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なぜ中高生は小説を読まなくなったのか/作者と読者の哀しい年齢差

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よく「今の中高生は小説を読まなくなった」と聞きます。この言葉自体、けっこー疑わしいと私は思っています。が、もしも本当だとしたら、どんな理由があるのでしょうか。
その背景には、書き手と読者の世代的格差があると私は考えています。
というわけで、ツイッターでつぶやいたネタを再編集して投下。今週のお題は心に残る映画ですが、今回は「心に残った小説」についてつらつらと書いています。



     ◆ ◆ ◆



半年前に読了した垣根涼介『ワイルド・ソウル』について今さら色々と考えていた。
アマゾン棄民問題を扱った社会派ミステリー(サスペンス)だ。物語運びは堅実だし、読後の爽快感も高い、すばらしいエンタメ小説だった。不思議なのは、なぜかクライマックスよりも序盤のほうが面白かったこと。もちろん(※私にとって)という注釈が必要だけどね。

ワイルド・ソウル〈上〉 (幻冬舎文庫)

ワイルド・ソウル〈上〉 (幻冬舎文庫)

クライマックスの盛り上がりが足りないわけではない。むしろ、めちゃくちゃ上手い。伏線を回収しながら、タイムリミットや生命の危機などを設定して盛り上げていく。「クライマックスの作り方」として、お手本にしたいぐらいだ。
にもかかわらず、長く心に残っているのは序盤なのだ。
『ワイルド・ソウル』の序盤はアマゾン棄民のルポっぽく書かれている。そこに描かれるのは、何もない密林に「入植」してしまった人々の悲惨な人生だ。これがめちゃくちゃ胸を打ち、長く記憶に残る。この部分のインパクトに比べたら、クライマックスがかすんでしまうのだ。上手いのに。


つまり社会派ミステリーの書き方には、二つのタイプがあるのだと思う。
1.社会問題を「舞台設定」に用いるタイプ(舞台型)
2.社会問題を「謎の答え」に用いるタイプ。(真相型)
言うまでもなく『ワイルド・ソウル』は前者だ。社会問題を出発点にしてお話を膨らませている。
しかし、社会派ミステリーには「真相型」のモノが多い(ような気がする)/序盤で死体を転がして、真相解明をしながら徐々に社会問題が浮かび上がるような小説だ。
松本清張砂の器』(ハンセン病)、森村誠一人間の証明』(NYの貧困など)、東野圭吾『天空の蜂』(原子力発電)、宮部みゆき火車』(クレジットカード破産)――。いずれも「真相型」に分類できるはずだ。読者が謎の答えに近づくと、そのたびに社会の病巣が明かされていく。そういう作風になっている。
一方、舞台型のミステリーは、テレビドラマに多い(ような気がする)/キャッチーな舞台設定を投げかけることで視聴者・読者をつかみ、お約束展開(=堅実なストーリー運び)で最後まで見させる。それが「舞台型」だ。たとえば「女性監察医」を主人公に据えてしまう、とかね。捜査方法が「検死」になるだけで、案外、普通のミステリーだったりする。舞台設定に「社会の興味深い部分」を持ってきているけれど、物語構造は真相型の社会派ミステリーと異なる。

砂の器〈上〉 (新潮文庫)

砂の器〈上〉 (新潮文庫)

新装版 人間の証明 (角川文庫)

新装版 人間の証明 (角川文庫)

天空の蜂 (講談社文庫)

天空の蜂 (講談社文庫)

火車 (新潮文庫)

火車 (新潮文庫)



       ◆


この分類法でいくと雫井脩介犯人に告ぐ』は本当に面白かったんだなぁと思う。雑誌の書評にも本屋さんのPOPにも「劇場捜査!」と謳われていて、典型的な舞台型ミステリーのようなプロモーションがなされていた。
が、ふたを開けてびっくり。劇場捜査なんて関係ない誘拐事件から始まるのだもの。

犯人に告ぐ〈上〉 (双葉文庫)

犯人に告ぐ〈上〉 (双葉文庫)

しかもその誘拐捜査が抜群に面白い。まさに「最初からクライマックス」なのだ。セールスポイントの劇場捜査が始まるのは、小説の中盤以降。テレビを介して「捜査本部と犯人とが対話する」という形式が始まる。こういった派手な捜査の影響と、その善し悪しが浮かび上がっていく。
つまり、物語が真相に近づくにつれて社会的な問題提起がなされていく――典型的な「真相型」のミステリーだと言えるだろう。犯人を英雄視して喝采する世論と、悪役を演じる捜査本部。その対比が面白いし、だからこそクライマックスの一言にカタルシスが生まれている。
雫井脩介犯人に告ぐ』は、宮部みゆき長い長い殺人』『模倣犯』の時代の問題提起を受け継いでいる。すなわち「マスメディアと刑事事件との関係性」だ。しかしそういった問題提起を持ちながら、映画『ダークナイト』のネタを先取りしていると言っていいだろう。あの傑作映画と同じく、「戯画化された正義」をテーマとしているのだから。
ちなみにこの小説が発売されたのは2004年、ノーラン監督『バッドマン・ビギンズ』が2005年公開。うん、先取りしすぎだ。

長い長い殺人 (光文社文庫)

長い長い殺人 (光文社文庫)

模倣犯1 (新潮文庫)

模倣犯1 (新潮文庫)

ダークナイト [Blu-ray]

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惜しむらくは、『犯人に告ぐ』も序盤の展開が面白すぎること。「一般的なサスペンス→社会問題を浮き彫りに」という「真相型」の構図を持ちながら、サスペンスの作りが上手すぎて後半がかすむのだ。まるで卵焼きが美味しすぎるそば屋とか、チャーハンのおいしすぎるラーメン屋みたいだ。



       ◆



雫井脩介犯人に告ぐ』について、もう少し考えてみたい。「マスメディアの影響」を問題意識の中核に据えているのが、妙に引っかかるのだ。
これって60年代生まれの社会派作者の特徴なのかな? 10代のころにオイルショックを見て、20代のころに宮崎勤を知った世代。「テレビの影響すげー!」という印象が脳裏に焼き付いているのかも知れない。
ならば今の時代、「インターネットすげー! ソーシャルサービスすげー!」という意識の書き手が出てきてもおかしくない。が、一般小説の界隈は、そういう時代性をうまくつかめていない(ような気がする)
じゃあどの業界がうまくつかんでいるかといえば、マンガ・ラノベ・SFだ。
.hack』『ソードアート・オンライン』などのネトゲ系作品や、『虐殺器官』を中心としたSF小説たち。もとは「現実とかけ離れた世界」を描いていたはずのラノベ・マンガ・SFが、いまや一番時代性のあるジャンルになった。嘘だと思う人は新城カズマの作品を読んでみればいい。短編『雨降りマージ』とか、すごいよ。きっと度肝を抜かれる。

これは偏見に満ちた推測なのだけど、一般小説(とくに社会派ミステリー)の業界って、すごく閉じているのかもなぁ。/書き手も編集者も30代以上の「デジタル・イミグラント」な人たちで、マーケティング戦略も「30代以上」をターゲットしている――としたら、時代性なんてつかめるはずがない。
その一方で、マンガ・ラノベ・SFの一部は、20代以下のデジタル・ネイティブな世代を顧客としてターゲットしている。だからこそ、時代性に富んだ作品がどんどん生まれていくのだろう。今後はDN世代の読者・視聴者が増えていくのだから、この点は見落とせないよね。




今日のまとめ
1.社会派ミステリーは「舞台型」と「真相型」に分類できそうだ!(個人的には真相型のモノのほうが好き)
2.フラット化した時代をつかんだ社会派作者が出てきてもいいよね!



もしも本当に、中高生が小説を読まなくなったのだとしたら、彼らと共通の現実認識を持った書き手がまだいないからだと思います。ぐちぐちと嘆く前に、彼らDN世代の読みたくなるような小説があるかどうか考えるべきだ。





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