デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

文楽について一言いっておくか

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日本は、政治哲学が弱いと言われている。政治家を評価するときに個人としての資質ばかりが注目され、政策は当事者間の利害調整だけで決定されてしまう。本来なら政治家や政府の行動一つひとつについて、それをする権利があるのかどうか検証すべきだ。正当性の有無を考えるべきだ。
文楽を巡るニュースを見ていると、日本の政治哲学の弱さが表れていると感じる。文楽が守り続けるに値する文化なのか。後世に伝えるべき文化だとして、税金で保護する正当性があるのか……そういう議論が一切ないのはなぜだろう?



行政が民間の商売に口を出すべきなのは、市場の失敗が起きた時だ。たとえば工場が廃液を垂れ流しにして環境汚染をしているとしよう。この場合、汚水を排出するコストが安すぎるのが問題だ。本来は工場が負担すべき汚染除去のコストを、下流の住民たちが負担していることになる。だから行政が介入しなければならない。工場に対しては汚水処理の義務を課し、汚れた河川は税金を使って綺麗にする。カネが足りなければ、工場からの課徴金でまかなえばいい。
自然環境を守ることに行政が介入することに、疑問を抱く人は少ないだろう。森林や海を税金を使って保全することに、反対する人はあまりいない。なぜなら自然環境を守ることが大気や水などの自由財を守ることにつながり、結果として個々人の暮らしを豊かなものにするからだ。
森林や海は、それ自体が「儲け」を生み出せるわけではない。だから民間部門に任せると、簡単に汚染・破壊されてしまう。市場の失敗だ。だからこそ政府が介入して、税金で保護しなければならない。税金を使う正当性があるのだ。



だから文楽の問題の場合なら、そこに税金を使うことで何が守れるのかを考えなくてはいけない。文楽に限らず、文化財ならばどれも同じだ。森林や海の場合は、大気や水などの自由財を守ることにつながった。では、文化財は何を守れるのだろう?
文化や習慣は、大気と同じように私たちの周囲にあって、私たちの暮らしを支えている。空気や水にくらべると抽象的で分かりづらいが、私たちは日本に生まれたメリット・日本人であることのメリットを享受している。文化財を守ることで得られるものとは、つまり、そういうものだ。
電車内で落としたサイフが、中身が無事なまま駅に届けられている。酔いつぶれた女子大生が道ばたで寝ていたら、襲われるどころか誰かにコートを掛けてもらった……。日本とは、そういう社会だ。強すぎる規範意識同族意識には問題を感じるものの、反面、世界でも飛び抜けて治安のいい社会を実現している。私たちは日本に生まれたというだけで、日本の文化や習慣といった“自由財”の恩恵を享受しているのだ。空気を守るために森林を保全するのと同様、文化を守るためには文化財を保護しなければならない。
文楽を守るのに税金を投じるべきか否か――。したがって議論の焦点になるべきなのは、文楽を守ることが日本文化を守ることにつながるかどうか、だ。さらに踏み込んで言えば、私たちが何を日本文化だと考えて、日本文化のどのような点がメリットだと考えているのか。それを考えなければいけない。私たちの価値観の問題であり、哲学の問題なのだ。
そういう政治哲学の議論を抜きにして、やれ古くさいだとか何だとか……チャンチャラオカシイにもほどがある。古いからこそ価値を認める人がいる、変わらないからこそ価値がある。「補助金は出しません」「変わってください」……どちらも文楽には「文化財としての価値がない」と言っているに等しい。「白神山地は収益性が悪いから、現代的な林業を行うべき」などと言う人はいない。白神山地は自然林だからこそ価値がある。
しかし政治家には、「この森はいらない」と言う権利がある。農地や宅地、道路にしたほうがいいという判断を下す権利が政治家にはある。文楽はいらないと言う権利もあるだろう。ただし、その判断の裏付けとなるのは世論だ。民意と言い換えてもいい。当然、利害は一致しないだろう。民間人同士で意見が対立することもあるだろう。だからこそ話しあうのだ。山を切り崩す権利が、行政にはある。しかし、その権利に正当性を与えるのは、私たち一人ひとりだ。
文楽の批判」に対して、「勉強不足だ!」という声が寄せられている。では「勉強不足」の何が悪いのだろう。結局のところ、勉強不足の人は政治家になるべきではない、政治家になれるのはたくさん勉強した人だけだ……という個人の資質を問うているにすぎない。本当に大事なのは政治家の個性ではなく、彼らをいかに利用するかという私たちの哲学だ。
あらゆる政策は、まず「正当性」を問われる。行政や政治家にそれをする権利があるのかどうかを問われる。森を守ることにどんな価値があるのか、文化財を継承することで何を守れるのか。何を日本の「文化」と呼ぶべきなのか。新聞やテレビ、ネット上の知識人がそういう根本的な議論をしていない以上、日本はまだ、民主主義には早すぎる。





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