デマこい!

「デマこいてんじゃねえ!」というブログの移転先です。管理人Rootportのらくがき帳。

「いい文章」を書くための3つのルール/まずはパソコンを閉じましょう?






アカウントを取った。ブログのデザインも決めた。書きたい内容もだいたい決まっている。よし、書くぞ――。と、パソコンの前に座った瞬間に、頭のなかが真っ白になる。記事を1本書き上げるという最初のステップでつまずく人は多い。文章術をまとめたサイトもあるけれど、どうもイマイチ役に立たない。一体なにが足りないから、あなたは文章が書けないのだろう。やっぱり、才能?
ソーシャル・ブックマークのすばらしいところは、すべての文章が「生存競争」をしていることだ。まるで自然選択にかけられる生物のように「いい文章・おもしろい文章」だけが生き残る。そして「生き残った記事」とそうでない記事を比較すれば、「いい文章」の共通点が見つかるはずだ。
断言するが、文章を書くのに才能はいらない。「いい文章」の条件はたったの3つ。この3つさえ守っていれば、誰だって読みごたえのある記事を書ける。たぶん。


1.「謎」には「答え」がなければいけない。
2.「伏線」は「回収」されなければいけない。
3.「結論」には「驚き」がなければいけない。


意外なことに、プロのライターの文章でもこの条件を満たしていないことがある。なにが言いたいのか判らない散漫な記事を見かけたら、ぜひともこの3点を検証してほしい。まず間違いなく、どれか一つが欠けているはずだ。






1.「謎」には「答え」がなければいけない。
「ミステリー小説を書くなら10ページ以内に人を殺せ」と言われている。物語の序盤で魅力的な謎が展開しなければ、続きを読むモチベーションが生まれない。読者がページをめくる(あるいは画面をスクロールする)のは、その先に「知りたいこと」が書かれているからだ。なぜ「知りたい」と思うのか:冒頭で提示された「謎」を解きたいからだ。
小説に限らず、あらゆる文章はいちばん最初に「謎」が必要だ。
たとえば「面接では相手を理解することが重要」という主張がしたいのなら、冒頭に「面接の極意とは何だろう?」という問いかけが必要だ。あるいは「『楽しい!』を仕事にしよう」と主張したいのなら、序盤で「既存の勤労観」を否定したほうがいい。「いまの働き方がダメなら、どんな働き方がいいのだろう?」と、読者はごく自然に疑問を抱いてくれるはずだ(と信じています)
そして冒頭で謎かけをしたら、結末にいたる過程で謎の全容を解明しなければいけない。少しでも「謎」を残してしまうと、読者は納得感を得られない。「謎→答え」の流れは、どんな文章を書くときにも意識すべきだ。
たとえば新聞記事なら「見出し→リード→本文」という三つの部分で構成されている。まず魅力的な見出しで読者を引きつけ、続いてリードでニュースの概要を説明する。そして本文で詳細を明らかにする。これが新聞記事の基本形だ。そして見出しやリードの時点では、ニュースの細かい部分は解らない。解らないことがある――つまり「謎」があるのだ。新聞記事は「概要→詳細」という順番で書かれるが、これがそのまま「謎→答え」の流れと一致している。
細かい説明をすっとばして、いきなり結論から書いてしまう方法もある。科学論文はこのパターンだ。まず論文のタイトルとアブストラクトで、結論をすべて明かしてしまう。すると読者は「なんでそんなことが言えるの?」と疑問を抱く――つまり「謎」が生まれる。「DNAは二重らせん構造をしているだって!? またまた、ご冗談を……」そう思うから続きを読むのだ。DNAの立体構造を解明したワトソン&クリックの論文は、いま読んでもほれぼれするぐらい美しい。わずかA4一枚の論文で彼らはノーベル賞を受賞した。無駄も不足もない、説得力に満ちた文章だった。





2.「伏線」は「回収」されなければいけない。
村上春樹1Q84』によれば「物語に銃を登場させたら、必ずなにかを撃たなければいけない」という。村上春樹いわく元ネタはチェーホフだそうだが、私はそんなに文学に造詣が深くない。本当にそんなこと言ってるのかな、チェーホフは。
ともかく、文章には「意味のない言葉」を登場させるべきではない。
撃たれない銃、結論とは関係のないつぶやき。そういうモノを文中に残してはいけない。すべてのパラグラフ、すべての単語が、結論へと収束しなければならない。私のブログのように「なにかを主張したい」記事の場合、“すり鉢をらせん状に降りる”ように文章は書かれる。さまざまな論拠を順番に提示しながら、少しずつ中心へと近づいていく。そして最後のワンフレーズで、すり鉢のいちばん底――結論へとたどり着く。
最後まで読んだときに、それまでに登場したすべての文・単語がきっちりと組み合わさって結論を支持している:そんな文章を理想とすべきだ。少しでも結論と関係のない言葉が残っているのなら、惜しまず削ったほうがいい。その言葉は「意味のない言葉」だ。
ただし「雰囲気を作る言葉」は判断に迷う。
たとえば「カフェで隣席の会話が面白かった」ことをレポートする場合、脳内にドキュメンタリー風の映像が思い浮かぶような文章を心がけたい。であるなら、「自分の注文」や「カフェにいた目的」などの情報も、「臨場感」を出すための一要素になる。要不要を判断しづらくなるのだ。文章が映像的になるほど、「雰囲気を作る言葉」の重要性が増し、添削が難しくなる。小説の推敲は最高クラスに難しい。
いずれにせよ「ムダな話題・文・単語は登場させない」という方針は間違っていないだろう。文中に登場したすべての伏線は、結論にいたる過程できちんと回収されなければいけない。





3.「結論」には「驚き」がなければいけない。
これを意識している人はとても少ない。多くのウェブライターが「結論」を説明しただけで満足してしまっている。しかし「文章を読む」のは理性的な作業であり、理性で納得するだけでは心に残らない。感情を動かすことができて初めて、あなたの主張は読者の胸に刻まれる。
では感情を揺さぶるにはどうすればいいのか:驚かせばいいのだ。


参考)
論理的思考を鍛える5つの反論のパターン/「きのこVSたけのこ」論争に終止符を!
行きつけのスタバのマネージャーがすごかったという話
※手前ミソで恐縮です。


たとえばカフェで耳にした「今日は寒いね」という何気ない会話にじつは別の目的があったとか、「きのこの山VSたけのこの里」の論争について書いている張本人がじつはコアラのマーチ派だったとか――。こういう「じつは○○」という話を結末で明かしてやる。と、読者は多かれ少なかれ驚くはずだ。注意したいのは、これら「驚き」が結論とあんまりカンケーないということ。もちろん結論と密接に結びついた「驚き」ならば最高だ。が、たとえ本筋と関係が薄くても「驚いた」という経験そのものが重要なのだ。ヒトは感情の生き物であり、驚きのない文章は退屈な文章である。
文章の結末近くには必ず、読者の「感情」に作用する“なにか”が必要だ。
そして感情にインパクトを与える一番かんたんな方法が「驚き」を与えること――「じつは○○」という要素を加えることなのだ。




       ◆




文章には「謎→答え」の流れが必要だ。続きを読ませるモチベーションは「謎」によってもたらされる。また、ムダな言葉をできるだけ削らなければ、何が言いたいのか判らない散漫な文章になってしまう。登場するすべての言葉が、結論へとつながる経路上になければいけない。そして結論は、読者に印象づけるため「驚き」とセットで提示するべきだ。


1.「謎」には「答え」がなければいけない。
2.「伏線」は「回収」されなければいけない。
3.「結論」には「驚き」がなければいけない。


これが「いい文章」の条件だ。もうお気付きだと思うが、これらはテキストエディタを眺めていても思いつくことができない。メモ帳やノートに「設計図」を書き出すのがいちばんだ。「謎→答え」の流れ、パラグラフの並べ方、「驚き」の要素――。それらがきちんと噛み合っているかどうか、確認してから書き始めよう。「いい文章」を書きたいのなら、一度パソコンを閉じてみよう。





       ◆ ◆ ◆





ここから先は余談。
今日の記事は、Chikirinさんのこちらのエントリーに触発されて書いた。


「作り込み」と「ダダ漏れ」の間 ‐ Chikirinの日記
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120214


テレビ番組とUst、あるいは出版物とブログ――。既存のメディアとウェブメディアには「作り込み」という点で大きな隔たりがある。既存メディアが職人芸的な完成度の高いコンテンツを提供するのに対して、ウェブメディアは「ダダ漏れ」に近い。いつもながら鋭い分析をなさっている。
ではウェブメディアはどんな部分に「作り込み」が足りないのだろう。
そんなことを考えながら、自分の過去ログを眺めていた。「玉石混合」という感想をいただくこともあるぐらい、私の記事は当たり外れが大きい。玉があるかは判らないが、砂利石がほとんどなのは間違いない。では、ごく一部の「多くの人に読んでいただけた記事」にはどんな共通点があるのだろう――。そして見つけたのが、上記3つの条件だった。



※オールド・パーのボトルは簡単には倒れない。



書店に並ぶ出版物とウェブ上の文章には、越えられない壁がある。それこそ誤字脱字のレベルからクオリティが違う。では、どのような点に気をつかえば「質の高い記事」を書くことができるだろう。「いい記事」を連投してブログを流行らせることができるだろう。



ブログにおける最高の戦術は生き残った者によって伝わっていく‐ホームページ作る人のネタ帳
http://bit.ly/z2IQQN



こちらの記事では「ブログをヒットさせたいならとにかくまず書きなさい」と主張なさっている。たしかにその通り、未完成の料理は食べられない。書かれていない記事は読まれない。たとえ味付けが悪くても、まずは完成させることが大切だ。この点は、こちら↓の記事にも共通している。



勉強なら他所でやれ‐Transistar
http://transistar.info/?p=486



こちらの記事は、本当に「モノづくり」をしたい人はとにかくまず作っちゃってる、という話だ。ゲームクリエイターの友人がいいコトを言っていた:クリエイターは憧れて“なる”ものではない、夢中で創っているうちに気付いたら“なっている”ものだ。文章も一緒で、本当に「書きたい」人は四の五の言わずにまず書いちゃってる。
では“どのように”書くべきか。
書くという衝動を持っている人が、どうやって「より作り込まれた文章」を書き上げればいいのか:そういう視点で書かれた「文章術」のエントリーはあまりない。たとえば最近ヒットした文章系の記事といえば、こちら:



驚くほど違う→あなたの文章を最適化するたった4つのルール ‐読書猿
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-562.html



こちらの記事で扱っているのは「推敲のしかた」であって、ゼロから書き始める方法ではない。料理でいえば「盛り付け方」を解説した記事だ。味付けの段階で失敗していたら、どんなに見栄えをよくしても取り返せない。文章を「作り込む」ためには、そもそもレシピの段階から熟考すべきなのだ。
文章の設計図――レシピの作り方として、私は今回3つの条件をあげてみた。


1.「謎」には「答え」がなければいけない。
2.「伏線」は「回収」されなければいけない。
3.「結論」には「驚き」がなければいけない。


じゃあ私がこの3つの条件を満たした記事ばかりを書いてるかといえば、そんなことはない。過去ログを見ればわかるとおり、ごらんの惨状ありさま)だ。



私は、たぶん、文章が上手くない。



トーマス・エジソンは「成功は99%の努力と1%の才能」と言った。才能のないヤツはどんなに頑張っても100%にはなれない、そういう文脈での発言だったそうだ。だから私も、どんなに努力しても100%のホンモノにはなれないのだろう。私は文才に恵まれなかった。
でも、それでもいいかなーって思っている。
たとえホンモノでないとしても、99%まで登りつめることができれば御の字だ。だって、ほとんどの人は20%、30%で諦めてしまう。「まだまだこれから」というところで、「やっぱやーめた」と投げ出してしまう。たぶん、そのほうが賢い生き方なのだろう。私は賢さが足りないから、こうやって書き続けることしかできないのだ。



たとえホンモノにはなれなくても、99%のニセモノに私はなりたい。








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