デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

あなたはなぜ「正当な評価」をされないのか?/草食化・肉食化の次は雑食化しようぜ!

このエントリーをはてなブックマークに追加
Share on Tumblr





ある日の暮方の事である。私は鴨川のほとりに腰をおろし、たゆとう水面(みなも)を見るともなく見ていた。春にはリア充カップルどもが一列に並ぶ川べりも、連日の暑さのせいで閑散としている。日中にこの河原を歩くのは、京都の夏を舐めきった観光客だけだ。しかし暴力的な太陽が傾き始めると、気温は徐々に穏やかになる。まるで幽鬼のごとく、日暮れとともに人々が集まってくる。ジョギングにいそしむオヤジ、恋人と手をつないだ女子大生、犬を散歩させる家族連れ……。にわかに活気づく土手のうえで、私はひとり川面に目を落としていた。
ヌートリアを観察していたのだ。
毛皮を取るために日本に持ち込まれ、野性化した巨大なネズミだ。夕暮れのこの時間になると、のそのそと巣穴から出てくる。猫ほどもある巨体を引きずって水草をもしゃもしゃと食べるその姿は、はっきり言って超らぶりーだ。田畑を荒らす害獣だとはとても思えない。




※らぶりー♪
※写真はこちらのブログからお借りしました。
http://d.hatena.ne.jp/scarecrow435/20110704/1309777241


ヌートリアは典型的な帰化生物だ。もとは岡山あたりで養殖していたというが、脱走して生息範囲を広げた。「自分に適した環境を見つけ出す」そんな彼らのたくましさに、私たちも学ぶところがあるのではないか――。
黄昏の京の町、右頬のにきびを気にしながらそんなことを考えた。



羅生門・鼻 (新潮文庫)

羅生門・鼻 (新潮文庫)




     ◆ ◆ ◆




友人のNさんは人気急上昇中のイラストレーターだ。先日の夏コミでも、Nさんのサークルはあっという間に完売御礼となった。もちろん商業の仕事も続々とこなして、売れっ子への道を邁進(まいしん)している。
Nさんは絵が上手いだけでなく、トークも面白いし顔もイケメンというチートキャラだ。さぞかし輝かしい青春時代を過ごしていた(いる)に違いない。そう思って経歴を尋ねてみたら、意外な答えが返ってきた。


Nさんが絵の道を志したのは、高校三年生の頃だという。個人特定につながりそうなので詳しいことは書けないが、親とある「賭け」をしたそうだ。当時、Nさんはすでに学校で一番か二番ぐらいに絵が上手かったものの、親は美術系の道に進むことに反対した。しかしNさんはその「賭け」に勝ち、美大に進学した。
で、Nさんは驚いたのだな。
高校時代は「飛びぬけて絵のうまい人」だったはずなのに、大学に入学したら周りはそんなヤツらばかり。ありがちだよね、高校ではいちばん勉強のできたはずの子が、東京大学に入って腰を抜かすなんて話。大学には各高校の同レベルが集まってくる。美術の世界でも同じらしい。
さらに美大におけるメインストリーム(つまりリア充)は、芸術志向・アート志向な学生たちだったという。これは校風にもよるだろうけれど、Nさんのように“オタク的なるもの”を好む学生たちはサブストリームだった。今でこそ勝ち組絵師であるNさんも、日のあたる場所ばかりを歩いてきたわけではないのだ。




余談だけど、“芸術的なるもの”に傾倒している人って、なんだかよくわからない。とくに「芸術理論」だけを装備した理屈だけ達者な人だ。そういう人たちの意見は主観性が強すぎて、客観性・再現性に欠けている。「より深く考え抜かれている→だから“芸術的なるもの”はえらい」「考えが浅い→だから“オタク的なるもの”はえらくない」という上から目線を、そこはかとなく感じるのだ。その意見が主観的な・自己満足なものである可能性に対して、ちゃんと危機感を持っているのだろうか。ていうか深く考えているだけで偉いのなら、ちょっと前の総理大臣よりも俺のほうが偉いぜ。
たとえば映画や小説、マンガのことを考えてほしい:
少数のえらい人が「面白い」と言った作品が、あなたにとっても面白い作品だとは限らない。100万人が「面白い」と言った作品のほうが、面白さの確度は高い。これが客観的かつ科学的に正しい態度だ。
「面白い」と感じる心は、私たち全員がごく自然に持っている。えらい人にだけ許されたものではないのだ。
美術理論や文壇は「その作品はどういう作品か」を分析する。けれど、「その作品を楽しむヒトはどういう生物なのか」という視点をしばしば失ってしまう。「ブンガクは“人間とは何か”を探求する学問だ」という言葉をどこかで聞いた。ならば、ヒトの生物としての習性や行動を見落としちゃいけないよね。
ヌートリアの食性は、草食に近い雑食性だ。少数の“えらいヌートリア”が「肉のほうが美味しい」と言ったとしても、彼らの行動を観察していればそれが例外だと分かる。ヌートリアたちにとって柔らかな水草のほうが「美味しい」のは明らかだ。生物の習性をつぶさに観察しなければ、理性的な論考なんてできない。
(※さらに余談の余談だけど、この「美術のメインストリームはえらい」という思考が某アートグループの騒動の遠因にあるのかもしれないなぁ、なんて思ったけれどヤケドしそうなのでここまで)




Nさんに話を戻すと、同人活動はあくまでも副業だ。本職はデジタルコンテンツ制作会社のグラフィッカーで、のけぞるほど有名な会社に勤めている。どんな作品を手がけているかは、ここではちょっと明かせない。人気作品すぎて、それだけで個人特定に繋がりかねないのだ。それこそ100万人がNさんの創作物に心を揺さぶられている。
それに対して、アートのメインストリームはどうだろう。こちらは芽を出すのが本当に難しいと聞いている。「誰もが知っている」ものを作るには、能力だけでなく業界内での政治力も重要だという。どちらが「絵描き」として幸せな人生なのか、絵描きではない私には判断できない。


「自分に適した場所」を探すのは大事だ。あなたが正当な評価を得られないのは、あなたが悪いのではなく、もしかしたらあなたを取りまく環境のほうに問題があるのかも知れない。自分をきちんと評価してくれる環境に身を置いたほうが、間違いなく能力は伸びる。英語しか話せない人に俳句や短歌の評価はできない。良い点も悪い点も、日本語話者のほうが正確に見抜ける。
「自分に適した環境を見つけ出す」のは、かくも重要なのだ。そのためにも若いうちから色々なクラスタに飛び込んで、様々な価値観に触れるべきだろう。もちろん大前提としてあなたに実力がなければいけない。が、外に出なければ実力の有無さえも分からないのだから。
ヌートリア帰化生物として成功を収めたのは、彼らが雑食だったからだ。水草を主食に、あらゆるものを食べることができた。だから、自分に適した環境を見つけるのも簡単だった。彼らを見習って、私たちも雑食化を目指したい。




(※念のため注釈:このエントリーは、美術のメインストリームで物作りをしている人たちの志が低いとかダメだとか、そういうことを言いたいわけではありません。理論に傾倒気味な意見に対して疑問を呈しているだけです。地道な努力を重ねている人たちには頭が下がりますし、その情熱には敬服いたします)




     ◆ ◆ ◆




夕暮れの鴨川ヌートリアを観察していると、小学校低学年くらいの女の子が5人ほど集まってきた。川べりで動きまわる巨大ネズミに興味を引かれたようだ。
「なにあれー」
「カワイイー!」
「ぇえー! なんだか気持ち悪いよう。大きすぎて」
「あれって、カピバラかなぁ」
「うんうん、テレビで観たことあるよ。カピバラかもねー」


もふっとカピバラさん ~抱きしめサイズ~

もふっとカピバラさん ~抱きしめサイズ~


近ごろの「ゆるキャラ」ブームのせいで、大きなネズミ=カピバラという認識が一般人のあいだで広まっているらしい。ここは曲がりなりにも大人である私が、きちんと正確な知識を教えてあげなくては。






そう思って私は立ち上がり、口を開いた。






「オウフwww あれはカピバラではなくヌートリアというネズミですwww いわゆるありがちな間違いキタコレですねwww おっとっとwww拙者『キタコレ』などとついネット用語がwww まあ拙者の場合ネズミ好きとは言っても、いわゆる愛玩動物としてのネズミでなく、帰化動物のモデルケースとして見ているちょっと変わり者ですのでwww 映画『ダーウィンの悪夢』の影響ですがねwwww ドプフォwww ついマニアックな知識が出てしまいましたwww いや失敬失敬www」





クモの子を散らすように少女とヌートリアは逃げていった。
鴨川の悪夢である。




ダーウィンの悪夢 デラックス版 [DVD]

ダーウィンの悪夢 デラックス版 [DVD]






.