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デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

2014年、おおらかさと思慮深さの年に。

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2013年は私たちの「狂気」が目立った年だった。
2ch個人情報流出事件に大騒ぎし、冷蔵庫に入る若者たちを狂ったように叩き、ヘイトスピーチはついに警察に目を付けられるレベルまで激化し、そしてビットコイン・バブルに一喜一憂させられた。
いずれのできごとも、背景には「お祭り騒ぎ」が──、すなわち一種の狂気がある。考えるよりも先に行動してしまう思慮の浅さが、こうした出来事を引き起こした。私たち人間は、すぐに浮き足立ってしまう生き物だ。
こうした去年のできごとを踏まえて、今年はおおらかさと思慮深さの年になればいいと願っている。
軽率さよりも熟考を。
怒りよりも笑いを。
そういうものを大切にした一年になればいいと思う。



     ◆



インターネットから得られる情報は、とても刺激的だ。
Facebookの「イイネ!」が欲しいから、私たちはリア充であるかのようにふるまう。Twitterのリツイートが欲しくて上手いことを言おうとするし、ニコ生で年端も行かない娘が肌をさらす。承認欲求を満たすシステムとしてインターネットはあまりにも出来すぎており、著名人でもそれは同じだ。2chに自作自演の書き込みをしてしまうのは、いかにも人間らしい行為だと私は思う。
著名人の自作自演が露見したとき、多くの人が鬼の首をとったように叩いた。では叩いた人たちは、自分は絶対に自作自演をしないと言い切れるだろうか。酔った勢いや、悪友にほだされて、つい書いてしまうことがないと言い切れるのだろうか。
もちろん自作自演は正義にかなわない。意図的にウソをついているからだ。しかし人間はいつでも正気でいるわけではないし、間違いを犯すこともある。誰かの失敗を笑えるのは、絶対に同じ失敗をしない人だけだ。個人情報流出後の自作自演叩きは、「もしも自分が相手の立場だったら同じ失敗をしなかっただろうか?」という思慮が足りなかった。
これは「冷蔵庫に入る若者を叩く」ことにも言える。
冷蔵庫は象徴的な例だが、2013年にはバカな行為をした若者の「吊るし上げ」が散見された。
罪には、その重さに見合った罰が下されなければいけない。小鳥を撃つのに大砲を使うべきではない。若者たちの「バカ」な行為は、社会的に抹殺されるほどの罪だったのだろうか。アルバイトの管理が甘かったのは大問題だが、しかし閉店を余儀なくされるほどの罪だったのだろうか。
個人も社会も、反省と学習によって成長する。失敗を犯したときに「二度と失敗しない工夫」を積み重ねることで発展する。ホモ・サピエンスは約25万年前のアフリカに生まれた。私たちが生きる現代社会は、25万年ぶんの反省と学習の結果である。失敗した者を排除するだけでは、人も、世の中も成長しない。
バカな若者の引き起こした「炎上」は、2つの点で思慮が足りなかった。1つは、罪にはその重さにふさわしい罰を下すべきだという原則が無視されていたこと。もう1つは、失敗した者を排除するだけでは何の発展も成果も得られないというマクロな視点が欠如していたことだ。
もちろん、いちばん思慮が浅かったのはバカな若者たちだ。しかし、彼らを前科者に追い込んだり、退学を余儀なくさせることが、果たして正義にかなうことだったのだろうか。バカな若者を社会から排除した結果、そのまま「バカな大人」になってしまうのであれば本末転倒だ。そうならないようにするにはどうすればいいのか、一考の余地があった。
また2013年の後半には、私たちはビットコインに熱狂した。
しかしポール・クルーグマンが冷静に指摘しているとおり、貨幣としてのビットコインの性質は決して新しいものではない。金本位制の金をデジタルデータに置き換えただけであり、貨幣の保有、デフレ、不況に弱い等の性質をそのまま受け継いでいる。
ビットコインの暴騰はバブルに過ぎず、私たちは17世紀スペインのチューリップバブルや、明治初期の日本のうさぎバブルと同じことを繰り返していただけだ。既存の通貨の信用が揺らぎ、株式の値動きが不安な時代だからこそ、新しい投機先としてビットコインが注目された。しかし、貨幣とは取引の流動性を高めて社会を豊かにするためのものであって、保有と転売だけを目的とした貨幣は、そもそも貨幣としての機能を果たしていない。
バブルはいずれ終息に向かう。財市場の取引に積極的に使用されるブレイクスルーがない限り、ビットコインの将来は暗いだろう。



自作自演も炎上もバブルも、私たちの一瞬の熱狂がもたらすものだ。私たちの「狂気」が、こういったできごとを引き起こした。そして思慮の浅さは、世の中にプラスにならないばかりか、ときには害をなす。
現在のインターネットは、かなり自由に使うことができる。しかし私たちが狂気を押さえられないのであれば、いずれ書き込みに対する規制は強まっていくだろう。そして私たちはかけがえのない自由を失うのだ。自由は、自律と自制のできる者だけに許される。



     ◆



明治5年〜6年ごろ、日本では「うさぎバブル」が起きた。
もともと日本にはノウサギしか棲息しておらず、西洋から持ち込まれたカイウサギは当時の日本人の目に新奇に映った。珍しい柄のうさぎを飼育するのがブームになり、一羽あたり200〜300円、ときには600円で取引された。玄米中級一石が4円〜5円、大人1人の三ヶ月ぶんの米を1円でまかなえた時代に、だ。
うさぎバブルを牽引したのは、俸禄を失った下級の武士や、商人、職人たち──つまり、新時代の庶民たちだった。彼らは家財を投げうって、うさぎに投資した。一攫千金の夢を見たのだ。うさぎの飼育はあまりにも広く流行し、東京の豆腐屋では、豆腐よりも、うさぎのエサにするオカラのほうがよく売れるほどだったという。
明治6年12月7日、うさぎブームの過熱を危険視した東京府は規制に乗り出す。うさぎ1羽につき毎月1円の税金を課した。
うさぎバブルは崩壊し、東京は大混乱に陥った。
飼っていたうさぎを川に流して捨てる者、郊外まで売りに出かける者、なかには二束三文になったうさぎを飼い集め、毛皮製品に加工して売りさばく商魂たくましい者もいたらしい。
うさぎ税の布達から2日後、明治6年12月9日に「神田の大火」という火事が起きる。神田福田町(現・千代田区)から日本橋までが火の手に包まれ、5700戸以上が焼き尽くされた。重税に不満を持った者による放火だったのではないかという風聞も立ったそうだ。
明治6年の年の瀬には、うさぎ肉の汁物を売る屋台が東京中に現れたという。ほんの1年前にはバブルによって巨万の富をもたらしてくれたウサギは、子供の小遣いほどの金額で食われるようになってしまった。

去年の暮れ 餅をつきけり 玉うさぎ
今年の暮れは 餅につきけり

当時の東京で詠われた狂歌だ。




しばしば日本人の国民性は「真面目で勤勉なこと」だと言われる。
しかし、私の意見は少し違う。
狂気に陥り、混乱し、悲劇に見舞われて……どんなに厳しい事態に直面しても、ユーモアで笑い飛ばしてしまう。気の利いた狂歌にしてしまう。もしも「日本人らしさ」なるものがあるとしたら、それは、そういう「おおらかさ」だと思う。オレオレ詐欺の新名称を募集したらTwitter大喜利になってしまったのを見る限り、こういう「おおらかさ」は今の日本人にも受け継がれているはずだ。
軽率さよりも熟考を。
怒りよりも笑いを。
今年は、去年よりもたくさん笑える年になることを願ってやまない。
新年、明けましておめでとうございます。






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