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アニメ『放浪息子』がすごい!/視線と距離感の演出

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今週のお題は「ついつい集めてしまうもの」/俺の場合はアニメのキャプ画です。「これはっ!」と思ったシーンはとりあえずキャプチャしているんですが、なかなか使う機会がありません。せっかくなので、今回はキャプ画を使ったエントリーを書いてみます。



   ◆ ◆ ◆




というわけで、アニメ『放浪息子』がすごい。女の子になりたい男の子・二鳥くんと、男の子になりたい女の子・高槻さんを中心とした青春ストーリーだ。水彩画っぽい爽やかな絵だけど、内容はけっこうドロドロ。「なりたい自分になれない!」という思春期の息苦しさが丁寧に描かれており、毎回、胸がきゅんきゅんする。
で、なぜこんなにも感情移入させられるのか、各キャラの感情を想像してしまうのか。考察してみた。
キーワードはたぶん「距離感」と「視線」だ。
主に第二話のネタバレを大量に含むので、ぜひご注意を。




   ◆ ◆ ◆



1.カメラの距離=登場人物の心の距離



この作品は、キャラクターの感情が高ぶるシーンでほぼ毎回ロングショットを使っている。怒りを顕わにした表情をアップで映すのではなく、あえて距離をとったカットを用いている。
特にお気に入りなのは、第一話のこのシーン。

主人公・二鳥くんがこっそりとお姉さんの服を着ていたら、当のお姉さんに目撃されてしまった。その直後のカットだ。
カメラはマンションの外に置かれ、二鳥くんとお姉さんは窓の中に小さく収まっている。「部屋の外の暗さ」を使うことで、それまでの明るい感情から暗転する様子が表現されている。窓を使った良い演出だと思う。
そして何より、二人の顔はあまりにも小さく、どんな表情をしているのかよく分からない。それが逆に観客の想像力を刺激し、二人の心情を思い浮かべてしまうのだ。ロングショットによって、感情移入させることに成功している。



似たような演出は随所に見られる。例えば第二話のこちら:

ささちゃんが「二人のばかぁ!」と怒るシーン。
あまりにもガンコな千葉さん、高槻さんの二人に対して、本作唯一の癒し系キャラがブチ切れるシーンだ。直前の表情は細かく描かれていた反面、激昂した後の表情は一切映されない。この「見せない」演出によって、かえってささちゃんの心情が胸に迫ってくる。



これらのシーンに共通しているのは「キャラクターたちの物理的な距離はそのままに心理的な距離が離れてしまう瞬間」を描いていることだ。マンションの部屋にせよ、学校の校門前にせよ、キャラクターを動かして距離を引き離すわけにはいかない。だから、代わりにカメラが引くのだ。キャラクターと観客とのあいだに距離を取ることで、彼ら・彼女らの心の「離れ」を表現しているのではないだろうか。


(余談だけど、これらのカットは実写的な表現であるにもかかわらず、実写のテレビドラマでは滅多にお目にかからない。なぜなら、金がかかるからだ。カメラを移動し、役者に同じ演技を繰り返してもらい、もしも太陽が傾いてしまったら翌日に持ち越す。。。低予算の連続ドラマでは、そんな手間はかけられない。こういうカメラワークが実写よりもアニメでよく使われているのは、ちょっとした皮肉だ)




2.誰が誰を見ているか/視線の演出


第二話で気付かされたのだが、この作品はどうやら「視線」がとても大事にされているようだ。高槻さん・二鳥くんの互いを見つめる視線、そこから目をそらしたい千葉さんの視線。二鳥くんが大好きなまこちゃん(♂)の視線。みんなで仲良くしたいささちゃんの視線に、更科さんしか見えていないももちゃんの視線。シーンごとに「誰が、誰を見ていのるか」がはっきりと判るようになっている。



とくに第二話では最強のツンデレキャラ・千葉さんが大暴れする。「目は口ほどにものを言う」ということわざがあるけれど、それを地でいく映像作品になっている。

第二話は千葉さんが誰か(たぶん観客)のインタビューに答える映像から始まる。そう、すでに彼女は目をそらしているのだ! ごちそうさまです。素直じゃなくてぜんぜん可愛くないのがクセになります。



で、この「視線の演出」がもっとも力を発揮しているのは、次のシーンだ。

物語の9ヶ月前、高槻さんの部屋に千葉さんが乗り込んでくる。千葉さんは二鳥くんが好きだ。だけど二鳥くんは高槻さんが好きで告白した。なのに、高槻さんは似鳥くんをフったらしい――。それを知った千葉さんはガマンできずに、高槻さんの部屋に突撃するのだ。
で、ごらんの表情だ。視線はテーブルに向けられている。
次のカットはこちら。 

(こ、この子は何をしにきたんだ!?)
困惑する高槻さんの顔が描かれている。この二つのカットを交互に繰り返しながら、台詞劇が続いていく。つまり、こういうこと。

二つのカメラは、高槻さん、千葉さんそれぞれの一人称視点となる位置から撮影している。だからこそ、
>高槻さんは相手のことを見つめている。
>千葉さんは相手から目をそらしている。
という状況がわかる。
「本当は高槻さんの顔なんて見たくない」という千葉さんの台詞があるけれど、その言葉通り、彼女は相手の顔を見ていないのだ。


で、すごいのはここから。イマジナリーラインを踏み越えたカメラワークを連発することで、ヒロイン・高槻さんの心情の揺れを表現している。



「高槻さんがキラい」



「大キラい」



「ズルい」


もう、カメラの位置を振り回すこと、振り回すこと。千葉さんの本領発揮だ。
さすがの高槻さんも黙っていられなくなる。



「あたしはどうすればいいんだ」
「さあ? 私は憎まれ口を言いに来ただけだもの」


思うのだけど、たぶん作者さんは、千葉さんを「女の子の嫌な部分」の凝縮されたキャラクターとして描いているのだろうな。相手を攻撃する手段として「態度」「言葉の暴力」しか使わない。それが女の子の「嫌な」部分だ。――と、作者さんは考えているみたいだ。(※これって男性作家には書くのが難しいよね。女の子のそういうワガママさも含めて「可愛い」って思ってしまうのが、男のアホさだから)


言われ放題だった高槻さんも、ついに堪忍袋の緒が切れる。



「さっきは、なんでここに来たのか解らないって言ってたくせに……」

 バンッ!

「あたし、何にも悪いことしてないじゃんか!」


と、ついに高槻さんも切れてしまう。



「あたしだって、あんたなんか……」


感情を吐露して、涙ぐむ高槻さん。このシーン、この時の千葉さんの表情が秀逸なのだ。



 ※ぽかーん


そう、千葉さんは相手の顔をしっかりと見つめているのだ!
相手が激昂したことに驚き、あっけにとられた表情をしている。高槻さんの感情むき出しな顔との対比もさることながら、なにより千葉さんの幼さがはっきりと解る。自分の言葉が他人をどう傷つけるのか。その相手がどんな反応を見せるのか。千葉さんはまったく想像していなかったのだ。だから高槻さんに怒鳴られて、恐れや怒りよりも、驚きが勝っている。


【2月2日追記】じつはこのシーンで注目すべきなのは「テーブルの置き方」だったりする。キャラクターの一人称視点で会話シーンを撮るのは「切り返し」と呼ばれる技法で、小津安二郎監督が得意としていた。本来、切り返しカットの使われるシーンにはイマジナリーラインが存在しない(そのライン上にカメラが置かれてしまうため)。しかし上記のシーンではテーブルを二人の間に挟み、さらにL字に座らせることによって、本来は無いはずのイマジナリーラインを「あるかのように」錯覚させている。



   ◆ ◆ ◆



以上のように『放浪息子』はカメラの距離感とキャラクターの視線によって、彼らの心理を丁寧に描いている。それが感情移入を誘い、毎回、感動させられる。このエントリーではカメラワークの話ばかりをしたけれど、セリフの「間」の取り方も最高。登場人物の多さのわりに、誰一人として、ないがしろにされていない。見応えのあるすばらしい作品に仕上がっている。
というわけで、Rootportの今期アニメ暫定的最高傑作は『放浪息子』です。






あわせて読みたい


放浪息子アニメ公式サイト
http://www.houroumusuko.jp/


karimikarimi
http://d.hatena.ne.jp/karimikarimi/
キャプ画像を多用するスタイルを参考にさせていただきました。


可塑性、性、距離―アニメ『放浪息子』とキャラクター - ジビインコウ
http://d.hatena.ne.jp/somesum/20110131/1296504267
※キャラクターの内面に関する素晴らしい考察。



同性愛がどーの、異性愛がどーのと作品外のことで評価されがちな『放浪息子』ですが、だからこそきちんと作品のつくり・内側に目を向けたいと私は思っています。





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