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日本の財政を再建するたった一つの方法/増税なんて必要ない! ?

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テレビでは大物芸能人の引退ばかりが騒がれて、大事なニュースがちっとも流れてこない。だから私はテレビを消して、映画『サマーウォーズ』のDVDを観ていた。片手にはラガヴーリンのストレート、もう一方の手にはケータイだ。ニュースサイトを覗いてみれば、涙の引退会見の裏側でリビアの首都が陥落し、大阪では一斗缶殺人の容疑者が逮捕された。なにより日本の国債が格下げされたらしい。この国はまた一歩、財政破綻へと近づいた。



サマーウォーズ スタンダード・エディション [Blu-ray]

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ひさしぶりに映画『サマーウォーズ』を観て、なんだか切なくなった。主要な登場人物がみんな公務員だからだ。地方には仕事がなく、公務員をするしかない。そんな現実がアニメ映画の世界にも反映されている。
疑問なのは、「彼ら“田舎の公務員”の給料がどこから出ているのか」だ。地方には産業がないのに、どうして公務員を養えるのだろう。なぜ産業のない地方でも、行政サービスを提供できるのだろう。
言うまでもなく、国からのカネがあるからだ。地方交付税をはじめ、様々なかたちで都市から地方へとカネが流れている。そのカネは公共事業社会福祉、公務員の給料という形で田舎の町に流れ込み、地方の経済を回している。地方経済は“都会のカネ”によって生かされている。
行政サービスが必要なのは、そこに人が住んでいるからだ。ネバダ砂漠の真ん中には警察署も消防署もない。人がいなければ行政サービスも必要ない。すると疑問が湧いてくる:
なぜ私たち都会の人間は、田舎の町を養わなくちゃいけないんだ?
その町に人がいなければ行政サービスも必要なくなるし、その分のカネをもっと発展的なことに使える。誤解を恐れずに言っちゃおう:田舎の町は「誰かの儲けたカネで生きている」という点で、ニートと同じだ。
引きこもりニートは親のすねをかじりながらネトゲの街を運営している。田舎は都市の儲けを吸い上げながら、地方の街を運営している。両者の構造はそっくりだ。親が豊かなうちはいい。しかし親が退職し、家計が苦しくなってきたら、いつまでもネトゲに没頭していられない。ネトゲの世界で儲けを出す仕組みを考えるか、あるいはネトゲを卒業するしかない。


日本の税金まとめ(お勉強シリーズ) -Chikirinの日記
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20110823

こちらの記事では、日本の税金の使い道がまとめられている。Chikirinさんはここから、増税の効果や財政再建のタイムリミットについて考察している。だけど私には「地方に回すカネ」の大きさのほうが目についた。グラフのこげ茶色で示された部分だ。パッと見ただけでその巨額さがわかる。


人は分散するほど生活のコストが高くなり、身を寄せ合うほど低コストな暮らしができる。一人暮らしは実家暮らしよりもはるかに高コストだ。東京では若年層を中心に、ルームシェアカーシェアリングなどを介した「ご近所づきあい」が復活しつつある。こうした「21世紀型ムラ社会」が都市部で発達しはじめている反面、地方ではいまだに大型公共事業によるモータリゼーションの推進と「ファスト風土」化が進んでいる。都市の人間が身を寄せ合い、合理的で効率的な暮らしを目指しているのに、田舎はいまだに「高コストな暮らし」への憧れを捨てられずにいる。
国家の役割は安定した社会を築くことだ。この役割を果たすうえでもっとも重要なのは「富の再分配」である。豊かな都市部から貧しい田舎へ――この部分だけを見れば、地方へとカネを流すのは国の役割に適っているように思える。しかし地域格差ではなく所得格差に注目した場合、日本は再分配がうまくいっていない。都市部の金持ちから田舎の金持ちへとカネがスライドしているだけで、貧富の差はちっとも埋まっていない。「富の再分配」に失敗している以上、都市から地方への援助は正当性を失う。
なぜこのような状態が放置されてきたのかといえば、日本の政治が「田舎のやくざ」によって運営されているからだ。この国では「都市からより多くの富をぶん捕ってこられる人」が“優秀な政治家”だとされた。ほら、名前は出さないけれど思い当たる人がいるでしょう? 岩手県のあの人とか北海道のあの人とかさぁ。。。「他人の儲けを合法的に収奪してやろう」これはやくざの発想だ。高度成長期やバブル期はこの発想でもうまくいった。ニートでいえば親が元気な状態。
そして一票の格差が二倍以上というデタラメな選挙制度を作ることで、「田舎による略取」の構造は完成した。一票の格差は、すでに「違憲」の判決が最高裁で出ている。しかし政治家たちはこれを放置するだろう。自分たちに都合の悪い法律なんて無視するに決まってんじゃん。だってやくざだもん。
「国」は、打ち手の小づちではない。無尽蔵にカネを生み出せるわけがないし、無理をすればギリシャのように破綻する。地方の「もっとよこせ」という要求に、この国は答えられなくなりつつある。国債の格下げは破滅への第一歩だ。滅びの足音が聞こえているのに、この国の“えらい人たち”は知らんぷりをしている。



もはや「人の住めない街」を税金で無理やり維持するのは限界ではないか。
都市部に身を寄せ合って、効率的な行政サービスを実現すべきではないのか。



映画『サマーウォーズ』は、人のつながりの大切さを教えてくれる。ならば、人の集まる都市部でこそ強固なつながりを作るべきだ。過疎にあえぐ田舎では、出会える相手も限定的だ。「人のつながり」を作るのに、人のいない地域が適しているとは思えない。
国からの補助で生き延びる「ゾンビ企業」は激しく批判されてきた。しかし本当の問題は「ゾンビ化する地方」にある。
地方の一次産業では従事者一人あたりの生産性を高め、都市部へと人口の集積させて行政サービスを効率化する――これが増税もリフレもせずに財政を再建する唯一の道だ。





     ◆ ◆ ◆





地方の国庫依存はずうぅぅっと前から指摘されてきた。前掲のChikirinさんのグラフを見れば分かるとおり、国家予算における「田舎のためのカネ」はバカにならない額だ。しかし、この二十年で改善の兆しは見られず、多くの地方自治体が国からの援助なしには運営できなくなっている。


都道府県の自主財源比率ランキング
http://www.tonashiba.com/ranking/pref_autonomy/local_finance_p/09010004
※自主財源の比率が50%を超えているのはわずか12都府県。残りの道府県では財源の半分以上を国に頼っており、とくに30%を切っている地域はもはや地方“自治体”というよりも国営の団体と呼んだほうがいい。


都道府県格差(1)予算規模
http://www.geocities.jp/yamamrhr/ProIKE0911-110.html
※少しデータは古いけれど、より細かな分析が載っていて面白い。大阪、神奈川、愛知、埼玉の4府県は財政力があるにもかかわらず収支と債務残高は悪い。つまり財政力に任せて放漫経営をしてきたのではないか――なんて話はめちゃくちゃ興味深かった。今はどうなっているんだろうね、この4府県。



こうした地方自治体の国への依存が、所得格差の是正に役立っているのならまだ納得できる。しかし日本は「再分配のうまくいっていない国」として悪名高い。




図録▽所得再分配の国際比較
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4666.html


このグラフはリーマンショックの直後にバズッたので、見覚えのある人も多いはずだ。日本には数え切れないほどの「社会保障」の仕組みがあるけれど、それが貧富の差を埋めるのにあまり役立っていない。
なぜ地域格差を埋めるのかといえば、「都市に住む人は仕事があるからお金持ち/地方に住む人は仕事が無いから貧乏」という所得の格差を埋めるためだ。根源的な目的は、所得格差の是正なのだ。ところが公共事業でカネを流しても、田舎の土建屋の社長を潤すだけで、所得格差は縮まらなかった。都市部のお金持ちから田舎のお金持ちへとカネがスライドしているだけだ。
こうした状況が放置されているのは選挙制度がおかしいからだ。「田舎に回すカネはありません」なんていう政治家は、ゼッタイに当選できない仕組みになっている。「当選するのに必要な票数」は田舎のほうが少なくて済む。この「一票の格差問題」はここ数年さかんに議論されてきた。最高裁判所はすでに「違憲」との判決を出している。


1票の格差訴訟 最高裁大法廷の判決要旨
http://www.nikkei.com/news/report/article/g=96958A96889DE0E7E7E3E2E5EBE2E0E6E2E1E0E2E3E39FE3E0EBE2E2;o=9694E3EAE3E0E0E2E2EBE0E7E0EB


この国の政治家は、国からカネをぶん捕ってこられる人が優秀だとされてきた。国のカネとは、つまり都市部のカネだ。この国の政府は一枚板ではない。国全体の経済情勢が見えているのは官僚たちで、政治家たちは「地方の代表者」という色合いが強い。
地方の要求は今も昔も変わらない:もっとよこせ、だ。ニートと一緒である。国の経済が成長している局面では、その余剰を地方に回すことができた。ところが不景気が押し寄せて、都市部でも余剰を生み出すことが難しくなった。では、どうするか。
儲けがないなら、借金をすればいいじゃない!
政治家たちは国債を積み上げることで、地方からの要求に答えようとした。一票の格差問題に違憲判決がでたからといって、政治家たちはそれを根本から解決するような――大選挙区制のような制度は絶対に作らないだろう。自分たちの存在意義が失われるからだ。自分たちに都合の悪い法律は無視するし、他人の生み出した儲けを合法的に略取しようとする。これを「やくざの発想」といわずしてなんと呼べばいい。
日本の政治は「田舎のやくざが都会からぶん捕る」方向で発展してきた。


島田なんとかって人の記者会見すごかった -G.A.W.
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20110824/1314133334
※こちらのエントリーでは「島田なんとかって人が政界デビューするのではないか」と書かれている。まさに慧眼。この国で政治家をするならやくざが適している、とd:id:nakamurabashi さんは直観なさっている。




では「地方に流したカネ」は、本当に地方都市を豊かにしたのだろうか。答えはノーだ。公共事業で建造された贅沢な道路網は「ファスト風土」化を招いた。
ファスト風土」とは、地方社会において固有の地域性が消滅し、大型ショッピングセンター、コンビニ、ファミレス、ファストフード店、レンタルビデオ店、カラオケボックス、パチンコ店などが建ち並ぶ風景が全国一律となったさまを指す。全国の国道沿いには、大体みんな同じような光景が続いている。
公共事業の一環として道路網を発展させた結果、地域のコミュニティが破壊されてしまった。人々の移動手段が自家用車に偏重すると、郊外型のショッピングモールが儲かるようになる。すると地元の商店街は大打撃を受け、旧来のコミュニティは崩壊する。道路が人々の暮らしを分断するのだ。
田舎は人口密度が低く、人々は分散して暮らしている。分散して暮らせば「人とのつながり」が弱くなるのは当然だ。私たちは身を寄せ合って、支え合いながら生活すべきではないのか。
一般に「都会の人は冷淡で、田舎の人は温かい」というイメージがある。しかし、これは誤りだ。田舎に行くほど排他的になり、よそ者に冷たくなる。一方、都会では多くの人がバックグラウンドとなる「実家」を持たないため、自然と協力せざるをえなくなる。
例えば私の友人には、女三人でルームシェアをしている人がいる。もとは家賃の節約と防犯上の理由から一緒に暮らすようになったというが、彼女たちのマンションが面白い。お隣や上下の階に、同じように共同生活を営む若者が集まっている。それこそ「お醤油の貸し借りをするような」レベルでご近所づきあいをしているらしい。結婚して子供を持つようになっても、こうした協力態勢を失いたくないと彼女たちは言う。定時で仕事をあがることのできた誰かがシェアカーでみんなの子供たちを保育園に迎えに行く――そんな生活を実現するのが目標だそうだ。かつては田舎の大家族が担っていた「地域のコミュニティ」を、都会の若者たちは血縁によらない新たな形で再生しようとしている。




     ◆




そもそも、子供が小中高あわせて14人しかいない町にプロのスポーツ選手が使えるような体育館を建てたなんて話を聞くと、なんつーか、もにょもにょした気持ちになる。そんな体育館が子供たちの教育に必要だとは思えないし、仮に必要だとしても同レベルの施設がある都市部に「国内留学」させたほうが間違いなく安上がりだ。
国からの助成金でメシを食うことを覚えてしまうと、そこから抜け出せなくなる。これは地方行政に限った話ではない。どんな産業でも、国からの補助に依存しはじめるとおかしなことになる。日本の農業の衰退はその最たる例だろう。


農業を衰退させたもの(1)〜価格政策と農協
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110818/222150/
※田舎の人間が既得権にしがみついた結果、日本の農業が衰退してしまったという記事。そういえば、挑戦的な農家が新しくて効率的な商売を始めようとしたら叩き潰された、なんて話も聞いたことがあるなあ。怖い。


本来は競争原理を持ち込むべきではない産業に市場主義を持ち込む一方で、本当は競争させるべき産業を手厚く守る。この国はそういう過ちを何度も繰り返してきた。農業も、電力も、航空事業も、市場原理を持ち込んでいれば現在のような体たらくにはならなかっただろう。そして「町」も同じだ。歴史を紐解けばいくらでも例が見つかる。井戸水が枯れたら、住人たちは移住したのだ。暮らしづらい場所に住み続ける理由はないし、まして誰かのカネに頼って暮らすなんて甘えが過ぎる。「ゾンビ化する企業」よりも「ゾンビ化する地方」のほうが問題だ。



財政が破綻した場合、地方への援助はまず真っ先に断ち切られる。何の準備もなく、ある日突然その街の行政サービスがストップするのだ。現在の選挙制度を維持したまま、増税もリフレも許さないのなら、やがて間違いなく「その日」はやってくる。国債の格下げはこれで終わりではない。しばらくは安定するという予想が出されているけれど、またいつ下げられるか分からない。滅びのピタゴラスイッチは、すでに動き始めている。
いまの日本の財政状況で、いちばんの問題は借金の多さだ。借金の返済とあわせて、富を生み出すチカラの弱い「地方」にもカネをばらまかなければいけない。これらはすべて、「田舎の代表者」が選ばれる選挙制度が原因だ。
この選挙制度を、人口動態に即した代表者が選ばれる仕組みに変えれば、まず地方のゾンビ化を止められる。田舎の産業における従事者1人あたりの生産性を高めるインセンティブを生み出せるはずだ。また「都市部のカネで食べている人たち」を移住させて各地方の拠点都市に集約すれば、行政サービスのコストは格段に下がる。こうして国の支出における「地方のためのカネ」を減らすことができ、増税やリフレに頼らなくても財政を健全化できる。
選挙制度を見直しが、財政破綻のシナリオを回避するための第一歩だ。




     ◆ ◆ ◆




いつも通りに勝手気ままに書いてきたけれど、現実的なことを言うと、移住ってのは本当に難しいと思う。震災後に関西各地にシェルターが開設されたけれど、東北からの移住者はほとんどいなかったという。やっぱり住み慣れた場所を離れるのは心情的に厳しいモノがあるのだろうな。それはよく分かる。
その一方で、都市部の生み出した富を浪費することで経済の成り立っている地方も、確かに存在している。そういう地方には自立が求められるのだけど、現在、自主財源だけで行政運営ができているのは東京だけ、という現実がある。この現状を改善すべきってのは論を待たないはず。都会だって最近はカネがないのだ。
分散は非効率で、人は身を寄り添うと安上がりに暮らせる。だだっ広い道路をたくさん造ってバラバラに暮らす今の田舎生活を卒業して、各地方の拠点都市に人口集約することができないだろうか。これがこのエントリーの論旨だ。
ニートの親はいつか死ぬ。都市部からのカネも、いつか底をつきる。その日に備えて田舎を脱出するか、あなたの田舎を「儲かる場所」にしなければいけない。



      ◆



第二次世界大戦後、なにもないネバダ砂漠の真ん中に、突如として巨大な都市が現われた。ラスベガスだ。ゴールドラッシュの時代に発展したこの街は、金の採掘が終わると、さしたる産業もなく衰退の一途をたどっていた。その運命を変えたのはベンジャミン=シーゲルという男だ。ニューヨーク出身のギャングだった彼は、この街に巨大なカジノを開き、世界最高のエンターテインメント都市へと成長させた。当局はたびたびギャンブルを取り締まろうとしたし、もちろん国からの補助金なんて無かっただろう。日本のやくざとは大違いだ。


本気で「地方の再生」を考えているのなら、国からの手助けなんて要らない。
あなたの暮らす「地方」には、それだけの底ぢからがあるはずだ。










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