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いま「強いリーダー」が必要なたった1つの理由/新しい年の始まりに思うこと

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いま「強いリーダー」が求められている。新聞の社説、週刊誌のコラム、そしてアルファブロガーのエントリー。あらゆる場面で、「いまこそ強いリーダーが必要だ」という言説を目にする。
その一方で、世界は急激に匿名化を果たしている。麻薬マフィアの拉致事件を匿名のハッカー集団“アノニマス”が解決し、大手メーカーの製品よりもオープンソースのソフトが重用される。世の中はとてつもない勢いで「無名の個人の時代」に向かっている。
そうした社会情勢がありながら、なぜ日本では強いリーダーが求められるのだろう。強いリーダーシップを発揮する“誰か”は、歴史上のどんな場面で必要とされてきたのだろう。現在の日本で“リーダー”が渇望される背景には、どんな心理があるのだろう。
大きな歴史のなかでの“いま”を考えてみたい。




      ◆




日本には民主主義がないのだという。
政治的・思想的な立場を問わず、さまざまな人が日本社会の未成熟を指摘している。いわく、責任の所在が不明瞭な全会一致主義だとか、あるいはマスコミの意見が民衆の“総意”になってしまうだとか——。「万人の万人による統治」という民主主義の基本原則が、この国では成り立たないのだそうだ。
そもそも民主主義とは何だろう。
簡単にいえば、民主主義とは国家や集団の「権力者」が構成員の全員であり、その意思決定を構成員の合意によって行う思想・運動・体制のことだ。「全員が権力者」という点がいちばんの特徴で、意思決定が少数者に独占される君主制や寡頭制、独裁や専制、貴族制や権威主義などと異なる。
ここで問題となるのは「合意」のあり方だ。
民主主義は、単なる多数決主義ではない。むしろ、少数者の存在を許容していくという点が、民主主義の最大の特徴だ。あくまでも意思決定は構成員の「合意」で行われるのであって、多数者の便益を最大化するという考え方ではない。



なぜ少数者をないがしろにしてはいけないのだろう:歴史をふり返れば、その理由は明らかだ。



例えば東ローマ帝国の最期の都市コンスタンティノープル(現イスタンブール)は、1453年、オスマン帝国の第7代皇帝メフメト2世により滅ぼされた。紀元前27年から実に1500年近く続いたローマ帝国の歴史は、ここで幕を閉じた。




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ヨーロッパ系の教科書では「コンスタンティノープル陥落」として知られる事件だが、西アジア中央アジアでは「コンスタンティノープル解放」と呼ばれている。
都市を制服した後、メフメト2世はただちに遷都してコンスタンティノープルオスマン帝国の首都とした。メフメト2世はイスラムの王だ。しかし東ローマ帝国時代から残留した正教徒や、ヨーロッパから来たカトリック教徒、アルメニア正教徒やユダヤ教徒にも一定の権利を認めて、この都市に住まわせた。さらに水道や商業施設、モスクなどのインフラを復興させた。その結果、コンスタンティノープルには世界中からヒトとモノが集まるようになり、ヨーロッパとアジアを結ぶ交易都市として大いに繁栄した。もしもメフメト2世が歴史上の他の暴君のように異教徒を弾圧していたら、このような結果にはならなかっただろう。
少数者に便宜をはかり社会の多様性を確保することは、最終的には社会全体に利益をもたらす。逆に、虐げられた少数者が社会体制を転覆させる——という例は枚挙にいとまがない。
少数者の存在と多数者の便益とをすりあわせる:民主主義のこの特徴は、長い歴史から人類が学んだ知恵なのだ。
一方で、日本では歴史的に多数決主義は取られてこなかった。ムラ社会を基盤とするこの国では、社会の意思決定には「全会一致」が大前提となる。先祖から将来の子孫まで1つのムラで生涯を終える——そういう社会では、一度でも多数決で「泣きを見る人」がいたら、未来永劫、禍根が残ってしまう。(隣の○○さんのウチは、俺の爺様の頃にあんなひどい仕打ちをしてくれた——)そんな恨み憎しみの渦巻く社会は、発展的でも持続可能でもない。したがってムラの重要課題は村人全員の賛成がなければ実行できなくなる。万が一、どうしても泣きをみる人が必要なときは、ムラの長老が出張ってきて「この借りはいつか絶対に(村人全員で)返すから」とその人を説き伏せた。
かくして全員の横並びを重視し、明文化されたルールよりも不文律や空気の読み合いを大切にする日本社会の意思決定方法が生まれた。民主主義とも法治主義とも違う「村治主義」によって、この国の社会は運営されている。




法治国家をあきらめる? ポスト3.11と中国に似ていく日本
http://agora-web.jp/archives/1323501.html
※日本の村治主義を、ヨーロッパの民主主義やアジア(=中国)の徳治主義と比較したコラム。近現代の民主主義は、ヨーロッパの貴族階級が国王に議会制を認めさせるところから始まった。一方、中国では封建貴族が早々に没落してしまい、儒教的な思想基盤にもとづいた徳治主義(聖人君子が統治する=聖人でなければ統治できない)が発達した。しかし日本は、そのどちらでもなかった。



“無責任社会”は無限責任から生まれた
http://www.tachibana-akira.com/2011/11/3498
※村治主義のいちばんの問題点は、責任の所在が不明確になりやすいことだ。そして万が一、誰かの責任が問われるような事態になれば、全員が限りなく責任を負う——無限責任の社会となる。




繰り返しになるが、民主主義とは単なる多数決主義ではないし、全会一致主義でもない。利害関係の異なる個々人がお互いの妥協点を探り、合意できる場所を見つけること——そう努力し続けることこそ、本来の民主主義だ。その結果として社会の多様性が確保され、私たちはその恩恵を享受できる。
社会の構成員の「合意」を適切な方法で取り付けること:それこそが民主主義の実践だ。




       ◆




かつて「強いリーダー」は民主主義の実践のために必要だった。
この社会は分断に満ちている。一日6,000円のディズニーランドが「贅沢な思い出」になる貧乏人の感覚はカネ持ちには理解できないし、1年後この職場に居られるか分からない非正規の不安は正社員には分からない。道を歩いているだけで犯罪者あつかいされるインド人留学生の恐怖を日本人は知らないし、自分の性が商品化される気持ち悪さは男には分からない。所得や職業、出自や性別。様々な要素によって私たちは分断されている。
かつては、強いリーダーがいなければ、私たちは分断を乗り越えることができなかった。
たとえばマハトマ・ガンディーは「非暴力・不服従」をつらぬき、インドを独立に導いた。ガンディーのような非暴力的な思想は、インドと距離的に近い西アジアでも見られる。アジアで生まれたヒンドゥー教、仏教、イスラム教キリスト教にも当てはまる。そう考えたガンディーは、自らをヒンドゥー教徒であり、イスラム教徒でもあり、また原始キリスト教という意味ではキリスト教徒にも賛同するとして、宗教グループ間や世界の人々に対話を呼びかけたという。分断を超克しようとしたのだ。またカースト制度についてはその存在を容認しながらも、そこから生じる社会的差別には断固として反対していた。
そうした運動の結果、分断されていたはずの人々は1つの目的のもとに立ち上がり、インドの独立を成し遂げた。言うまでもないが、この偉業はガンディー1人のものではない。彼に賛同し、目標を共にした数え切れないほどのインド人たちのものだ。強いリーダーの呼びかけにより人々の間に「合意」が形成され、社会を変えた。
また米国の黒人差別撤廃を訴えたキング牧師は、ガンディーに強く影響を受けたと言われている。奴隷制度そのものは1862年の奴隷解放宣言により廃止されていたが、社会的差別はその後も長く残り続けた。キング牧師が活躍したのは1954年〜1968年のことである。
とくにアメリカ南部では有色人種への差別が根強く、バスの席から公共の水飲み場まで、あらゆる場所が「白人用」と「黒人用」に分かれていた。さらに当時の黒人社会では、白人と同等の権利を与えられた“名誉黒人”と呼ばれる人々がおり、黒人社会を分断していた。また差別撤廃運動そのものも、キング牧師の指導した非暴力的な運動と、マルコムXの指導した過激な運動とに分断されていた。そうした分断を埋め合わせようとキング牧師は奔走し、最終的にはジョンソン大統領に公民権法——法の上での人種差別を撤廃させる法律——を承認させる。「かつての奴隷の子孫たちと、かつての主人の子孫たちとが、ともに兄弟のテーブルにつけることを夢に見ている」という彼の演説はあまりにも有名だ。彼はなによりも、黒人と白人との分断を埋めようとしていた。
ここでも「分断を乗り越えよう」という強いリーダーの呼びかけにより「合意」が形成され、社会の変革へと繋がった。民主主義を実践するには、分断を埋めることのできるリーダーの存在が必要不可欠だった。かつては。
現在ではどうだろうか。
チュニジアジャスミン革命に、エジプト革命。そしてリビアの内戦——。昨年の1月〜2月は「アラブの春」と呼ばれる一連の政変に世界中が注目していた。しかしキング牧師やガンディーと同等の影響力を持った指導者の名前は、寡聞にして知らない。そうした“強いリーダー”がいなくても、分断を乗り越えられるようになったからだ。
以前の記事と同じことを、もう一度書いておこう。
エジプトのデモに参加した人のつぶやきを、私たちはリアルタイムで読んでいた。大地震被災者と夜ごとに語り合い、彼らの窮状を知った。なでしこジャパンの勝利を祝う声がTLを、スレッドを、ウォールを埋め尽くし、ロンドンの暴動を現地在住者が事細かに伝えた。物理的な距離を飛び越えて、世界90カ国を超える国・地域で「反格差デモ」が行われた。原発労働者と直接対話した。大企業役員の日常を垣間見た。若き起業家の苦悩を、就活生のとまどいを、小学生の素直な本音を、私たちは知った。
「誰かのことを知る」のは、こんなにも簡単なのだ。あなたがその気になれば、誰とでも対話できる。くだらない分断なんて、すでに無いも同然だ。
こういう世の中でありながら、なぜ日本ではいまだに「強いリーダーが必要」とされるのだろう。どうしてそういう言説がテレビや新聞を賑わせ、「情強」であるはずのアルファブロガーたちでさえ「常識」であるかのように語るのだろう。
思い出して欲しいのは、日本の「村治主義」では責任の所在が不明瞭になりやすいという点だ。そして誰も責任を取ろうとしない無責任社会が生まれてしまう。
つまり、「強いリーダーが必要」だという人は、自分が責任を負いたくないだけなのだ。民主主義のもとでは、本来ならすべての人が社会運営に責任を負っている。もちろんフリーターと大企業役員と政治家とでは、背負った責任の種類も重さも違う。が、多かれ少なかれ、私たち全員がこの社会に対して責任を持っている。しかし社会運営を「強いリーダー」に一任してしまえば、私たちはその重責から逃れられる。
社会に対して無責任でありたいからこそ、リーダーを渇望するのだ。
「いつか白馬に乗った王子さまがあたしの運命を変えてくれる!」——いまどき小学生の女の子だってそんなこと考えない。「いまこそリーダーが必要!」と叫ぶ人が、同じ口で「就活デモが無意味なのは声を上げるだけじゃ何も変わらないから」なんて言っている。そんな姿を見ると、なんだか微笑ましい気持ちになる。
わかってんじゃん、誰か任せじゃ何にも変わらねーんだよ。




社会とは人間の集合だ。
「社会が変わる」とは、つまり社会の構成員である私たち一人ひとりが変わるということだ。
したがって、社会の変革を“強いリーダー”に一任するということは、その人から「お前らこういう人間に変われ」と命じられた時に、「はい喜んで!」とつき従うことを意味している。その覚悟が無いのならリーダーなんて求めるべきではない。少なくとも私は、誰かの独断で自分たちの生き方を規定されるなんて絶対にごめんだ。
私たちは社会に対する責任を放棄してはいけないし、私たち「無名の人々」には世の中を変える権利とチカラが備わっている。




       ◆




「リーダーたち」の時代は2011年で終わった。
経済の世界ではスティーブ・ジョブスが生涯を終えた。リーダーは「正義」の側に限らない。ムバラクが失脚し、オサマ・ビンラディンが、カダフィが、金正日が死んだ。世界中の「強いリーダー」が退場した。テレビ番組に引っぱりだこの大学教授がそんなにアテにならないと分かり、「誰が言ったか」よりも「何を言ったか」が重視される世の中になった。デマは恐ろしい速さで拡散されるが、それ以上の速さで訂正される。世界は確実に多極化し、匿名化に向かっている。
特別な誰か一人が社会を変える時代は終わった。
これからは私たち一人ひとりが社会を動かす時代だ。私たち一人ひとりが直接言葉を交わし、私たち一人ひとりが「合意」できる妥協点を探り、そして私たち一人ひとりが、この世界を変えていく。
2012年からは「私たち」の時代が始まる。








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