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人工中絶は少子化の原因か?

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 日本では1948年に優生保護法が施行され、1949年から経済的理由での中絶が合法化されました。その結果、日本では合計特殊出生率が激減しました。上記グラフの緑色の線が、中絶件数の増減を示しています。「中絶の合法化は少子化の原因か?」と尋ねられたら、答えは「イエス」です。

 しかし、中絶解禁では少子化の原因の1/4しか説明できません。※註1

 当たり前ですが、女性は中絶が解禁されたから子供を堕ろしたくなったのではありません。「もともと計画していた子供の数」を中絶によって実現できるようになっただけです。中絶件数の減少からも分かるとおり、現在では中絶よりも避妊が選ばれるようになりました。

 

 生物学には「ティンバーゲンの4つの『なぜ?』」という考え方があります。これは動物学者ニコ・ティンバーゲンが提唱した思考の枠組みです。ひとつの「なぜ?」という疑問には、少なくとも4つの正しい答えがあるのです。

 たとえば「なぜ鳥は飛ぶの?」という疑問を考えてみましょう。

「航空力学的に優れた翼を持つから」という答えも、「敵から逃げやすくエサやねぐらを探しやすい」という答えも、どちらも正しい。

「優れた翼を持つ」というのは、鳥が飛ぶ理由の「至近的メカニズム」を説明しています。一方、「敵から逃げやすくエサやねぐらを探しやすい」というのは、鳥が飛ぶ理由の進化適応上の意味を説明しています。こちらは「究極要因」とも呼ばれます。

「中絶合法化が少子化の原因である」という答えは、至近的メカニズムの説明としては正しい。しかし、究極要因については何も説明していません。現在では中絶が減り、避妊が選ばれるようになりました。「人々はどのように産児数を計画しているのか?」という疑問には、中絶合法化では答えられないのです。

 

ティンバーゲンの4つの『なぜ?』」では、このほかに「系統発生上の答え」「発達上の答え」が正しいとされています。

 たとえば鳥が飛ぶ理由は、恐竜から進化する過程で中空の軽量の骨格を手に入れ、鱗を羽毛に進化させたからです。これが「系統発生上の答え」です。

 ところで、ヒトは幼少期をともに過ごした異性には性的魅力を感じにくくなることが知られています(※ウェスターマーク効果)。「なぜヒトはきょうだいとの近親相姦を避けるの?」という疑問は、「遺伝的多様性が減って疫病に弱くなるのを避けるため」という答えと、「幼い頃にともに過ごしたから」という答えの、どちらもが正しいと言えます。

 前者は進化適応上の意味を説明していますから、「究極要因」です。一方、後者は個体の成長過程での経験から答えを導いています。こちらが「発達上の答え」です。 

 要するに、ひとつの「なぜ?」という疑問には、至近的メカニズムや進化適応上の意味のほかに、歴史的経緯からも答えることができるのです。この歴史的経緯のうち、マクロレベルのものが「系統発生上の答え」、ミクロレベルのものが「発達上の答え」です。

 たとえば現代の日本の少子化は「団塊ジュニア世代の成人時に就職氷河期が起き、彼らの多くが結婚できなかったから」とも説明されます。この説明そのものは、正しいと思います。ただし、日本にしか当てはまらない歴史的経緯を説明しているので、「発達上の答え」だと考えるべきでしょう。

 

 

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ティンバーゲンの4つの『なぜ?』」を表にまとめると、上記のようになります。かなり前に作った表なので、今回の記事とは用語が違ってしまっていることをお許しください。

「進化適応上の意味(適応)

「至近的メカニズム(メカニズム)

「マクロレベルの歴史的経緯(系統発生)

「ミクロレベルの歴史的経緯(成長)

 以上の4つの側面から正しい答えを導くことができるという点は、今回の記事に書いた通りです。

 繰り返しになりますが、重要なのはひとつの「なぜ?」という疑問には複数(少なくとも4つ)の正しい答えがありうるということです。「正しい答えはひとつではない」と頭の片隅に置いておかないと、複雑な現象をうまく理解できなくなります。「ある説明が他の説明と相互排他かどうか」には、つねに注意を払いたいものです。

 

     ◆ ◆ ◆ 

 

 進化心理学は、ヒトの行動のうち「進化適応上の意味」を探ることを主眼にしています。

 たとえば、なぜヒトは甘いものを好むのでしょうか?

「糖分を受容する味蕾(みらい)が舌の表面にあるから」というのが至近的メカニズムの答えです。「子供の頃に信頼できる大人から甘いものを与えられたから」というのが発達上の答えかもしれません。それらに対し、「人類が進化した太古のアフリカのサバンナで、カロリーの高い食物を効率よく探すため」というのが進化適応上の答え――すなわち究極要因です。進化心理学が答えようとしているのは、これです。

 進化心理学に対する「いきすぎた一般化をしている」という批判は、妥当なものだと思います。他の生物に当てはまる進化論の法則が、ヒトにも当てはまるとは限りません。その前提を無視して、「進化の法則が当てはまるはずだ」と決めつけて、都合のいい証拠を集めているだけではないか? という批判です。

 一方で、この批判をするのであれば、いわゆる「オッカムの剃刀」を始めとした科学哲学的な節約主義に立ち向かわなければなりません。物事を説明する際に、必要以上に多くの仮定を置くべきではありません。他の生物に当てはまる法則でヒトの行動を上手く説明できるのなら――つまり「ヒトは他の生物とはまったく違う存在だ」という仮定がなくても説明が可能なら、そのような仮定は省略するべきです。

 進化心理学を「いきすぎた一般化だ」と批判するのなら、何よりもまず「ヒトは他の生物とはまったく違う存在だ」という仮定を証明しなければなりません。もしもその仮定が正しいのなら、他の生物に当てはまる法則をヒトに適用することはできないことになります。

 目下のところ、論戦の戦況は進化心理学者や人類学者の側に有利に傾いているように感じられます。彼らは「ヒトがいかにごく普通の生き物であるか」を明らかにし続けています。もはや「ヒトは特別である」という仮定の立証責任は、批判者の側にあるでしょう。

 嘆くべきは、進化心理学の主な批判者である人文・社会学者が生物学に疎いということです。大学で教鞭を執っている人ですら、高校レベルの生物学を理解していない場合が珍しくありません。進化心理学を批判する前に進化論を学ぶべきですし、進化論を学ぶ前に、ごく基本的な生物の知識を身につけるべきです。

 生物の知識がなければ、「ヒトはどんな生物か」という疑問には答えられません。ヒトが特別であるかどうかは脇に置くとしても、私たちが「生物である」という点は、動かしがたい事実なのですから。

 

 

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会計が動かす世界の歴史 なぜ「文字」より先に「簿記」が生まれたのか

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進化の存在証明

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心の仕組み 上 (ちくま学芸文庫)

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※註1

「中絶合法化では少子化の原因の1/4しか説明できない」 という記述の「1/4」とは、統計学的な意味ではない。ティンバーゲンの提唱する4つの側面のうち1つしか答えられないという意味である。