デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

日本の将来のために「ロシア的倒置法の経済」はいかがでしょうか

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――これからの日本では、あなたの豊かが経済する!







以前の記事への感想をツイッターでいただきましたので、その回答です。


「製造業な新入社員」から学ぶべきこと
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20110916/1316167012


この記事は、ブラジル経済についての個人的なメモのつもりでした。ズタズタだったブラジル経済はどのように奇跡的な復活をとげたのか:労働組合系の論者は、貧困対策による内需の拡大を強調します。しかし輸出増大による外需拡大が景気好転の火口だったと考えたほうが適当ではないか――という思いつきを書き残しました。いま読み返すと勉強不足が目立ち、お恥ずかしいばかりです。
そして記事の最後に、「日本でも同様の景気好転はありうるか」という問いかけを残して終わっています。「ありうるとしたらどんな方法になるのか」という問題提起を、ツイッターを通じて頂戴しました。現時点までの私の考えをまとめまして、回答に代えさせていただきます。



       ◆



一言でいえば、日本人の「個人商」化と未来型ギルド社会の実現。
これしかないと思います。



その理由を説明する前に、まずは「なぜ経済発展が必要か」という議論が必要でしょう。
日本は少子化と景気低迷、若年層の低所得化という典型的な先進国病にかかっています。しかし世界的にはまだまだ経済大国で、豊かさが「飽和」したかのように思えます。そんな日本で、なぜ経済発展が必要なのでしょうか。
それは人間という生き物が、放っておけばどんどん賢くなるからです。景気がどんなに悪化している時も、技術の進歩は止まりません。多少の足踏みはあるかも知れませんが、基本的に景気が悪いときでも研究開発は続いています。生み出された技術は私たちの生産効率を高めます。
技術の進歩と同じ速さで経済も成長していれば、なんの問題もありません。しかし経済が停滞している場合には、生み出された技術により仕事が合理化され、失業者がどんどん増えていきます。人間が知的生命体である限り、新しいアイディアの想起と応用は止められません。技術の進歩を止めることは不可能です。したがって、新しい仕事を作り続ける必要がある:一定の経済発展を維持する必要があるのです。このあたりは飯田泰之先生のうけ売りですね。



続いて、「誰がカネを使うのか」という論点があります。
日本を「輸出に頼った製造業の国」だと思っている人たちは、「外需か・内需か」という話題になりがちです。しかし「内需」と一口に言っても、「家計・企業・政府」の三つのプレイヤーを考えるのが古典的な経済学の方法だと聞いています。景気を好転させるためには、誰かがカネを使わなければなりません。では、このなかでカネを使うべきなのは誰でしょうか。
まず企業は今後、日本ではカネを使いません。ここでいう「カネを使う」とは、設備投資のことを指しています。景気が良いときは、どんな大規模設備を購入しても投資したカネを回収できますから、企業はどんどんカネを使います。
しかし今の日本はどうでしょうか。充分に経済大国の地位を確立した今、日本企業はすでに充実した設備を持っています。一方で、いまは少子高齢化の時代です。今後の数十年間、人口が減り続けると分かっています。人口の減少とは、つまり消費者の減少です。いまの日本で移民政策が実現しそうには思えませんし、どんな業種であれ、日本企業は中長期的な消費減退に直面しています。
そんな状況で、企業の設備投資は期待できません。なかには躍進している業界もありますが、ほとんどの企業はカネを使いたくても使えない状況にあります。設備投資が爆発的に伸びることはありませんし、今後、減り続けていきます。
次に政府はどうでしょうか。世界恐慌のころのニューディール政策のように、経済政策といえば政府の財政出動が本命です。しかし日本の再分配率が最悪なのはご存知のとおり。日本政府の公共投資は、都市部のカネ持ちから田舎のカネ持ちへと所得をスライドさせているにすぎません。官僚たちと重厚長大産業との癒着は目も当てられない状況です。そういう現状がある以上、「財政出動をせよ」と訴えても効果的な政策が採られることはないでしょう。政府は期待できません。
新興国の台頭と円高、さらに核事故による医食品輸出の壊滅というトリプルパンチで、外需は期待できません。また企業も政府も頼れません。ならば「家計」からの経済回復の方法を模索するのはどうでしょうか。


そうして思いついたのが、日本人の「個人商」化です。


誤解されそうなのですが、私は年収数千万円のベンチャー社長を生み出せと主張したいわけではありません。低所得な被雇用者の年収を100万円ずつ底上げするために「個人商」化が必要だと考えています。各人の可処分所得を増やすことで有効需要を増大させ、「家計」を原動力とした景気回復ができないかと夢想しているのです。
また「家計」に注目する理由の一つには、私の立場があります。
私は政治家でも大企業の経営者でもありません。財政政策や(企業の設備投資を刺激するという)金融政策を考案しても、実行できない立場です。しかも日本の政策決定システムは「終わって」いますので、私たちが何かを主張してもその意見は政治に反映されません。反映されるとしたら、既得権益者の誰かがトクする時だけです。
(余談ですが、私はもちろんこういう状況を放置していいとは思いません。放置していいはずがない。少しずつでも変えていかなければなりませんし、「放っておけば行き詰まって勝手に変わる」なんて楽観的すぎます。もしかしたら、本当に日本の大企業や官僚システムは行き詰まって変わるのかも知れませんが、それが30年後・40年後では意味がないのです)
世の中の仕組みを変えるのには時間がかかります。一方で、日本の貧困層の拡大や階層の固定化は、恐ろしい速さで進んでいます。だからこそ、数年内で結果を出せる対策を打たなければいけません。「いますぐ試せる」という点がなによりも大事なのです。
話を整理しましょう。
私の立場では、財政政策も金融政策も「言ってもムダ」です。この状況を変えるには時間がかかります。一方、日本人の所得拡大は火急の用件です。「いますぐ試せる」所得拡大の方法として、日本人の「個人商」化が必要なのです。



最後に「誰でも個人商になれるのか」という議論を避けて通れません。
繰り返しになりますが、私は「特別な人間になれ」と言いたいわけではありません。被雇用者や無業者の年収を100万円ずつ底上げする方法を見つけなくてはいけない――と主張しています。
いまから2年前、初めてツイッターを触った時に、私は「トルコのバザールみたいだ」と思いました。トルコ・イスタンブールはアジアとヨーロッパの中継地として繁栄した街で、「グランド・バサール」という15世紀から続くショッピングモールがあります。洋の東西を問わずあらゆる品物が集まり、550年前から世界中の商人たちで賑わっていました。
社会人の友人ばかりをフォローしたからでしょうか、2年前の私のTLはまるでトルコのバザールみたいに、仕事の意見交換をする人たちで溢れていたのです。ちょうどマス・マーケティングの凋落が話題になっていたこともあり、「ああ、これからはかつてのバザールのように、こういうSNSを介した一対一の商売が発達するのだろうな」と直観しました。
今では「ソーシャル・マーケティング」という言葉もすっかり定着し、最初の数人から爆発的に情報が拡散される時代に合わせた商売が模索されています。これからの時代の商売は、万人受けを目指す必要はないそうです。最初は周囲20人程度のお客さんによろこんでもらえばいいと聞きます。その20人のファンが、それぞれ他の20人に商品を紹介し、さらにその20人が別の20人に――と情報が拡散していけば、7人先で日本人口を超えます。たった7人です。周囲の20人から始めて、世界につながる商売にすることは充分に可能だと思います。
またその他のアイディアとしては、「月収三万円の仕事を10個かけもつ生き方」が注目を集めました。さらに「アルファ」を目指すやりかたもあるでしょう。ブログ「女。MGの日記」の玉置沙由里さんが以前、印象的なツイートをなさっていました。いわくソーシャル時代のライターは記事を売るのではなく、記事によって「信者」を作り、そのお布施によって稼ぐのだそうです(新聞記者を批判する文脈でのツイートでした)。フォロワーをカネづるのように言うのはいかがなものか、と思わなくもありませんが、カネづるとは「ファン」と同義です。ここは肯定的に捉えたいと思います。
とはいえ、「世界につながる商売」や「アルファ化」は誰にでもできるものではありません。「特別な人間になれ」と言いたいわけではないと念を押しておきます。とにかく「収入の複線化」が一般的して国民一人ひとりに浸透すれば、確実に世の中は変わると言いたい。
例えばコミケを見てください、同人誌を売るクリエイターたちは個人商です。そして収入的には苦しい人が多い。で、お金に余裕のあるオタク趣味の人たちが莫大なカネを落としている。2chコミケスレでは「なのは社長」がちょっとした有名人です。国も企業もできない「所得の再分配」が、コミケでは個人のチカラで行われています。
日本人が「個人商」化すれば、これがオタク業界という狭い世界ではなく、あらゆる業種のあらゆる商品で起こるはずです。もう10年も前から「需要の多様化」が叫ばれています。消費者の嗜好が多様化し、100人いれば100種類の商品・サービスが必要になる時代だと言われています。その一方で、供給サイドは充分に多様化してきたでしょうか。むしろ巨大資本による寡占化が進んだだけではありませんか。ユニクロコストコではカバーできない細かなニーズは、供給側の多様化がなければ満たせません。ここに、個人商を増加させるチャンスがあると、私は信じています。



       ◆



経済の停滞は、失業者の増加と貧困の拡大を招き、治安の悪化・社会不安につながります。即効性のある対策を打たなければなりませんが、私の立場では財政政策や金融政策について論じてもあまり意味がありません(しかも知識の信頼度が著しく低い)。
私の立場でも主張できる「いますぐ試せる」所得拡大の方法として、日本人の「個人商」化を提案しています。国も企業も頼りにならないのなら、個人のチカラで所得再分配を実現しようではありませんか。マス・マーケティングの時代は終わり、売り手と買い手が一対一で向き合うソーシャル・マーケティングの時代になりました。需要が多様化しているのなら、供給側だって多様化してもいいはずです。周囲の20人から始める商売で、年収をちょっとだけ増やそうではありませんか。そうやって、みんなが少しずつ可処分所得を底上げすれば、有効需要が増大してこの国の経済は再び回り始めます。私たち一人ひとりのチカラで、この国は変えられます。



「経済が発展すれば私たちが豊かになる」から、
「私たちが豊かになれば経済が発展する」へ――。
いまこそ頭を切り換えましょう。



私は楽観的すぎるかもしれません。はっきり言って誇大妄想かもしれません。
だけど「どうせムリでしょ」と言う前に、ちょっと試してみませんか?
550年前から続く血の通った「商売」を、現在の技術で復活させましょうよ。



あわせて読みたい
女。MGの日記。
http://d.hatena.ne.jp/iammg/


ロシア的倒置法
http://bit.ly/c7JHoy


仕事するのにオフィスはいらない (光文社新書)

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