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日本語コンフュージョン

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《日本語コンフュージョン》2006/12/05




 就職活動をするにあたり、いわゆるビジネス誌というものを読むようになった。

 そこで感じたのは、日本語の乱れだった。


 ビジネス誌といえば、おじさま方の読む雑誌というイメージがある。

 おじさま方は「最近の若者は日本語の使い方を知らない」と嘆かれていたはずだ。


 が、ビジネス誌を読んでみて分かった。

 むしろおじさま方が率先して日本語を乱しているに違いない。

 でなければ、こんなひどい日本語を野放しにしておいていいはずがない。




 これは単一の雑誌に限った話ではない。

 ビジネス雑誌とは、ひとつの分野だ。

 そしてこの分野に共通した言葉遣いが存在しており、

 その言葉使いがあまりにも異様なのだ。



 ポイントとしては、以下の三つがあげられる。


1.無駄なカタカナ語が多い。

2.無駄に長い文章が多い。分かち書きができない。

3.言い切り・宣言が大好き。


 こんな文章、

 赤ペン先生なら、真っ赤にチェックを入れるはずだ。




 どれだけ日本語が乱れているのかを示すために、

 ここでは古典文学の名作を、ビジネス誌的な文章で書き直してみたい。







『こころ』夏目漱石



原文)

 私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此処でもただ先生と書くだけで本名はうち明けない。これは世間を憚る遠慮というよりも、その方が私に取って自然だからである。私はその人の記憶を呼び起こすごとに、すぐ「先生」と云いたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。余所々々しい頭文字などはとても使う気にならない。



ビジネス誌)

 私はその人を常にチューターと呼んでいた。だから此処でもただチューターと書くにとどめ、本名をイグジビットすることは避けたい。その方が私にとってナチュラルであり、これは世間を憚る遠慮というわけではなく、その人の記憶を呼び起こすごとに、私はすぐ「チューター」と云いたくなるからなのだ。キーボードに向かっても、このアティチュードは同じである。よそよそしいイニシャルなどは、とても使う気にならない。