デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

私はいかにして美人局を見抜き逃げ出すに至ったか

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ときどき、ものすごく生々しい夢を見る。小さい頃はとくに酷くて、真夜中に目覚めては泣いていた。最近ではすっかり見なくなっていたのだが、映画『インセプション』を見て以来、症状が再発している。何かを深層意識に埋め込まれ(インセプションされ)たのかもしれない。今朝の夢もそうだった。ここにメモしておこう。



◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



私は斜面を登っていた。眼の前には緑豊かな山肌が迫っていて、夏だというのに空気はひんやりと冷たい。湿った樹皮のにおい。コケと泥のにおい。足もとはアスファルトで舗装されている。山の中腹に、五階建てのホテルが見える。この道路は、あのホテルに繋がっているようだ。
ホテルにたどり着き、空室の有無を聞く。ロビーの大きなガラス窓からは日本庭園が見える。広々とした池と、手入れの行き届いた庭木。
――申し訳ありませんが、満室です。
受付のスタッフは、まだ十代の少女だ。化粧気がなく、髪型も垢ぬけない。都会からは遠く離れた場所なのだ。彼女は妙なことを提案した。
――他のお客様と同室でよろしければ、ご準備できますが。
このホテルは、全室が3LDK以上だという。もともとマンションとしてデザインされたのかも知れない。短期滞在の客にとっては、どの部屋も広すぎる。どうしても空き部屋ができる。そこに素泊まりできるらしい。私は経験値を稼ぎに来ただけだ。四畳半で構わない。
受付係はにっこりと笑って、部屋番号を告げた。三人家族が宿泊している部屋だそうだ。
部屋にはまだ誰もいなかった。夕方になれば、遊び疲れて帰ってくるだろう。私も荷物を置いて、外に出る。


日が出ている間は、ホテルの周辺を散策した。


ホテルに戻ったのは、日がとっぷり暮れてからだ。同室の三人家族は、まだ若々しい夫婦と金髪ツインテールの少女だった。彼らと簡単に挨拶を交わしてから、私はホテルのレストランに向かう。日本庭園を見降ろしながら、一人でフレンチを食べた。
彼女と出会ったのは、その後だ。
食後、私はバーで飲んでいた。スコッチウィスキーを舐めていると、誰かが隣に座った。そちらに目を向け、私は息を飲む。二十代半ばの女。ゆるく波打った黒髪が、ふっくらとした頬にかかっている。くちびるは赤く、二の腕は目にしみるほど白い。
好きなタイプではない。ベリーショートが似合うような、ボーイッシュで中性的な人が本当は好みだ。しかし彼女のむちむちした体つきに、どうしても目を奪われてしまう。
――お一人ですか?
ごく自然に、そう訊ねていた。相手は微笑む。
――そうです。今ついたところなの。
彼女は窓の外を指さす。日本庭園の向こうには、バスの発着するロータリーがある。そこに運送会社のワンボックスカーが停まっていた。彼女はここに、長期滞在するつもりだそうだ。(引越し会社ではなく、運送会社?)すこし引っ掛かったけれど、口には出さない。
――部屋の予約はしてあるんですか?
すでに満室だったはずだ。彼女は眉根を寄せて、くちびるを尖らせる。
――いいえ。だから朝まで、ここで時間を潰そうと思って。
朝になれば客がチェックアウトし、空室ができる。彼女は小さなあくびを漏らし、私の肩に寄りかかる。ふわりと甘い香りがした。
――疲れちゃった。
しっとりとした肌が、私の肩に触れる。胸が高鳴るのはアルコールのせいだと、自分に言い聞かせる。ラガヴーリンの濃醇な味に酔っているだけだ。(しっかりするんだ)しかし、グラスに目を落とせば、彼女の胸の谷間が視界に飛び込んでくる。(わお、グランドキャニオン!)このあたりで理性が吹っ飛ぶ。気付けば私は、言葉を尽くして彼女を部屋に誘っていた。男って馬鹿だ。


私の部屋は3LDKで、ドアを開けると短い廊下がある。廊下の突き当たりはリビング兼寝室で、今は家族連れの三人が寝息を立てているはずだ。廊下の右手には洗面所とシャワー室。左手には、私の泊まっている四畳半がある。
部屋に入ってすぐ、彼女は腕をからめてきた。私は焦る。
――お、お、奥の部屋で人が寝ているんだ。もしも目を覚ましたら……。
――平気よ。気付いたりしないわ。
氷雪のように白い彼女の肌。山脈のごとく豊かなふくらみを押し付けられて、私の股間がマッターホルンだ。ユングフラウから流れ落ちる氷河のように、彼女は私に覆いかぶさろうとする。今はまずい。金髪ツインテール少女の安眠を、何としても守らなくては。そもそも私は、本当にこの女と寝たいのか。自問自答。確かに彼女はモンブランのように立派な胸元をしている。だけど私の好みはボーイッシュだ、アイガーの北壁みたいな胸だ。(スイスで一番有名な湖は?)余計なことを考えるな自分。
窓の外は、白み始めていた。
ふと、重大なことに気付く。必要不可欠な合成樹脂製品がない。旅行用の小さなバッグに入れてきたはずだ。が、それをリビングに置いてきてしまった。私は彼女に事情を伝える。
――なら、取ってきて。
という事になった。私は息を殺して廊下に出る。抜き足差し足でリビングに向かう。気分は潜入工作員だ。スネーク、気をつけろ。蛇は男根崇拝の象徴だ。アステカ神話ケツァルコアトルは文化と農耕の神であり、蛇の姿をしている。人々に火を教え、芽吹きをもたらすとされる。文化の「種を植え付けた」と解釈できる。
廊下の突き当たりにたどり着いた。リビングへ続くドアの前で、息を整える。音を立てぬよう、ゆっくりとドアノブを回す。
リビングの真ん中にはガラスのテーブルがあり、革張りのソファと巨大なテレビがそれを挟んでいる。その向こうは床が一段高くなっており、ベッドが三つ並んでいた。三人家族はまだ夢の中だ。すばやく目を走らせて、サイドバッグを探す。据え膳食わぬは男の恥。マッターホルンはテントを張ってビバーク中だ。一人娘の寝ている枕もとに、目標の鞄を見つけた。大丈夫、熟睡している。スネークイーター作戦続行。
そっとリビングを横切り、眠っている少女に近づく。傍から見れば(見なくても)怪しすぎる男だ。足音を立てぬよう、小指から踏み込む。一歩ずつ眠り姫に近づく。十歳かそこらの娘なのに、シーツの上で乱れる金髪が妙にエロティックだ。這うようにゆっくりとベッドサイドを移動し、その子の枕もとに到着する。小ぶりなバッグに手を触れたその時、少女がぱっちりと眼を開けた。
私は身構えた。
悲鳴をあげられると思ったからだ。しかし予想に反して、彼女はにっこりと笑った。上半身を起こす。
――おはよう、おじさん。
お兄さんと呼ばれなかったことに軽く傷ついたが、あいまいに微笑んでごまかした。ともかくバッグは手に入れたのだ。私は足早に、リビングから退散する。家族三人が目を覚ます気配を、背後に感じた。


――というわけで、三人を起こしてしまったよ。
――そう。でもありがとう、おかげで朝まで退屈しなかった。
私たち二人は四畳半にいた。奥のリビングからは団らんの声が聞こえてくる。朝食をとっているのだろう。窓の外はすっかり明るくなり、小鳥がさえずっている。マッターホルンはいつの間にか高尾山に姿を変えた。本当は地団駄を踏みたい気分だけれど、相手が平気な顔をしているから、ぐっとこらえる。
コンコン、と扉をノックされる。
家族三人が立っていた。まだ早朝といっていい時間だが、もう出かけるという。
――この部屋の鍵、お渡ししますよ。
一方、私は昼までにチェックアウトすればいい。それまでは自由にこの部屋を使える。あんなことも、こんなことも、やりたい放題だ。再び胸が高鳴る。男って本当に馬鹿。


彼女を部屋に待たせたまま、ロビーに降りた。必要な手続きを済ませる。
三人家族は大きな荷物を背負い、ホテルを後にする。今日中に山を越えてしまうつもりだそうだ。玄関前のロータリーに出て、彼らを見送る。金髪ツインテールの少女が、大きく手を振っている。手を振り返しながら、私は(さっさと視界から消えてなくなれ)と思っていた。部屋に戻ればお楽しみタイムが待っている。
私はロビーを後にした。絨毯の敷かれた廊下を進む。本当はスキップしたいほどの気持ちだけれど、平静を装う。足取りがどうしても速くなる。窓から見える日本庭園も、今朝はいちだんと美しく見える――。
私は足を止めた。
日本庭園の奥は、こんもりした木立ちに覆われている。その向こうは公道に面している。建物の影になって、見えづらい場所だ。ホテルの裏口にもほど近い。その路上に、ワンボックスカーが停まっていた。車体の側面には、運送会社のロゴがプリントされている。


ここは繁華街ではない。


あんな扇情的な女が近づくような場所ではない。街から遠く離れた、山奥なのだ。彼女のように露出の多い服装は、あまりにも不釣り合いだ。受付のスタッフを思い出す。化粧の仕方もろくに知らない田舎。そういう演出の場所だ。
何かトラブルに巻き込まれた女が、街から逃げてきた。そういう解釈もできる。長期滞在するつもりだと彼女は言った。ならばあのワンボックスカーはなぜ、まだこの場所に停まっているのだろう。遠い都会へと、すでに帰っていなければおかしい。あのワンボックスカーに乗っているのが、運送会社の社員でなかったとしたら……。


――美人局だ!


あの自動車には、きっと怖いお兄さんが乗っていたのだ。今ごろ裏口からホテルに入り、私が部屋に戻るのを待っているはずだ。ウワサには聞いていた。このホテルのそばで袋叩きにあい、金と高額アイテムをすべて盗まれたという、哀れな男のウワサだ。後一歩で、私も同じ目に遭っていた。
少し逡巡してから、私はふたたび歩きはじめる。廊下を進み、階段を上って、部屋に向かった。


彼女は玄関で待っていた。私の顔を見て、嬉しそうに笑う。すでに下着同然の格好になっている。私は笑えなかった。ドアの内側に踏み込む気にはなれない。戸口に立ったまま、告げる。
――ごめん、もう出かける。
私の言葉遣いから、感じ取るものがあったのだろう。彼女は舌打ちを漏らした。そして私の背後に目を向けて、息を止める。目を見開き、頬を引きつらせる。
私の背後には、十数人の警察官が立っていた。
彼女はきびすを返して逃げ出した。無慈悲な警察官たちが取り押さえる。彼らはさらに室内へと踏み込んでいく。廊下に立ったまま、私は一部始終を眺めていた。部屋の中から、強面のお兄さんがぞろぞろと出てくる。一列になった男たちが、警察官に小突かれながら連行される。不満げに顔を歪めていた。
――ご協力ありがとうございます。
――いいえ、当然のことをしただけです。
軽い会釈を返した。こういう犯罪に出くわすことになるなんて、日本も治安が悪くなったものだ。成熟したネットワーク社会の負の側面だ。そんなことを考えながら、私はログアウトした。


デスクトップに戻ってくる。「デスク」とは名ばかりの三次元空間だ。アプリケーションのアイコンが、私の周囲をふわふわと漂っていた。上下左右どこを見ても、透明な青。大空の真ん中にいるような気分だ。世界で一番売れているOSソフトは、いまだにテーマカラーを変えていない。
すべてはネットゲームの中の出来事だった。
緑の山肌も、五階建てのホテルも、日本庭園も、精巧な仮想空間にすぎない。でなければ、幼い娘のいる家族が、若い男を同室に泊めるはずがない。彼らはプレイヤーキャラクターだ。三人でパーティーを組み、クエストを進めていたのだろう。あの美人局の女も同じ。一方、受付のスタッフはNPCだ。
ちょっと経験値を稼ぎに出かけただけなのに、大変な目に遭ってしまった。まだ戦闘力が足りない。男たちに取り囲まれたら、なすすべが無かっただろう。私はふたたびゲームソフトを起動する。ただし今回はオフラインモードだ。オンラインで遊ぶのは、もう少しレベルをあげてからのほうがよさそうだ。
美しいアルプスの風景が広がった。
高山植物に覆われた緑の小道を、私は歩き始めた。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



…………と、いう夢を見たんだ。


夢の中で仮想空間(≒夢みたいなもの)に入るという多重構造は、映画『インセプション』の影響だろうな。ホテルが舞台になるのも一緒。というわけでこのエントリーをもって、あの映画の感想に代えてしまおう。夢は抑圧された欲望の投影だという。なるほど、欲望ね。なにがマッターホルンだ、バカじゃねーの。






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