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「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

男性ジェンダーロールと少女性(2)/社会的役割の不一致の系譜

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昨日のエントリーですが、たくさんのブクマをいただきました。ありがとうございます。その続きです。
ブクマコメントのなかで「まどか達の肉体は少女だけどやってることは昔からの男性ジェンダー役割そのものなんだから言うなら解放じゃなくて回帰では?」というご指摘がありました。すごく鋭い視点だと思います。これについてうだうだと考えていたら、なんとなく「系譜」のようなモノが見えてきたので書き残しておきます。
ジェンダーロールを含む「社会的役割」に、しばしば私たちはギャップを感じます。そういうギャップを感じながら私たちは成長し、大人になります。そのギャップは、オタク文化にも反映され続けていたのではないでしょうか。



     ◆


まず最初に、ご指摘の点について私の考えをお答えします。
昨日のエントリーの論理展開を、もう一度まとめなおします。
「1.なんということでしょう、まどマギでは男性が活躍していないぞ!」
→「2.少女たちだけで物語が完結してる(=少女たちが男性GRをこなしている)じゃないか!」
 →「3.スト魔女けいおんも、ぶっちゃけ同じだよね」
  →「4.これって、男性オタクが自分のジェンダーロールからの逃避してるからじゃね?(仮説」
以上のように、作品の内容を観察するところから考え始めており、「男性GRからの解放」といった結論ありきで考えたわけではありません。
「なぜ男性GRを少女たちに負わせるのか?」という疑問から考え始めているのです。



     ◆


この「男性不在のコンテンツを、男性オタクが楽しむ」という現象。いまに始まったことではありません。歴史をひもとけば、いくらでもさかのぼることができるはずです。

私の乏しい知識では、『美少女戦士セーラームーン』が印象深いです。
こちらはもともと女性向けのコンテンツだったはずですが、当時から男性オタクがむらがり、この作品を楽しんでいました。当時のオタクは、現在よりもはるかにマイノリティであり、肩身が狭かったと聞いています。しかし『美少女戦士セーラームーン』の時代から、“戦闘美少女たちの物語”を嗜好する男性がいたことは特筆に値するでしょう。そういったオタクたちが男性GRを果たせない/果たしたくない人たちだったのも、たぶん間違いない。


で、歴史は下って『エヴァンゲリオン』についても一言。
この作品は「社会的役割を押しつけられた少年少女」がもがき苦しむという構図を持っていました。性別による役割ではありませんが、いままでの話にちょっと似ていると思うんですよね。役割とのギャップに「もがく」姿に、視聴者はシンパシーを覚えたのかもしれません。ただし「自分と同じ性別のシンジくんがもがいている」ところが『まどマギ』との大きな違い。逃避ではなく、共感だったのかも。


ざくざく歴史を飛ばしていきましょう。
昨日も指摘したとおり、『涼宮ハルヒ』は「手のかかる彼女」です。キョンは彼女を監督し、守るという立場に置かれます。桜庭一樹さんの作品とも相似した男性GRを、彼は果たしています。男性性に回帰したというのなら、『ハルヒ』が爆発的に流行ったこのタイミングこそ、そう呼ぶのにふさわしいでしょう。


そしてその後の『らき☆すた』があり、『けいおん!』があり、男性GRを「少女に担わせる」という流れができます。その流れの最先端にいるのが、今のところ『まどか☆マギカ』なのではないでしょうか。『セーラームーン』のときはごく少数派だった「男性GRを果たせない/果たしたくない男」が、現在では爆発的に増えてしまった。そういった社会情勢を移す鏡として、これら「男性不在の物語」が広く受け容れられたのだと私は考えています。



     ◆



「少女たちが担っているのは男性GRだ」
→「男性オタクは男性GRの物語を楽しんでいる」
 →「つまり『まどか☆マギカ』は男性性への回帰だ」
こういう考え方も、たしかに出来ます。


ですが私としては、むしろ「なぜ男性オタクはいまだに男性GRの物語を楽しむのか」という方向に目が向きます。わざわざ少女に担わせてまで逃避しようとした男性GRを、たしかに、私たちはいまだに楽しんでいるんですよね。燃える展開ってやっぱり面白いし。
逆に言えば、「なぜ男性オタクは女性GRの物語をまだ楽しんでいないのか」という設問もできるでしょう。


現実社会の私たちが本当にジェンダーロールから解放されたら、たしかにご指摘の通り、男性オタクが女性GR的なコンテンツを楽しむようになるかもしれません。
しかし残念ながら、現在はまだそこまで自由な社会にはなっていない。この不自由さが私たちに葛藤をもたらし、この葛藤から一時的に逃れる(≒解放される)手段のひとつとして、「男性不在のコンテンツ」が存在するのではないでしょうか。



最後に)女性GRを楽しむ男性オタクも、すでに少数ながらいるだろうと予想しています。かつて女性向けコンテンツにセラムンオタクが群がったように、女児向けコンテンツに群がっているのかもしれません。教育番組のアニメには、幼い女の子に女性GRを刷り込み、内面化させるものが少なくありません。少数の「女性GRを楽しむ男性オタク」は、そういうコンテンツに自らを投影し、楽しんでいるのかも。『あい!まい!まいん!』を嗜好していた男性たちは、ただ単に少女にブヒブヒ言っていただけではなくて、もしかしたら――なんてね。



【5/31追記】あずまんが大王を忘れてるよね。



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