸びるらしい(ちなみにnakamurabashiさんのお店は高齢者が多い地域だそうだ)。
最近では「トマト騒ぎ」が記憶に新しい。


トマトに肥満防止効果発見? 全国でトマトが売り切れる異例の事態にTwitter大騒ぎ!! ‐ガジェット通信
http://getnews.jp/archives/168184


こうした事例がある以上、「テレビってすごい!」と言わざるをえない。
とにかく見ている人が多い。「視聴率1%の人数」は、関東では約40万人、関西で約16万人だそうだ。ブログでの月間10万PV のハードルの高さを思うと、この人数は驚異的だ。『家政婦のミタ』最終回の視聴率は40%だっけ? それだけの人数が「同時に・同じコンテンツを見る」なんて、ネットメディアではまずありえない。


視聴率からの視聴世帯・人数の推定
http://www.videor.co.jp/rating/wh/13.htm


家政婦のミタ』最終回、驚愕の視聴率40%で幕! ‐ニュース-ORICON STYLE-
http://www.oricon.co.jp/news/movie/2005012/full/ @oriconさんから



それでも私からすると、いまの日本のテレビには魅力がない。
ニュース番組は「当たり障りのないこと」「一見、正しそうなこと」「表面的なこと」しか報道せず、バラエティ番組は「どうでもいいこと」しか流さない。ていうかグルメ番組おおすぎ。美味しい食べ物についてはDPZとかニコ動の「料理タグ」のほうがはるかに面白いコンテンツが揃っている(私見)。
政治がテレビの色に染まりがちな現代だからこそ、マスメディアの責任は重いはずだ。本来ならいくつもの考え方を提示して、視聴者が自分の頭で考えるときのヒントを与えなければいけない。けれど現実には、スポンサーと政治家と視聴者の顔色をうかがった最大公約数的な見解しか示されない。
ニュースがつまらない理由を、池上彰さんや内田樹さんは「マスメディアの劣化」として指摘している。


マスコミが「政治報道」できなくなった理由
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20111129/224592/


日本のメディアの病について (内田樹の研究室)
http://blog.tatsuru.com/2012/02/04_1000.php


テレビの報道が横並びなのを見て「裏で操っている誰かがいるからだ」と決めつける人もいる。陰謀論だ。けれどテレビが没個性的な報道しかしないのは――できないのは、単純に能力がないからだ。
たとえば暴言のぶつけ合いを「ディベート」と名づけ、相手の意見を黙殺する技術のことを「ディベート術」と呼ぶ。そんなものがディベートであるものか。ただの子供のケンカだ。それを「討論番組」と銘打って売り出してしまうところに、この国のマスメディアの知性不足が現われている。
ペンは剣よりも強いけれど、カネには弱いのだ。
利害関係者が増えすぎて身動きがとれなくなった結果、いまのマスメディアはつまらなくなった。分析的で深淵をえぐるような報道ができなくなった。その結果、当たり障りのないニュースしか――横並びのニュースしか扱われない。理知的な報道をできる番組製作者も育たない。誰かが裏で操っているのではない、能力がないのだ。



メディア陰謀論を共有する人たち小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120301/229323/
陰謀論の問題点は“極論”に思考が凝り固まってしまうこと。



以上から考えられることは二つある。
一つはテレビの報道姿勢について。そしてもう一つは、私たち(=20代以下のネットユーザー)がどうふるまうべきか、だ。


まずテレビには報道姿勢を変えてほしい。
高齢化によりテレビの影響力は強くなっている。その現状を踏まえて、責任感のある報道をしてほしい。まずは各社横並びの「常識的な答え」だけに着地するような報道をやめるべきだ。常識は世の中の一側面でしかなく、視点を変えれば答えは変わる。世の中の多面性・多様性をきちんと伝えて、この世界の問題が立体的に浮かび上がるような報道を心がけてほしい。そうやって提示された情報をヒントに、視聴者たちは世論を作る。「テレビが世論を作る」なんて、驕りだ。世論は私たちが作るのだ。


そして私たちがすべきことは、「テレビ漬けの世代」を理解することだ。
リタイア世代は、なぜテレビ漬けになってしまうのだろう。どうして「ほかのメディア」に目を向けることができないのだろう。そして、どうすればテレビを消して、現実世界に目を向けてもらえるだろう。テレビというバーチャルな世界から抜け出して、私たちの未来について考えてくれるだろう。
方策を見つけるためには、「テレビ漬け世代」を理解するしかない。彼らの価値観や考え方を知るしかない。彼らが何に悩み、なにを喜びとして生きているのか。それを理解できなければ、突破口も見つからない。
たとえば「若者論」というモノがある。テレビにかぎらず、高齢者向けのメディアでは頻繁に「若者叩き」が行われる。そうすることでメインの消費者がよろこび、視聴率や販売部数が伸びていく。
なぜ「若者論」がダメかといえば、若い世代へと責任転嫁することで、本質的な問題から目をそらしてしまうからだ。同じことは「老人dis」にも言える。世代間の対立をあおるような言説をさまざまな場所で目にする。年金しかり、貯金残高しかり――。世代間の格差を知ればしるほど、私たちは怒りを覚える。「こんな世の中に誰がした!」と叫びたくなる。そして中高年世代を「戦犯」として槍玉にあげる。
だがリタイア世代を叩くことに、どんな意味があるだろう。
問題の本質はもっと別のところにあって、そこから目をそらしているだけではないか。病院にいけない老人が増えても、私たちの所得は向上しない。孤独に餓死していく老人が増えても、私たちの仕事は増えない。「年上世代」と一口に言っても、そこには膨大な多様性がある。世代間の対立心に気を取られて、問題の本質を見失ってはいけない。いちばん悪いやつらは、もっと違う顔をしている。
また、老人を大切にしない社会とは、つまり私たちも将来的に大切にされなくなるという社会だ。大切にする「方法」には議論の余地があるだろうけれど、基本的にお年寄りは大切にされなければならない。日本の問題点が「モノはあるけれど希望だけがない」のだとしたら、もうこれ以上、希望が失われるようなことがあってはならないのだ。
日本では平均年齢の上昇によって、社会全体から活気が失われている。であればこそ、世代をこえた協力によって、社会の新陳代謝をうながさなければならない。若々しい社会にしていかなければいけない。これは世代の壁を超えた全国民的な課題だ。
歳をとるのは本来すばらしいことだ。成熟したほんとうの大人になるということは、とてつもなく高潔なことだ。中高年のみなさまには、どうか私たちが「こういうふうになりたい!」と思えるようなふるまいをしていただきたい。ヒトは歳を重ねると、若いころのような創造性や革新性を失ってしまうかもしれない。が、成熟した穏やかさや豊かな経験は、若者には絶対に手に入れられないモノなのだから。



だから私たちは「年上世代」を理解しよう。
それが問題解決への第一歩だ。いま必要なのは、リタイア世代にテレビを消してもらうこと:その方法を探るには、まず彼らのことを理解する必要がある。
たとえ相手に自分を理解してもらえなくても、相手を理解することはできる。他人の気持ちを理解しようとするときに、見返りとして自分を理解してもらう必要はない。それが「思いやり」というものだ。年上世代が「若者論」をふり回すばかりのガキならば、私たちが大人になるしかない。





テレビの大罪 (新潮新書)

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テレビは余命7年

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テレビは見てはいけない (PHP新書)

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暴走老人!

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(参考)
震災直後、ニュースを無断でネットに流した中学生、黙認したNHK
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/120306/its12030607340000-n1.htm
※ネットとテレビは対立しあうものではないよ。手を取り合えばもっとスゴイことができるはず。