デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

問題解決できる人がやる気を失うという問題/ラノベで学ぶ日本の農政

のうりん 3 (GA文庫)

のうりん 3 (GA文庫)



抱腹絶倒のライトノベル『のうりん』シリーズは、「農業系学園ラブコメディー」として人気を確かなものにしようとしている。その第3巻に、すこぶる興味深い記述があった。良田胡蝶という巨乳美少女のセリフだ。


「農地解放によって消滅した地主勢力と入れ替わって台頭したのが、小地主となったかつての小作人たちだ。それまで他人の土地を耕し搾取されてきた彼らは、自分の土地を持つことによって豊かになり、農地解放を主導したGHQの思惑どおり一大保守勢力として、日本を共産化から守る防壁となった。……だが、自分たちの土地を得た小作人たちは、むしろ農地を守って厳しい農作業を続けるのではなく、棚ぼた的に手に入れたその農地を高値で売りさばき、農業をやめることをこそ選択したのだ! こうしてプロレタリアートからブルジョアと化したかつての小作人たちは、自らのアイデンティティーたる農地を投機の対象とし、そこに空前の土地バブルと政府の減反政策が拍車をかけた結果、現在の全水田面積に相当する二五〇万ヘクタールにも及ぶ農地が、わずか五十年のうちにこの国から消滅したのである! この自作農化した農家・農村を組織化し、戦後最大の政治団体として日本の政治を農村から支配しようとしてきたのが農協だ。農家が農地を宅地に転用した結果得た年間数兆円にも上る売却益は、全て農協に預金された。この莫大な資金こそが、戦後の農協が超巨大金融機関へと変貌する原動力となったのである。また、農地の減少と脱農家の促進は農村の過疎化を生み、しかしその過疎化が国会議員選挙における一票の格差をもたらし、結果、農民は実質的に都市部の人間の二倍から八倍の投票権を握ることともなった! 元地主や企業などの地上げから農家を保護するためだったはずの農地売買の制限は、むしろ票田たる農家の数を減らさないために活用されたのだ。この農家の票をまとめあげたのが農協であり、そしてこの票が、長期にわたる単一政党の独裁体制を支え続けたのである! その見返りとして、族議員たちの意を受けた農水省は様々な形で農村に利権をバラ撒いた。この農協・議員・農水省の三者によるシステムが『農政トライアングル』と呼ばれる利権分配システムの正体である。しかし! 政府が農民に対して行った施策はここまでで、補助金さえ出せばよしとして彼らは永田町に引きこもり、衰退する農村をかえりみることはしなかったのである! そして、この国の農業がもはや崩壊を免れないところまで来たとき、衰退する農村と農業に危機感を抱いた一部の農家の人々が、既存の農政トライアングルを維持しようとする勢力に対して選挙をしかけたのである! その結果は、諸君らも知ってのとおり、農政トライアングルの敗北に終わった。それはいい! しかしその結果、新たに与党の座についた輩は増長し! 政府の内部は腐敗し! TPP参加のような反農民政策を生み! 農家の代弁者を騙った議員どもの跳梁ともなった! これが、戦後の農民が歩んだ歴史である!!」

※ラブコメです。




うん、なんつーか、この良田胡蝶って子はたぶん社会派ブロガーだ。農業実習の合間にはてなダイアリーを更新してるんじゃないかな。ライトノベルに限らず、マンガやアニメ――いわゆる「オタク文化」では、「巨乳=バカ」という記号化がしばしば行われる。アメリカンジョークにおける「ブロンド=バカ」みたいなモノだ。良田胡蝶は、そういった短絡的な記号化を真っ向から打ち崩そうとしている注目に値するキャラクターだといえよう。だから触らせてください。 ※ちなみに私のお気に入りキャラはバイオ鈴木ですので白鳥先生どうか彼女の登場頻度を高めてください泣いてよろこびます。
注意したいのは、上記で引用した「意見」が作者の見解だとは限らない、という点だ。
先述の農政トライアングルについての大演説は、あくまでも良田胡蝶というキャラクターの意見だ。登場人物の意見と作者の見解とは、必ずしも一致しない。むしろ異なる意見・見解を持った登場人物たちを介して議論を深められることにこそ、フィクションの価値がある。現実世界の論者たちが口汚い罵倒しかできないのとは対照的だ(テレビのコメンテーターを見よ)。事実、この演説のあとには他のキャラクターたちが反論をしている。



とはいえ、この演説はかなり要を得たものだと私は思う。
まとめ方がうますぎて足すことも引くこともあまりない。あえて疑問をあげれば、「農村‐農協」を過大評価しすぎかなぁとは思った。たしかに日本の田舎が強いチカラを持っているのは事実だけど、「日本の政治の問題は全部農村‐農協が悪い」と読むこともできてしまう。誰かを「敵」としてあげつらうのは悪いことではないが、「敵を倒しても意味がない」と気づくほど私たちは賢くない。日本の社会・経済・政治のすべてを農政トライアングルが牛耳っていたとするのは考えすぎだ。しかし、農業政策に限っていえば、ここで指摘されているとおり。巨大な利権構造のなかで身動きが取れなくなり、衰退の一途をたどったのだろう。



日本の政治は「二大政党制」を目指している、らしい。
新聞を読んでいると、少なからぬ人々がいまだにその夢を見ているのだと感じる。いまの日本では、「農村の老人たちの代表」と、「大企業社員の労働組合の代表」とが覇を競いあっている。しかし現代の日本ではどちらも社会的強者だ。政治家たちが失言をしたのしないのと子供じみたゲームに興じている背後で、この国は確実に「生きづらい社会」へと向かっている。



最近の若者の2人に1人が無職な件 日本終わってるな
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-2236.html



民主主義とは、知性を市場原理にかけるメカニズムだ。一部の人々――国王や元老員、王家や貴族など――だけでは、ほんとうに優れた施政者を選出できない。だからこそ選挙という仕組みを使う。選挙では、数え切れないほどたくさんの人々の選択が均衡することで結果が決まる。つまり選挙とは「市場」なのだ。そして今の日本では、非正規雇用者や無職がこの市場に参加できなくなっている。市場の機能が歪められている。
物理的な意味での「日本社会」は、ひとつしか存在しない。しかし人は、社会のあらゆる局面をくまなく知ることはできない。見る人が変われば「日本社会」の姿も変わる。形而上的な意味での「日本社会」は、一人ひとりの頭のなかに別々のモノが存在している。だからこそ社会のあらゆる属性の人が政治に参加できなければ、ほんとうに優れた代表者など選出されない。
非正規雇用や無職の代表者が立ち上がらなければ、日本の雇用情勢はもうずっとこのままだろう。この国はノブリスオブリージュという考え方を喪失し、社会的強者はぜったいに社会への奉仕などしない。
問題は「政治に関わることの面倒くささ」だ。
世の中を変えられるぐらい優秀な人は、みんな日本を見限ってさっさと海外へ飛び出している。政治に関わるコスト&メリットを見ると、ぜんぜん割りにあわないからだ。選挙で勝ち残るには周到な根回しと、権力者への配慮が欠かせない。もしも「力のある人」から嫌われたら、発言の「都合の悪い部分」だけをマスメディアに切り取られて大炎上させられる。弁明の機会があるぶんツイッター(バカ発見器)のほうがマシだ。かつては賢い人ほど「日本を変えてやる!」と燃えた時代があったのかもしれない。しかし今では、賢い人ほど政治から距離を置いている。いまの日本では政治家が英雄視されることはまずないし、言動に細心の注意を払わなければすぐに潰される。政治にかかわることは、一言でいって「面倒くさい」
世の中には、政治が「面倒くさい」ままのほうがいい人もいるのだろう。私としては、この「面倒くささ」を低減する方法を考えたい――けれど、もしも可能ならばやっぱり国外逃亡してーわ、ごめん。




希望の国のエクソダス (文春文庫)

希望の国のエクソダス (文春文庫)

のうりん (GA文庫)

のうりん (GA文庫)

のうりん 2 (GA文庫)

のうりん 2 (GA文庫)

もやしもん(11) (イブニングKC)

もやしもん(11) (イブニングKC)



のうりんぶろぐ
http://thurinus.exblog.jp/


※そして立ちはだかる「もしも可能なら」というハードルwww


.