インターネットからの情報収集は、「自分の好きなものしか見ない」という危険性をはらんでいる。すぐれた検索システムによって「見たくないモノ」を見なくても済むからだ――。そんな批評をしばしば見かける。でも、見たくないものから目をそらすのは何もインターネットに限ったことではない。
成人の日の社説がウザい件 -テラの多事寸評
http://d.hatena.ne.jp/thinking-terra/20110110/1294657156
こうしてみると、新聞が「老人向け」の媒体なのだとよく分かる。中高年以上の人たちが「見たくない情報」は、巧妙に抜き落とされている。そうやって編集を受けた情報から、新聞読者は「現実」を知ったつもりになっていく。
まあ、「現実」なんてそんなものだ。ゆるぎない「たった一つの現実」なんてものは存在せず、一人ひとりが「個人的な現実」を生きている。現代とはそういう時代だ。
※今回のエントリーは、そんな感じのお話です。さりげなく今週のお題に答えると、今年の抱負は「内容のあるものを書くこと」――中身が無くてごめんなさい、Rootportです。
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昨晩、湯船につかったまま『ランジーン×コード tale.2』を読了した。あまりの面白さに区切りどころが見つからず、気付けばお湯がさめて水風呂になっていた。これで俺が風邪を引いたら作者のせいだ。こんな面白いお話をつくるなんて許せない!!
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ランジーン×コード tale.2 (このライトノベルがすごい!文庫)
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一巻に比べて面白さが倍増しているのはもちろん、SFやサスペンスというジャンルに限って言えば、ここ数ヶ月間で読んだどんな小説よりも面白かった。ちなみに俺がいちばん好きなジャンルでもあり、よーするにそれってここ数ヶ月で読んだどんな小説よりもぶっちぎりで面白かったってコトじゃねーの><
面白さの理由をつらつらと考えてみる。
ざっくり二つの側面――つまり技巧面と内容面に分けてみると、どちらもすごく充実していると気づかされる。単純に「上手い」ってのはもちろん、内容に現代性があって興味深いのだ。
技巧的な面では、第一巻の時点でも構成力の高さとアイディアの新鮮さには目を見張るモノがあった。で、第二巻では、細部の演出力が加わったと思う。キャラクター一人ひとりにスッと感情移入させる文章になっているから、ごく自然に、登場人物と一緒に泣いたり笑ったりできる。
内容面でいうと、時代性がめちゃくちゃ高いと感じた。なんつーのかな、「現代(いま)を切り取ってる」感じがする。キーワードは「なにを現実とするか」だ。このシリーズが一巻から通じて訴えているテーマでもある。
じゃあ俺の考える「現代(いま)」がどんな時代かというと、「一人に一つの現実」が実現されつつある時代だと思うの。
たとえば冷戦時代は「世界には二つの現実」があった。資本主義と共産主義。ところが冷戦終結と共に、「世界は一つの現実」へと向かう。パックス・アメリカーナってやつだ。
でも現実をどう認識するかは、人それぞれだ。「世界は一つの現実」ってのは本当は幻想でしかない。それに疑いの目を向けるような作品が90年代の終わりに登場して、ゼロ年代の行く末を定めた。そう、映画『マトリックス』だ。俺たちが「揺るぎない現実」だと思っているモノが、意外と脆いものだと示した。
だけど映画『マトリックス』は、「現実ってあやふやだよね」と示すにとどまり、「じゃあ現実の不確かさに気付いた俺たちはどーなるのよ!?」という疑問に答えられなかった。仮想世界と物質世界に二分されて戦うという、冷戦時代の焼き直しみたいなストーリーになっていった。
ツイッターでもFacebookでもmixiでも、俺たちは今、簡単に他者の「意思」に接することができる。だけど、その意思が「真意」である保証はどこにもない。人間同士だから当たり前だ。意思疎通のコストが下がったからこそ「真意には簡単に触れられない」という人間の本質が際立ってしまう。それが現代だ。
ツイッターなどのSNSの場合は、個人レベルで「真意がわからん!」という問題が生じる。ところが集団レベル、国家レベルでも同じ問題が生じうる。ウィキリークスはそれを端的に示している。あの政治家の立派な姿も、プロモーション会社とマスコミによって「作り上げられた現実」なのだと暴露されてしまった。
昔なら、“共有すべき現実”を国家が示してくれた。ちょっと前まではマスコミが「これが現実です」と示してくれた。それらが無くなりつつある今、俺たち一人一人が「なにを「現実」とするか」を決めなければいけない。そう、「一人に一つの現実」の時代が到来しているのだ。
【ネタバレ注意!】ここから↓↓
『ランジーン×コード』シリーズは、そういう時代性をうまく掴んでいる。特にtale.2では、ネットワーク状に共有される「意思」と、しかしそれが真意とは限らないという切なさとが盛り込まれていた。さらに事件を収束させるのは、「個人による選択」だ。
また主人公たちの所属する“くるみの家”は、アナログな人間関係の育まれる場所だ。作中の別のコミュ二ティー〈破詞〉や〈サトリ〉では、「瞬時に共有される意思」が描かれていた。そういうネットワーク的な人間関係は、“くるみの家”の人間関係と対比されている。シャワーシーンは単なるサービスではない。
↑↑ここまで【ネタバレ注意!】
このシリーズが訴えるテーマは、「一人に一つの現実」が広がりつつある現代の空気感と一致している。tale.2の結末は「この時代に俺たちがどう生きるべきか」の規範にさえなりうる。2010年代の初頭にこうした作品が生まれたのは、ラノベの枠を超えて歓迎されるべきだ。
というわけで『ランジーン×コード』シリーズはライトノベルの範疇に収まりきらない、すんげーSF小説だ。とくにtale.2はサスペンス小説としての完成度も非常に高く、普段ラノベ読まない人にこそ手にとって欲しい。tale.2から読んでも(たぶん)ストーリーは理解できる、はず。
言い忘れたけれど、『ランジーン×コード』シリーズは少年少女たちの成長譚としてもステキです。屁理屈なんて考えなくても楽しめる、爽やかな作品。「爽快」とはちょっと違うけれど、じわりとした感動が胸に残ります。
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この先、AR(拡張現実)の技術が発展していけば、「みんなで一つの現実」は消え去るだろう。視聴覚まで含めて、現実は「一人に一つ」のものになる。そして、そういう「個人的な現実」を最初に実現したのは、電子ペットでもバーチャル彼女でもなく、「人間関係」だった。
たとえば、好きな異性が「一人でディズニーランドに来た! ちょーさびしい!」とつぶやいていたとする。彼/彼女の突飛な行動を微笑ましく思うか、「本当は誰かと一緒なのではないか」と疑うか、判断はあなた自身に任されている。何を「現実」とするかは、あなたの選択にゆだねられている。
FacebookやtwitterなどのSNSは、普通、AR技術とは呼ばない。しかし「一人に一つの現実」をもたらすという点で、ARによく似ている。つまり「仮想的なAR」と言えるだろう。和訳すると仮想拡張現実だ。ちょー読みづらい。なんだそりゃ、って感じだ。
かつてSF小説家でさえ想像できなかった未来に、俺たちは今、生きている。
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