デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

Appleに行く、と彼は言った。

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友人のMに誘われて飲みに行くと、Yくんが来ていた。
場所は京都のどこかにあるアイリッシュパブ。時刻は21時を回ったところで、店内は酔客でごったがえしていた。二人は少し早めに飲み始めており、私が到着した時にはビールを片手にMacBook Airを覗きこんでいた。画面には、作成途中の英文のテクストが表示されている。
Apple本社に送る履歴書だという。
友人のMは(あまりにも日本語堪能なので忘れそうになるけれど)れっきとしたアメリカ人だ。尊敬語・謙譲語を使いこなし、並みの日本人よりも漢字を知っている。一方、Yくんは○○大学修士課程の学生で、ただいま就職活動中。留学時代に手にしたツテで、Appleインターンシップに参加することになったのだという。インターンへの応募には履歴書が不可欠。英文の添削をMに依頼した。
知ってのとおり、インターンシップは入社への窓口になることも多い。Yくんの成功を祈りながらも、知人が遠い世界の住人になってしまうことに、私は心の底がチリチリとした。二人のやりとりを横目に見ながら、酸っぱいスタウトを啜っていた。


英文の履歴書を見るのは初めてだったけれど、なかなか面白い。
たとえばSkillsの欄には「Native Japanese speaker」と書かれていて、そうかそうか日本語を喋れるってことはそれだけで付加価値になるんだなー、と感心した。日本の市場って(問題は山積しているけれど)世界的にはまだまだ魅力的なのね。
あるいは「I would like to have a great experience 〜」という表現にはダメ出しが入った。どこかの例文集に載っているのかな、日本人の書く履歴書には、この表現が頻出するのだとか。
「直訳してみろよ」とMの一言。「すっごい経験がしたいです!」うーむ、確かに中学生レベルだ。Mがザクザクと赤ペンを入れていく。
身バレを防ぐために原文は載せないけれど、日本語に直すと「私は将来、御社のようなIT業界で働きたいと考えており、このインターンシップをその端緒に〜云々」という内容の文章になった。ビッグワード(greatやgoodのような意味の広い言葉)の使用を避けて、なるべく具体的な言葉で書く。言語は違っても、履歴書の基本は同じだね。


書類の準備がひと段落したところで、私は訊いてみた。
「就職活動、厳しいんじゃないの?」
Yくんは一瞬、虚をつかれたような顔をした。すぐにこちらの意図に気づいて、如才なく答えた。
「世間的にはそうかも知れないですね。でも、俺はあまり感じません、そういうの」
確かに泣く子も黙る○○大学だ。彼の周囲に、就職氷河期の寒波にさらされている人は少ないのだろう。求人倍率の低さを実感できないのも無理はない。


「きちんと努力してきたヤツは、それなりのところに行ってますよ」


こうやって書くと、Yくんのことを「鼻持ちならないイヤミな人間」だと思われてしまいそうだ。けれど彼は爽やかな好青年だし、“努力しなかったヤツ”を蔑むような意図もない。いつわらざる素直な気持ちを口にしただけだ。
――俺がチャンスを掴んだのは、努力をしてきたから。
――チャンスを掴めないのは、努力が足りないから
日本のエリートが受験戦争のなかで刷り込まれる教条だ。こういう気持ちを胸に秘めていなければ入学試験を突破できないし、就職活動で生き残ることもできない。YくんがAppleに入れるかどうかは分からないけれど、納得のいく仕事を見つけるまでは、ぜひともこの戦闘的な気持ちを忘れないでほしい。彼の成功を祈る以上、私はこの教条を否定できない。
しかし一方で、想像力を無くさないでほしい、とも思う。
チャンスを掴めなかった人々への想像力だ。努力をすればするだけ報われる――もしも世界がそんな単純な原理で動いているのだとしたら、この世に所得格差は生まれない。紛争も差別も起こらない。だって、そうだろ? ヒトが10人いたら9人は「人生をもっと豊かにしよう、世の中をもっと良くしよう」と努力している。ある意味、最高にハッピーな世界観だ。
けれど現実の世界は、不幸で満ちている。
この現実がある以上、“エリートの教条”は間違っている。報われない人間への想像力を欠いた、子供じみた思想だといえる。もちろん私は、Yくんの今までの努力を否定するつもりはない。世の中のあらゆる成功者に対して、その努力に畏敬の念を覚える。努力をせずに成功したヒトはいない。
しかし。
それでも。
努力をしたって、成功できるとは限らない。成功者と失敗者とを隔てるモノが、紙一重の“運命のいたずら”であることに、どうか想像力ゆたかであってほしい。
たとえば大学受験の時、あなたの代わりに落ちた人は、たまたま体調が悪かっただけかも知れない。あるいは、あなたが中学生のころ、クラスのちょっとガラの悪い集団から遊びに誘われたとしよう。もしもあの時、あの誘いを断っていなかったら、薬物所持で補導されていたかも知れない。さらに遡って、あなたが生まれた病院の隣のベッドには、虐待により10歳で死んでしまう赤ん坊がいたかも知れない。あなたがまだ受精卵だった頃、コンマ1秒の差で受精にいたらなかった精子には、重篤な障害を引き起こす遺伝子が含まれていたかも知れない――。
驚異的な幸運のうえに、私たちは生きている。そう理解できるだけの想像力があれば「努力がすべて」という思想のおかしさにも気がつくはずだ。



       ◆



私が小学六年生のころだ。
巨大な台風が私たちの街を襲った。大人たちは災害対応のために職場へ出かけ、私は友人数人と留守番をしていた。吹きすさぶ風の音に、なぜか胸が高鳴った。私たちはどうしようもなく子供だった。
そして、お小遣いを出しあってピザを頼んだ。
ずぶ濡れになってピザを届けてくれたのは、化粧気のないお姉さんだ。当時の私たちの目には「大人」に映ったけれど、いま思えば、まだ20歳かそこらのアルバイトだったはずだ。ピザが届くまではハイテンションでふざけ合っていた私たちだが、お姉さんのあまりにも暗い表情に、すっかり意気消沈してしまった。お姉さんはふんだくるように代金を受け取ると、荒い足取りで立ち去った。ピザは冷めていた。


怒ったのは親たちだ。
職場から戻ってきた大人たちは、まずピザの空き箱を見つけた。私たちは廊下に正座させられて、ことの顛末を洗いざらい吐かされた。大雨の日にオモシロ半分でピザの宅配を頼んだ――私たちにしてみれば、ちょっとしたイタズラのつもりだった。ほんの出来心だった。ここまでこっぴどく叱られるとは思っていなかった。
どんなにひどい天候でも客の注文には逆らえない。そういう相手の立場につけこんで、ちっぽけな優越感を満たそうとする。――絶対に許されないことだ、と私たちの親は言った。
たとえば普段からピザを食べている人が、大雨で外に出られないから苦肉の策で注文した。それなら解る、宅配の便利さはそういう時のためにある。
「だけど、あんたたちは違うでしょう?」
親たちの言葉に、誰も反論できなかった。相手のしてくれるサービスを「仕事だから当たり前」だとは思うな――。
ニワトリは自分よりも弱いニワトリをつつく。
つつかれたニワトリは、さらに弱いニワトリを探す。
「自分よりも立場の弱いヒトに無理強いをして喜ぶ――あんたたちがそういう人間なら、あんたたちの脳みそはニワトリ以下だ」
すべての働く人に敬意と感謝を持って接しなさい、私が初めて教わった“勤労観”だった。
「ピザを頼むなら、晴れた日にしなさい」



       ◆



Mにせよ、Yくんにせよ、凡人の私からすればひれ伏したくなるような学歴の持ち主だ。もちろん、ただ勉強ができるだけでなく、きちんと実力を伴っている。たとえばMの場合なら、堪能な日本語力と世界中で通用する交渉力。Yくんの場合なら、Appleインターンシップに誘われるレベルのITスキルだ。
もしも誰でも努力次第で彼らのような“実力”を手に入れられるのだとしたら、彼らの“実力”は希少価値を失う。他の人がどんなに努力しても手に入れられないからこそ、彼らの実力は、彼らを勝ち組たらしめる。天賦の才なのだ。私たちにできることは、彼らに憧れて、彼らの猿まねをすることではない。私たちが努力すべきなのは、自らに与えられた“才”を淡々と磨くことだけだ。
酸っぱいスタウトを舐めながら、私はそんなことを想った。
努力をすれば誰でも報われる――そんなファンタジーが通用するのはディズニー映画の中だけだ。この教条を信じていれば、成功できなかった人たちを「努力が足りない」と切り捨てても胸が痛まない。そして、そういう冷たさを持たなければ、たぶん、受験戦争も就職活動も乗りこえられない。まともな職業を手に入れて「まっとうな大人」になれるのは、そういう冷たさのある人だけ――。
そんな世の中が、私は哀しい。
「だから、何としてでもAppleに入ってくれよ」と私はYくんの背中を叩いた。
冷血さを失わず、就職活動を最後まで戦い抜いてほしい。私はすでに2パイントを飲みほして、ふんわりとした酔いに包まれていた。
「いやー、まだどうなるか全然わかりませんよー」
彼は謙遜してみせる。いつも通りの如才ない口調で。
Yくんが晴れてApple社員となったあかつきには、ちょっとだけ足を止めて欲しい。少しだけ振り返って、自分が打ち負かしてきた“仲間”の存在に気づいて欲しい。勝敗を分けたものは何か――そもそも、なぜ勝負をつけなければいけなかったのか。それを考えて欲しい。世の中は、したい仕事をしている人間ばかりではない。飛びっきりの頭脳を持ったYくんなら、きっと想像できるはずだ。
「あと、それから」
「なんですか?」
「ピザを頼むときは、晴れた日にしろよ」








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