劇場版『けいおん!』が素晴らしかった。
山田尚子監督にとって今作が初の劇場作品だという。けれどまったく飽きさせず、2時間があっという間。このシリーズに限らず、今後の作品がすごく楽しみだ。西川美和監督といい、日本の映像業界はいま女性が元気!
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というワケで今回は映画『けいおん!』の感想です。ネタバレたっぷりなので、未見の人は今すぐ「戻る」ボタンをクリックしてください。
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アニメ『けいおん!』シリーズは、今回の劇場版で一区切りつく。シリーズを「どのように終わらせるのか」という視線で、私はこの映画を見た。
マンガやアニメの業界では、なし崩し的に終わってしまうシリーズが少なくない。徐々に人気を失い、続編が作られなくなり、気づいたら忘れられていた――そういう作品が数多くあるなかで、社会現象化した『けいおん!』をどのように終わらせるのか。山田尚子監督をはじめ、スタッフのみなさんは知恵を絞ったはずだ。
結論から言えば、この作品に込められたメッセージは:
「卒業は終わりじゃない」
登場人物たちはこれから大学生になり、人生のステップを一つずつ進んでいく。確かに、今までの放課後ティータイムにはもう会えない。けれど『けいおん!』の“いちばん良い部分”はこれからもずっと続くし、終わりじゃない。
少なくとも私は、そんなメッセージを感じとることができた。
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ずばり言ってしまおう。
映画『けいおん!』の主人公は中野梓だ。
(あくまでも個人的な感想です。異論大歓迎!)
四人の先輩を見送ることになるあずにゃんは、私たち「放課後ティータイムを見送る観客」に、立場がいちばん近い。ストーリー的にも演出的にも、観客は梓へと感情移入させられる(あくまでも個人的な(以下略))。
たとえば冒頭、いちばん最初のセリフらしいセリフを言うのは梓だ。それ以前にも「朝っ!?」という唯のセリフがあるのだけど、これはテレビシリーズからの繋がりを意識させるいわば「お約束」的なもの。梓の「それじゃ部室に行くね」という一言から、物語は動き始める。
部室で梓を待ち受けるのは、言い争いをする先輩四人だ。私たち『けいおん!』のファンはよく訓練されているので、この言い争いが梓をかつぐための小芝居だとすぐに判断できる。が、作中の梓は判断つきかねるといった表情でおろおろする。先輩四人をすぐには理解できない――「距離感」を感じさせるシーンだ。
こうした梓と四人との「距離感」を意識させる演出が、映画の序盤では積み重ねられていく。端的な例は五人の使うカップ。先輩四人はお揃いのむぎのティーカップを使っているのに、梓だけはネコのマグカップ。テレビシリーズでは「五人一緒でこそ放課後ティータイムだ!」というメッセージが繰り返されていたのに、映画の序盤では「卒業するあたしたち」と「後輩であるあずにゃん」という対比が繰り返される。放課後ティータイムが解体されようとしているのだ!
映画が始まってかなり早い段階で、観客は「今までの『けいおん!』と違うぞ?」と気づかされる。山田尚子監督は、この映画でいったい何をするつもりなんだ――!?
この序盤を見て、「山田監督はファンを卒業させるつもりなのではないか」と私は思った。かつてエヴァンゲリオンの旧劇場版で庵野秀明監督が目指したように、物語をきっぱりと終結させて、ファンに別れをつげる。この映画はそういう作品なのではないかと身構えた。
そういう終わらせ方も「あり」だよね、と。
ファンが望む今まで通りの『けいおん!』を作り続けるためには、サザエさん時空を導入するしかない。「テレビシリーズや原作では描かれなかったある日の出来事」として、彼女たちに終わらない高校時代を過ごさせるしかない。そうでもしなければ、居心地のいい学校生活のなかでゆるゆると音楽とお茶をする――という今までのスタイルを維持できない。しかし、原作でもテレビシリーズでも主人公の唯は「卒業」してしまった。今までのスタイルを維持できない以上、放課後ティータイムを望ましい形で解体して、ファンにさよならを言う。――いわば、観客を「けいおんファン」から卒業させるのが、この映画の狙いなのではないか。
映画の序盤でそんな予想をして、たまらなく切ない気持ちになった。
事実、この映画には「今までの『けいおん!』の破壊」とも呼べる要素が数多く含まれている。
たとえば親の登場。これには驚いた。いままでかたくなに隠されていた「親」の影が、今作で明示された。放課後ティータイムの五人にも、彼女たちを心配する「親」がいる。そんな当たり前のバックグラウンドを描いた衝撃は大きい。成長とは、親の庇護からの離脱だ。したがって誰かの「成長」を描くには、親を登場させなければいけない。
また「百合」の明確な否定。「あずにゃんLOVE」と書かれたノートを発見して、梓は「なんか恐っ!」という。その後、唯に抱きつかれそうになった梓は「あたしそういうのじゃないんでっ!」と明言する。しかもその時の唯は、あずにゃんに抱きつこうとしていたワケではない。ファンの間で妄想されていた女性の同性愛的な関係を、ここでバッサリと否定してしまった。
そもそも海外旅行は非日常の経験だ。
日常系の代表である『けいおん!』が、非日常の物語をやったのだ。これはまさに今までの『けいおん!』の破壊だ。ロンドンでの旅程を考える五人を見て、彼女たちを遠く感じた観客は少なくないだろう。少なくとも大学の卒業旅行が熱海、高校のころは卒業旅行なんてしなかった私は、彼女たちが遠い世界の住人になってしまうような感覚に囚われた。
ああ、山田監督は『けいおん!』を綺麗に破壊・解体することで、私たちにも「卒業」をうながしているのかも……。
ところが、だ。
夜のホテルでの会話を通じて、放課後ティータイムの五人はいつもの日常を取り戻していく。ベッドにお菓子を広げて、まるで部室にいるときのような、いつもの彼女たちに戻っていく。二つの部屋をぐるぐると回るエピソードには、客席のそこら中から笑い声が漏れていた。こういう「仲間とすごす時間の楽しさ・幸福感」こそ、私たちファンが『けいおん!』に求めていたものだ。このあたりまで見て、ようやく観客は安心できる。
ああ、いつも通りの放課後ティータイムが戻ってきた! と。
たとえロンドンの野外ステージでも、舞台の上ではいつもの五人だ。学校の外でも――遠く離れた異国の地でも、放課後ティータイムはいつも通りなのだ。どんな場所でも「彼女たちらしさ」は失われない、と解るのが映画前半のロンドン編。
帰国後の教室ライブは、いかにも『けいおん!』らしいエピソードだ。
学校という日常空間のなかで、大好きな仲間たちに囲まれて、足もとの幸福を満喫する。これこそ『けいおん!』だ!
序盤から少しずつ壊されていった「今までのけいおん!」が、ロンドン編の終盤→教室ライブを経て再構築される。彼女たちは成長し、関係は少しずつ変わっていく。これから先、今まで通りの放課後ティータイムでは居られないかも知れない。けれど、五人の「いちばん良い部分」は、絶対に変わらない。そんな気持ちにさせられて――
クライマックスの『天使にふれたよ』にトドメを刺された。
「卒業は終わりじゃない」
この一言を歌わせたくて、山田監督はじめスタッフ一同はこの映画を作ったのだろう。
ファンにさよならを告げるのではない、かといって、今まで通りの五人でもない。唯はきちんと「卒業」した。それでも、終わりじゃない。未来には「新しい彼女たち」がいる。いちばん大切なものはそのままに。
序盤ではカラフルな柄物のティーカップを使っていた彼女たちだが、終盤、卒業した四人は真っ白なティーカップを使っている。白は、まだ何色にも染まっていない色だ。未来は真っ白で、そこに好きな絵を描け――とは映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーPart 3』ラストシーンでのドクの台詞。白は未来に開かれた色だ。卒業する彼女たちの色だ。
映画『けいおん!』のラストシーンは、帰宅する四人の脚のアップが続く。彼女たちの進行方向は画面の左から右――つまり下手から上手だ。ご存じのとおり、「下←上」の動きは「旅立ち」や「前進」を表現するのに多用される。一方、「下→上」の動きは「帰還」を示す場合が多い。映画の序盤で「関係の破壊」や「ロンドン旅行」という非日常に旅立った彼女たちは、ラストシーンで「日常」へと回帰する。
しかし、このラストシーン。唯はずっと“後ろ歩き”をしている――唯のカラダの向きは「←」で、「旅立ち・前進の方向」を向いているのだ。未来にカラダを向けながら、日常へと戻ってくる。日常へと帰還するけれど、もう彼女たちは未来に目を向けている。このラストシーンには、監督そしてスタッフの愛が込められている。と思う。
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正直なところ、サザエさん時空化した『けいおん!』を見たいかと訊かれたら私の答えはNOだ。どちらかと言えば、成長し続ける彼女たちの姿を見ていたい、という気持ちがある。登場人物と同じ目線になって楽しむのがこの作品の魅力だと思うからだ。登場人物はいつまでも歳を取らないのに自分だけ老いていく。そんなの絶対に耐えられない。
「卒業は終わりじゃない」
このメッセージを受け取った今だからこそ、素直にそう思える。
むしろこれからの彼女たちを見たい。大学生になり、そのうち彼氏が出来て、社会人になって、結婚して――当たり前の人生のステップを重ねていく彼女たちを見てみたい。子供ができて、仕事をして、お婆さんになって――それでもきっと、彼女たちはお茶をしているんだろう。
サザエさんよりは、ビバリーヒルズとかセックス・アンド・ザ・シティみたいな続きかたをしてほしいな。コメディ路線ならフルハウスとか。
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http://www.cinematoday.jp/page/N0037442
あ、やっぱウソ。さがにセックス・アンド・ザ・シティはねーわ。ビバヒルはともかく。