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子供の“学力”を伸ばしたいのなら英語圏で育てましょう

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英語と日本語のどちらが難しいか? という議論は、何度となく(井戸端や床屋や居酒屋で)繰り返されてきた。一般に、日本語は“難しい言語”だと信じられている。ノンネイティブの日本語学習者たちは、まず語尾変化の多さと語順の自由さにつまずき、そして文字の多さに挫折するという。かな文字だけでも100字以上あるのに、常用漢字は2,000字以上、常用外の漢字を使う筆者も少なくない、オーノー! Jesus Christ……というワケだ。米国の外務職員局でも、日本語はもっとも難しい言語に分類されているらしい。




英語話者に対する言語習得難易度表:日本語は最高難度‐A Successful Failure
http://d.hatena.ne.jp/LM-7/20090919/1253362856


「日本語って難しいよね!」という言葉は、しばしば私たちの民族的な自尊心を慰める。こんなに難しい言語を使いこなしている私たちは、きっと優れた人種に違いない――と、信じ込めるからだ。なんとなれば、誰も傷つけずに自己愛を充たせる。ビールを飲み干すまでの時間を潰すのに「日本語難解論」ほど適した話題はない。
ところで最近、次のような記事が注目を集めていた:


小学校から算数を追放すると1/4の授業時間で成績を上がった話‐読書猿Classic
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-631.html


記事のタイトルだけを見ると「トンデモ」な印象を持ってしまうが、内容には納得させられた。1930年代のアメリカで行われた教育実験の結果について記されている。
教育とは子供を厳しくしつけることだ、棒でたたくことだ――と、素朴に信じられていた時代だ。そんな時代に、ニューハンプシャー州の小学校校長L.P.ベネゼットは、成長段階に合わせた教育をほどこすべきだと考えた。抽象的な思考が苦手な幼少期には算数の教育はやめてしまおうと考えたのだ。その結果、どうなったか:高学年から算数を学びはじめた子供たちは、幼少期から算数を学んでいた子供たちにあっという間に追いつき、最終的には追い越してしまった。
ポイントは、ただ算数の教育をやめただけではない、という点だ。ベネゼットは算数を教えないことで浮いた時間を、読み書きを中心とする言語能力の習熟にまわした。
小学生に算数を教えないという実験は、いまの日本ではとても許されるものではないだろう。また現在は教育の方法論や技術そのものも1930年代とは比べものにならないほど発展しており、幼少期から確実に学力を身につけられるようになっている。いまの日本で算数教育をやめてしまうのは、メリットよりもデメリットのほうが大きいはずた。
では、ベネゼットの実験から学べることは何だろう:
それは言語的能力の重要さだ。算数・数学という理系科目であっても、基盤となる言語能力がしっかりしていなければ力を伸ばすのは難しい。読みこなせる語彙の数や文章の量は、水面下ですべての科目に影響している。俗な言い方をすれば「本を読まないやつはバカになる」のだ。このことは以前にも指摘した。


生涯所得を数千万円変える“本当の”情報格差/若者よ書を求め街へ出よ? (※1)
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20110813/1313239682


ここで、日本語の難しさについて思い出してみよう。
私たちは小学校6年間をかけて約1,000字の漢字を教わる。これは常用漢字の半数ほどだ。ネイティブである私たちですら、日本語を完璧に読み書きするには長い時間がかかる。学校教育には限界があるのだ。読書好きな子供たちは自力で読解力・語彙力を身に着けていく一方、そうでない子供たちとの学力差はどこまでも開いていく。
それに対して、アルファベット圏では違う。小学校の1年生のうちに必要な文字はすべて教わってしまい、あとはひたすら語彙を増やし、読書量を増やすだけになる。日本の小学2年生は大江健三郎を読めないが、アメリカの小学2年生は (理屈のうえでは)トマス・ピンチョンを読めるのだ。知らない単語があれば辞書を引けばいい。一方、日本語では辞書そのものが小学2年生の知らない文字で書かれている。英語は簡単であるがゆえに、基礎となる言語能力を固めるのもたやすい。そして、あらゆる学力を伸ばしやすくなる。
さて、「難しい日本語」を使いこなす私たちは、果たして優秀な民族だろうか?
日本語の難しさが、むしろ知的能力の足かせになっているのではないか?
もちろん母国語の難易度は、学力の決定的な差にはならない。子供の学力は、親が教育に投資できる金額や、その国の風土 (=教育熱心さ)に大きく影響されるからだ。多くの日本人にとって、「日本語が教育に適しているかどうか」は問題にならない。日本人として生まれた以上、日本語を得意になるしかない。


学力の国際比較(2009年)‐社会実情データ図録
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3940.html
※この資料でも、学歴社会が色濃くて受験競争の激しい地域が上位に食い込んでおり、母語の影響はあまり見うけられない。




     ◆




ところが、たとえば国際結婚をした夫婦にとっては、言語の選択が身近な問題になる。「子供の初等教育を何語でほどこすか?」という議論を避けて通れないからだ。
アメリカ人と日本人のカップルについて考えてみよう。子供のしあわせを考えるなら、英語と日本語のどちらの言葉をまず教えるべきだろうか?
子供の“学力”を考えるなら、英語を選ぶのが合理的だろう。あまねく学力の基礎が言語能力にあるとすれば、英語はあまりコストをかけずにその基礎を固めることができる。一方、日本語では読み書きをマスターするだけでも一苦労だ。いい歳の大人でも漢字を苦手とする人が少なくない。 (※自己言及)
しかし“文化”を考えれば、答えは変わってくる。英語のネイティブとして学んだ子供は、日本語を学ぶのに多大な苦労を要するだろう。その苦労は、おそらく日本語のネイティブが英語を学ぶ際の苦労よりも大きい。バイリンガルとして日本語圏・英語圏のどちらの文化にも属したいと考えるなら、日本語を母語としたほうが効率的だ。
言語能力は、単純な“学力”にとどまらない文化的・民族的な問題をはらんでいる。子供の“学力”だけを伸ばしたいのなら、日本語は非効率な言語かもしれない。しかし、学力だけが子供をしあわせにするわけではないし、そもそも人間は非効率な生き物なのだ。
私たちが次世代に伝えたいのは、“学力”だけではないはずだ。





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(※1)数千万円なんて大した差じゃないじゃん、と思ったあなた! その指摘は正しいです。読書習慣は間違いなく学力に影響しますが、東大卒フリーターの珍しくない時代、学力が生涯所得に与える影響は(昔ほどは)大きくないのかな、と思います。