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デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

『さよならを言うのは』(1/5)

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前作:『ギムレットには早すぎて』



『さよならを言うのは』




     一



けたたましい着信音に、意識が呼び戻される。携帯電話が枕もとで踊っている。八木忠政は跳び起きた。剣道場には布団が敷き詰められ、捜査員たちが死体のように転がっている。実りのない会議を終えたのが三十分前。スーツを脱ぎ棄てて毛布にくるまったのが十五分前。周囲から「うるせえ」という呪詛が飛ぶ。
「――どうした」
思わず、不機嫌な声になった。クリスマスまで残り一週間。部屋の隅ではストーブが頑張っているが、真冬の空気には歯が立たない。トランクスに半袖シャツ一枚という、小学生のような格好だ。思わず、くしゃみを一つ。高い天井によく響いた。
「すみません。もう眠っていらっしゃいましたよね」
相手は切り口上で尋ねる。
「いいや、あと一歩のところだった。中央線でいえば神田駅だ」終点まであと一駅。「熟睡していたら電話なんか取れねえよ」
その一方で、目が冴えて眠れない夜もある。歳をとるのは楽しいことではない。顔がべたつく。手のひらで拭ってみると、サラダ油を塗ったみたいにぬめりを帯びていた。
「……よかった。お疲れのようでしたし、中央特快なみのスピードで眠ってしまわれたかと」
「大丈夫だ。本当に疲れているときはスーパーあずさだ。……広国(ひろくに)、お前のほうこそまだ寝ていなかったのか。脱輪事故でも起こしたか」
こちらの軽口に笑いもせず、広国は「やることがありましたので」と応じる。この時間だ、ただ事ではないだろう。必死の思いで布団から立ち上がり、脱ぎ散らかしたスーツににじり寄る。相手の一言で、眠気が吹き飛んだ。
「ホシが挙がりました」
肩に電話を挟み、片足をズボンに突っ込んだところだった。忠政はカカシのように硬直する。
「ホシってのは、犯人(ほし)か?」
広国は冷静な口調で「他になにがあるんですか」とつぶやいた。
天体観測するために、こんな時間まで起きていたわけじゃありません」
「そりゃ……まあ、そうだが……」夜の電話は、いつだって悪い知らせだ。「やっぱり俺たちの想像どおりか」
だとすれば、またしてもやるせない事件だ。広国の声は堅かった。
「ええ、女子高校生です。目撃者の証言どおりですね」
四苦八苦しながらベルトを巻きつけて、死体安置所のような剣道場を横切る。途中で誰かにつまずいた。足もとから罵声が上がる。「ホシが挙がったらしいぞ」と囁くと、青ざめた骸(むくろ)は一瞬にして蘇生した。彼は毛布をはね飛ばし、隣の捜査員を揺り起す。
ゾンビの群れを背後に、忠政はごちる。
「わざわざ電話を使わなくてもいいじゃねえか。起こしに来いよ」
「いやですよ」
広国はくすりと笑う。
「これでも、私、女の子ですよ? 男子部屋には入れませんって」
寒さに足がすくむ。




     二




広国まおは取調室の前に立っていた。
すらりと手足は長く、忠政よりも背が高い。シャワーを浴びたのだろう、すっぴんの頬が薄桃色に上気していた。普段の厚化粧を見慣れているせいで一瞬、誰だか判らなかった。茶色い髪は、まだ乾ききっていない。
「悪いな、臭うだろ。俺は風呂に入ってねえから」
そんな気力も残っておらず、布団の海にダイヴしたのだ。広国はにやりと笑う。
「平気ですよ。オヤジのニオイは嫌いじゃありません」
仮にも二十代の乙女が口にすべきセリフではない。一人娘を持つ父親として小言の一つも漏らしたくなるが、むすっと口を閉じて飲み込んだ。
「こういう時はな、嘘でも『臭いません』と言っておくもんだ」
この十年間、女性警察官の人数は増え続けた。今では私服警官の二割から三割が女だ。映画やテレビドラマならば可憐な美人が並ぶのだろう。が、現実にはエイリアンと互角を張れそうなやつらばかりが集まっている。外見こそ水商売の姉ちゃんに見える広国も、薙刀なぎなたの心得がある武闘派だ。学生時代は八王子の大学で法律を学ぶかたわら、体育会の役員を務めていたという。警察官を志した理由を訊くと、「かかとの無い靴を履いても許されるから」と笑った。
新宿署は、そんな彼女の初任地だ。今年で三年目になる。
刑事課に回されたのは一年前。捜査本部に参加するのも、これが初めてではない。忠政にしてみれば娘のような歳の女だ。何を考えているか想像もつかない。皮肉にも「若い女には慣れているだろう」と言われて、彼女とペアを組むことになった。仕事場でも子守りをするなんてごめんだ――。 
少なくとも最初のころは、そう考えていた。
「……あのぅ、八木さん。その靴、大熊さんのじゃありませんか?」
視線を下に向ければ、左右で違う靴を履いていた。捜査本部には百人近い人員が割かれている。その一人ひとりの靴を、広国まおは覚えているらしい。
「いいじゃねえか、別に」
ふん、と忠政は鼻を鳴らす。これでは、どちらが子守りをされているのか分からない。
ドアを開けると、すでに数人の捜査員が詰めていた。マジックミラーごしに取調室の様子を眺めている。容疑者の顔を見て、忠政はため息をついた。
「けっこう、可愛らしい子ですよね」
すぐ横で広国がつぶやく。娘と同年輩の少女が、灰色の机の前でうつむいていた。化粧気はなく、髪も染めていない。垢ぬけないダッフルコートは学校指定のものだろうか。黒いセルフレームの眼鏡をかけている。
「虫も殺せないような顔をしてやがる」
「玉江阿子(たまえ・あこ)と名乗っています。まだ確認中ですが、所持していた学生証はおそらく本物です」
広国の口にした学校名には聞き覚えがあった。都内の私立女子校だ。娘が中学三年の頃、滑り止めの候補に挙がっていた。入試難易度は中の上。(佳奈さんの内申点ならば顔パスで合格できるでしょう――)と担任教師は言ったけれど、娘は全力で拒否した。女だらけの世界なんて絶対にイヤ、と。
「なんだってこんな時間に?」
日付が変わったばかりだ。学校帰りというには遅すぎる。
「ネットカフェにいたそうです。学生証を信じるなら、自宅は立川。家に帰りたくなかったのでしょうね」
また立川か……、忠政はごちる。
高校生は夜更かしをする生き物だ。忠政にも、かつて交番勤務の時代があった。夜な夜な行き場のない子供たちを叱って回った。
広国がぽつりと漏らす。
「でも、そんなことをするタイプには見えないですよね……」
「人は見た目によらねえさ」
あんた自身がその証拠だろう、という言葉は胸に納めておく。
マジックミラーの向こうでは取調べが続いている。
〈……自首しようと決めたのは、どうして?〉
天井のスピーカーから、やり取りが聞こえる。容疑者と向き合っているのは「お母さん」というあだ名の女性警官だ。丸顔でかっぷくがよく、赤木春恵に似ている。その隣で調書をつけるのもやはり女性で、こちらは泉ピン子そっくりだ。どちらも口調は柔らかいが、視線の鋭さは刑事のそれだった。警察署の中は鬼ばかりだ。
〈さっきも、話したじゃ、ないですか〉
か細い声が漏れる。誰だって取調べを受ければ緊張するが、それを差し引いても玉江阿子の喋り方はたどたどしかった。会話慣れしていないのだろう。質問と返答のあいだに三秒ぐらいタイムラグがある。
〈……ニュースを、見たんです。……ネットカフェで、マンガにも飽きちゃって、ニュースサイトを見ていました。そうしたら……あのリボンのことが……ニュースになっていたから……〉
あのリボン――。
女子中高生の身につけるエンジ色のリボンが、捜査会議のたびにスライドで大映しにされている。あらかじめ大ぶりな蝶型に結われており、フックで固定するタイプだ。これが発見されたからこそ、容疑者のプロファイルの末尾に「中高生?」という文言が加えられた。
コスプレ用品店で売っているような安っぽいシロモノではない。かと言って、どこかの学校のものでもなかった。縫いつけられた小さなタグには、自由の女神をかたどったロゴが描かれていた。ティーンエイジャー向けのブランドの製品だ。
〈……だから、もう、逃げられないなって、思いました〉
玉江阿子は、視線を机に落としている。
〈私が、やりました。あの男を殺して、部屋に火をつけました〉




     三




一週間前になる。
十二月十日午前4時02分、東京消防庁災害救急情報センターに一一九番通報が入った。新宿区百人町三丁目の木造アパートから火が出ているという。築二十年を数える三階建ての建物で、出火場所は二階の角部屋。後の調査によれば、3時50分にはすでに煙が出ていたらしい。現場は深夜の住宅街で、明るい炎が上がるまで気づかれなかった。通報者は木野下功一、七十二歳。向かいの一軒家に住む男性だ。きな臭さに目を覚ましたという。
百人町三丁目は新宿消防署の庭先だ。4時10分には消火活動が始まっている。しかし隣室や上下が空室だったこともあり、すでに延焼が進んでいた。完全に鎮火したのは5時20分過ぎ。倒壊は免れたものの、二階、三階の室内は全焼した。
そして焼け跡から、男性の遺体が見つかった。
出火元は六畳のワンルームだ。衣類やベッドの残骸と共に、彼は床の上に倒れていた。死亡確認は搬送先の病院でなされたが、全身の皮膚が炭化しており、息が無いのは誰の目にも明らかだった。
なにより彼は焼死体ではなかった。
背中に一カ所、顔面に一カ所、胸部に三カ所の刺し傷があった。凶器は刃渡り13センチメートルのぺティナイフで、キッチンの焼け跡から発見されている。警察では他殺と断定。室内には衣類をかき集めた形跡があり、何者かがそこに火を放ったと推察される。新宿警察署は警視庁へと協力を要請し、捜査本部が設置された。
五か所の刺傷のうち、最初の一撃は左背面のものだと見られている。肺の下部から斜め上へと突きあげられ、心臓に達していた。最初の一撃のあと、被害者は仰向けに倒れたのだろう。犯人はそこに馬乗りになり、残り四つの傷をつけたと考えられる。強烈な殺意がうかがえる。
被害者の名前は千原玲也(ちはら・れいや)、二十一歳。歌舞伎町のパチンコ店でアルバイトをしていた。茨城県の高校を卒業後に上京。東京に出てきたばかりの頃は、原宿や吉祥寺の路上でギターを弾いていたらしい。高校在学中に暴力事件で補導歴がある。仕事は長続きせず、上京後の三年間で十カ所以上の職場を経験している。焼け跡から発見された彼のギターには弦が張られていなかった。
都会に暮らす若者の常として、近所付き合いは皆無だった。この部屋は「ねぐら」でしかなかったのだろう。アパート周辺での目撃情報はほとんどなく、どのような生活をしていたのか判然としない。
千原の実家が遺体の受け取りを拒否したため、彼は無縁仏として都内の墓地に埋葬されることが決まっている。




■以下、校正中につき非公開■


つづく→『さよならを言うのは』(2/5)





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