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あなたの本がニコニコ動画っぽくなる日/電子書籍で花開く次世代の読書文化

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読書とは、静かなモノだった。一人きりでするモノだった。読書が趣味の女子高校生といえば、引っ込み思案な落ち着いた美少女だと決まっていた。ただし現実はそう甘くない。
こういった「読書」という体験そのものを、電子書籍は変えるだろう。アフターiPadの世界では、読書はもっと騒がしく、にぎやかで、みんなで一緒にするモノになる。
今回は、そんなお話。



電子書籍にできること、できないこと。
恥ずかしながら、中学生のころからネット上の素人小説サイトに出入りしていた。かなり以前から、ネットを介して小説や論評を読んでいた。画面を通して読んだテクストの量になら自信がある。
しかし気合を入れて読むときには、必ずプリントアウトしていた。なぜなら、画面にはラインマーカーや三色ボールペンで書き込みをできないからだ。また液晶の画面を長時間睨み続けていると、眼球が死ぬ。
このようにパソコンで読書をすると、二つの難点が浮かび上がる。
1.目が疲れること。
2.書き込みができないこと。
この二点が、電子書籍への参入を拒んでいた。画面で読書をすることのハードルをあげていた。しかし、どちらの問題も、今後1〜2年のうちに解決されるはずだ。技術の進歩はいつだって、私たちが考えるよりも速かった。



◆そして実装される「みんなのふせん」機能
電子書籍に書き込みができるようになれば、次はその書き込みを共有する機能が実装されるはずだ。ここでは便宜上、その機能を「みんなのふせん」と呼ぼう。
読書の途中に気になる言葉を見つけたら、そこに「ふせん」を貼って、140文字ぐらいのつぶやきを残せるようにするのだ。イメージとしては、映画『サマー・ウォーズ』に登場した”ふきだし”型のメッセージボックスや、映画『東のエデン』のAR上映会で使用されたメッセージボックスを思い浮べてほしい。普段は最小化されていて、本文を邪魔しない。「ふせん」をクリックしたときだけ、みんなの書き込みが表示される。
もちろん、書き込みにリンクを貼って、Webサイトや別の書籍へとジャンプできる。気に入らないユーザーの書き込みは非表示にできるし、面白い書き込みを残すユーザーがいれば、その人のふせんやコメントを優先的に表示させるようにする。
こういった機能はまず間違いなく実装されるだろうし、読書体験をまったく別次元のものにするだろう。



◆すべての読書が「輪読」に。
この機能がもっとも威力を発揮するのは、学習においてだ。
難しい本を読んでいて、どうしても理解できない部分があったとする。そして、あなたが理解できない部分は、たぶん他の人にも理解できない。そして「よくわからない」というふせんが、そこに重ね貼りされていく。
Yahoo!知恵袋を見れば分かるとおり、世の中には特定の分野にめちゃくちゃ詳しい人がいる。そういう誰かが、「わからない」というふせんに対して解説をつけはじめる。もしかしたら著者自身が、質問に対する答えを書き込むかも知れない。無責任な発言ならば信用ならないが、「みんなのふせん」には他の書籍へのリンクを貼れる。その機能を使って、情報ソースを示せばいい。
このように、まずは”知識の集約”という面で「みんなのふせん」は有用だ。


もちろん「つぶやき」を残せる機能だということを忘れてはならない。「感想」や「考察」を記したふせんも混ざるだろう。自分の考えが、他者とどれだけ違うのか(あるいは同じなのか)を知ることができる。意見を交わし、議論のきっかけを作り出せる。
そういった”読解・解釈”の面でも「みんなのふせん」は役に立つ。
つまり「みんなのふせん」機能を使えば、すべての読書は輪読になる。ふせんが蓄積していくことで、それらふせんそのものが、輪読のレジュメへと成長していく。読書はもはや、孤独ではない。



◆小説はもっとエキサイティングに。
「みんなのふせん」はつぶやきを残す機能であり、感想や考察を共有できる。読書をしながら、他者の感想に触れられる。これはニコニコ動画によく似ている。
知っての通り、ニコニコ動画の面白さは「感覚の共有」にある。自分が思わず笑った場面で、他の誰かが「www」と草を生やしている。それだけで楽しい。面白い。同じ現象が、電子書籍でも起こる。
たとえば小説。
予想外の展開に驚いたら、「超展開ktkr!」というふせんを残しておけばいい。たぶん他の読者も、同じ場所で驚いているはずだ。そして、そういう面白いページは、みんなのふせんで埋め尽くされる。ふせんの非表示を解除すると、みんなのコメントが画面いっぱいに広がって、本文が見えないほどになる。ニコニコ動画でいうところの「弾幕」現象だ。
もちろん悪いやつはどこにでもいて、ふせんにネタバレを書き込むユーザーもいるだろう。悪質な書き込みをするユーザーをBANできるような仕組みが必要になるだろう。とはいえネタバレが怖ければふせんを非表示にすればいいし、小説ってもともとエンターテインメントなんだから、ユルくてもいいんじゃないかな。
むしろネタバレを積極的に活用したい。
ふせんのアイコンの色を変えるなどして、書き込みがネタバレを含むか、そうでないかを一目で判断できるようにしておくのだ。小説を読めば、ネタバレを含んだ感想を述べたくなる。ネタバレOKなふせんを準備しておけば、そういう感想を円滑に交換できる。
また作中の言葉遣いが、誰の影響を受けたものなのか、ふせんのリンク機能を使えば一発で示せる。作品の文学史上の立ち位置や、作者が他のどんな作者と仲良しで、誰とライバル関係にあるのか、そういったメタな楽しみ方もできるようになる。小説の本文だけでは分からない、作品の外側の世界を、ふせんを通じて知ることができる。
それはたぶん、とてつもなく楽しい読書体験になる。



◆コンテンツではなく、コンテクストが消費される時代
テレビが普及しきった時代でも、映画は廃れなかった。今後、テレビが廃れたあとも、おそらく映画は残るだろう。映画ほど「感動を共有する」のが簡単な娯楽を、私はまだ知らない。映画館に行けば、面白いシーンでかならず誰かが吹き出す。それにつられて、他の誰かが笑ってしまう。映画館の、あの一体感がたまらなく好きだ。そしてどんな作品でも、二時間ほどの空き時間で観られる。この手軽さゆえに、他の人との会話のネタになる。「ねえ、あの映画もう見た?」
映画の魅力は、作品そのものにとどまらない。作品の外側――すなわちコンテクストにも、映画の魅力がある。

出版物は、こういったコンテクストを形成するのが難しいジャンルだった。コンテンツの質だけで勝負していた。出版点数の多さと、一冊を読むのにかかる時間の長さが、コンテクストの形成を阻害していた。
「昨今の新書ブームは、このコンテクストの形成がうまくいったからだ」という分析を聞いたことがある。たとえば勝間和代さんの著作。著書そのものが優れいてるというだけでなく、勝間さんのキャラクターにも魅力がある。テレビに出演すれば年上の男性論者を小気味よく論破しているし、どうやら池田信夫先生とは喧嘩仲間らしい。そこに横から香山さんまで殴り込みをかけて……。と、それぞれの論者のキャラクターが立っている。こういう状況を見れば、「どれ、ちょっと誰かの本を読んでみようか」という気持ちになる。そして新書は売れた。面白さを作品の外側にまで拡大できたからだ。
もはや言うまでもないだろう。
「みんなのふせん」機能は、今まで形成するのが難しかった「出版物のコンテクスト」を、極めて簡単に生み出せる。読んだ本について、同好の他者と簡単に意見交換できる。これが楽しくないはずがない!



「みんなのふせん」機能は、かならず実装されるはずだ。それは読書の体験を、より深みのある、面白いものに変える。電子書籍活字文化を滅ぼすどころか、むしろそれを再活性するだろう。ヤバいのは出版社であって、活字の文化ではない。
なんだか楽しみになってきた。誰が最初に「みんなのふせん」を事業化するだろうか。(もしかしたら、すでにあるのかも!?)……もしも技術とお金があれば自分でやりたいけれど、残念ながら私にはそのどちらもない。今はワクワクしながら、状況を見守りたい。



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