デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

高校を卒業するころ(または進学するころ)に考えておきたいこと

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Twitterでつぶやいたネタを再編。





就職活動に関する2つの記事を読んで、いろいろと考えた。


この国はきっと滅びる!就活のバカたち 学生もバカなら、面接官も大バカ
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31782


巨匠スコセッシ監督が日本の学生たちにエール! 狂気じみていると思われるぐらいの決意を持て!
http://www.cinematoday.jp/page/N0039482



なんと対照的な記事だろう。誰もが「バカバカしい」と思いながらも、そのバカバカしさに身を投じなければ生きていけないという現状がある。その一方で、たしかに好きなことをして生きていくのは理想かもしれないが、「夢を持て」なんて成功者に言われても説得力はない。私たちの親世代も祖父母世代も、がまん比べをしながら生きてきた。そんな年長者たちから「夢なんか見るな」と言われて私たちは育つ。どんな親でも、子供に「安定した道」を歩んでほしいと願うものだ。「安定した生き方=しあわせな生き方」という信仰は根深い。
正直なところ、「就職活動」なんてキレイな言葉を使うから、道を誤るやつがでるのだ。「奴隷競売」と改めるべきだ。マジほんと学生時代に「やりたいこと」を見つけたほうがいい。そして一人ひとりが自主的に生産と消費にいそしむ――そういう世の中にしていったほうがいい。望もうが望むまいが、社会の「システム」はどんどん機械へと置き換わっている。「回すだけの仕事」は激減している。だからこそ私たち一人ひとりが生産活動を行える人になるべきだ。そうでない人があまりにも多いから、就活が「奴隷競売」になってしまう。



「わたし、○○社(←大手企業)に入りたいんです!」
こんな発言を耳にするたび胸が痛む。その会社で「なにを」したいの?って思う。要するに「なにをして生きるべきか学生のうちに決められなかったので、どうか決めて下さい」と言っているのと同じだ。どこの馬の骨とも分からない人事担当者に、自分の人生を売り渡している――そういう認識を持ったほうがいい。
パソコンの前から動きたくないやつらは、「自分探し」をバカにする。()をつけて笑いものにする。だけど人生にやり直しはない。22才までに「自分」を見つけられなかったら、もう一生、主体的には生きられない。社会的ゾンビになるしかない。どんなにカッコ悪くても、自分探しはしたほうがいい。
ただし注意すべきなのは、「隷属的な人生」にもそれなりの幸せはあるということだ。
だから主体性のない大人をバカにするようなことは、口にしちゃいけない。他人の人生をまるごと否定できるほど私たち一人ひとりは立派ではない。どんな人生にも価値がある。



それを認めたうえで、では、どう生きるのか。



陳腐な言葉だけど、人には無限の選択肢がある。生まれた瞬間の赤ん坊には、国連事務総長になる可能性も、極悪テロリストになる可能性もある。そういう可能性を少しずつせばめていくのが、つまり生きるということだ。
ところが日本では22才の春に突然、選択肢が一万分の一になる。バカげてるよ。



人生とは物語であり、つまり一度しか上映されない映画、一度しか遊べないゲーム、一度しか公演されない戯曲だ。どうして他の誰かに脚本を任せられるだろう。私の人生のシナリオライターは私で、あなたの人生のシナリオライターあなただ。他の誰でもない、シナリオライターはあなただ。
「夢を諦めるな」
「本当の自分を見つけろ」
こういう青臭いセリフが嫌われるのは知っている。正直いって私も大嫌いだ、反吐が出るぐらいに。なぜならこういう前向きな言葉が、支配のために使われてきたからだ。雇用者が被雇用者をいいように使役する。そんな目的のために使われた時代があるからだ。
言葉には「力」がある。そして、それはすぐに濫用される。
他人の夢を「自分の夢」だと思い込まされ、他人から望まれる姿を「本当の自分」だと思い込まされる。前向きで希望に満ちた言葉たちが、そんなくだらない目的のために使われてきた。「言葉」に対して、私たちの心はあまりにも無防備だ。
そして「使役される生き方」しか、まともな生き方として認められない時代があった。というか今でもその時代は続いている。使役されながらも自分を見失わないためには、前向きな言葉を否定するしかない。斜に構えて笑い飛ばすぐらいしか、心を守る手段がない。だから私たちは青臭いセリフが嫌いなのだ。



しかし冷笑や虚無主義は、しあわせには繋がらない。小さな虚栄心を満たしてくれるだけだ。
人生を「切り開く」という段階において、私たちは前向きにならざるをえない。「夢を諦めるな」――他人の夢ではなく自分の夢を、だ。「本当の自分を見つけろ」――他人の望む姿ではなく自分の望む自分を、だ。



繰り返すけれど、就活は「奴隷競売」だ。被雇用者の力があまりにも弱く、「雇っていただく・生き方を決めていただく」という態度になるしかないからだ。本当なら企業の側が「働いていただく・会社の行く末を決めていただく」という態度になるべきなのに。



奴隷になりたいヤツは無目的に生きろ。それもたぶん幸せだ。



言葉には力がある。あなたが虚無的な言葉をつぶやけば、あなたの人生は虚無的になる。あなたが前向きな言葉をつぶやけば、あなたの人生は前向きになる。
だからどんなに青臭くてバカバカしくても、私は「前向きな言葉」を選びたい。
自分にウソはつきたくない。







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「楽しい!」を仕事にしよう。/知的労働の急激な陳腐化とゲーム化する「仕事」
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20111213/1323776501