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デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

そんな仕事じゃメシは食えない

冗語
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日本のサラリーマンは問題を忌避する傾向にあるが、本来、問題とは解くためのものだ。私たちが受け取る報酬は、本来なら「問題を解決した対価」であるはずだ。しかし現実には、「問題を起こさないこと」を主な目的とした職業がある。アナログ時代に経済発展した日本では、膨大な数のホワイトカラーがそういう非効率な仕事に従事している。



仕事の超基本スキル(その3)問題は解くモノです
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20130208



今回の元ネタは、ちきりんさんのこちらの記事。内容には全面的に同意だ。が、現実には「問題を起こさないこと」そのものを目的に働いている人がたくさんいる。その視点が抜け落ちていると感じたので、ちょっとメモしておく。



     ◆ ◆ ◆



沖仲仕の生活が一変したという話は、ほんとうに示唆に富んでいると思う。
「新しい画期的な仕組み」によって、それまでの「人の手でやるしかなかった仕事」が無くなり、文化そのものが消失したという例だ。


「孫の代までの仕事」が10年で消えたケース
http://d.hatena.ne.jp/repon/20121030/p1


これ、現在の日本のホワイトカラーの仕事にも当てはまる。
現在の日本のホワイトカラーの仕事はとても非効率だ。情報技術の猛烈な進歩と国際分業の急速な発展により、非効率なものになってしまった――と言うべきかもしれない。人の手でやるしかない時代には、たしかに最適化された仕事だったのだろう。しかし技術や環境が変わった現在では、時代遅れなものになってしまった。



たとえば管理部門:ルールどおりに給与を計算したり、支払履歴と得意先の請求書とを消し込んだり、伝票データを資料にまとめたり……「そんなもん機械にやらせろよ」って仕事をしている人が日本にはたくさんいる。電算機の急発展に、日本の就業形態や経済体制は追いついてない。こういう仕事は近い将来、消失する。間違いなく消える。
では営業部門はどうだろう:日本は「ものづくりの国」らしいので、メーカーで考えてみよう。メーカーにとっての得意先は「仲卸業者」だ。小売業者と仲卸業者の双方に足を運んで商流をアレンジするのが、メーカーの営業職の仕事になる。
しかし、だ。
おそらく近い将来、仲卸業も小売業も急縮小する。
小売業に占めるネット通販の割合は、今後も(ほぼ青天井で)増え続けるだろう。卸売業の重要な機能として「貸倒れリスクを肩代わりする」というものがあった。が、これは保険会社で充分だ。したがって、メーカーにとって「Amazonと保険会社だけあればいい」という時代が近いうちに来るはずだ。
では、そういう時代に「営業職」ってどのぐらい必要なのだろう。
B to Bの高付加価値な取引を仲介している営業職は、近い将来、大部分が消失してしまうのではないだろうか。繁華街の客引きと大差のない、付加価値の低い仕事しか「営業職」には残らないのではないか。


営業もいらない、管理部門もいらない。
こうなると、ホワイトカラーの仕事は「マーケティング・企画開発・プロモーション」みたいなモノに絞られていく。結局、独創性とか創造性を問われる部門にしか人間の居場所はない。なぜなら、単純な処理は機械で充分だからだ。機械に無理ならフィリピンにでも外注すれば充分だからだ。



       ◆



日本のホワイトカラーには、「機械にやらせろよ」って仕事に従事している人が多い。電算機にやらせたほうが速いし安いはずの、とても非効率な仕事だ。ではなぜそんな作業が「職業」になるのかといえば、ほんの10年、20年前までは人の手でやるしかなかったからだ。機械の進歩はあまりにも急速だった。
でもねぇ、そういう非効率な仕事をしてきた人って、その仕事しかできないんだよねぇ…。
「船から船へ荷物を運ぶこと」しかできなかった沖仲仕の人々みたいなもので、コンテナ輸送のような「画期的な仕組み」が生まれたからといって、かんたんには仕事を変えられない。人間の学習速度には限界がある。


この「人間の学習速度には限界がある」って、とても重要な視点だと私は思っている。「非効率な仕事がなくなればモノの価格が下がってみんなが豊かになる」という考え方がある (※そして私も傾倒している)けれど、時間軸を忘れてはいけない。人間の学習速度よりも急速に仕事がなくなれば、そこで失業が生じる。
かつての沖仲仕が荷物を運ぶことしかできなかったように、いまの日本のホワイトカラーは「さらりまん」の仕事しかできない。そんな彼らから仕事を取り上げるのは、なんだかとても残酷な気がする。今後、「さらりまん」の所得は下がり続ける。彼らはある意味、時代の犠牲者だ。


沖仲仕の場合は、社会的階層が低く、カネも政治的発言力もなかった。一方、日本のホワイトカラーはどうだろう。社会的階層は高く、カネも政治力も持っている。したがって「非効率な仕事をなくす」という方針には徹底的に反対するはずだ。そういう仕事をいつまでも残そうとするはずだ。
非効率な仕事がたくさん残されているせいで、モノの価格 (※単位労働あたりの収入で購入できる財貨)はますます高く、私たちはますます貧しくなっていくだろう。これはアナログ時代に経済発展した国の運命であり、もはや避けようがない。日本はすでに終わっている。
ひるがえって、いまの新興国はどうだろう。マレーシアでもインドネシアでもどこでもいいが、現在まさに経済発展しつつある国ではどうだろう。「機械にやらせろよ」って仕事は、最初から機械にやらせるはずだ。経済体制そのものがデジタル・ネイティブなのだ。現在の日本よりも、ずっと効率的な社会を作るはずだ。



       ◆



日本のホワイトカラーは非効率だ。カネをもらいすぎだ。しかし、それはホワイトカラーから仕事を奪ってもいい理由にはならない。ホワイトカラーの所得を一律減額していい理由にはならない。誰かがカネをもらいすぎているのなら、「いかにしてそのカネを使わせるか」を考えるほうが健全だ。
誰かからカネを取り上げれば、その人が不幸になるだけだ。もしも気持ちよくカネを使わせることができれば、その人はモノやサービスを得られて嬉しいし、カネを受け取った側は儲けを出せて嬉しい。商売はしあわせを増産する仕組みだ。カネを奪う方法よりも、使わせる方法を考えたい。



いま、私たちは「国民国家の崩壊」に直面している。
一昔前なら「日本の景気がよくなる」「日本企業が儲かる」「日本人みんなが豊かになる」という命題をイコールで結ぶことができた。少なくとも、そう錯覚することができた。けれど今は違う。日本の景気がよくなっても、日本人みんなが豊かになるとは限らない。
国民国家が崩壊して、国や組織に尽くすことが豊かさには結びつかなくなった。個人同士のつながりの中で豊かさを模索する時代になった。であれば、その「つながり」に必要とされる「自分」になればいい。
たとえ日本が終わっていても、あなたの人生が終わったわけではない。



世界は三層構造でできている 「国家」「企業」より重視したい所属先は? -ダイヤモンド・オンライン
http://diamond.jp/articles/-/13597



私たちにできることと言えば、せいぜい自分が「さらりまん」に――機械や新興国の労働者との競争にさらされる立場に――ならないよう努力することだけだ。私はしばしば「モノを作れる人間が最強」というようなことを書いてきたが、その理由も同じだ。




個人的経験として「友達だから安く(タダで)やってくれない?」と言う人が長い友人になった事はないですね。「これだけしかないけど、なんとか君にやって欲しいんだ」と言われたら値段は関係ないと思えます。一番嬉しかった発注は「お前は大嫌いなんだが、この仕事はお前にしか頼めない」かなあ

松智洋(@matsu_tomohiro)


「お前のことは大嫌いだけど、この仕事はお前にしか頼めない」
こんな言葉をかけてもらえる人が最強なんだよね、職種や業種を問わず。















※「さらりまん」という単語は、SF作家ウィリアム・ギブスンが『ニューロマンサー』の作中で使った“Sarariman”を黒丸尚が和訳したもの。ギブスンは日本の組織文化的なサラリーマンを指して、やや揶揄的にこの単語を使った。




※参考


なぜあなたはミスをするのか?/非効率なホワイトカラーと21世紀に求められる人材
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20120713/1342191408



“消費の時代”から“生産の時代”へ
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20121031/1351686158



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