デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

出版社はマンガの企画段階でお金を払わなくていいと思う/『神と呼ばれたオタク』が生まれるまで

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※『神と呼ばれたオタク』Twitterキャンペーン実施中☆彡

 

 新作の紹介記事で、こういうセンシティブな話題を持ち出すのは我ながらどうかと思う。しかし、ここは地獄の1丁目はてなブログ、インターネットのWild Westだ。炎上が大好きな住民たちが憩う場所だ。当たり障りのない記事では誰にも読んでもらえないだろう。

 企画段階のマンガの〝値段〟についての話だ。

 インターネット上では非常にしばしば、若いマンガ家志望者の悲鳴がこだまする。

 曰く、ネームの修正を1年以上も繰り返したのに結局ボツになった、タダ働きをしてしまった――。そして、炎上。「出版社はネームに料金を支払うべきではないか?」という議論が繰り返される。

(※ネームとは:マンガの下書きのさらに前の工程で、コマ割りやキャラクターの配置&構図などを簡単にメモしたもの。いわばマンガの設計図であり、マンガの面白さはネームの段階でほぼ決まる)

 この手の炎上は非常にしばしば繰り返されているので、すでに諸先輩方によって議論は尽くされているように感じる。今さら改めて付け加えるべき論点は、とくに思いつかない。

 なので今回は、私の個人的な経験を語ろうと思う。

『神と呼ばれたオタク』ができるまで、である。

 

   ◆ ◆ ◆

 

 2019年2月17日コミティア127の会場を私はうろついていた。

 知らない人のために説明すると、コミティアは日本で星の数ほど開催されている同人誌即売会の1つだ。「コミケ」の通称で知られるコミックマーケットなら、すでに人口に膾炙した感がある。あれによく似たイベントだと思ってもらえばいい。

 ただし、コミティアコミケには大きな違いがある。

 コミティアでは原則として二次創作が禁止されているのだ。

 参加者たちは自分のオリジナル作品を同人誌にまとめて販売している。プロ作家やセミプロ、本気でデビューを目指している若者の参加も多い。プロ作家であれば、商業誌ではまず企画が通らないようなお話を書いたりしている。そしてデビューを目指す若者たちなら、自分の脳内にある物語を世に問おうとしている。

 そういう場所だからこそだろう。

 コミティアでは「出張編集部」の併設が恒例になっている。様々な出版社&編集部の編集者たちが集まり、作品の持ち込みを受け付けているのだ。

 普通なら、作品の持ち込みにはかなりの手間がかかる。ホームページで編集部の窓口番号を探し、電話でアポイントメントを取り、電車に揺られて直接出向く必要がある。たった1社に作品を持ち込むだけでも丸1日が潰れてしまう。マンガを描くなどというオタク気質な人間にとっては、知らない人と電話で話すだけでも心理的ハードルは高い。

 ところがコミティアの出張編集部では、それらハードルが大幅に省略されている。たった1日で、複数の編集部に作品を見てもらうことができる。持ち込みをする側としては大変ありがたい場である。

 

 その日の私は、『神と呼ばれたオタク』の企画を売り込もうとしているわけではなかった

 というか、その時点では『神オタ』は影も形もなかった。

 私が握っていたのは、『ケイリちゃん』の企画書だ。大人よりも簿記会計に詳しい女子小学生が、騒動を起こしたり事件を解決したりするお話である。「人間の欲望をえぐるような〝汚い『三ツ星カラーズ〟にしたい」というキャッチフレーズで売り込もうとしていた。(※勝手に名前を出したことをカツヲ先生にこの場を借りて謝罪したい)

 マンガの持ち込みをする際、完成原稿があるならそれに越したことはない。すでに商業デビューしている人なら、ネームの段階でも問題ないだろう。過去作がポートフォリオの代わりを果たすため、完成時の画力や雰囲気が分かるからだ。

 私のようなマンガ原作者の場合でも、作画担当者にそのまま渡せるレベルまで描き込んだネームを用意するほうが望ましいだろう。たしかに「脚本」の形式で原作を書いている作家は珍しくないし、私も例外ではない。けれど、文字情報からは完成したマンガのイメージがしにくい。たとえば芥川龍之介の『羅生門』を、鳥山明先生と荒木飛呂彦先生のそれぞれがコミカライズした場合を想像して欲しい。コマの割り方からフキダシの置き方まで、完全に違う作品になるはずだ。

 

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※当日持ち込んだ企画書の表紙/『ケイリちゃん』は主人公の名前

 では、その日の私もネームを持ち込んだのかというと、まったくそんなことはなかった。A4で5ページ(うち1ページは表紙)の企画書と、ブログに掲載した小説版を手直ししただけの小説原稿を持っていったのだ。我ながら呆れることに、脚本形式にすらなっていなかった。 仕事を舐めてんのか。

 当然ながら、と言うべきか。

 最初に持ち込んだいくつかの編集部では、けんもほろろだった。ある雑誌の編集者さんには「うちはこういうオタク向けの企画はやらないんです」とまで言われた。いやいや待ってくださいよ貴誌で今いちばん人気の『○○○○○』って作品はめっちゃオタク向けじゃないですか!と反論したくなる気持ちを抑えて、「そうですよね、ナハハ…」と愛想笑いを浮かべるしかなかった。

 バンチは3~4番目に持ち込んだ編集部だった。当日は混み合っていたので、待機列が空くタイミングを見計らっていたらそういう順番になってしまった。

 私の対応をしてくださったのはKさんというベテラン編集者さん。企画書を一目見て、Kさんはしみじみと「良い企画ですね」と言ってくれた。その場で名刺を交換し、新潮社とのお付き合いが始まった。

 

 

 最初の2ヵ月は、作画担当者を探すことに充てられた。

『ケイリちゃん』の作品世界の都合上、可愛らしい小学生を大量に描ける人が必要だった。しかし本誌バンチもWEB版のくらげバンチも、大人向けの渋い作品が多い媒体だ。〝萌え絵〟に強い漫画家さんを探すのは難航した。

 そんな中、名前があがったのが『神オタ』の作画担当である臼井ともみ先生だった。とはいえ、当時の臼井先生は『キューブアーツ』の連載中であり、新作を描くのはこれが終わってから――つまり、『ケイリちゃん』の連載をいつ開始できるか分からないという条件だった。

 私は喜んでその条件を飲んだ。

 臼井先生レベルに画力の高い漫画家さんと組ませていただけるチャンスは、そう多くないと判断したからだ。

 反面、内心では(もったいないな)とも感じた。

 というのも、『ケイリちゃん』は企画の性質上、舞台となる物語世界が狭いからだ。小学校の教室や校舎、通学路、せいぜい商店街やショッピングモールくらいしか登場しない。一方、『キューブアーツ』を読めば分かる通り、臼井先生は誰も見たことのないファンタジー世界を生々しく描ける方だ。

 その臼井先生に『ケイリちゃん』を描いていただくのは、何というか、三ツ星シェフを自宅に招いてカレーライスを作ってもらうようなものではないか?と感じてしまったのだ。カレーライスをdisるつもりはないし、三ツ星シェフならきっと抜群に美味しいカレーが作れるだろう。でも、本当はもっと色々な料理を作れるはずなのに、もったいないんじゃないか――?

 ともあれ、その時点でこの世に存在していたのは『ケイリちゃん』の小説版だけ。これを連載作品にできるように肉付けしつつ、脚本の形で書き直さなければならなかった。

 ところが、これが上手くいかなった。

 小説版では引っ込み思案で大人しい女の子を〝語り手〟役に、ケイリちゃんを観察するという形式をとっていた。連載マンガにするにあたり、語り手役として明るく行動的な新しいキャラクターを作ってみた。が、これがあまり上手く機能しなかったのだ。

 たとえば『デスノート』なら、夜神月リュークの利害は一致している。月は新世界の神になりたいし、リュークは人間の面白い行動を観察したい。たとえば『ヒカルの碁』でも、進藤ヒカルと藤原佐為の利害は一致している。佐為はヒカルがいなければ囲碁を打てないし、ヒカルは囲碁を打たないと佐為の呪いにより嘔吐してしまう(※さらに物語の中盤以降では、師としてもヒカルは佐為を必要とするようになる)。

 脚本版『ケイリちゃん』では、語り手役の新規キャラクターと、ケイリちゃんとの利害が一致していなかった。一緒に行動する理由がなかったのだ。2人を無理やり同じシーンに登場させ続けようとした結果、全体としてギクシャクとした、不自然なお話になってしまった。

 こうして『ケイリちゃん』の企画は行き詰った。2019年6月のことだ。私の担当編集者はKさんから、臼井先生の担当であるMさんへと変わっていた。

 

 今になって振り返ると、ここで踏ん張って『ケイリちゃん』の企画を練り続けるという選択肢もあったと思う。脚本が機能していない原因は分かっているのだから、そこを回避できるように物語の骨格から組み直せばいい。しかし、この時にはすでに、臼井先生の画力をもっと活かせる企画をやりたいという方向に私の心は傾いていた。

 で、Mさんにクソ企画を投げ続ける日々が始まった。

 1ヵ月ほど、十指に余るほどの企画書を送りつけたと思う。いずれもMさんの反応は煮え切らないものだった。私の代表作は『女騎士、経理になる。』であり、編集部からはお金や経済の要素を含む企画を期待されていたようだ。その上で臼井先生の画力を活かすとなると、良い切り口がなかなか見つからなかったのだ。

 企画書を送るたびにボツになり続けた。

 私は手札を使い切った。

「これ以上もう何も絞り出せねえよ」と、ふてくされた気持ちでベッドに入る日々が続いた。

 

 

 

『神と呼ばれたオタク』のアイディアを思いついた瞬間を、私ははっきりと覚えている。2019年7月7日の午前1時37分だ。

 なぜこんなに正確に覚えているかというと、そのときのツイートが残っているからだ。当時、世間では「女子高生の匂いになれる」という触れ込みでデオコというボディソープが話題だった。私も機会があれば使ってみたいなあデオコの品薄はいつになったら解消されるんだろうなあと考えながら布団をかぶり、ふと思いついたのだ。

 

 もしも映画『猿の惑星』の主人公がアニメオタクだったら?

 惑星が猿に支配されているのではなく、人類が石器時代まで戻っているだけだったら?

 アニメオタクならもう一度アニメを見たいと思うはずだし、そのためなら人類の歴史だってやり直そうとするはず。

 以前から『Civilization』のような歴史SLGや、宇宙漂流SLG『RimWorld』の実況プレイ動画を好んで見ていた。ああいうゲームの面白さをマンガで表現する切り口はないものかと思案していた。そうやって温めていた妄想も上手く組み込めそうだ。

 何よりこの設定なら、私の持っている経済史/会計史の知識を活かしたお話にできるはず――。

 

 もう、これしかないと思った。

 第一章のプロットを整理して、Mさんに送ったのが2日後の7月9日。

 Mさんと方針の確認をするため打ち合わせをしたのが7月16日。

 そこから約2週間で第1章(※連載10話分、約4万字)の脚本を書き上げて、参考資料となる画像と共に送ったのが7月29日。A4で4枚の企画書をまとめたのは翌7月30日だった。

 一も二もなく「この企画で行きましょう」ということになった。

 個人的な経験から言えば、編集者さんはある意味でド正直な人種だ。目にした原稿が面白ければ、細かい注文はつけずに「早くやりましょう!すぐやりましょう!いつから作業を開始できますか?」と食いついてくる。Mさんに限らず、過去に私が関わった編集者さんはみんなそうだった。マンガでも小説でもビジネス書でもWEB媒体でも、みんな同じだった。

(※逆に言えば、「ここをもう少しこういう感じにできませんかねぇ…」と修正指示を出されるときは――。その原稿は、本当は「てんでダメ」なのかもしれない)

 

 ところが2019年8月末、社内の異動によりMさんが担当から外れた。

 新たにIさんが私の担当になった。

 インターネット上の噂話では、担当編集の変更は「おおごと」にされがちだ。しかし、ああいう噂話は私の個人的な経験とは一致しない。編集者さんだってサラリーマンであり、異動(や時には転職)があって当然だ。それでもプロの編集者さんであれば大きなトラブルは起こさない。この時の担当変更でも同様だった。

 2019年11月、『キューブアーツ』の最終巻が刊行された。

 2020年の年明けから、本格的に『神オタ』の準備を進めようという話になった。

 しかし、物事はそう順調には進まなかった。

 コロナ禍が始まったのである。

 

 読書は自宅で、1人でできる。にもかかわらず、マンガ業界もコロナ禍とは無縁ではなかった。ポイントは2つある:第一に、紀伊國屋などの大手書店も一律で休業したこと。第二に、マンガは出版から最初の数週間の売上でその後が決まってしまうことだ。

 発刊から1~2週間での数字が芳しくなかった場合、重版をかけてもらうことは難しく、打ち切りが視野に入ってくる。大手書店が休業しているということは、その期間には誰も新刊を発売したがらないということだ。まずは現在連載中の作品を上手く売るために、発刊の計画を組み直さなければならない。自然と、新規連載は後回しにせざるをえなくなる。

 かくして『神オタ』の連載開始は丸一年遅れた。

 第1話がくらげバンチに掲載されたのは2021年4月13日だった。

 とはいえ、連載開始が遅れたのはあくまでもコロナ禍という外部要因のせいだ。作品作りという点では、まったく問題なく作業が進んだ。むしろ、これほど綿密に準備した上で連載を開始できるケースは珍しい。作画資料の共有にも時間をかけることができた。連載第5~6話は、脚本の初稿ではもっと退屈な展開だった。それを大幅に修正する余裕があったのは、1年間という長大な準備期間のおかげだ。

 唐揚げやショートケーキにすらアンチはいるし、すべての人から好まれる作品というものは存在しない。それでも作者としては「すごく面白く仕上がったぞ!」と感じている。たくさんの人に読んでいただければ感謝甚大だ。

 

試し読み

くらげバンチ

神と呼ばれたオタク - 原作:Rootport 漫画:臼井ともみ / 第1話 帰還。 | くらげバンチ

ニコニコ静画

seiga.nicovideo.jp

 

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www.shinchosha.co.jp

 

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 なお、この1年間で(連載準備以外に)私が何をしていたかというと、おおむねAPEX Legendsをやっていた。当初は0.50を下回っていたK/Dはこの1年間で1.20まで上がり、かつてはプラチナに行くことさえ諦めたランク戦では野良でダイヤまで行けるようになった。さらに、すべてのキャラクターでハンマーを取得した。

(※誰か一緒に遊んでください)

 

   ◆ ◆ ◆

 

 長くなったが、ここで冒頭の疑問に戻ろう。

 出版社は企画段階のマンガのネームにお金を払うべきか?

 個人的な経験から言えば、私は払わなくていいと思っている。というのも、お金を受け取ってしまうと自由がなくなるからだ。ネームの修正に料金が発生しない代わりに、作家を縛ることもない現在の商習慣のほうが、私たちクリエイター側に有利なものだと私は感じる。

 たとえばハリウッド映画なら、脚本の売買が当たり前だそうだ。

 脚本家やそのワナビたちは制作会社のプロデューサーに面会しては、自分の書きあげた脚本を売り込む。売却に成功すれば、たしかにまとまったお金が入るだろう。しかし、売れたからといって、実際に映画が製作されるとは限らない。むしろ、そのままお蔵入りになる脚本のほうがはるかに多いという。脚本家が丹精込めて書き上げた物語の多くが、わずか数人のスタッフの間で回し読みされるだけで、永遠に金庫で眠ることになる。

 当然ながら、そういう塩漬けの脚本でも、脚本家は他の制作会社に売り込むことはできない。すでに売却済みで、映像化の権利を押さえられているからだ。あなたが脚本家の立場だったら、たまったものではないだろう。やはり、自分の描いたものを世に出したいと思うのが人情だ。

 もしも出版社がネームの修正に料金を払うようになったら、日本のマンガ業界も同様になってしまう。出版社側としては「修正次第ではダイヤモンドになるかもしれない原石」を押さえておけるし、クリエイター側としても小銭を稼げる。そこだけ見れば、悪くない取引かもしれない。けれど、他の出版社に持ち込めば、その作品は修正なしでも充分に面白いと評価されるかもしれないのだ。

QT「『ハリー・ポッターと賢者の石』は12の出版社の12人の編集者に断られたあげく、最初の原稿持ち込みから1年後にようやく出版に漕ぎつけた。ブルームズベリー社…がJ. K. ローリングに前払いで支払った原稿料は、わずか2,500ポンドだった」

――ターリ・シャーロット『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』p210

 

 とはいえ――。

 1年以上も修正を繰り返して、結局ボツになる悲しさは私にも分かる。というのも、私もまったく同じ経験をしたからだ。

『神と呼ばれたオタク』の準備が始まったのは2019年半ばだが、同時期に別の出版社とe-Sportsをテーマにしたマンガの準備も始めていた。『神オタ』は無事に連載までこぎつけた一方で、そちらは今年の前半にボツになった。作画担当者の降板を始めとして、様々なトラブルが重なってしまった。2年間も準備を続けてきた挙句、である。

 ではなぜ私は、炎上する若手作家のように「タダ働きさせられた!」と悲鳴をあげないのか?

 タダ働きだとは思っていないからだ。たまたま、その出版社とはご縁がなかっただけだ。反省点を手直しした上で、他の編集部に持ち込めばいいと思っているからだ。

(手始めにバンチのIさんに相談してみよう)

(いや待て、バンチでe-Sportsといえばうめ先生の『東京トイボクシーズ』がすでにあるが…?)

(あちらは格ゲー、こちらはFPSなので平気でしょう。サッカーと野球くらい違う、はずだ)

 

 ちなみに『女騎士、経理になる。』の最終第8巻が出版されたのが2019年11月だった。その半年以上前から、私は新しい企画を考えて出張編集部に持ち込んでいたことになる。結局のところ「自分にはこの作品しかない」と考えてしまうと、ボツを食らったときにツラくなるのだろう。

 作品から手を抜くべきだと言いたいのではない。

 チャンスさえあれば色々なお話を書きたいし、すべての作品に全力を投じたい。すべての作家に当てはまるわけではないだろうが、少なくとも私はそう思っている。創作意欲が「色々なものを書きたい」という方向に発揮されているわけだ。(※書かせてもらえるかどうかは別として)

 

 若手作家が「タダ働きさせられた」と感じるのであれば、そこで何らかのコミュニケーション・エラーが起きていることは間違いない。改善すべき〝何か〟があるのだろう。

 たしかに話に聞く限りでは、悪質な編集部や編集者が存在しないわけではないらしい。そういう人々とかかわらずに済んでいるという点で、私は極めて恵まれている。

 いずれにせよ、問題があるとすれば円滑なコミュニケーションが行えているかどうかや、悪質な人々に騙されずに済んでいるかどうかという点だ。ネームに修正料金を払うべきかどうかという商習慣レベルの問題ではないだろう。メリットとデメリットを比べれば、自由というメリットが勝る。

 

①日本には出版社も編集部も山ほどある。担当編集者の意見は傾聴すべきだが、たった1人に依存しない。『ハリー・ポッター』でさえ12社でボツを食らったことや、『進撃の巨人』でさえ少年ジャンプでボツを食らったことを忘れない。

②自分の創造性を信じる。あなたはたった一つのアイディアしか出せない人間ではない。何回ボツを食らっても、いくらでもアイディアを出せるはず。

③思いついたアイディアの7割以上はクソだと理解する。プロ野球選手でさえ、打率3割あれば良いほうだ。人間である以上、百発百中で良いアイディアを出せるわけがない。

④ボツを食らっても「失敗した」とは考えないトーマス・エジソンの名言にならい、「上手くいかない方法を発見した」と考えるといい。ボツを食らうのは後退や足踏みではなく、前進である。

 

 ボツを食らえば、誰だって落ち込む。

 それでも以上4つくらいの心構えを頭の片隅に覚えておくと、精神を守れる。