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なぜ「人の話を聞く仕事」が必要になるのか/未来の仕事を考える(3)

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承認欲求の時代だ。誰もが自分の話を、誰かに聞いてもらいたがっている。日本最大の小説新人賞には6,000を超える作品が集まり、Ustやニコ生では日夜、数えきれないほどの人が自分の言葉を配信している。
「話を聞いてもらう」ことでカネを稼ぐのは簡単ではない。需要に対して供給が多すぎるからだ。一方、「話を聞いてほしい人」がこんなにたくさんいるのなら、「人の話を聞く仕事」には充分な需要があるはずだ。




       ◆




マズロー自己実現理論というものをご存じだろうか。ビジネス書でおなじみの理論で、人間の欲求を五段階に分類した欲求階層説はあまりにも有名だ。


■自己実現理論 ─Wikipedia




人間の欲求には「生理的欲求/安全の欲求/所属の欲求/承認の欲求/自己実現の欲求」という五つの段階があるという。生理的な欲求とは、食事や排泄、睡眠のような原始的・根源的な欲求のことをいう。安全の欲求とは、不慮の事故や病気を避け、貯蓄をし、生き方を安定させようとする欲求のことをいう。所属の欲求とは、孤独を嫌い、誰かとの人間関係を築こうとする欲求のことだ。そして承認欲求とは、周囲の人々から認められ、必要とされたいと願う欲求のことである。
以上の四つが満たされたとしても、人は自分に適していないことをしていると不満を覚える。自分の能力や可能性を最大限発揮したいと願うようになる。自分らしい生き方をしようとする欲求――いささか抽象的ではあるが、それが自己実現の欲求だ。
たとえば食うや食わずやの生活をしている人は、明日のために貯金をしようなどと考える余裕はない。トイレをどうしても我慢できなくなった人は、犯罪だと分かっていても異性のトイレに駆け込んでしまう。生理的欲求が満たされない状況では、安全の欲求を満たすことはできない。同様に、安全の欲求が満たせない状況では所属の欲求を満たすことはできないし、承認欲求を満たすにはそもそもどこかに所属していなければいけない。下位の欲求が満たされないと、上位の欲求を満たすこともできないのだ。
マズロー自己実現理論には批判も多く、とくに実証性の低さが問題視されている。(※したがって、この仮説にもとづく私の見解も極めて疑わしい)しかし、具体的な欲求を満たすことができてはじめて抽象的な欲求に挑戦できる……という大枠には納得できる。「具体的欲求 → 抽象的欲求」という流れは理解しやすい。




これは個人の自己実現に限らない。食事や住居、衣服を手に入れる……。人類の文明は具体的な欲求を満たすところから始まり、より高次な欲求を満たす方向へと発展してきた。
先史時代の人々に抽象的な欲求がなかったと言いたいわけではない。同じホモ=サピエンスである以上、私たちの欲求は大昔から変わっていないだろう。世界最古の装飾品はイスラエルから出土した貝殻のビーズで、およそ10万年前のものだ。それが自己顕示欲を満たすために作られたのか、それとも宗教的・社会的な必要から作られたのかは分からない。しかし、衣食住よりも高度な欲求を満たすものだったのは間違いない。ヒトは太古から抽象的な欲求を持っていた。
しかし文明は――私たちが「産業」と呼ぶものは、具体的で生理的な欲求を満たすところから始まった。産業が文化を作り、文化が産業を発展させた。ホモ=サピエンスには20万年の歴史がある。しかし農耕が誕生したのは1万5000年前で、地球の歴史から見ればつい昨日のことだ。人類は歴史の大部分を、生理的欲求を満たすことに費やしてきた。
およそ5000年前〜4000年前、世界各地に「国家」が誕生する。
制度が発達し、分業が進み、社会はより安定・安全なものへと様変わりしていった。農耕や畜産により「食」という生理的欲求を満たすことができた人類が、安全の欲求を叶えようとした……かのように見える。原始的な信仰は組織的な宗教へと編成され、人々の知識は碑文や書簡によって集積されていった。灌漑設備などの大規模な土木作業が可能になり、食糧の備蓄が可能になるほど生産性が向上した。治安機構の発達によって、野獣に襲われたり、犯罪に巻き込まれたりする危険は減少した。古代から近代にいたる数千年間は「安全の欲求」を満たすために費やされた。




この視点から考えると、20世紀は「所属の欲求」の時代だった。
国家への帰属意識――いわゆるナショナリズムが生まれたのは近代になってからだ。もちろんそれ以前から、ナショナリズムを感じさせる出来事は起きている。ジュリアス・シーザーに対抗したガリア人、あるいは元寇を退けた鎌倉時代の日本人などが思い当たる。しかし、階級や職業、方言、地理的要因を越えて「国家」として(あるいは「国民」として)団結するという意識が登場したのは近代以降だ。近現代のナショナリズムは18世紀後半のフランスで生まれたと言われている。
そして国家への帰属意識が最高潮に達したのが20世紀前半、世界大戦の時代だ。
国家への帰属、東西という経済圏への帰属、そして企業集団への帰属……。20世紀の100年間を通じて、人々は「所属先」を求め続けた。その集大成と呼ぶべきものが、20世紀の後半に花開いたマス・マーケティングだろう。なぜ人々は自動車を欲しがったのか:自動車に乗るような社会階層に属したかったからだ。なぜ人々はウォークマンを求めたのか:ウォークマンを持つような人々に憧れたからだ。みんなが欲しがっているものだから、私も欲しい。現在のApple社にも受け継がれている販売戦略は、ヒトの「所属の欲求」をくすぐることで成立している。




21世紀は承認欲求の時代だ。
もはや「みんなと同じものを持っている」だけでは、ヒトは満足しなくなった。村落や国家、企業などの集団に属しているだけでは、ヒトは幸福を感じなくなった。自分が属する集団を超えて、よりたくさんの人から認められたい、評価されたい、尊敬されたい……。それが21世紀の人々の欲求である。
すでにたくさんの人が指摘しているとおり、ソーシャルメディアは人々の承認欲求にうまく合致した。Twitterでfavスターを1つもらうだけで評価されたような気分になる。リツイートが1件あるだけで、認められたような気持ちになる。ブログの記事に1,000件でもブックマークがつけば、まるで自分が特別な存在になったかのように錯覚する。自分の投稿に[イイネ!]をつけて欲しいから、他人の[イイネ!]ボタンを押す。そしてスマホを手放せなくなり、狂ったサルよろしく一日中ボタンを押し続けるのだ。
しかしfavスターもイイネ!も機械的な反応だ。無機質で、味気ない反応だ。人間のすばらしい能力の一つに「飽きる」というものがある。本能に支配された野生動物や、あるいは電子機器には不可能な行動:それが「飽きること」だ。したがってソーシャルメディアの機械的な評価も、いずれは飽きられる。
その時、人々は何を求めるだろうか?
言うまでもなく、より複雑で刺激的な反応だ。ソーシャルメディアの機械的な反応に満足しなくなった人が一定数を超えたとき、「人の話を聞く仕事」が求められるようになる。カネを払ってでも自分の話を聞いてもらいたい。そういう人はたくさんいるのだ。
こういう書き方をすると、「人の話を聞く仕事」は承認欲求の満たされない人を“食いもの”にした商売のように思われてしまうかもしれない。実際は逆だ。ソーシャルメディアと比べても、はるかに社会的な意義・重要性のある職業だ。




じつのところ、「人の話を聞く仕事」は決して新しいものではない。資格職としてはカウンセラーがある。これは医療や教育上の必要から生まれた職業だ。一方、消費者側の――話を聞いてもらう側の必要から生まれた職種としては、占い師があげられる。街角の占い師は専門知識を提供するだけでなく、顧客の悩みを聞き、人生の進路に自信を与えることを仕事としている。占い師の方々がどのような職業観を持っていらっしゃるかは分からない。が、社会的には「人の話を聞く仕事」と呼んでいいだろう。悩みの無い人生などありえない。人はみんな生き方のヒントを誰かに相談したい、話を聞いてもらいたいと思っている。
そして最近では、新しいタイプの「人の話を聞く仕事」が登場している。人気ブロガーのid:elm200さんは、ご自身の変わった(?)経歴を活かして「スカイプ人生相談」なるものを行っている。念のため解説しておくと、スカイプを通じて悩みを打ち明けると、id:elm200さんからアドバイスをもらえるというもの。ご自身がブログでおっしゃっているとおり、生き方を指導してもらうというよりも、どちらかと言えば一緒に考えてもらえるサービスだという。
なお、価格は1時間3,000円。たとえば京都・寺町商店街の占い館では、最初の10分1,500円・以降10分ごとに1,000円だ。スカイプを介した占いサービスはすでにたくさん登場しているが、それらと比較してもelm200さんの人生相談は安い。はっきり言って破格の価格設定だ。
今後、elm200さんのような仕事は増えると思われる。専業にする人だけでなく、たとえばサラリーマンやOLが副業として始めるケースもあるだろう。「人の話を聞く仕事」は、これから間違いなく増える。むしろ増えなければいけないと、私は考えている。
elm200さんは“パブリックマン宣言”という所信表明をしており、ご自身の生き方をネット上に公開している。スカイプ人生相談についても、相談件数や相談者の年齢などのデータを公表なさっている。(※記事下部のリンク参照)
それらを見て驚くのは、男性相談者の多さだ。約8割が男性なのだ。占いの客のほとんどが女性であり、また精神科のカウンセリングを受診するのも女性の患者が多いという。女性のほうが「誰かに話を聞いてもらいたい」という欲求に素直なのだ。それを考えると、elm200さんの顧客にこんなに男性が多いのは異常ですらある。
これは端的に、男性向けの「人の話を聞く仕事」が不足していることを意味しているのではないだろうか。人間ならば悩みの一つや二つ誰にでもある。誰かに聞いてもらいたい話がある。ところが男性には、それらを打ち明ける場所がないのだ。
たとえば自殺は、女性よりも圧倒的に男性のほうが多い。
これは日本に限らず、ほぼすべての国・地域に共通した現象だ。女性が精神的に強いわけでも、男性が脆いわけでもない。たしかに女性の自殺件数は少ないが、反面、自殺未遂はとても多い。リストカットや服毒といった致死率の低い方法で自殺しようとするからだ。一方、男性は首つりや拳銃自殺など、成功率の高い方法で自殺しようとする。
日本ではバブル崩壊以降、自殺が増え続けているという。が、女性の自殺者数はほぼ横ばいで、実際には男性の自殺が増えているのだ。背景には男性のジェンダーの崩壊があると私は睨んでいる。いい学校を卒業して、いい会社に入り、一家の大黒柱として働く……。昭和の男性たちが信仰していた神話は、ここ20〜30年で崩壊した。「いい生き方」がどのようなものか、日本の男性には分からなくなってしまった。日本人男性の自殺が増えた時期は、女性の社会進出が進んだ時期とも重なっている。男女の垣根が取り払われたことで、かえって男たちは人生に迷うようになった。
だが、占いを頼りにする男性は少ない。精神科の受診は、男性にとっては勇気がいる。男子たるもの強くあれ、弱音を吐くな……日本にはそういう価値観が色濃く残っているのだ。男性が気軽に悩みを打ち明けられる場所が、ない。
私には自殺を防ぐ方法はわからない。自殺者の個別具体的な事情は、知りようがない。しかし自殺に至るずっと以前の、心の健康を保つ方法なら、ちょっとは分かる。悩みを抱え込まないことだ。打ち明けられる誰かを見つけることだ。既婚男性のほうが自殺率が低いのは、妻の交友関係に引き込まれることで人間関係を構築できるからだ……という説がある。たしかに人間関係はわずらわしく、私たちの悩みの種になる。けれど悩みを解決してくれるのもまた人間関係だ。相談を聞いてくれる相手なのだ。
elm200さんに、自殺を考えるほど切羽詰まった方が相談しているかどうかは分からない。学生が進路について相談するケースが多いようだ。が、elm200さんが相談者の背中を押し、その人のいちばんやりたいことに自信を与えたら、それが20年後、30年後の自殺を防いでいるのかもしれない。バタフライ・エフェクト。未来は簡単には予想できない。




人類の文明は、まるでマズローの五段階欲求を満たすかのように発展してきた。まず農耕や牧畜の発明により「生理的欲求」が満たされ、続いて国家の成立・発展によって「安全の欲求」が満たされていった。そして18世紀末にナショナリズムが生まれ、20世紀は「所属の欲求」の時代になり、マス・マーケティングの時代へと繋がった。現在、21世紀は承認欲求の時代だ。ソーシャルメディアは人々の承認欲求を刺激し続けている。
しかし。
これら四つの欲求が満たされても、ヒトには「自己実現の欲求」が残っている。自分の生き方は「正しい」のか。自分の能力を活かした、自分にとっていちばん適切なものなのか。職場でどんなに必要とされていても、あるいはネットでどんなに注目を集めていても、自分自身が自信を持てなければ意味がない。
もちろん、自分一人で自信を持てる人もいる。強い人だ。大半の人はそんな強さを持っておらず、誰かからの「その生き方で間違ってないよ」というお墨付きを必要としている。あるいは「(あなたが考えているとおり)もっと適した生き方があるよ」と、背中を押してもらいたがっている。誰かへの相談が必要なのだ。
女性の場合、友人関係・人間関係の濃さが相談の需要を満たしている。さらに占い師やカウンセラーといった「話を聞いてくれる仕事」を気軽に利用できる。一方、男性にとってそれらは敷居が高いものであるらしく、悩みや迷いの受け皿がない。男性向けの「人の話を聞く仕事」は空白地帯になっている。潜在的な需要があるにもかかわらず、だ。自殺は極端な例だが、精神衛生や社会全体の幸福度を考えた場合、「人の話を聞く仕事」は今後ますます必要とされるはずだ。
自分の話を聞かせてカネを稼ぐのは簡単ではない。カネを払うに値するほどの話をできる人は珍しいからだ。十中八九、話を聞かせることに価値はない。しかし誰かの話を聞くのは、それだけで意味がある。社会的な意義がある。
誰かに相づちは画面上の☆マークよりも、ずっと勇気をくれるから。







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