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デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

知識ゼロから学ぶ簿記のきほん(3)/売掛金のゆくえ

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※中高生・就活生・簿記を勉強しないまま大人になってしまった社会人の方に向けた記事です!
※間違い等お気づきの点があればご教授ください。




第1回:知識ゼロから学ぶ簿記のきほん/おこづかい帳と簿記はなにが違うのか


前回:知識ゼロから学ぶ簿記のきほん(2)/掛け取引ってなんだ!?
次回:知識ゼロから学ぶ簿記のきほん(4)/カオル先輩のこたえ




      ◆ ◆ ◆




「痛かったやろ?」
「い、いいえ――俺は、その――」
驚きのあまり、しどろもどろになってしまう。ていうか、そんな黒々とした瞳で上目づかいするのは反則です。
「め、めがねが壊れなくて、良かったであります!」
俺はケロロか!
「せやね、よかったぁ」
と、火織先輩はメガネをかけようとする。
「待った!」
「へ? どぉして?」
「もったいな――じゃなくて、えっと、ええっと――」
ご尊顔を脳裏に焼きつける時間をください、とは言えない。
「ホコリが! 廊下のホコリがついてます、先輩の頭に!」
「えぇ!? どこぉ?」
ぱたぱたと両手を振りまわす先輩。あまりの愛らしい仕草に、俺はつい口から出任せを言ってしまう。
「もう少し右の、あ、ちょっと上です。そこ! そのあたり!」
「どこやの? 取れてる?」
「取れそうで取れないというか、なんていうか――」
「ええわ」
火織先輩は表情を引き締めると、まっすぐに俺を見つめた。
「シワケくんが取って!」
目をぎゅっとつむると、俺に一歩近づいた。両手をお祈りするみたいに胸の前で組んでいる。
「い――」
いいんですか?
「…………」
髪の毛の感触とか、堪能しちゃいますよ?
「……は、早ぉして。恥ずかしぃ……」
「そ、それではお言葉に甘――じゃなくて、任せてください」
と言っても、実際にはホコリなんて付いてないんだけどね!
俺はゴクリとつばを飲み込むと、先輩の頭に手を伸ばした。俺の指が髪に触れた瞬間、
「――ひゃ」
先輩は変な声を漏らす。う、うおぉぉ何だこのすべすべしたモノは! やぁらかい! しかもなんかイイ匂いがする! なでなでせずにはいられない!
「…………」
「……ひゃぅ……」
「…………」
「……ふ……」
「…………」
「……ぅ、ぅん……」
なでなでしつづけてしまう俺。吐息を漏らす先輩。ぐふふ。よぉし、次はその形のいい耳たぶに触っちゃいましゅねー(はぁと)
「ま、まだ取れへんの……?」
「!」
先輩の言葉でハッとした。
「なんや……その……変な感じに、なってまう……」
「と、取れた! 取れたぞお!」
危うく理性を失うところだった。
「よかったぁ」
火織先輩は恐るおそる目を開いた。
「おおきに」
「いいえ、こちらこそ。ごちそうさまでした」
「ごちそう――?」
「や、その、こっちの話です! そそそそう言えば先輩はどうしてこんな場所に!?」
慌てて話題をそらした。
「この時間なら、もう部室の小屋に行っているかと思いました」
「そやね、いつもやったら放課後はすぐに仕事してるわぁ」
――仕事、か。
たしかに年収があれだけあったら、ただの「部活」というより「仕事」って感じになるよなぁ。
「陶芸部は一人になってもうたし、うちがしっかり稼がへんとね!」
火織先輩はにっこりと笑ってみせる。ケイリさんの微笑みが天使なら、この人はさながら女神だ。
(――人を信じたらダメなの!)
ふいにケイリさんのセリフが頭をよぎる。しっかり稼がないと、か。
「今日はな、ハンドボールの練習しよ思ってん」
だけど、この人が? 架空売上を計上するという粉飾決算を?
ゴールキーパーのテストが来週あるんやけど、うち全然できひんくて。そやし、練習せなあかんねん」
「そ、そうなんですか」
はんなりした喋り方も、ほんとうは演技なのだろうか。
「一緒に練習なさる方はどちらに? もう校庭に出てるんですか?」
「?」
先輩は首をかしげる。
「うち一人やけど……?」
ハンドボールですよね?」
「そやで」
ゴールキーパー、ですよね?」
「そや、チームの守護神や」
えっへん、と先輩は胸を張る。スレンダーというよりも絶壁だ。
「ボール投げる人がいないと練習できないと思うんですが……」
「!」
「もしかして、お忘れだった、とか……?」
「――気づかへんかった……!」
この人、ちょっと心配になるぐらいおっとりしてるなあ。
「シワケくんて頭ええな」
火織先輩が尊敬のまなざしを向けてくる。そんなセリフ、この学校に入ってから初めて言われました。




「それじゃ、投げますよー!」
「ええでー!」
ゴールの前で、火織先輩は両手をあげる。あれじゃ左右のスペースががら空きだ。だけど、いきなり意地悪な場所に投げ込むのも可哀想かな。まずはまっすぐ――。
「――っと!」
軽く投げたつもりだった。
「ひゃん!」
先輩が身を縮める。
「って、避けたら意味ないッスよ!」
結局、俺は練習に付きあうことにした。何でも屋部のプライドにかけて、いいかげんなコトはできない。火織先輩には実技テストできちんと合格してもらわなければ。
「そうはゆうても……」
目をうるませて先輩は顔を上げる
「怖いものは怖いねん……」
「だけどそれじゃ練習になりませんって!」
「そやけどぉ……!」
あ、分かった。この人そもそもボールに慣れてないんだ、たぶん。
「もう一球、投げます――よっ!」
ななめ45度にゆるーく投げた。
「え? え!」
ボールは大きな放物線を描き、ゆっくり先輩の胸もとへと落ちていった。
――すとん。
火織先輩はぎゅっとボールを抱きしめる。
「と――」
先輩の表情が、ぱぁっと輝く。
「とれたぁ!」
ボールを頭上にかかげて、きゃっきゃと喜んでいる。この調子なら、ボールは怖くないというコトを覚えてもらうのにあまり時間はかからなそうだ。褒めてやらねば人は育たじ。
「うまいですよ、先輩。きちんと取れたじゃないですか!」
「そんなんとちゃう! まぐれや、まぐれ……」
まんざらでも無さそうな表情。
「それじゃ返球してください。もう一回投げますから」
「ええで。――えいっ!」
「うわっ」
あらぬ方向に飛んでいくボール。俺は必死で追いかける。先輩の送球は右に10メートルほどズレていた。
「あかん」
先輩は口もとに両手を当てる。
「かんにんして」
「こ、この程度、なんてことないですよ」
じつは結構必死でボールに追いすがったのだけど、そんなことはおくびにも出さず俺は答えた。
「俺を気にせず、先輩のペースで投げてください」
「ええの?」
「もちろん! それじゃ、もう一回シュートしますよ――っと」
ゆるぅーい速度、大きな放物線。
――すとん。
またしても火織先輩の胸もとにボールは着陸する。ゲーセンのフリースロー・ゲームで鍛えたコントロールがこんな場所で役に立つとは……。
「またとれたぁ!」
「うまいですよ、その調子ッス」
「ふふふ。ボール返すで――っえい!」
またしてもあらぬ方向に飛ぶボール。こんどは左に10メートル。
「あかん」
先輩は口もとに両手を当てる。
「かんにんして」
「こ、この程度、なんてことないですよ!」
だから、無限ループってこわくね?
「――っよ!」
「――っえい!」
飛び交うボール。
「あかん、かんにんして!」
「こ、この程度、なんてこと……!」
走り回る俺。
「――っよ!」
「――っえい!」
ボールへの恐怖心は無くなったみたいだけど……。
「あかん、かんにんして!」
「こ、この程、度、なんて!」
……コントロール力はまるで身につかない。
「――っよ!」
「――っえい!」
まるで犬のように、先輩のボールに翻弄される。
「かんにんして!」
「こ、この、てい、ど――」
ぜいぜいと息を切らせながら、俺は確信した。
やっぱりこの人に粉飾決算はムリだ。練習相手を忘れていたことといい、そんな器用なことができる人じゃねえ……よ……。
…………。




……空、キレイだなぁ……。
「シワケくん、お待たせ」
ぴとり、と冷たいものをほっぺたに押しつけられた。
「ありがとう……ございます……」
俺は体育館脇のコンクリート舗装された場所に横たわっていた。先輩の練習に付きあうはずが、俺のほうがトレーニングをさせられた。体力の限界をむかえて倒れていたのだ。
「おごりやで。うち、先輩やし」
火織先輩はにこにこしながら、隣に腰を下ろす。俺は体を起こした。
「マジ助かりました。のど乾いてたんで……」
と、受け取った缶に視線を落とす。
《どろり特濃・粘性ピーチ》
なんだよ、この桃色の飲み物――。
「モモのジュースや。めっちゃ甘いで!」
でしょうね……。
「運動したあとはきちんと糖分とらなあかんねん」
水分のほうが欲しいです――というセリフを飲み込んで、俺は「ありがとうございます」とプルタブを開けた。一口舐めてみる。うっわ、うっわぁ……。甘いなんてもんじゃねえぞ、これ。
「おいしない?」
「お、おいしゅうございまふ……」
暴力的なまでの甘味成分だ。いまならチョコレートを食べても苦く感じるだろう。
「……先輩。あの、ですね」
「?」
「…………」
「どうしたん? むつかしい顔しはって」
言うべきか言うまいか、ギリギリまで迷った。
「……なかよし銀行調査室では、陶芸部の粉飾決算を疑っています。火織先輩が架空売上を計上した可能性がある、と」
先輩の顔がさっと険しくなる。
「……どゆこと?」
「言ったとおりの意味です。陶芸部の売掛金が――」
俺は順を追って、ケイリさんの推理を説明した。掛け取引のこと、売掛金回転期間のこと。火織先輩にも分かる言葉を選びながら、ゆっくりと伝えていく。(人はかんたんに裏切るけれど、お金はウソをつかない)ごめん、ケイリさん。ケイリさんの言うとおりだよ、いまの俺の行動はなかよし銀行調査室に対する裏切りだ。だけど――
「――俺は、火織先輩のことを信じています」
「!」
「先輩はまじめで、陶芸のことには誰よりも真剣で――」
「…………」
「先輩のそういうところ、ちょっぴり尊敬してます」
「………………」
「ずるがしこいことを考えるような人じゃないって、俺は分かってます」
「……………………」
「だから、ほんとうのことを教えてください。“晩夏”をほんとうに売ってしまったのかどうかを。そして、売掛金が増えてしまった理由を。だって俺は」



――俺は。



「先輩の味方だから」



言ってしまってから、急に恥ずかしくなった。バカバカ、シワケのバカ! こんなキザなセリフは似合わねーっつの!
「……優しいな、シワケくんは」
ふふ、と火織先輩は笑った。
「そやからモテるんやね」
「モテるぅ!?」
「そやろ? あのちっちゃい子とめっちゃ仲よかったやん」
「そんな、あいつはただの――」
ただの、何だ? 幼なじみとかそういう属性は一切ないし、かといって「ただの同級生」と言い切るには、お互いのことをよく知りすぎている。
「――同僚、です」
「そうなん?」
「そうです!」
ってか、その話はもうヤメにしてください。自分の心の奥底にある「開けてはいけないパンドラの箱」が開いてしまいそうな気がします。ケイリさんはただの同僚、それ以上でも以下でもない。
「そんなことより売掛金ですよ。実際に売上げはあったんですよね? 架空とかではなく」
「……せやで」
先輩はふぅ、と息をつく。
「おおきに。シワケくんが信じてくれはって、うち、うれしい」
そしてポツリ、ポツリと語りはじめた。
火織先輩は小さいころから図画工作が得意で、陶芸に限らず色々なジャンルのコンクールで賞を取っていたらしい。この高校にも普通の入試ではなく「特技推薦」で入学した。勧誘されるがままに陶芸部に入部。小学生のころに茶道を習っていたこともあり、あっという間に茶碗作りに夢中になった。先輩は謙虚な言い方をしていたけれど、めきめきと頭角を現したらしい。そして昨年の秋、ベテランの職人でもなかなか取れないような賞を“晩夏”で受賞、一躍有名になった。
「それからやねん、おかしゅうなったんわ」
取材の依頼が舞い込むようになり、火織先輩の焼いた茶碗は飛ぶように売れた。オークションを開けば、いままでの陶芸部では考えられないような値段がついた。売れたのは火織先輩の作品だけではない、この高校の陶芸部そのものが有名になってしまったのだ。
「やけど、うちの先輩たちには可愛がってもろた」
天才的な後輩にねたみの一つでも覚えそうなものだけど、むしろ積極的に火織先輩のことを応援してくれたという。
「たいへんやったはずやで。取材の対応なんかしとる時間があったら、先輩たちも自分の作品を作りたかったはずや。せやけど、ぽうっとしているうちの代わりに取材相手を選んでくれたりしてな」
「OBの方々が、火織先輩のマネージャーみたいな仕事もなさっていたんですね」
「せやな……。なんや申し訳ない気もするけど、なによりありがたかったわ」
「コンクールでの受賞にともない売上げが伸びていった。それにあわせて売掛金も増えていった……。そういうことですか?」
先輩はふるふると首をふる。
「ちゃうねん」
「!?」
「最初はな、きちんとお金を回収できてたんや。売掛金が発生しても、すぐに得意先からの入金があった」
売掛金は、入金があったときに減らされる。
「せやから残高はあまり増えへんかった」
「それじゃ、どうして……?」
「今年の1月ごろの話なんやけど、今まで取引のなかった会社から連絡があったんや。株式会社キャッシュレスという会社でな――」
不穏な社名だな。
「高級な茶器の卸売りをしとる会社やて、ゆうとった。二人組の黒いスーツの男の人が陶芸部のギャラリーにも来はって……。その二人だけで経営しとる会社やて」
「あからさまに怪しいじゃないですか!」
「うちの先輩たちも、そう言うとった。なんや裏がありそうやし、辛気くさいって。せやけど、二人はうちら陶芸部のお茶碗たちをえらい気に入ってくれはったみたいやし、『どうしても売ってほしい』と言われたら、断れへんかった」
「それで、売ったんですか?」
「せや、ざっと600万円分ぐらい。うちのと先輩らのと半々ぐらいで」
「もしかして、そのなかに“晩夏”も?」
「あのお茶碗を買いたい言う人は、他にもいたんやで? やけど、みんな飾りモンとして欲しがってるみたいやってん。せっかくのお茶碗なのに、使われへんかったらお茶碗が可哀想やろ。この二人なら、ちゃんと使うてくれはるんやないかって思った」
「なるほど……」
「ほかのお茶碗と同じように1万円ぐらいで売ろ思うたら、先輩に叱られてしもたわ。うちの代わりに値段の交渉をしてくれはった」
そして結局、“晩夏”は100万円で売れた。
「うちを育ててくれたんは陶芸部や。その陶芸部に恩返しができるような気がして嬉しかった」
だんだん真相が見えてきたぞ。
「だけど株式会社キャッシュレスは、代金をきちんと支払わなかった――。そうですね?」
「せやねん……」
先輩は顔をうつむける。
「……せやから売掛金が膨らんだまま残ってんねん」
「債権の取り立てをしなかったんですか?」
商品を渡しただけで現金を回収できなければ、大損になってしまう。
「最初はな、みんな楽観的やった。陶芸部の得意先はきちんとしたお客さんが多いから、どんなに遅くなってもちゃんと支払ってもろうてた。せやから株式会社キャッシュレスから現金が入ってこなくても、ただ入金が遅れてるだけやろうと思っててん」
なんということだろう。陶芸部はカネの管理が緩すぎると、この俺でも分かる。どこかの金満少女が聞いたら卒倒しかねない。
「3月も終わりに近づいた頃、やっぱりおかしいという話になってん。そんでな、株式会社キャッシュレスに問い合わせようとしたんやけど……」
火織先輩の声が弱々しくなっていく。
「連絡、つかへんかった」
「そんな……」
「電話も、メールも、ぜんぶでたらめやった。名刺に書かれていた住所に、先輩たちと行ってみたんやけど……。もぬけの空やった」
そして売掛金の回収のめどが立たなくなり、残高が膨らんだまま決算書に記載された。
「それじゃ、つまり――」
悪いことをしていたのは陶芸部ではない、株式会社キャッシュレスのほうだ。
「真犯人はその二人組の男ってことですよね」
だけど、彼らの目的は何だろう。株式会社キャッシュレスの黒いスーツの男たちは、一体どんな狙いがあって火織先輩の茶碗を入手したのだろう。
「うち、どないしたらええんやろ……」
火織先輩は両手で顔をおおう。
「せっかく陶芸部を残してくれはったのに。先輩たちの大切な部活やったのに……。うちのせいで、うちのせいで……」
「火織先輩……」
かける言葉がみつからない。先輩はぽつりとつぶやく。
「……うちの茶碗、ちゃんと使うてくれてはるんやろか……」
「それは……分かりません。……分かりませんけど、カネを払わないのが悪いことだってのは分かります」
「……!」
「陶芸部の売掛金は、俺たちがきちんと回収をお手伝いします」
「……ほんまに?」
「もちろんです」
「うちのこと、疑ってたんと違うの?」
「俺は最初から信じてましたよ、先輩のこと」
「やけど……」
「やけどもすり傷もありませんよ。カネで困ったことがあれば、すぐに俺たちに相談してください。そのためのなかよし銀行・調査室ですから!」
勢いあまって、俺は先輩の手を取った。
「火織先輩のことは、俺が守ります!」
大声で宣言してから、耳たぶが熱くなるのを感じた。こ、これじゃまるで――。
「うちのこと、守って、くれはる……?」
――まるで告白じゃねーか!
「す、すみません変なこと言って!」
慌てて手をふりほどくと、恥ずかしさをごまかすために俺は早口で言った。
「なんていうか、その、それが調査室の仕事? だし、やっぱり悪いことは許せないっていうか、えっと、ええっと……、返事はいつでもいいです、今すぐじゃなくても」
どさくさに紛れて俺、なんか凄いこと言ってないか?
「俺はただ、役に立ちたいだけなんです、火織先輩の――」
「……カオルでええよ」
「――え?」
「せやから、カオルって呼んでくれはって、ええよ?」
先輩の顔に、ゆっくりと笑顔が戻る。
「それじゃ、カ、カ、カ……」
俺は口をぱくぱくさせた。
「カオル……さん……」
俺には「さん付け」が限界でした。へたれっぷりを笑うがいい、恥ずかしいんだよ!
「ふふふ、答えは――。せやね、もう少し待ってや。一件落着してからにせえへん?」
「は、はいっ! いつでも大丈夫であります!」
だから俺はケロロか!



と、ケータイが鳴った。



先輩がわたわたとジャージのポケットをまさぐる。
「いや、俺のケータイです」
答えながら取り出すと、知らない番号からだった。
「もしもし?」
『…………』
「もしもーし!」
『…………借方シワケ?』
澄みきった冷たい声。
「……そう……ですけど?」
『ケイリはどこ?』
どこって、そんなの分からない。今日はご機嫌ナナメだったのだ。
「だいたい、あんた、どちら様?」
『ケイリからは、ハルと呼ばれている』
――ハル?
「あ、あぁー! ハルちゃん!?」
『気安く呼ばないほうがよい。命がおしければ』
さらりと物騒なことを言ったよね?
『ケイリはどこ?』
「知らねえよ。今日はワケわかんないことで怒るし」
『一緒じゃないの?』
「一緒? んなワケないじゃん、今日のケイリさんは五限の自習時間中に教室を出て行っちまったんだ。ケイリさんとはそれっきり顔を合わせてないよ。今までカオルさんの体育の練習に付き合ってた」
『カオル?』
硬質な声が、さらに固くなる。
『ツチヤキ・カオルがそこにいるの?』
「う、うん」
『そしてケイリには会ってない?』
「そうだよ」
『なら、そのカオルという人と一緒に、いますぐなかよし銀行まで来て』
「どうして?」
『くちごたえしないほうがよい。命がおしければ』
感情の読めない口調。
『話がある。“晩夏”の行方について、それから――』
ハルちゃんは淡々と言った。
『ケイリが危ない』



       ◆



なかよし銀行は立川駅の北口にある。レンガ調のタイルに覆われた十階建てのビルで、窓口から融資相談まですべてを高校生が行っている。客層は主婦から大手企業の財務担当者まで幅広く、一階のロビーは今日も賑わっていた。それを横目に、俺は部屋のいちばん奥の階段をのぼった。後ろには火織先輩――もとい、カオルさん。調査室にはこの階段を使わなければ入れない。
「……秘密基地みたいやね」
「秘密基地そのものです」
いわば隠し部屋だ。消防法とかそういうのは大丈夫なのかな。
階段を登りきると、薄暗い廊下に出る。そして廊下のつき当たりには、ひときわ重そうな両開きの扉。分厚い木材で作られており、表面はあめ色に光っている。扉のうえには「調査室」と刻まれた金属プレートが打ち込まれていた。
「ただいまー」
「お、おじゃまします……」
電灯が消されていた。まだ外は明るいけど、レースのカーテンごしの光は弱々しい。人気(ひとけ)がなかった。大正ロマンって感じの家具が並んでいる。毛足の長い絨毯に、えんじ色のカーテン。中央には黒檀の机(いつもケイリさんが使っているやつだ)が置かれ、窓際には和服を着たマネキンが――。
マネキン?
「おそい。待ちくたびれた」
「ウワァァァァシャベッタァァァアアア!!」
「驚きすぎ」
じっと立ちつくしているハルちゃんは、まるで人形のように生気が無かった。黒地に赤い菊柄の振り袖を着ている。この学校は制服が自由だ。元々は、大人と商売するときに制服姿ではナメられるから、という理由があったらしい。だけど今ではみんな思い思いの格好をしている。ケイリさんみたいに第一ボタンまできちんと締めている生徒は珍しい。
「それがツチヤキ・カオル?」
ハルちゃんはニコリともしない。ていうか、“それ”って……。
「ああ、そうだよ。なあハルちゃん、ケイリさんが危ないってどういうこと? それに“晩夏”の行方って――」
俺は思わず一歩、前に出る。と、ハルちゃんが言った。
「それ以上、近づかないで」
「はい?」
そんなに俺、嫌われてます?
「あなたがきらいなわけじゃない」
まるで取扱説明書でも読み上げるみたいな口調だった。よく見るとハルちゃんは、首からペンダントのようなモノをぶら下げている。五百円玉ぐらいの直径の透明な球体が――大きめのビー玉みたいなものが、ペンダント・ヘッドにあしらわれていた。
「わたしは男がきらい」
バッサリだった。とりつく島もねえよ……。
「男なんて絶滅しちゃえばいい」
ケイリさんもガンコだけど、ハルちゃんはそれに輪をかけて気難しい子のようだ。表情は読めないし、セリフが怖い。となりのカオルさんが、しゅんと肩をすぼめている。ですよねー、空気最悪ッスよねー。
「あのさ、ハルちゃん。ケイリさんは勘違いしていたけれど、陶芸部の売掛金が増えていたのは――」
「株式会社キャッシュレス」
「!」
「社員数2名、資本金800万円の個人企業。登記上は“道具商”となっている――」
「ど、どうしてそれを……!?」
「ケイリが見つけた。陶芸部から受け取った顧客別の販売明細と、当座照合表をつき合わせて」
ハルちゃんは机のうえを指す。ハルちゃんが営業部から借りてきたファイルには、たくさんのポストイットが差し込まれていた。
「当座照合表には預金の動きがすべて記載されている。入金・出金の金額だけではない。支払い先・入金先の情報も載っている。ケイリはそれを見て、入金のない顧客を洗い出した」
そして株式会社キャッシュレスに行き当たったというわけだ。俺がカオルさんの練習につき合っている間に、ケイリさんはそんなことをしていたのだ。
「そうなんだよ。黒いスーツの二人組の男で、名刺に書かれた住所には――」
「誰もいなかった」
「「!!」」
俺とカオルさんは息を飲む。この子、マジで何者だ?
「事務所とは名ばかりで、誰もいなかった。違う?」
「い、いや、その通り……ですよね?」
カオルさんがふんふんとうなずく。
「どうして知ってはるの?」
「それもケイリが推理した」
「どういうことだよ」
「これを見て」
ハルちゃんはペンダントを目の高さにかかげた。手のひらをパーにして透明な球体をのせる。
「もしかして、それって……」
球体の中心が、淡い白に光りはじめる。「どぅぉぉおん」という聞き覚えのある起動音。
「そう。これはiSphere」
アメリカのパソコン・メーカーが作った最新のマルチ・デバイスだ。ハルちゃんの胸のあたりに、立体映像の方位磁石が浮かび上がった。左手にiSphereをのせ、ハルちゃんは空いた右手を振る。ぱさり、と長い黒髪が揺れる。
「ブラウザ復元」
ハルちゃんのセリフと同時に、方位磁石の立体映像がはじけ飛んだ。銀色の桜吹雪が部屋中に広がる。舞い散る花びらの一枚一枚は、よく見るとWebブラウザのウィンドウだった。そのうちの一枚をハルちゃんは指さす。
「拡大」
オークションサイトの画面が部屋一杯に広がった。
「あ、これ……!」
カオルさんが珍しく大きな声をあげる。
茶碗が出品されていた。ふちの部分は黒々としていながら、器の底はまるで海のように青い。デジタル写真でもはっきり分かるぐらい美しかった。とても粘土で出来ているとは思えない。
「これ、“晩夏”や……」
「!」
予定落札価格は50万円、オークション終了まで残り7時間と表示されている。
「これは“転売屋”と呼ばれる、典型的な詐欺。あなたたち陶芸部はそれにハメられた。掛け取引をすれば、現金を払わなくても商品を手に入れられる」
そしてトンズラしちゃえばカネを払わなくて済む――。いつか俺が言ったセリフだ。
「そうやってタダで手に入れた商品を、オークションサイトで転売してしまう。これが“転売屋”の手口。家電製品の卸売り業者などが被害にあいやすい」
100万円の価値がある商品だろうと関係ない。たとえ1円にしかならなくても、落札されるだけでトクになる。だって、もともとカネを払っていないのだから。
「それって犯罪じゃん!」
「言い逃れのよちはない。だからケイリも許さない」
売掛金の残高が異常に伸びている場合、二つの可能性をまずは疑うべきだ。ひとつはケイリさんが最初に推理したように、架空売上が計上されている場合。そしてもう一つは、支払いの停滞だ。
「そしてケイリが予想したとおり、株式会社キャッシュレスという得意先が見つかった。600万円分も購入していながら、たったの1円も入金していない。これは“転売屋”の可能性が高い――とケイリは判断した。登記されている事務所所在地は目くらましで、本当はどこか別の場所からオークションサイトに出入りしているはず。そう推理して、わたしに調べさせた」
「ケイリさんの頼みなら聞くんだね」
「ケイリから命令されるのがわたしの生きがい。わたしはケイリの奴隷」
だから、さらりと物騒なことを言うよね?
「そして、この“晩夏”を見つけた。オークションサイトのアカウントは、たぶん使い捨てのもの。一日限りの短期オークションなら足も着きづらい」
今夜0時には現金化できるという寸法だ。
「だけど、どうすればいいんだ? 出品されている茶碗が違法なものだと通報すれば、取引を止められるけど……。だけど“晩夏”を取り戻すことはできないし、売掛金も回収できないだろ? 犯人二人の居場所をつきとめなくちゃ――」
読唇術(リップ・リーディング)
ハルちゃんがつぶやくと、iSphereが真っ赤に光った。部屋全体が夕焼けに染まったみたいになる。まるで炭酸の泡が弾けるみたいに、オークションサイトの画面から小さなウィンドウが次々にポップアップする。
「これ……は……?」
「わたしの作ったハッキング用アプリ。出てきたウィンドウは出品者の個人情報」
そ、それって犯罪じゃん!
「背に腹はかえられない。こうやって手に入れた情報やIPアドレスを統合して――」
ハルちゃんは別のウィンドウを指さす。
「拡大」
巨大なG●●gle Mapが表示された。
「犯人はここにいる」
万能すぎるでしょ、この電脳少女。
「ひょっとしてケイリさんは――」
「ここに向かった。相手が二人以上の男だということは分かっていた。番犬がわりに借方シワケをつれていくよう、わたしは勧めた」
ケイリさんも「そうするわ」と答えたそうだ。
「だけどケイリさんは俺のところに来なかったよ。連絡すらしてくれなかった……」
クチげんかしたばかりで気まずかったからだ。
「そこのツチヤキ・カオルの言葉を信じるなら、相手は二人組の男。しかも、ためらいなく詐欺を働くような犯罪者。もしもケイリの身になにかあったら、わたしはあなたを許さない」
なにかって、なんだよ――。暗い想像が頭のなかを渦巻いた。もしそんなことになったら、俺だって自分で自分が許せない。
「ほんとうに男なんて絶滅しちゃえばいい」





      ――次回、「“転売屋”編」最終回!!







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