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なぜ「豊かな国()」の日本で餓死者がでるのか

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今朝のTLで話題になっていたニュース2本。



餓死者、バブル崩壊後急増 セーフティーネット不備映す
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120226-00000070-san-soci


『日本』で餓死が頻発 調べて分かった意外な事実
http://matome.naver.jp/odai/2133014620892710601



これら痛ましい事件は、「セーフティネットから取りこぼされてしまう人がいる」ことを如実に示している。どんなに行政がきめ細かなケアを行おうとしても、必ず「漏れる人」がいる。だからといってケアなんて無駄だと言いたいわけではないし、行政を無能だと責めたいのでもない。行政は、ごく限られた人数で圧倒的多数の人間を相手にするシステムだ。「漏れ」が生じるのは構造的な問題であり、現場職員の責任だけを問うても状況は改善しない。
そして「漏れる人」が生じる原因は、以前にシロクマ先生が指摘していたこちらの問題につきる:



勉強のできる人しか便利に暮らせない社会‐シロクマの屑籠
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20111030/p1



精神科医であるシロクマ先生は、人の知的能力に幅があることをよく理解されている。また、精神状態によっては「適切な判断」を下せなくなる場合があることも、よく解っていらっしゃる。そんなシロクマ先生にいわせれば、いまの日本の社会は不可解きわまりないものなのだろう。
たとえば行政サービスは、申請方法があまりにも煩雑で「そこそこ以上の知的能力を持ち」「冷静な判断を下せる」人にしか利用できない。そんな人はそもそも行政サービス(とくに社会福祉的なもの)をあまり必要としていない。本当に必要な人たちが恩恵を受けられないシステムになっているのだ。
それでは「漏れる人」を減らすためにはどうすればいいのだろうか。
すぐに思いつくのはサービスを提供する側の人員を増やすことだが、その人件費があるのならケアそのものにカネを回したほうが良さそうだ。問題はシステムが煩雑すぎることなのだから、システムをかんたんで使いやすいものにするのが一番の解決策であるはずだ。
が、実際に「どうやってシステムをかんたんにしていくのか」という点でつまずいてしまう。
たとえばケータイの料金体系を見れば判るとおり、システムは複雑であればあるほどサービス提供者がトクをする。「そこそこ以上の知的能力」を持たず「冷静な判断」のできない顧客から、適性価格以上のカネをせしめることができるからだ。ケータイ事業は寡占業界だ。競合他社が数社しかいないからこそ、不便な料金体系が放置されている。まして行政は究極の独占業界である。システムの簡素化を自発的に行えるとは思えない。
※なお、ケータイの複雑な料金体系は多様なニーズに応えるためのモノだ、という反論があるかも知れない。が、それは供給者側の視点だ。そもそも通信事業者の数が多ければ、1つの企業で多様な需要を満たす必要もなくなる。消費者の視点からいえば、複雑なプランの組み合わせから最適なものを(電卓を叩いて)見つけるよりも、自分にふさわしいサービス提供者をひとつ選ぶほうがはるかに簡単だ。




公的なケアから「漏れる人」がいてはいけない。端的には治安の問題だし、究極的にはこの社会の豊かさの問題だ。
そのためにはケアを提供する側の人員を増やすだけでなく、なによりもまず「簡素なシステムの再構築」が必要だ。
ここまでの問題認識を持つのはたやすいけれど、ここから先でつまずいてしまう。私はまだ「こうすればいいのかな?」というアイディアすら思いつくことができていない。「勉強のできる人しか生きていけない問題」については、今後も考えつづけたい。





関連)
「遊び」こそが進歩のみなもと/生活保護って本当に必要ですか?
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20120210/1328884315


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