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ぼくらはヒーローになりたいわけじゃない/『花埋み』感想

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自分に子供ができたらどんな名前をつけるか……よく妄想する。
(もしも娘ができたら「子」のつく名前がいいよなー。あ、でも、ありきたりなのはやっぱりダメ。かといって薫子とか桜子みたいな四文字系は私の娘にしては雅やかすぎるかも。たとえば姉妹で一つの言葉になっていたらベターだけど……。そうだ、詩子(うたこ)と吟子(ぎんこ)で「詩吟」なんておしゃんてぃーじゃね? よし、前例がないかさっそくGoogle先生に訊いてみよう!)
……ああっ! そんな「かわいそうな人を見る目」をしないで!



そして検索結果からたどり着いたのが渡辺淳一『花埋み』だった。日本で最初の女医・荻野吟子の生涯を描いた伝記小説。恥ずかしながら私は知らなかったのだけど、ベストセラーにもなった超有名な作品だ。ちなみに吟子の姉は友子だ。詩吟カンケー無いですやん……。



花埋み (新潮文庫)

花埋み (新潮文庫)




明治三年、十九歳の荻野ぎんは夫から淋病をうつされてしまう。離縁、上京し、順天堂病院に入院。男だらけの医学生の前で秘所をあらわにする羽目になる。当時は女の西洋医などおらず、羞恥のために病院を受診せずに命を落とす女性も少なくなかった。そしてぎんは女医になることを決意するのだが――。男尊女卑の時代、女の医者はおろか女教師すらもいなかったころに、ぎんの大それた挑戦が始まる!



この小説の魅力は、なんと言っても主人公・吟子の愛らしさだ。秀才で堅物な美人、お嬢さん育ちのせいでちょっとだけ世間にうとい――というテンプレ的なツンデレキャラとして描かれている。16歳で嫁いだ相手から性病をうつされたせいで、いやらしいものが大嫌いになってしまった……という設定がまた萌える。なんて健全なお話なのだろう。『失楽園』と同じ作者だとは信じられない。

「女子が学問をして悪いという法などはありません」
「そう、そのように学問をすると女子らしくもなく理屈ばかりを言うようになるのです。それでは殿方に愛されませんぞ」
「男などはもうこりごりです」


小説の前半、吟子が離縁してから医師免許を取得するまでの物語は、どん底につき落とされた人物の復活譚になっている。読んでいるだけで元気が湧いてくる。当時は医学を勉強できる学校や塾が女性に門戸を開いておらず、知人・友人の助力を得ながら吟子は道を切り開いていく。そして東京・下谷の「好寿院」という医学校に通うことになる。

「いろいろ当たってみたが女学生は断ると言うて応じてくれぬ」
「・・・・・・・・・・・・」
「ただ一つ、下谷の好寿院だけが、引き受けようと言うてくれた」
「本当ですか」
吟子は椅子から立ち上がった。
「座って聞いても話は同じじゃ、座りたまえ」
吟子は慌てて座った。

※かわいい。


ようやく入学できた好寿院。しかし「男女七歳にして席を同じくせず」の時代だ。医学生といえど女に免疫がなく、小学生レベルの嫌がらせを受けたりもする。しかし学問に燃える吟子はキャンディ・キャンディみたいな気丈さで意思をつらぬく。男なんて気にしないわ♪
同級生の真面目な男たち数人と、夜のお寺へ忍びこむシーンはめちゃくちゃ楽しい。この時代、人体の解剖は許されておらず、学校に数冊しかない医学書を書き写して臓器や器官について学んでいた。どうしてもホンモノの人骨が欲しくなった吟子たちは、夜のお寺へと江戸時代の罪人の骨を盗掘しに向かうのだ。このあたりは学園モノとしても楽しめる。

「でもどんな悪人だって死んだら仏さまになるからでしょう」
「その考えが可笑しいのです。そんなに大切なものなら生きているうちに大切にしてあげればいいでしょう。それをしないで死んだらやれ仏様とか、神様とか、片手落ちもいいところです」

※かわいい。






1970年に書かれた小説だが、いまの私たちにも共感できる部分がいくつもあった。というか、現在のような時代にこそ読まれるべき小説かもしれない。病気のせいで妊娠できなくなり、離縁され――すべてを失った彼女の姿に、なんだか今の私たちを重ねてしまうのだ。
正式な離婚が決まった直後、彼女はこんなことを考える。

父母にも兄にも使用人にも誰にも気兼ねはいらない。好きな時に起き、好きな時に寝ればよい。黙っていても食事は与えられる。何不自由なく傍から見ると結構な身分だと思われる生活だが、ぎんは楽しめなかった。辛くても苦しくてもいい。今の平安より、ぎんは未来への希望が欲しかった。何かに向かって進む、何かの目的が欲しかった。何の希望もなく易々と毎日を過ごすのが耐えがたかった。


昨年、イギリスで暴動が起こったころ、「なぜ日本の若者は暴動をおこさないのか」という議論をそこかしこで目にした。そしておおかたの人たちは「日本が豊かな国だからだ」と結論づけていた。たしかに日本では100円玉が数枚あればとりあえず飢えはしのげる。コンビニの深夜バイトでもすれば、たった一時間で数食分のカネが稼げる。哀しくなるほど豊かな国が、この日本だ。
これから日本は、近現代国家が経験したことのない急激な人口減少に見舞われる。GDPは4割減になる、という予想も出ている。日本人の所得が全員等しく減るのなるのならまだいい。が、実際には既得権を持たない層の人たちから所得減少の波に襲われる。そして膨大な貧困層が生まれ、治安の悪化、社会保障の崩壊、性急な移民政策による外国人差別や日本文化の破壊――などが予定されている。
なるほど、いまの日本は豊かな国だ。涙が出るほどに。



人口8000万人、うち3000万人が老人の国になるニッポン
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31833


この国には何でもあるが、ただ一つ希望だけがない。
すべてを失った吟子の姿は、まるで今の私たちのようだ。だからこそ彼女の這い上がる姿に、私たちは深い感動を覚えるのだ。



その一方で、『花埋み』は典型的な英雄譚ではない。そのまま東京で女医を続けていれば、荻野吟子は明治の偉人の一人として名を馳せただろう。しかし彼女は東京を離れ、北海道の開拓に参加する。そして晩年は平凡な町医者として過ごし、ひそやかな余生を送ることになる。
文庫版『花埋み』の解説の吉村昭は、渡辺淳一の客観的な筆致を高く評価している。ともすれば暑苦しいフェミニズム小説になってしまいそうな題材だが、荻野吟子という主人公を一歩引いた視点から書いたことがすばらしい。作者が登場人物に感情移入しすぎていたら、こんな作品には仕上がらなかっただろう。『花埋み』は安っぽいプロパガンダ小説ではない。一人の女の生き様を描いた、人間の小説だ。
本書が刊行された1970年のころなら、吟子の人生は「悲劇」だったかもしれない。
しかし今ではどうだろう。非凡な才と名声を手にしながら、あえてそれを手放す――。そんな彼女の生き方に共感できるのは、むしろ「草食化」の進んだ現代の私たちかもしれない。
絶望から這い上がった吟子。
そして非凡な立場をみずから捨てた吟子。
どちらの吟子にも私たちは勇気づけられる。
凡人であることが不幸ならば、人は誰もしあわせになれないのだから。





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