デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

世界の中心で愛を叫んだオタク/海外のイベントにどんどん参加しようよ!






先進国の大都市は、どこも街並みがよく似ているという。
日曜日の朝、ロンドンはスタバのコーヒーから始まる。テムズ川のほとりをランニングウェアを着たビジネスマンが走っている。耳にはもちろんiPod nanoのイヤホン。大道芸人たちはブロンズの塗料で化粧をし、微動だにせず立ち尽くしている。日が上るにつれ、田舎からの観光客が国会議事堂の見学に集まって――。
初めてのロンドンはどこかで見た光景の連続で、たしかに東京にそっくりだった。
そもそも日本は、ここ140年ほど欧米の真似ばかりをしてきた。なぜ勲章を授与なさるときに天皇陛下は洋装をおめしになるのか。明治のころに伝統儀式を一新したからだ。なぜ日本のマンションはフローリングの洋室が多いのか。昭和のころに欧米のホームドラマの真似をしたからだ。そしてディズニーリゾートの人気がつきないのは、手軽に異国情緒を――ヨーロッパの雰囲気を味わえるからだ。日本人は欧米が大好きで、欧米の真似ばかりをしている。スタバのコーヒーはロンドンでも同じ味がした。
対岸のビッグベンを眺めながらスコーンをかじりつつ、私は思った。
(あなたがた白人は、たくさんのものを発達させて日本に持ち込んだが、私たち日本人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか? 洋服を着て、パンを食べ、会社によっては英語で仕事をしている。私たち日本人の都市生活は、あきれるほど西洋のモノマネばかりだ。ロンドンにあるモノはたぶん東京にもある。では、私たちのモノと呼べる文化はなんだろう。東京ではどこでも目にするけれど、ロンドンではなかなか見つけられないもの。それは何だろう?)
スコーンを食べ終えるころには、答えが出ていた。



――決まってんだろ、オタク・カルチャーだ。




       ◆




日本では今、クリエイターたちが低所得にあえいでいる。
アニメーターは最低賃金以下で“修行”をしているし、イラストレーターには怪しげな企業から詐欺まがいのメールが届く。好きなことをしてお金を稼ぐのは、たやすいことではない。子供がマンガ家になりたいと言い出したら、まともな親なら反対する。モノを作るひとなら誰でも、いつか売れっ子になって一攫千金――という夢を見る。しかし人口減少と少子高齢化で、その夢も先細りだ。やれクールジャパンだなんだと騒がれる「オタク文化なるもの」は、数え切れないほどの人々の血のにじむような生活に支えられている。
クリエイターの所得は、個人の実力の問題とされることが多い。
実力のないやつが仕事をもらえないのは当然だ。その点に異論はない。しかし反面、海外ならプロ並みの技術を持つ人が、日本ではアマチュアに甘んじている場合も少なくない。日本国内ではクリエイターが過剰供給ぎみなのだ。ミクロでは個人の実力を磨いて勝ち上がるしかないが、マクロでは需要そのものを拡大しなければ「クリエイターの低所得問題」は解決できない。オタク・カルチャーを世界に広めるしかない。



では、具体的には何をすべきだろう。
幸いにして「オタク文化なるもの」の認知度は高まっている。日本にくる観光客は十中八九、ジブリ作品を見たことがある。アニメやマンガは「日本」の代名詞になった。が、私たちが目指すべきなのは東京の人がパンを食べるように、ロンドンの人がアニメを見る世界だ。まだそういう時代にはなっていないし、「文化が広まる」のを座して待つだけでいいのだろうか。私たちにも今すぐできることがあるのではないか。



私たちにもすぐにできること:
まずは海外のオタク系イベントに参加すればいい。



ご存知のとおり、コミケのような同人誌即売会は世界中で行われている。有名どころはアメリカのOtakon、フランスのJapan Expo、アジア圏のコミックワールド等だろうか。これらは氷山の一角で、数万人が参加する大規模なものから数百人程度の小規模なものまで、様々なイベントが開催されている。
しかし、そういうイベントに参加する日本人はまだ少ない。
言うまでもなくオタク系イベントのメッカは日本だ。この国に暮らしていれば創作物の発表の場には困らないし、わざわざ海外に出て行かなくても充分に楽しめる。国外まで足を運ぶインセンティブが薄いのだ。日本の作家たちは、ほとんどの人が日本だけでモノを売ろうとしている。
海外のオタク系イベントでは、むしろ中国人の姿が目立つそうだ。
いまやオタクは世界中にいる。もちろん中国だって例外ではない。しかし中国では同人誌即売会のような「発表の場」が日本ほど恵まれておらず、それが積極的に世界進出するモチベーションを生んでいるのだろう。中国の人は古くから「華僑」として世界中にネットワークを作ってきた。そういう文化的な背景からか、中国国内の作家が描いた原稿を、ヨーロッパ在住の友人が編集して、米国留学中の友人がOtakonで売る――という光景も珍しくないという。
日本のオタクが国内に引きこもる反面、他国のオタクたちは積極的に国際的な交流をしている。この状況が続けば、「オタク文化なるもの」は早晩、日本の専売特許ではなくなるだろう。アジアを代表するものとして定着するかも。
それでなくても、たとえばアニメ業界ならば技術の国外流出が続いている。ご存知のとおりアニメDVDのほとんどは国内向けに作られており、競争過多でありながら市場拡大は頭打ちに近い。したがって費用を削減しなければ利益を出せず、人件費の安い地域へと作業をアウトソージングすることになる。「三文字作画」と揶揄されることもあるように、国外のアニメ制作会社はまだ日本ほど高い技術は持っていない。しかし、それも時間の問題だ。中国や韓国でも「描ける人」は着実に増えている。
中国・韓国が悪いという話をしたいのではない。創作者のすそ野が広がって平均的な実力が底上げされるのなら、消費者にとっては喜ばしいことだ。しかし「日本のクリエイターの低所得問題」を考えたときに、これは好ましい状況といえるだろうか。



ジンの話をしよう。
カクテルのベースとして好まれるお酒のジンだ。ランプの精のことじゃないよ!
ジンはもともとオランダの医者が薬として発明した。蒸留する際に、薬草をつめたカゴに蒸気を通すことで、薬効を抽出した酒だった。体力が落ちたときの強精剤も兼ねていたため、糖分の多い、甘い酒として作られた。現在でも「オランダ・ジン」と言えばこの甘い薬草酒のことを指す。
もとは薬だったジンはイギリスに渡り、甘みをおさえた酒として改良される。現在の「ドライ・ジン」の誕生だ。ドライ・ジンはイギリスで爆発的な人気を得て、人々の日常酒として定着した。映画『スウィーニー・トッド』にも、19世紀のロンドンで労働者階級の人々がジンを愛飲している描写があった。
そしてドライジンが世界中に広まったのは、ジンをベースにしたカクテルのおかげだ。マティーニギムレットといったカクテルの代名詞ともいえるドリンクが発明され、世界に広まっていった。こうしたカクテルを生んだのはアメリカ人たちだった。
このような歴史から、ジンはオランダ人が生み、イギリス人が洗練し、アメリカ人が栄光を与えたと言われている。
似たような歴史を「オタク文化なるもの」がたどる可能性は、決して低くない。オタク文化は日本人が生み、韓国人が洗練し、中国人が栄光を与えた――。そう言われる時代がきても不思議はない。
もしもオタク・カルチャーを「日本の文化」としたいのなら、やはり日本人の手で広めていかなければ。



歴史は現在進行形で作られていく。
どんな未来がくるのかは、私たちの行動に左右される。





       ◆





私たちは何のために生きているのか。この文明は、文化は、何のために存在するのか。そんなことを、よく考える。
日本語は、日本以外ではほぼ使われていないマイナー言語だ。数千年という時間軸で見ればほぼ間違いなく消えるだろう。
私たちの「文化」の大部分は残すことができない。



しかし、たとえば彫刻室座の楕円星雲への第一次探検隊がイスカンダルと彼らの名づけたある四等星の第二惑星へ降下したとき、そこに青白色の未知の物質――石というよりも、むしろ金属に近いなにか――で作られた、高さ12メートルの彫像を発見した。ニャル子をかたどった彫像であった……
……なーんて未来がきたら、すてきじゃんか。




這いよれ! ニャル子さん (GA文庫)

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(英文版) 外国人のためのヲタク・エンサイクロペディア - The Otaku Encyclopedia: An Insiders Guide to the Subculture of Cool Japan

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