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デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

『ガッチャマン・クラウズ』と現代

冗語 感想
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だから、彼らにはたとえで語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。

――『マタイの福音書

「アニメ『ガッチャマンクラウズ』は目新しいガジェットを詰め込んだだけの駄作だ」という意見を目にした。SFは未来像を示すものだから、「現代」のガジェットを山盛りにするだけではSFではない。むしろSFとしては駄作の部類に入る……という意見だ。



アニメ『GATCHAMAN CROWDS』公式サイト



娯楽作品を観て何を感じるかは自由なので、まあ、そう思うならそれでいい。
でも、できればその作品の「面白さ」を探さないと損だ。『ガッチャマンクラウズ』がこれだけ注目されて、たくさんの人をワクワクさせているのは、きっと何か秘密があるはずだ。そう考えたほうが楽しいではないか。


まず「SFは未来像を示すものだ」という前提がもったいない。
意図的にSFの定義を狭くしているからだ。その定義から漏れた作品を否定するのはかんたんだけど、はたしてSFってそんなに懐の浅いジャンルなのか?
たしかに一昔前のSFには ── たとえばディックの活躍した60年代〜70年代ぐらいのSFには、「未来像を描き出す」という傾向が強いと感じる。作家によっては、偏執的なほど未来にこだわっていたりする。
でも、最近ではSFのすそ野はもっと広がっていると思う。



そもそも「SF的な発想」とは、たぶん煎じ詰めれば「奇想天外なできごとに論理的な説明をつけること」だろう。この部分はミステリーにもよく似ている。産業革命以降の科学主義の興隆にあわせて、SFとミステリーは産声を上げた。
ミステリーの土台にはヨーロッパの伝統的な奇譚がある、らしい。
「○○をしたら呪われたよ」
「○○をしたら妖精や亡霊、怪異に殺されてしまったよ」
……みたいな物語に、「いやいや妖精なんているわけねーから!」という科学主義で勝負を挑んだのがミステリーの始まりだそうだ。ちなみに犯人はサルだ。(ネタバレ)
ミステリーがテーマとするのは、基本的には個人的な体験だ。事件に関わるのはせいぜい数人、多くても数十人ぐらい。個人的で、ときには日常的な「不可解なできごと」に対して、論理的な説明を与えようとする。それがミステリーの出発点だ。もちろん例外は認める。
そしてミステリーの発想を、社会や世の中全体に拡張したものが、SFだと見なせるのではないか。
個人レベルではない「不可解なできごと」について――つまり社会や宇宙、歴史にまで波及する「不可解なできごと」いついて科学のエッセンスで解説を加えると、それはSFになるはずだ。もちろん異論は認める(弱気)
だからSFでは、大多数の人間を巻き込んだスケールの大きな物語が描かれやすい。ウェルズの『宇宙戦争』は1898年の作品だ。日本は明治31年、日清戦争が終結してまだ3年しか経っていなかった。アメリカはスペインと戦争していた。そんな時代に地球滅亡の物語が書かれたのだ。人間という生き物の想像力に驚嘆を禁じえない。



ミステリーとSFは、産業革命以後の科学主義が産んだ双子みたいなジャンルだと思う。そして、どちらも現在では単一のジャンルにとどまらず、様々なジャンルにアイディアを借用され、広く流通している。もはやSFを一つのジャンルと見なすことは不可能で、一種のプラットフォームと見なしたほうがいいだろう。少なくとも「未来像を示すことだけがSFだ」なんて私は思わない。






閑話休題






話を『ガッチャマンクラウズ』に戻そう。
すでにたくさんの人が指摘しているとおり、『ガッチャマンクラウズ』はハイコンテクストな作品だ。登場する人物やガジェットをそのまま楽しむだけでなく、それらが何を暗喩しているのか想像しながら楽しむタイプの作品だ。
そして『ガッチャマンクラウズ』は「未来がどうなるか」ではなくて、「現在がどんな時代か」を確認する作品だと思うのだ。世の中には、そういうタイプの作品があるのだ。
歴史に名前を残すのではなく、同時代の人間が「現在」をたしかめるための物語がある。いまがどんな時代かを知るための物語がある。一種の「祭り」のようなものだ。同じ時間を共有している仲間同士で盛り上がるための作品があるのだ。
2013年を知らないと――この時代のコンテクストを知らないと、『ガッチャマンクラウズ』は充分には楽しめない。本作が「ハイコンテクストな作品」と呼ばれるゆえんだ。音楽でいうCDとライブの違いに似ている。私たちは『ガッチャマンクラウズ』というライブを見せられている。『ガッチャマンクラウズ』という祭りに参加しているのだ。
そういう作品である以上、世の中に出てきたばかりの目新しいガジェットを取り入れるのは当然だ。なぜなら『ガッチャマンクラウズ』が描こうとしているのは(たぶん)現代だからだ。100年先の未来ではなく、来年、再来年ぐらい先までの時代だからだ。
では、なぜ「現代」を確認するのにフィクションを使わなければいけないのか。新聞やネットのニュースではなく、わざわざ作り話によって「現代」を知ろうとするのか。
たぶん、そうしないと人間は理解できないからだ。「物語」の形にパッケージングして始めて、私たちは抽象的なものを理解できる。
「時代」などという極めて抽象的なものを理解するためには、物語にするしかない。一部の天才はさておき、私たち凡人は物語がなければ今がどういう時代か分からない。世の中がどういうものか分からない。物語がなければ、私たちは生きていけない。



目新しいガジェットに飛びついているからといって、SFとして駄作だとは限らない。なぜなら、SFはもはや単一のジャンルを超えた、一つのプラットフォームになっているからだ。『ガッチャマンクラウズ』は遠い未来を予想する物語ではなく、どちらかと言えば「現代」を確認するようなタイプの物語だ。そういうタイプの物語を描く際に、SFをプラットフォームとして利用しているにすぎない。SFの定義をわざわざ狭くして否定的になるよりも、『ガッチャマンクラウズ』という祭りに参加して一緒に騒いだほうが、ずっと楽しいと私は思う。





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