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ジェンダーロールの向かう先/電撃文庫『アイドライジング!』感想

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私はオタクじゃありません。
インドアな趣味がちょっとだけ多いだけなのだ!
というわけで(どういうわけだ?)、友人からオススメされたライトノベルアイドライジング!』を読んだ。

アイドライジング! (電撃文庫)

アイドライジング! (電撃文庫)

業界では「硬派」な印象のある電撃文庫だが、めずらしくピンク色の表紙。まるでMF文庫Jみたいだラノベ好きの間では話題になったのだとか。



近未来の東京湾に浮かぶハイテク都市「ニライカナイ」:この街で開催される美少女たちの格闘技「アイドライジング」は、国内外から絶大な人気を集めていた。最新技術の粋を集めたバトルドレスを身にまとい、少女たちはど派手な(だけど怪我しない)闘いを繰り広げている。プライドと友情うずまく競争のなかに、主人公アイザワ・モモは元気いっぱいに飛び込んでいくのだった――。


刊行は2011年の2月、ちょうど『魔法少女まどか☆マギカ』が世間を騒がせていたころだ。当時のことを思い返すと、男性ジェンダーロールからの逃避にも思えるような作品が次々に公開されていた。この流れは基本的に現在でも変わっていない。『まどか☆マギカ』の流行に即して、私もこんな記事を書いていた。


男性ジェンダーロールと少女性の対立/『スト魔女』『けいおん!』『まどマギ』の何が新しいか
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20110520/1305880399


要約: 自らのジェンダーロール(以下GR)に疲れたオタクは、異性だけの世界を夢想することで、その重荷から逃れようとする。ボーイズラブの歴史が古いのは、女性のGRのほうが、男性のそれに比べて顕在化しやすかったからだ。現在では男が「一家の大黒柱になる」というような男性GRを果たせなくなったため、そこから逃避するような(≒男が登場しない)作品が好まれるようになったのではないか。


女性の同性愛――いわゆる「百合」要素のある作品群は、おおむねこの側面を持っている。「男性GRからの逃避」という側面だ。『けいおん!』の大ヒットを起爆剤として『Aチャンネル』『ゆるゆり』等へと、この系譜は発展していった。百合はもともと女性向けのコンテンツとして発達した過去を持つという。が、現在では男性向けコンテンツとして大量生産されている。少なくとも専門誌を買い支えられるぐらいの男性ファンを「百合」は獲得した。



コミック百合姫 2012年 01月号 [雑誌]

コミック百合姫 2012年 01月号 [雑誌]

一迅社WEB コミック百合姫 公式サイト
http://www2.ichijinsha.co.jp/yurihime/



そして、『アイドライジング!』も、この文脈のなかに位置づけられる。専門誌の名前から、「百合」が好きな男のことを「姫男子」と呼ぶらしい。それにくらべて、男性の同性愛が好きな女の子を「腐女子」と呼ぶのはあんまりだ。長い前置きになったけれど、『アイドライジング!』の感想はツイッターでつぶやいたネタを再編しつつこれから書きます。





       ◆





アイドライジング!』、すんげー面白かった!
美少女格闘技モノといえば桜庭一樹『赤×ピンク』を思い出す。あちらに比べると、『アイドライジング!』はかなりドライな印象だった。格闘シーンだけでなく、どのシーンも三人称の淡々とした文章で進んでいく。『赤×ピンク』が叙情的でしっとりとした泥まみれな作品だったのとは対照的だ。



赤×ピンク (角川文庫)

赤×ピンク (角川文庫)

※今でこそ直木賞作家として押しも押されぬ地位を確立した桜庭一樹だけど、もとはラノベ出身だ。この作品も最初はファミ通文庫から刊行された。あと桜庭一樹先生は女性です!



ところで、人は誰でも「性転換願望」というものを持っていると思う。性同一性障害などではなくても、たとえば異性装をしてみたり、あるいは異性の言葉づかいを真似てみたり。そういった表面に現れるものだけでなく、心の深いあたりでは多かれ少なかれ「異性になってみたい」という感情があるはずだ。
フィクションの登場人物たちはしばしば、そういう「性転換願望」を叶える存在として描かれる。
代表例は、ボーイズ・ラブに登場する「男キャラ」だろう。たとえば『きのう何食べた』のシロさんこと筧史朗は「もしもあたしが男だったらこんな人物になりたい」という読者の気持ちを具現化したキャラになっている。


きのう何食べた?(1) (モーニング KC)

きのう何食べた?(1) (モーニング KC)


逆の例はどうだろう。男性消費者が「こんな女になってみたい」と感じるキャラだ。
異論は多いだろうけれど『Stein's; Gate』の“助手”こと牧瀬紅莉栖は、そういうキャラの一人だ。ネラーでオタクで、なのに社会的な評価を得ていて、なによりも「美少女」だ。男性ユーザーは牧瀬紅莉栖を恋人にしたいというよりも、むしろ牧瀬紅莉栖になりたかったのではないだろうか。
まったく同じことを、以前、シロクマ先生が指摘している。


欲しがるオタクから欲しがられたいオタクへ----オタクの欲望トレンド今昔
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20100408/p1



牧瀬紅莉栖は少なくとも、典型的な「守られる性」としての女性的ジェンダーロールを負った椎名まゆりとは対照的なキャラだった。男性消費者の「もしも自分が女になるならこんな子になりたい」という願望を充足させてくれるのが助手というキャラだったのでは。
ちなみに「こんな人になりたい」と「こんな人を恋人にしたい」は往々にして一致するので、牧瀬紅莉栖に萌えることにも不自然はない。むしろ性的役割を取り払ってなお魅力を感じる相手だから、なおさら結婚したくなる。自分でも何言ってんのかよくわからないけれど、男と女ってそういうモンでしょう。「性別」の要素を取り払ってなお、ひかれる相手。そういう相手を求めるようにヒトという生き物はできている。性的魅力だけで相手を選り好みしているあいだは、ただの子供だ。




話を美少女格闘技モノに戻そう。
先行の『赤×ピンク』は、男性ユーザーの性転換願望を叶えるような造りになっていた。丁寧な内面描写を重ねることで、各登場人物になりきって物語を楽しむことが出来た。それに対して『アイドライジング!』は、可愛いオンナノコたちを三人称の文体で観察しながらひたすら萌える作品になっている。
一般ウケするのは『赤×ピンク』かも知れないけど、エンタメとして突き抜けているのは『アイドライジング!』のほうだ。ピンク色の表紙に抵抗がないヒトには、全力でオススメしたい。





       ◆




社会学者にしてフェミニスト上野千鶴子は、2000年代の初頭に「女は男並みになった」と言った。男だらけの職場に進出し、社会の性別による不均衡をみずからがマッチョになることで生き抜いてきた。だから「こんどは男が女並みになる番だ」と。
ここには、まるでATMのようにカネを渡すことでしか家庭に関われない男性への悲哀の視線がある。あるいは、家事の一つもできない男たちへの軽蔑だろうか。嫁が出かけてしまうと夕食の準備もできず、コメもとがずに待っているという男が(信じがたいことだけど)世の中にはまだまだたくさんいるらしい。「仕事が好きだから」という理由で遅くまでサビ残している40代、50代のおっさんたちは、じつは家庭に居場所がないから帰りたくないだけなのかも知れない。男は、女並みになるべきなのだ。
そして上野先生の予言はおおむね当たった。
ただし男たちが“望んで”女性的になったというよりも、金銭的な理由から男性のジェンダーロールを果たせなくなった――というネガティブな理由ではあったが。
「草食系」という一過性の流行語を使うまでもなく、たしかに家事をこまめにこなし、まるでかつての女性のような嗜好を持つ男が増えた。私の周囲の男たちは、美味しい肉じゃがを作れるやつばかりだ。一昔前なら男を落とすための最終兵器だった「肉じゃが」が、まったく役に立たなくなった。
つまり「草食化」で憂慮すべきなのは、女たちの「女性ジェンダーロール」の喪失だ。草食男子のせいでクルマが売れないだの少子高齢化が進むだの、的外れもいいところだ。女性たちは「可愛く」て「家事ができる」だけでは、人生のパートナーとして選ばれなくなった。
逆にいえば、多様化が進んだとも言える。
可愛くて家事ができる:そんな誰かの作った「女らしさ」に囚われるなんてつまらない。月並みな言葉だけど、「自分らしさ」を魅力にするのがいちばんではないか。


男であれ女であれ「その人らしさ」に惚れた相手が、最高のパートナーだと思う。




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