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「グローバル化」人為説

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現代は、グローバル化の進む時代だ。
カネ・モノ・ヒトが国境を越えて流通し、世界中を瞬時に情報が駆け巡る。私たちは、この状況が自然発生的に生まれたと考えがちだ。情報技術の発展と自由市場の「見えざる手」によって、人類はグローバル化を運命づけられていたのだ、と。
しかし、この世に運命などない。
現代のグローバル化は自然現象などではなく、人為的な、政治的決定の結果だと見なすこともできる。グローバル化の下地は、ブレトンウッズ体制が生んだIMF、WTO、世界銀行によって途上国世界に押し付けられ、アメリカの民主・共和両党の政権によって押し進められてきた……という考え方だ。



     ◆




私たちは、現代が人類史上もっともグローバル化の進んだ時代だと考えてしまいがちだ。というか、私も以前はそう考えていてこんな記事を書いていた。


しかし実際には、1870年代〜1913年には、世界はきわめてグローバルな経済を確立していた。ある部分では、現代以上にグローバルな時代だったという。
人類のグローバル化の端緒をどこまでさかのぼるかは難しい。地中海貿易とアルファベットを生み出したフェニキア人か、それともシルクロードの人々か。あるいは、大航海時代のヨーロッパ諸国だろうか。しかし現代のグローバル化につながるような「世界規模の経済圏」を築いたのは、17世紀のオランダ人だった。
オランダ人が先鞭をつけた国際貿易は、その後、イギリスに受け継がれる。1846年から1860年にかけて、ヴィクトリア朝イギリスは市場を前代未聞のレベルまで自由交易に開放した。穀物法を廃止し、航海法を打ち切り、すべての関税を撤廃し、フランスその他の国々と自由化適用を組み入れた通商条約を結んだ。
たしかに当時はインターネットなど無かったが、実用的な大西洋横断電信ケーブルは1866年にはすでに敷設されており、19世紀末には世界のどこかで起きた大事件のニュースが数日以内に地球の裏側まで伝わる状況になっていた。
こうした情報技術は明治初期の日本人にとっても感銘を与えるものであったらしい。著述家・服部誠一は『東京新繁昌記(1874年/明治7年)』で、文明開化がもたらした数ある技術のなかで「世の中にもっとも有益なのは電信であろう」と述べている。情報技術の有用性を見抜いていたのだ。『ノース・チャイナ・ヘラルド』や『ジャパン・ウィークリー・メイル』といった英字新聞がさかんに発行され、極東の島国の様子を世界に伝えていた。当時の日本は工業化が始まったばかりの発展途上国だったが、しかし世界から切り離されていたわけではない。情報はグローバルに流通していた。
また、20世紀初頭の対外投資は現在の水準を上回ってさえいた。鉄道、蒸気船、電報、冷蔵技術などの輸送通信の飛躍的進歩は1900年にはすでに成し遂げられており、グローバリゼーションを促進した。国際貸借も、人の移動も、公的な制約は現在よりもはるかに小さかった。ジョン・メイナード・ケインズはこの時代を振り返って、こんな言葉を残している:「ロンドンの住民がベッドで朝の紅茶をすすりながら、世界中のさまざまな製品を電話で注文できた」
もちろん当時は植民地主義の時代であり、先進国の豊かさは被支配地域の収奪により成り立っていた。とはいえ、膨大なモノ・ヒト・カネが国境を越えて流通していたのは事実であり、きわめてグローバルな時代だったと言っていいだろう。
ところが1914年、サラエボで歴史が変わる。
オーストリアの皇太子が暗殺され、第一次世界大戦が勃発。世界は戦争と分断の時代に突入する。戦前のグローバル経済を支えていた金本位制も崩壊してしまった。
第二次世界大戦末期の1944年7月、アメリカ・ニューハンプシャー州ブレトンウッズに連合国の首脳が集まり、国際的な通貨のあり方について会議が行われた。戦争によって荒廃した経済の立て直しと、国際貿易の再建が目下の議題だった。この会議で交わされた協定が、いわゆる「ブレトンウッズ協定」だ。
ブレトンウッズ協定金本位制を復活させ、国際通貨を安定させた。と、同時に、この協定は3つの国際機関を生み出した。
新たな通貨制度を運営するIMF(国際通貨機関)
国際的な融資を行う国際復興開発銀行(のちの世界銀行)
そして、多国間の貿易協定を管理するGATT(関税と貿易に関する一般協定)だ。GATTは1995年に解消され、代わりにWTO世界貿易機関が発足した。
この3つの機関は、まずは西側諸国の復興支援を行い、ついで発展途上国の支援を行うようになった。敗戦により先進国から途上国へと転落した日本も、1953年以降に世界銀行から計8億6000万ドルを借り入れて、東海道新幹線などのインフラ整備に充てている。ブレトンウッズ体制の「管理された資本主義」の下で、世界は着実にグローバル経済を取り戻していった。
グローバル化の基準になる数値として、たとえば世界のGDPに対する国際商品輸出の割合があげられる。これが1913年代の水準に戻ったのは1970年代に入ってからだ。また、世界のGDPに対する国外資産の割合が1914年の水準に戻ったのは1980年になってからだった。
1970年代、世界経済の規模拡大にともない金本位制がゆらぎ始める。
金本位制の経済では、貨幣の流通量は金の産出量に制限を受けてしまう。しかし世界経済は、金の採掘が追いつかない規模で成長を続けていた。1971年、アメリカはドルと金の交換を停止。1973年、米ドルを基軸通貨とした変動相場制に移行。ブレトンウッズ体制は終結する。
しかし、前述の3つの国際機関は残った。
1980年代〜1990年代、IMF、WTO、世界銀行の3つの機関は、世界各地の貿易市場の自由化を押し進めた。とくに苛烈だったのは、IMFや世界銀行の途上国に対する施策だ。IMFや世界銀行は融資条件として、各国政府に新自由主義的な改革を受け入れさせていった。たとえば1997年のアジア通貨危機では、タイ、インドネシア、韓国がIMFの管理下に入り、貿易の規制緩和と公共部門の縮小(水道などの公的サービスの民営化、公務員の賃金引き下げ)を余儀なくされた。
貿易の規制緩和、海外からの直接投資に対する門戸開放、国営企業の民営化──。IMF、WTO、世界銀行の3つの機関は(おもにアメリカの後押しにより)世界経済の貿易自由化を押し進めた。関税を撤廃する協定のことをFTA自由貿易協定)と呼ぶが、1992年にはNAFTA北米自由貿易協定やAFTAASEAN自由貿易協定)が結ばれた。経済評論家やSF作家の世迷い事にすぎなかった「関税のない世界」が、現実のものになった。いま話題のTPPも、こうした歴史的な流れの一端だ。



グローバル化に関する記述の多くは、それが1970年〜1980年代に突如として現れたかのように語っている。しかし実際には、ブレトンウッズ協定の下で制度的な下地が作られ、各国の規制緩和自由貿易協定として結実した。現代のグローバル化は自然発生的なものではなく、政治的な決定により人為的に作られたものだと見なすことができる。



     ◆



ナッサリウスと呼ばれる巻貝の殻がある。アフリカの考古学遺跡で頻繁に見つかる貝だ。穴が開けられ、染料が塗られ、おそらくビーズとして使用されていたことがうかがえる。なかでもモロッコのタフォラルトで出土するものは抜群に古く、8万2000年以上前のものだと分かっている。正確な年代は不明だが、同じような貝殻がイスラエルのスクールやアルジェリアのウエド・ジェバナでも見つかっている。
重要な点は、タフォラルトは最寄りの海岸から約40km、ウエド・ジェバナは約200kmも離れているということだ。海岸沿いに暮らす人々と内陸に暮らす人々との間に交易があったことがうかがえる。
また時代はぐっと下るが、約7500年前のユーフラテス川南部からイラン、地中海にいたる広大な地域で、「ウバイド様式」と呼ばれる土器・土製の鎌、住居デザインが広まっていた。ウバイド様式を採用した遠国の人々が自国の習慣はそのまま維持していたことから、この文化がメソポタミアからの入植によって作られたものではなく、交易と模倣によって形成されたことが分かる。
さらに5000年前の縄文時代の日本には長距離の交易があったことが、青森県三内丸山遺跡の調査で分かっている。三内丸山遺跡からは、約600km離れた新潟が原産のヒスイが出土している。
なにが言いたいのかと言えば、私たち人類は「交易」をせずにはいられない動物のようだ、ということだ。
技術革新があるたびに、私たちは交易の規模を拡大させてきた。レバノン杉の船によってフェニキア人は地中海の貿易を確立した。ラクダの家畜化に成功したことで、シルクロードは陸路で行き来できるようになった。ガレオン船の発明は世界規模の貿易圏を作り出した。産業革命による技術革新は、世界経済のグローバル化を強力に押し進めた。
こうした歴史の流れを見ると、超長期的な視点では、世界はまちがいなく1つの経済圏に収斂していく ── グローバル化していく ── ように思える。むしろ1914年以降のグローバル化の後退した約70年間のほうが、特異な期間だったのではないかと思える。
しかし、この70年間は人類文明に壊滅的なダメージを与えた。そして戦後の各国の政治的選択がなければ、おそらく現在のグローバル化の再建もなかっただろう。
ここから言えるのは、グローバル化が決して安泰ではないということだ。
私たちはグローバル化が自然発生的に進行し、もはや誰にも止めることができないと考えてしまいがちだ。たしかに100年、1000年という超長期的な視点では、グローバリゼーションはどこまでも進んでいくだろう。しかし数十年という短期的な視点では、権力者の政治的選択ひとつでかんたんに後退してしまう。そして20世紀半ばの大戦期が示すように、グローバル化の後退は、笑ってすませられないダメージを世界に与える。
だからこそ、私たちは注意深くあらねばならないと思うのだ。
情報の統制や、表現の規制。排外主義的なプロパガンダ。前世紀に世界の分断と戦禍を引き起こしたすべてのものに対して、注意深くあるべきだ。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。国際貿易の恩恵による繁栄が、戦争により一夜にして崩れ去った歴史を、私たちは忘れてはならないだろう。








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