先日、学生時代の友人たちと神楽坂で飲んだ。
話題の中心は、どの街に住みたいか――。山手線の内側の地名が、次々に上がる。
「○○駅なら買物が便利だよ」
「△△町って、とってもお洒落!」
「そういえば赤坂見附にビックカメラができるらしいよ、一体どんな客層を狙っているんだろう……」
私はカラダは京都、心はネットで生活しているため、都心部の情報にうとい。東京出身とはいえ、生まれも育ちも多摩地区で、青春を過ごしたのは立川だ。わずかな知識を振り絞って、なんとか話題についていこうとした。
「そ、そういえば立川にIKEAができるらしいよ……」
「立川? あのショボい伊勢丹があるところ?」
――し、ショボくねーし!
すぐ隣には映画館だってあるし!
いいぜ、てめえが立川はショボイって言うなら、まずはそのふざけた幻想をぶち殺す!(震え声)
ともあれ、彼らの話題は、なにかに似ていると思った。
「赤坂にビックカメラがあるよ」というセリフ。これって、「YouTubeに笑える動画があるよ」という言葉によく似ている。「ニコニコ動画にいい曲があるよ」という言葉にそっくりだ。住んでいる世界がリアルかバーチャルかの違いはあるけれど、本質的には相似な話題だ。
ビックカメラでいまいちピンと来ないなら、アパレル系のおしゃれな商業施設を想像してみるといい。同じメーカーが作った同じ製品なら、どこで買おうと関係ない。数百円の電車賃を(あるいは高い家賃を)払って“おしゃれな街”に出かけるのは、その“場所”そのものに何かしらの価値を感じているからだ。
買い物をするだけなら、リアルな店舗はもう要らない。
それでも人々がビックカメラに足を運ぶのは、なにか理由があるからだ。
1つは人類学的な惰性だろう。私たちはもう何百年も、「店舗でモノを買う」という習慣に馴染んできた。店頭の商品に値札をつけて、定価で客に販売する――。いまでは当たり前の販売方法を“正札販売”と呼ぶ。17世紀末ごろに正札販売を世界で初めて実現したのは三井越後屋――現在の三越だった。
逆にいえば、約4,000年の貨幣経済の歴史のなかで、正札販売になったのは「つい最近」とも考えられる。
もう1つの理由は、買い物そのものが (Huluの動画のような)コンテンツだからだ。商品がズラッと並んでいるのは壮観で、眺めているだけでワクワクする。店員と会話しながら買い物かごを満たすのは、画面をクリックするよりも楽しい。「買い物」という行為そのものが一つのコンテンツであり、カネを払って消費される対象なのだ。
三越に話を戻せば、デパートは商品を販売する場であると同時に、日本人にとっては「ハレの場」でもある。一張羅(いっちょうら)のスーツを、たとえば欧米人は劇場や社交パーティーに着ていくのに対し、日本人はなぜかデパートに着ていく。これは日本人がバカだからではなく、もともと“ハレの場”には特別な衣服を着るという習慣があったからだ。高度成長期、田舎を離れて都会に出てきた人々は、祝祭などの“ハレの場”を失ってしまった。だから日本の都市部ではデパートが“ハレの場”になった。現在では地方都市のイオンモールにも同じことが言えるかもしれない。
ともかく私たち日本人は、昭和のころにはすでに買い物を一種の“コンテンツ”と見なし、ハレ着を身につけて楽しんでいた。ふさわしい服装を選び、期待に胸をふくらませながら家を出て、店員との会話を楽しむ――。買い物は、エンターテインメントだ。
そして、贅沢なコンテンツでもある。
店頭に人を置き、客に足を運ばせて、モノを売る。
ただ商品を受け渡すだけならば、こんなに非効率な仕組みは必要ない。だから“店舗”というコンテンツを維持するには、地域の“豊かさ”が必須になる。店先まで足を運ぶ時間的余裕のある人、ネットよりも高い価格を嫌がらない金銭的余裕のある人。そういう人がたくさんいる地域でなければ、もはや“店舗”というコンテンツは維持できない。
東京は、たとえるならYouTubeやニコニコ動画なのだ。ユーザーがとても多いから、コンテンツも次々に集まってくる。コンテンツ同士が競い合い、見たこともない新しいサービスを生み出している。友人はこう言った:「赤坂見附にビックカメラを開店して、一体なにを売るつもりなのだろう」――たしかにあの町には、家電量販店のメインターゲットは少ないだろう。それでも充分に人が集まるなら、その人たちに合わせた商売が可能になる。
それに対して地方都市は、たとえるなら【掲載自粛】や【検閲削除】なのだ。過疎化したWEBサービスからは、コンテンツがどんどん離れていく。同様に、地方都市の駅前商店街はシャッター街となり、国道沿いの画一的な商業施設だけが生き残る。
ローカル性は、地域の豊かさの証拠だ。
東京の都心部では、ほぼすべての駅に特徴があり、地域性がある。わずか数百メートルしか離れていない新宿と代々木の「違い」を説明できる。並外れた豊かさゆえに、細分化されたローカル性を維持できる。これは都心部に限らない。
たとえば東京郊外の府中には、現在でも個人経営の店舗が数多く残っている。府中駅前ではトイザらスの向かい側で小さなおもちゃ屋がいまだに看板を掲げている。大國魂神社や競馬場という“ハレの場”があるため、府中には自然と人が集まる。それが地域の豊かさを底支えして、ローカル性を維持可能にした。たぶん府中は、地方都市が――イオンに蹂躙されずに――なりたかった姿なのだろう。夢見た姿なのだろう。温泉も出るし。
小津安二郎『東京物語』は1953年の映画だ。GHQによる占領から主権を回復したばかりの日本、急速に復興した東京と、緩慢な時間の流れる地方都市の対比――。『ALWAYS 三丁目の夕日』のような作り物ではなく、等身大の50年代の文化がフィルムに刻まれている。
私はこの映画を観て、和装の多さに驚かされた。
各登場人物につき、必ず一回は和服を着るシーンがある。50年代には、和装の習慣がまだ根付いていたのだ。着物を着るのは今ほど特別なことではなく、日常の延長線上だった。
ところが現在、京都では「浴衣の着付けサービス」が成り立っている。ディズニーランドでねずみの耳をつけるように、日本の古都で民族衣装を着ることがコンテンツとして消費されている。習慣が変わったことで、かつての日常はコンテンツになった。
いつか「買い物」も、同じ道をたどるかもしれない。
◆
「いらっしゃいませ、21世紀ストアへようこそ」
「当店では2000年代に流行したモノを、当時と同様の販売方法で取り扱っております。ご足労いただき、ありがとうございます」
「お客様、信じられますか? 当時は店頭に生身の人間が立ってモノを売買していたんです!」
「通貨には、紙や金属片が使われていました。偽造も会計操作も簡単にできてしまうのに、原始的ですよね……」
「……あ、ご安心ください。もちろん現在の通貨をご利用になれますよ」
「こちらはタブレットPCとスマートフォンです」
「なにをするため装置か、わかります?」
「じつはこれ、通信をするための道具なんです!」
「当時はこんな装置を持ち歩かないと、ネットワークすら利用できませんでした」
「21世紀は、電子化が始まったばかりの時代でした。だから様々な作業を、生身の人間にやらせていたんです」
「当時の人間たちは、人力車の代わりに自動車を使い、農奴の代わりにトラクターを使うようになったことを“進歩”だと誇っていました」
「現在の私たちから見れば、大した違いはないのに……」
「当店では、2000年代の文化をできるだけ再現しようと努めています」
「ほんとうは店員にも、私の代わりに生身の人間を使うつもりだったようです」
「……私、ですか?」
「私は世界で最初のバーチャル・シンガーですよ、マスター」
※参考
ビックカメラ、東京・赤坂見附に新店を2013年夏オープン
http://kaden.watch.impress.co.jp/docs/news/20120413_526248.html
IKEA立川 店舗情報
http://xn--ikea-8p0mf9n.com/IKEA%E7%AB%8B%E5%B7%9D/
家電量販、「アマゾン価格」に怒り
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20121116/239526/?rt=nocnt
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